本当の愛とは
前回、好きで離婚した元旦那さんのことで相談させて頂きました。その元旦那さんにいつか本当の愛とはどういうことなのかということを話し合えたらなと思っており、真の愛について深く考えていました。
愛は憎しみに変わるとはよく耳にしていましたが、本当の愛は憎しみにはならないと最近知りました。変わるとしたら無関心。憎しみは執着からくるもので愛ではない、本当に愛していたのなら憎しみにはならないと。愛していると思ってても自己愛に過ぎないこともたくさんあるなと感じています。
人を本当に愛するとはどういうことだと思いますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
渇愛=人間の都合
ご相談拝読しました。
真の愛とは何か?人を本当に愛するとはどういうことか?
考えれば考えるほど分らなくなりますね。それは「本当の愛」というものがあるとしたら、それは人間の在り方を超えたものであり、手中にすることはできないものだからなのだと思います。
現実的な愛というか、私たちのそれは仏教的には煩悩です。なぜなら私たちの愛はやはり線引きをして区別をすることで成り立つものだからです。
だって「みんな愛している」じゃ困るわけでしょう?誰かを愛するということは、それ以外の人は愛さないということです。特別扱いされるから嬉しいわけで、「あなたもあいつもこいつもみんな愛してる」じゃ、それって愛なの?と感じてしまうのが人間です。
じゃあその時にどこで線を引いて区別しているかというと、やっぱりそれは自分の都合なわけです。自分の都合に合うから愛する。それが人間の愛です。
だからこそ、都合に合わなくなったら愛が憎しみに変わりうる。愛と憎しみは正反対なようで実は
愛:都合に合うもの・好ましいものを近づける
憎しみ:都合に合わないもの・好ましくないものを遠ざける
ということで、都合に振り回されている点で本質的に同じです。これが人間の愛=仏教的には渇愛です。
こう言ってしまうと何だかガッカリしてしまいますが、私はそうではないと思います。まずこの事実をしっかり認めることが大事なのだと思います。むしろ都合が合う者同士が奇跡的に出会ったというご縁は素晴らしいことだと思うのです。
しかし、仏教は諸行無常をとくように、人間の都合は変わります。ここからが勝負なのだと思います。
すなわち都合に振り回されて傷つけ合うのか、そこを超えていくのかどうか。その時に「愛という概念」=「それを本当の愛と呼ぶこともできる?」から問われることが大事なのでしょう。
愛が自分のものになるとか、私は都合を超えて誰かを愛せると過信すると、そうならない現実に打ちのめされますが、そうでなく愛せないからこそ愛から試される。そこに二人が都合を超えていく道があると思うのです。
もちろん、お互いがお互いの全てを許し認め合うなんてきれい事を言うつもりはありません。現実的には妥協し合い、すり合わせて着地点を探るという作業なのだと思います。でも本当にそれができたら凄いことだと思います。
いやあ愛って難しいですね・・・
第三者を交えて復縁を
まず旦那は純愛の理想が高すぎる。
自分ルールが強すぎる。
奥さんを信用してない。
独占欲が強すぎる。
どう考えてもそんなことで子供五人を手放すのは大人としてもよろしくない。
女性に対して純潔、純白であることをものすごく強要するタイプだったのではないでしょうか。まぁ、それだけあなたのことを大事に思っていたのでしょうが、それも自分ペースのあなたに愛する自己愛寄りの愛でちょっと条件付けが強すぎると感じます。
もちろんあなたも悪い。結婚している状態でほかの男性とドライブ、食事をした、体の関係はないと主張しても芸能人や著名人だったらそれでアウトです。
証明ができない以上は誤解されることをすれば世間ではたとえ違うことでも人はあらぬ妄想を掻き立てる。
あなたもわきが甘かったですし、ご主人も自分のカチコチな理想論が強すぎて子供五人も作っておきながら、夫婦間の話し合いが少なすぎてそんなことで離婚というのでは、それは旦那も本当の愛ではないと思いますよ。
あなたも裏切ったあるいは裏切り行為とみなされることをしたのはアウトですが、
愛し合っているのであれば、ちゃんと第三者を交えて冷静に感情的にならずに自分のきっとこうだったに違いないという妄想も持ち込まずに、子供のためにもあなたもしっかりした女性になるべきです。何も全部旦那が正しいわけではないし、旦那が精神的に子供だからあなたが苦労しなければならない面が多い。
真実の愛とはその不足を補いあい、高めあっていくことでしょうが。
あなたたち夫婦に足りないのは
話し合いと、
信じあうことと、
自分のルールを押し付ける我の強さをあらためることと、
お互い男女の犯してはいけないルールの話し合い不足を補うことと、
自分も不完全でありながらも相手や他人を許せない心の狭さを治すことと、
言葉や情報に振り回されずに真実の情報を重んじることと、
今の事実を大切にすることと、
子供に対する愛情よりも自分の身勝手な理想を優先し過ぎていることを改めないことと、
すぐに立ちなおせる問題であるのに第三者の力を借りないことです。
お子さんたちの為にもまず、第三者を交えての夫婦間の失敗のやり直し、見つめなおし、お互いの不満を心底ぶつけ合うこと、やり直せないことは別として、やり直せることがあるのにそれをしないことが一番はおかしい。公平な主導権のある話し合いの場を設けるべきです。
本当の慈愛の心を持って
拝読させて頂きました。
あなたがおっしゃる通り本当の愛情や優しさや慈しみの心は怒りや憎しみや怨みや呪いにはならないと私も思います。
様々な愛欲、執着、貪り、独占欲や支配欲が満たされないとその様な怒り憎しみ恨みに変わっていきます。そしてその本性はみにくく愚かになっていき悪意や悪言や悪行を繰り返していく様になっていきどんどんエスカレートして対象になる人や関わる人を深く傷つけていくことになります。
本当の愛情は大切な人を心から尊重して尊敬の念をもち、心から相手を思いやること、その人の為に優しく慈しみ恵みを与えていこうとする心、人をあたたかく育もうとする心、悩み苦しんでいるならば我がことの様に心から寄り添い助けようとする心、共に喜び合い幸せや豊かさを分かち合う心です。
私達の心は愛欲の煩悩に囚われてしまいますとなかなか怒り憎しみの炎を手放すことができなくなってしまい、自ら進んで苦しみの中に飛び込んでいってしまうのです。本当にとても恐ろしいことです。
ですからその様な愛欲や悪意から離れる必要があります、悪縁を切る必要があります。
あなたがこれからの未来をお子さん達と心から慈しみ思いやり、心から穏やかに安心して生き抜いていかれます様に、お子さん達も素晴らしいご縁に恵まれて皆さんに愛されて健やかにご成長なさっていかれます様に、皆さんが本当の慈愛の中で生き抜いていかれます様に心から仏様や神様や皆さんのご先祖様にお祈りさせて頂きます。
いつでもどこでもどんな状況の中でも仏様や神様やご先祖様はあなたや皆さんをあたたかく慈愛の心でお見守りなさっていて下さいます。至心合掌
健やかなる時も病める時も離婚しても好きは好き
ご質問有難うございます。
前回のご質問も拝読させていただきました。
キツイ方になったら申し訳ないですが、、、
お湯、水蒸気、氷、霧、雪、いろいろ言い方はあるけれど水は水であるように
慈愛・自己愛・真の愛・本当の愛、愛にいろいろブランドをつけてますが、愛は愛です。
自己愛も愛です。
本当はひとつじゃないです。
いろいろと姿かたちを変えるのも本当だからです。
わたしは離婚調停の場面で双方の言い分を聞くこともしていますが、復縁することが難しい状態だから離婚という一形態を選ばれたお気持ちはお察しします。
ひまわり様より元旦那様のことばの方が私は気になります。
特に「女としてみれなくなった」という言葉には違和感があります。
何を以て女を定義されていたのか、、、
子どもへの愛。家族への愛、動物や草花、自然への愛、思いやりを含んだ慈愛。
本当の愛とは必ずしも性的な視点を含んでいると限らないと私は思っています。
わたしには元旦那様が未熟なように感じます。
元旦那様は家族を守るより、離婚の道を選ばれたのですね。
離婚しても好きでいいと思いますよ。
それでもひまわり様が想う愛は愛。
わたしが本当の愛とは何かと問われたら、「想い続ける心」と答えます。
子を思い続ける心、離婚であろうが別居であろうが、墓の中であろうが、相手を思う心。そこに愛はついてくると思います。
離婚しても、相手がどう思ってようが、スキはスキ。ブレない愛でいいと思いますよ。
慕われ続ける心に気づけないなら元旦那さまもそこまでの人。
そこは好きだけどしょうがない境地かなと思います。
離婚はなにかしらの辛さを伴います。
まずはご自身を大切にしてください
質問者からのお礼
丹下 覚元(たんげ かくげん) 様
ごもっともなご意見ありがとうございました。
話し合いも何度かしましたが、中々自分の考えや思いを曲げられない人なので、私が相手の思うようにしていかなければうまくいかないんだと自分自身も見失って頑張ってきましたがそれも違うと身を引く形にしました。時間が解決してくれるとも思いましたがそうでもありませんね。子供達は毎週父親の方に泊まりには行っているので色々話は聞きますが、まだまだ元旦那さんの心も不安定な感じがあります。この先またちゃんと話し合える機会があればと思っています。ありがとうございました。
吉武文法 様
ご意見ありがとうございました。
本当に愛とは簡単に応えられないものですよね。こんなに色んなことを深く考えることは人生においてなかったので、今はとてもたくさんのことを学んでおります。もっと相手を大切にできる人間でありたいと思います。ありがとうございました。
Kousyo Kuuyo Azuma 様
ご意見ありがとうございました。
憎しみや恨みほど怖いものはないと思いました。それほどその人にとっては大きなことだったのでしょうが。でも本当の愛は期待や理想を押し付けず相手に与えるだけのものであると今は理解しています。お互いにそうであれば本当に幸せな形ですね。これからの人生自分もそうであれるような人間でいたいです。ありがとうございました。
泰庵 様
ご意見ありがとうございました。
想い続ける心 それも本当の愛かもしれませんね。人の気持ちはコロコロ変わるものでもありながら、中々簡単に動かないものでもあると感じました。思いたくても思えず、したくてもできず、時間や環境だったり周りの方の意見だったり色んなことが必要だと思ってます。
自分がしたことにはものすごく後悔と反省の日々です。でも私の愛は常に彼にあり続けてましたし、それは今もこれからもそうかもしれません。先のことも相手のこともこれからのことは誰にもわからないことですが、私自身が想い続けてる限りはそっと愛していたいと思います。ありがとうございました。