成仏できていないのか・・・
前回と同じような投稿になってしまいますが夫が亡くなって5ヶ月になります
毎日涙し一日も涙が出ない日がありません
周りに毎日めそめそしていると成仏できない、向こうで修行の邪魔になるとか言われます
なので家には仏壇がないので納骨堂へ行き「私めそめそしているけど何も心配いらないから成仏して、やすらかに眠って」と言って来ました
夫は闘病中は常に病院で死にたくないと言っておりました
ですが最後の入院の際は私が病院へ行ってほしいとお願いをし結局入院したのですが私は夫に病院にいれてごめんねと謝りました
それに対し夫は「俺を心配しての事だから許すよ」と言ってはくれたのですが
やはりそのことは常に頭にあり後悔しています
夫は今どのような気持ちでいるのか知りたいと思いでいっぱいです
毎日遺影に向かって感謝の言葉と、36年間幸せだったことを話しております
5ヶ月たってもまだ受け入れられません
どのような気持ちをもって生きていくとよろしいでしょうか?
こんなに思ってくれているんだと夫が喜んでいるかもしれないし、それも供養になるのではと言われます
どちらかなのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
はじめまして、私は浄土真宗の僧侶です。浄土真宗では亡くなった方は全て仏様になる、つみりお成仏するというのが教えです。ご主人さまも必ずお成仏しておられます。
そうは申し上げましても、かおたんさんは最愛のご主人さまとの別れが辛くなかなか受け入れることができないのですね。それは当然のことだと思います。長年連れ添い苦楽を共にしてきた訳ですから。
しかし、大変厳しい言い方で恐縮ですが、私たちの命は頂きものです。その人その人に与えられた天寿というものがあります。この現実を受け止めていただき1日も早くこのお悲しみから立ち直ることが亡くなったご主人さまがお浄土から見守り安心してくださるのだと思います。
ご主人さまは今は病苦もなくお浄土の安寧の世界であたたかい気持ちでかおたんさんを見守ってくださっています。
かおたんさんの感謝の言葉は必ずご主人さまに届いています。
仏願という言葉があります。文字通り仏様の願いです。仏願は残されたご遺族が幸せになって欲しいというものです。ですからご主人さまはかおたんさんの幸せを願っておられるのです。
仏願の通りにあなたが幸せに生きて頂きたいと私もご祈念いたします。合掌
成仏とは納得がいくこと
かおたんさん、はじめまして。質問を拝読しました。
かおたんさんは御主人が亡くなって5ヶ月になるのですね。お悔やみ申し上げます。
かおたんさんは、毎日泣いてばかりいると夫が成仏できない、向こうで修行の邪魔になるとか言われ戸惑っているのですね。
成仏とは何か?について様々な解釈がありますが、私は「故人は死出の旅に立ち、仏さまに導かれながら歩き仏に近づいていくこと」と説いています。
故人はすでにこの世の御縁を終えて次の旅に立っていきました。現世には感謝の心と思い出を残していきました。
では、かおたんさんは御主人から何を受け取りますか?
繰り返しますが、御主人は感謝の心と思い出を残していきましたよ。あとはかおたんさんが受け取るだけです。
合掌
あなたの気持ちが大切です
かおたんさん、このような事よくありますね。いわゆる外野の人は言いたい放題。悲しい時は悲しませてほしいですね。残念ながら悲しいのも時間が過ぎれば薄くなります。今はエスプレッソの状態です。だから、あなたの連れ合いさんを亡くされた悲しみに私は共感します。成仏したかどうかなんて観てない人に言われてもね。
今は沢山の思い出に浸ってください。「弔う」とは一説によると「共に語らう」から転じた言葉だと言われております。お亡くなりになった人を遺族、知人が共に語らい会う。それが本来の葬儀の型かもしれません。語り尽くした時に自然と供養する気持ちが芽生えてくるのです。
まだ5年
ご質問ありがとうございます。
もう5年だから泣いちゃいけないとは思わないです。
まだ5年ですよ。
泣いてても別にいいんじゃないですか?
私なんて世話になった檀家さんの33回忌の時に涙出てきて法話にならなかったこともあります。
それだけ夫さまへの思いが深かったんですよね。
夫さまの代わりなんて、この世でそうそう見つからない。
涙も夫さまとのコミュニケーションでいいんじゃないですか。
夫さまが生きてようが死んでようが家族は家族。それでいいですよ。
悲しみを滅するのではなく悲しみが転じる。
それがいつになるから個人差があります。
受け止めると受け入れるは別物。
今のままで何も悪いことないです。
大丈夫。
そのままでもいいですよ。
仏さまの世界って、人ひとりの涙で曇るような小さい世界じゃないから、修行のことは案じなくて大丈夫。
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はい。泣いていいですよ。
人間だもの。
泣きたくなるうちはまだ泣いてていいですよ。
やがて、『遺影』からかおたんさまの『心のプロジェクター』に夫さまのバックアップが完了した時には泣く必要も無くなるかと思いますよ。
夫さまが最期に行き着く場所はかおたんさまのハートです。仏の世界での修行を終え、戻る港は病院じゃなく、かおたんさまのところ。
実は喪失ではなく、これからも『ともに生きる』姿かたちの有無に振り回されず一心となる。そのための合掌です。
そんな視点にいつか気づいてくれることを願います。
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お返事ありがとうございます。
遺影の前で涙が出てくるのは、悲しいからだけじゃなく、家の外では気丈に振る舞ってるから。
社会の中では頑張ってるから。
遺影の前は、頑張らなくていい場所。
夫さまの遺影の前は素でいていい場所。
だから泣いていい場所。
泣くことは恥ずかしいことではなく尊いこと。
ウチの寺の御堂も同じ。
仏の前は泣いていい場所。
だから大丈夫。
質問者からのお礼
ありがとうございます
悲しさは時間が解決すると願い頑張ってみます
大鐵様ありがとうございます
夫との思い出はいい思い出ばかりなので浸って生きていきます
中村住職ありがとうございます
夫は本当に沢山の愛情と思い出残してくれました
それを大事に心におさめ生きていきます
ありがとうございます
泣いててもいいんですね
今も遺影に向かって泣いてました
ありがとうございます
気が楽になりました
これからも夫に感謝の気持ちと幸せだった事を遺影に向かって話をしていきます
ありがとうございます
遺影の前で泣いていいという言葉に嬉しく先ほど仕事から帰ってきたのですが
思いっきり号泣です