悪口を言われたお釈迦様のお話しの意味
周りで、悪口を言われたお釈迦様のお話しを読んだ人達で、この意味をどう取るか?という意見交換?がありまして…
何人かは、「悪口を受け取らない」という意味だと解釈しましたが、
「悪口を受け取らない」は死ぬまで自分を愛する覚悟を持てるまでは、受け取らないというのは難しい
という意見もありました。
下記のように言っていました。
悪口を言われる、というのは
少しエネルギーが下がってる時に起きやすい
エネルギーが少ないから、エネルギーの強いひとから悪口を送られてくるわけです
だから、有難くエネルギーちょうだいしておけば良い
悲しくなっちゃう場合は
悪口を言われていることより
より自分の深い部分を褒めまくる。
でも本当に大事なのは
世界中がどんなに私の悪口を言っても
私は絶対に私の味方だ!
という覚悟を決めること。
気分で態度を変えず
「私は死ぬまで私を愛する!」
という覚悟を持つ!
それが出来るまでは
「悪口を受け取らない」
は難しいと思う!
この人の言っている事も、お釈迦様のお話の意味として合っているのでしょうか?
お坊さんは、どのように捉えているのかお聞きしたく質問いたしました。
よろしくお願いいたします。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
合ってない、と思います。
うーむ、言葉というのは一人一人のマップがありますから、「覚悟」という言葉がどんな位置付けなのか、よく分かりませんが。
「この人」が言っていることは、お釈迦さまの「悪口は受け取らなければ返る」とは違う話だと思います。「悪口はエネルギーだから、ありがたく頂戴する」の時点で脱線しているし、「死ぬまで愛す!」の「愛す」もお釈迦さまの言う「愛す」とは異なると思います(愛を執着として捉えていますから)。
ということで、私から見ると「ただの持論」かと。
受け取らない、はそのまま「受け取らない」です。まあ、「こう対応できれば苦しみが少なくなるよねえ」という話にはなりそうですが。
悪口を受け取らなければ相手に戻るという話です
ご質問は「お釈迦様と悪口男の話」の事だと思います。
お話の内容についてはこちら
https://hasunoha.jp/pickups/67
このお話について出典を当たってみましたが「このお経のこの部分」というのはわからないので、もしかしたら創作かもしれません。私の勉強不足かもしれません。
お話の主旨としては、「悪口を受け取らなければ相手に戻る」という事になると思います。ブーメランのように悪口は言った本人に戻るということです。ネットスラング的にいうと「自己紹介乙」状態、言ったことがそのままその人の自己紹介になるという事でしょう。
あなたの使う「エネルギー」を使って言うと、「その人から発せられたマイナスエネルギーを受け取らなければ、鏡がその光を反射するように、それを発した人がそのマイナスエネルギーをそのまま浴びる」という事になると思います。
「自分は自分の味方だ」という考え方は、確かに悪口を言われた時の考え方としては良いかもしれませんが、他者の立場に立って行動するという仏教の教えとは異なるもののように感じます。悪口男のお話も「この悪口を自分が聞いたら相手がどんな気持ちになるのか考えてみよう。それを考えたら悪口など言えないよね」という事も含められているお話だと思います。
質問者からのお礼
佐藤良文 様
回答ありがとうございます。
この方は心理の資格を取得していまして、周りの人は「それが正しい意味だね」と信じていますが、私は違和感を感じました。
悪口はエネルギーだから有り難く頂戴するの意味も違う気がしました。
ただの特論という回答を拝見し、納得しました。
お釈迦様の「愛す」の意味を知らないので調べてみます。
光禪 様
回答ありがとうございます。
お釈迦さまのお話で、創作もあるのでしょうか?
その人が言っていた意味に対して周りの人は、その通りだという感じでしたが、私は何か違う気がしていました。
回答を拝見しまして、スッキリしました。
悪口を言われた時の仏教の教えを調べてみます。