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葬儀中・読経中の退席について

回答数回答 4
有り難し有り難し 77

先日、祖父を亡くしたので通夜・告別式に親族として参列してきました。
ちなみに、うちは浄土真宗なので、できれば同じ宗派の方の回答を
希望します。

私は発達障害の為に人より神経が過敏という病気があり、普段は
頻回にトイレを気にして席を立つことがあります。
通夜は1時間ほどで済んだので、式の前に1回トイレを済ませてからは
式の終わりまで席を立つことはありませんでした。

しかし、翌日の葬儀では普段とは違う状況に緊張したのか、式前に2回ほど
トイレに行ったにもかかわらず、30分ほどして読経中に無性にトイレに
行きたくなりました。
もちろん、読経中に席を立つのは失礼だろうと思って式の間しばらく
がまんをしていましたが、耐え切れず後半の“親族お別れの儀”の
タイミングで席を立ちました。

事前に葬儀場のスタッフさんに確認した時には「いつでも自由に立たれても
構いませんよ。」とのお返事をいただいていたのですが、やっぱりどうしても
読経中に1人だけ席を外すと周りから白い目で見られることが怖く、
なかなか行動を起こせませんでした。

自然現象である排泄や、途中で気分が悪くなったときは、読経中や
式の間でも、周りを気にせず席を立ってもいいんでしょうか?
それとも、やっぱり僧侶の方は、いくら親族でも途中で席を離れられるのは
気分を害されますか?

一応、周りからのアドバイスを受けたうえで、今後は迷惑にならない席に
座ったり、タイミングを見てこっそり席を立ってみようと思っています。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一緒にお勤めする浄土真宗

浄土真宗では、特に通夜では会葬の方全員で「正信念仏偈」のお勤めをご一緒する場合が多いかと思います。(地方により異なります)
浄土真宗には「引導」という儀式がないので、葬儀は僧侶のみが執行するものという捉えより、会葬の方全員でお念仏を申すご縁と考えて式に臨んでいます。

確かに会葬の方や僧侶がどう思うか、誰でも気になってしまいますよね。
お尋ねの件に限らず、大切な方を亡くされたことや、葬儀の緊張の連続のために体調を崩され退席される方はめずらしくありません。特にご親族や近しい方は、臨終の前後から不眠不休で葬儀にのぞまれることもあるでしょう。

月並みな回答になりますが、無理をされる、我慢をされることはありません。
もちろん、式の最中であっても前後であっても、中座されて何の問題もありません。

それでももし、僧侶の側に緊張を強いたり退席を難しくさせるような雰囲気を感じたとしたら、本意ではなく、たいへん申し訳なく思います。

共に親しいいのちの最期を送るという儀式にあたり、私たちは悲しみや苦しみに向きあい、普段以上にひとりひとりに優しくありたいものと、自省を込めてお答えいたします。

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おきもち

個別相談可能
北海道の内陸にある浄土真宗の寺院を預かっています。法名(仏弟子の名前)、釋 真慧(しんえ)と申します。 私へのメール ichijoji@outlook.jp ウェブサイト http://tompe4.wixsite.com/ichijo-ji お寺のほか保育園/学童保育を運営、日々子どもたちと向き合っています。心身の障害や発達障害の子ども、ご家庭の困難などに丁寧に向き合っていくことを心掛けています。保育園はすべてベクレルフリー食を実践しています。

仕方のないこと

生理現象です。仕方ありません。
どうぞ気になさらず行ってください。
我々僧侶は基本的に読経に集中です。

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おきもち

知らぬことです

集中しているので見えません、聞こえません。僧侶のことはどうぞお気になさらず。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

大丈夫ですよ

 ご祖父さまのご逝去に哀悼の意を表します。

 浄土真宗の方の回答が入ったので、私からも回答入れておきますね。
 私は曹洞宗です。

 他の回答僧の方が書かれている通り、途中の退席については問題ありません。
 でも、親族だと前の方の目立つ席に座ることになり、なんとなく席を立ちづらいですよね。
 まあしばらくは、ご親族のお葬儀ということはないかとは思いますが、今後そのような事になった時は、例えばあなたの席を外側の通路側など、席を立っても目立たないような場所にしてもらうなど、周りの人に事情を話し、頼んでおけば良いと思いますよ。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

質問者からのお礼

みなさん、優しく丁寧な回答、ありがとうございました。
みなさんが言われるように、たとえ式中でも自分の意思を尊重して無理をせず、辛い時にはそっと
席を外して、自分で体調管理できればと思います。

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