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心の整え方

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人に嫌がらせをして喜んでいる人たちへの対処法と心構えを教えてください。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

付き合わないこと。大人の付き合い

しろさんへ こんにちは。

近くに、人の嫌がらせをして楽しんでいる人がいるのですか?
自分の生き方を大切にする場合は、たとえ昔からの友だちであっても付き合わないことです。付き合っているとあなたへの影響も出てきます。

でも仕事関係であれば難しいこともあります。大人の付き合いとして最低限のこと(挨拶や仕事話)以外は一切付き合いないことです。大切なのは挨拶だけはしっかりとするということ。付き合わないとは無視することではありません。相手の求めがなければ対応しないということです。無視すると相手も嫌な気持ちになりますが、挨拶だけしっかりしていれば、誰も無視しているとは思わないでしょう。ただ話しをしないだけなのですから。合掌

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★僧伽(お友達)になりましょう。一緒に仏教を楽しみましょう★ Email;kongozaji@renge.net(気軽にメールしてね!)  直通電話:090-6041-0193(最初はショートメールで) ※※※※※※※※※※※※ 山寺の小さな金剛座寺は10月23日に襲った台風21号で、大変な被害を被りました。大規模な斜面の崩落で客殿が倒壊の危機に陥っています。人生は何が起こるかわかりません。復興に向けて20年努力してきましたが、またリセットになるとは思いませんでした。でもあきらめません。仏さまの教えは「一切皆苦」苦難をなくすことではありません。苦難は必ずきます。それを乗り越える心を作ることが、御仏さまの教えなのです。  ハスノハに訪れる皆さん。私と一緒に人生の苦難に正面から立ち向かい、乗り越えていきましょう。仏さまと共にならば、必ずできます。合掌 ※※※※※※※※※※※※ Email;kongozaji@renge.net 在家から天台宗僧侶になりました。田舎のお寺だからできる新しいお寺ライフを試みて活動しています。特技は手話で現在某大学の非常勤講師で初歩の手話講義をしています。NPO手話技能検定協会理事の役職を頂いて手話学習の普及に努めております。社会貢献として保護司のお役を通して社会更生のお手伝いをしております。 どうぞ伊勢にお越しの際は遊びにお立ち寄りください。また活動は三重だけでなく、埼玉・東京・神奈川などの首都圏、または車でいけるところはどこでも出張で活動しています。仏事のことなら気軽にご連絡ご相談ください。お寺には宿坊もありますので、心のリフレッシュをされたいのであれば、いつでもお泊りくださいね。 私と一緒に、お寺の復興を手伝ってくれる方を募集しています。私とお友達になってください。そして伊勢の山寺をあなたの第二のふるさとにしてください。 ●お葬式や法要、納骨をお受けしております。 エリアは三重・中部・近畿から東京・埼玉・神奈川まで、車でいけるところはどこでも走り回っております。どうぞご相談ください。  (メールが有難いですが、直通電話 090-6041-0193 でもお受けします。なかなか出られないので着信を残してください。またはSNSでご連絡くだされば折り返し電話します。なお電話での悩み相談は10分と決めておりますのでご了承願います) ※もし少しでも回答がお力になれましたら、その感謝のお気持ちを、ご本尊如意輪観世音菩薩さまへのご志納(布施行)でお願いします。ハスノハ活動ができるお寺の維持活動に使わせて頂きます。 ゆうちょ銀行100010-67608891 名義コンゴウザジ 百五銀行多気支店(普)221446 名義シュウ.コンゴウザジ 檀信徒・弟子になって一緒に仏教ライフを楽しみませんか?(檀信徒費志納年1万円) 仏教を人生に活かして楽しみましょう。合掌 

私が嫌がらせをした人と仲良くなれた方法

自分を殺しに来た相手と仲良くすること
私の好きな言葉です。
その人はいつも私を皆の前でこバカにする人でした。
何か失礼があったらしく「こいつよー俺に対してよー」と何故か毎回絡んでくるのです。
ケンカになりそうなった時、ある方が「あの人酔っぱらうといつもああなんです。」とスニッカーズのCMみたいなことを言ってくれて止めてくれた人がいました。
いじめっ子や、嫌がらせする人は、心のお腹が空いている人です。
満たされがないから、四方八方に当たり散らして自分のうっぷん、憂さを晴らしているのです。
つまり、鬱憤、憂さという文字が示すように、本人こそが『病んで』いるのです。
その人の手を握りスニッカーズを手渡しましょう、といっても効果がありません。
…天か神か仏か、厳しい試を与えてくださるものです。ホントかよ(笑)と思いましたが、ある方の結婚式で私の隣の席にそのキライな人が配置されていました。
私は、尊敬する井上貫道老師から教わったことを「そのまま」実践しました。
老師「とにかく、実物をじーっと見てみることです。相手にこちらを傷つけるものがないと分かるまで、ちゃんと実物を見ていなさい。」「ハイ(´-ω-`)」
私は、顔も見るのも嫌だったその人の髪の毛一本を見ることから始めました。耳、鼻、アゴ…ただ、じっと見るだけです。
数分後、その人に対する嫌悪感、恐怖心は「あ、俺の、俺だけの、自分の中だけのことじゃん」と悟りました。キラーン 私がおびえていたのは自分の思いの側だった。
老師の言われる通り、リアルタイムで動いているその人には、好きも嫌いも付着していないのです。私は、改めてはじめてその日その場で彼に出会う事が出来たのです。
披露宴の席で酔っぱらってよく覚えていないのですが、唇がチクチクしていたので、坊主頭の相手にかぶりついていたようです。
「自分を殺しに来た相手と仲良くすること」とは、自分の思考上の相手ではなく、目前の事実上の相手をじーっと見ることで、おのれの恐怖心を調伏させ、リアルタイムでその相手と即興ジャズ的な関わり合いをする(和)ことと言えましょう。脳内楽譜、脳内台本、脳内ストーリーなど相手にせず、リアルタイムの相手をその日、その場で、動いている所だけに、旗の如くに揺れてみてください。
いつの間にか相手を包めるようになっています。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

相手はなんて可哀想な人なのでしょう

嫌がらせをして喜んでいるように見える人、いますよね^_^;
そういう方の押し付けの自我は本当に悪影響を与えます。

しかし、本当にその嫌がらせをする人は心から喜んでいるのでしょうか。
何か満たされない気持ちを穴埋めするように、そうした行動をとってしまうかわいそうな人と捉えることもできます。

あなたが少し大人になり、かわいそうな人だと慈しみの心で接してあげたら、少し楽になれると思います。まともに相手の苦しみを受け取る必要なんてありません。俯瞰するように捉えることも大切です。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

金剛座寺
染川 智勇様

ご回答ありがとうございます。はい、そのような方の行為で私も家族もひどく心を傷めております。挨拶をしても相手に無視されるのですが、挨拶は基本といいますから続けようと思います。

円通寺
邦元様

ご回答ありがとうございます。何故嫌がらせをされるのか自分で色々考えてみましたが答えが見つからずただただ苦しいだけでした。満たされない気持ちを穴埋めするように…なるほど、納得しました。慈しみの心を大切に、穏やかに過ごせるよう努めたいと思います。

安穏寺 (天岑寺)
丹下 覚元様

ご回答ありがとうございます。自分を殺しに来た相手と仲良くする…正に身体に危険を及ぼすような嫌がらせもされておりますのでどきりとしました。実体験のお話、興味深く読ませていただきました。自分の思考上の相手ではなく、目前の事実上の相手をじーっと見ることで、おのれの恐怖心を調伏させ…そうですね。胸に響きました。相手を包めるような広い心を持てるよう努めたいと思います。

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