苛立ちが毎日
会社で働く同僚が、
嫌な仕事はうまく逃げてやらない。
トイレ掃除もやらずに当番表を回してくる。
社員に対して愛想がよく返事は良いが、受けた仕事をしないので私がやるしかない…
といった日々を過ごしてて、毎日イライラしています。
同僚は先輩で年上。
ちなみに私達は50歳を過ぎた大人です。
社員にも、こういうところが辛いです。って伝えた事もありますが、結果仕事は出来上がっているので何も言ってくれません。
この毎日を止めるには私が辞めるしかないのでしょうか…。
それともこんなことにイライラしている私が悪いのでしょうか…。
イライラしてはダメだと思いながらもイライラが止まらず、毎日自分と戦ってます。
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周りに聞こえるように大きな声で確認したらどうでしょうか。
そういうズルイ人って、本当に腹立たしいですよね。
同僚が受けた仕事なのであれば、あなたがすることはないですよ。自分の仕事優先でいいのですよ。
上の人に言っても証拠がなければ、「まぁ上手く付き合って仕事してよ」と流されてしまいますよね。
(この人は何も言わない。大きい態度にも出ない)と、舐められてしまいますから、「〇〇さんがトイレ掃除されてから、次私がしますね」「私、今この仕事がありますので。それは〇〇さんが受けた仕事ですよね。よろしくお願いします」と周りに聞こえるように大きな声で確認したらどうでしょうか。
私なら、そうすると思います。
そんな同僚にイライラさせられる必要はありません。相手は、仕事を押し付けられそうな人を選んでやっているのですから、ここはちゃんと突っぱねましょう。
「徳」を積んでいると思うこと。
拝読させていただきました。
人は面倒や苦手という、自身の"やりたくないこと"は、基本的に人任せなものです。
しかし、苦手なことを率先していくことは他人のためにもなるのですが、何よりも自分自身の徳に実っていっているのです。
苦手なことに手を出さない人は、基本「損得感情」などによって価値観などが基礎となっていることがあり、自己成長とは遠くなり否定感や自己防衛のためだけという「自利的」になりがちな傾向な方々が多いものです。
給与や日給や時給など、値段に合わせただけで仕事をしたり、それ以下の仕事をしたり、雇用されているのに自己で賃金の価値を決めたりすることは間違いであり、また"誰かがやってくれるから"と責任転嫁されるような思考を持つ人たちには人間の深みはなくなっていきます。
職場を辞めることはどちらでもいいことなのですが、どこの職場にも他の問題で同様のことは起こることはあるものです。
その時に自身の「また嫌なことが生じた」
を防ぐのが、苦手意識をなくしてきた経験が自身を支えていきます。
いわゆる「経験がものをいう」ということです。
経験とは「人生の予想外を減少させること」であり、経験が多ければ多いほど苦手なことが苦にも思わないようになっていきます。
他人と同じ気持ちで働きたい。同等のことを行って欲しいなど、常々精進かつ真摯な すずらんさん にとっては腹立たしいことは胃痛にも連結されていくことですが、新しい職場を探すにもよく経験から察知・考察された上で判断・決断をしていき、このままの環境の中でも良いことが見つかることも多々あると思います。
人情味がある人や、意外性な場面に境遇したときには、この職場でいいんだとも思える時もあることです。
人は皆、それぞれの心境には無数の事情があり、完璧を求めず、"ほどほど"で他人様と付き合いしていく心境を職場では行っていくことが苦悩を生成させていかないものです。
参考程度にしてくださいませ。
合掌
辞めるくらいなら一矢放っては
こんばんは。「先輩」とのことですが、だから頭が上がらないと言うなら、大人の態度としては如何なものでしょう。
社員さんから見れば、あなたたちに与えられた仕事なのだから、誰であろうと構わない、という気分になっているのでしょう。
となれば、頼りになるのは自分だけ。文句を言わねば変わらないでしょう。相手が何か反論してきて、納得できないなら社員さんに報告。記録とか経緯を作って、それも訴えましょう。泣き寝入りすることはないです。
しかし、あなたがサボっている人を注意できない、その自分の情けなさにイライラしているなら、別のところでも似たような構図があるのではないですか?
何だか煽っているようですが、勇気を出して、というのが私からのメッセージです。行動の結果、反撃されて、あなたがダメだと思ったら去る。それは止めませんが、一矢放つのは悪いことじゃないと思いますよ。