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肌の病気が辛いです

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24才からずっと皮膚炎です。それからはずっと友達とも遊ばず暗い日々を過ごしています。肌が綺麗だったころバイトをムリせず食生活に気をつけていれば皮膚炎にならずにすんで今頃もずっと楽しく人生を謳歌してたとおもうと後悔し悶え苦しんでしまいます。そして前回質問したことの引き出物なんですが結局親ももう年なため実家にはもどらず家のなかで一人で仕事ができる在宅のテレアポのバイトで生活費を稼ぎながら治療していくことにしました。私と同期の人は病院で働きスキルアップをしていくのに私はバイト。この差はなんなんですかね。私は何かわるいことをしたのでしょうか?これは罰なのですか?肌のことなんてきにしなければいい?無理です。自分の肌が綺麗だからそんなことがいえるんです。どうして私だけこんな目に合わなきゃいけないんですか?楽しそうに話をする人達やカップルをみて自分の悲惨さに絶望してしまう毎日。頑張らなきゃって思ってもその酔いはすぐ醒めまたネガティブモードになる。いっそもうしんだほうが楽なんじゃないかと思います。でも今はまだその勇気がでませんし死ぬのはやっぱり怖いです。一生私は死ぬこともできず老いて死ぬまで生き地獄を味わうのでしょうか?この先もずっとこの状況は続くのでしょうか?もう生きていくのが辛いです。苦しいです。でもやっぱり病気は治したいのでテレアポのバイトしながら治療も頑張りたいです。お坊さんが私の立場ならどうしますか?アドバイスや後悔してしまうときの対処方法、なにか励みになるような言葉をかけていただけませんか?
お願いします。

2024年7月24日 18:13

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

肌の持つ諸行無常、身心脱落という生まれ変わり機能を最大限に。

あなたの肌は毎日コンディションが変わるはずです。
ものごと、世の中、自分自身、一切は
①原因という第一ベースがあって、
②そこに縁という作用、働きかけが加わって、
③結果が「そのように」なる。

炎症は炎症が起こる原因によって肌が炎症を起こしているわけですから、その原因を取り除くべきでしょう。
あなたの体はとても清らかな天然記念物の小さな泉であると思いましょう。
食生活とは、毎日自分のぼでぃ、からだ、しんしん、にくたいというある種液体のような神秘的な生命体に、縁を加える作用であるのに、そこを我々人間は軽視して、激辛食品や不自然なもの、体に悪い影響を及ぼすものを「味覚」が美味しいとかいう間違った理由でとりいれてしまっているものです。
「おいしい」というのは、味覚よりも体が美味しいと喜んでくれることをしなければいけません。
あなたの体はアナタのおじいちゃんおばあちゃんのような存在だと思いましょう。
どうして、おばあちゃんに体に悪い影響を及ぼす悪いものを提供する人がありましょうか。
まずは、今日からあなたのおじいちゃんおばあちゃんの泉(仮名)=体というサンクチュアリに、その清らかな水流を汚すような飲食をしてはなるまいと思うことです。
食事はなるべく自分で作り、調味料「さしすせそ」や調理酒なども良いものを選びましょう。内臓に炎症を引き起こす可能性の高い海外のグルテン・小麦製品や遺伝子組み換え食品、加工食品を徹底的あるいは極力、徐々に、控えて体からお礼を言われる、感じるような活動をしましょう。
結局病気や肌荒れにつながって医療費がかさむくらいならば、調味料や食材を良いものを選んだ方が安いのです。
たとえば本当に美味しい塩はそれをご飯に振りかけるだけで✨うまし✨なのです。
人間の身心は本当に正直にできています。
体からお礼を感じるとは「適切」「最適」であるということ。
ちゃんとした味噌、ちゃんとした食材に出会えば、体は美味しいと感じて、炎症という反発アレルギー反応も減っていくのです。
夏場は汗を沢山かけますから、体内デトックスの良いチャンスです。良質の水を大目に摂取して、体内のデトックスをベースに、食生活を改めましょう。改めるとは良縁を加えるというだけです。
毎日行うことを自分の身心の為、お肌のためにも悪いものを寄せ付けない、仲良くできるものとだけ接する(取り入れる)のです。

2024年7月25日 8:52
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)える者は、極楽浄土に往生できると言われます。
人生のハッピーエンドは南無阿弥陀仏で確定。
あとは死ぬまで適当に生きるだけです。
誰でも必ず肉体が壊れて死にます。
遅いか早いか、肉体のどこが壊れやすいか個人差がありますが。
肌が弱い人、ぎっくり腰になりやすい人、内蔵が弱い人、脳神経が病みやすい人等様々です。
だけど皆必ず死にます。
南無阿弥陀仏と念仏を称えて、いつ死んでも来世で光り輝く菩薩様になれるから大丈夫だ、今ここは適当に生きればよいだけだと思いましょう。

2024年7月25日 12:59
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

そういうアドバイスは求めてないです。それならここじゃなくていい。肌にコンプレックスのある人は皆気をつけててそれでも改善しないから困っているのです。

適当ですか。そうですねあまり先のことを深く考えない方がいいのかもしれません。ありがとうございました。丹下覚元さんもせっかく回答してくださったのにやつあたりしてしまいすみませんでした。私が悪かったです。

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