執着心
仏教用語?で執着ってあるみたいですが、その執着心が問題であると説かれてるようですが、私は依存心が強いのでよく依存状態になりやすいし抜け出しにくいです。
具体的に執着心が芽生えたらどう切り離す?切り抜けたらいいんでしょうか。
ただの現象なので耐え抜くだけでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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執着の何が悪い
モリタソさん、欲の多い生活をして苦しんでますね。ご自愛ください。
私は生きる上で執着は必要なもので悪いとは思えません。ただ、過剰な執着は止めましょう。魚が好きな人も魚屋さんほど魚を持っているわけではありません。イチローが野球好きでも睡眠時間を削ってまで野球はしません。
要はどこで止めるかを自分の計算方法や規則で決めることが大切なのです。あなたが程よく生きることを願っております。
「空と縁起」
モリタソさま
仏教における「執着」とは、物事への依存というよりかは、物事、存在を「実体視」して、あたかも何かその「実体」というものがあるかのように囚われを起こしてしまうことを申します。
この「実体」というものが無いことを「空」と申します。
しかし、私たちには、何か「実体」というものがあるかの如くに常に事象、現象、存在は顕れてきています。
そのため、どうしても間違った反応、間違った対処をしてしまうことになるのですが、これを対治するのは実は容易なことではありません。
そこで、仏教では、「実体」というものは無いとして、般若心経を代表として説かれてある「空」の教えを理解していくことが勧められるところとなります。
しかし、それでは全ては「無」なのかと、間違った理解をする者も当然に多く出てくるところであり、更に全ては「無」ではなく、「縁起」で成り立っているものであるとして、次に「縁起」の理解が勧められることになります。
この「空と縁起」の理解をバランスよく調えることが「中道」となるのであります。
「常見」と「断見」を離れるというところであります。
執着への対応も、「空と縁起」、「中道」の理解により対処は十分に可能であるかと存じます。
是非、学び進めて頂ければと存じます。
合掌
質問者からのお礼
eishunさま
心が清まるようなご丁寧なご回答ありがとうございます。
執着と依存の違いは概念が違うということでしょうか?
もしくは依存って俗世が作った言葉と言うことでしょうか。
お言葉を受けこれからも向上していきたいと思います。
大鐵さま
タイトルだけで笑顔になれてしまいました。ありがとうございました。
ありのままの自分を見つめ直してさらに向上していきたいと思います。
心の深いところにある根まで届くようなお言葉で非常に助かりました。
これからも向上していきたいと思います。