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義父の性格、今後の付き合いについて

回答数回答 2
有り難し有り難し 38

義父の性格が耐えられません。
常にイライラしており気にいらないことがあると爆発して怒鳴ります
歳をとるにつれ以前よりはおとなしくなったようには思いますが
事あるごとに義母に当り散らすのを見るので人間はそんな簡単に
変われないのだなと思います。
主人が子供の頃には暴力もたびたびあったそうです。
義母は何をされても怒らず自分をおさえ毎日義父をおだてて
子供をあやすような感じで顔色を見ながら暮らしています。
いい年した男がそうしてもらわないと
普通でいられないのもどうかと思いますが。

私は結婚してから散々嫌なことを言われ、されてきて精神科にも通ったし
胃潰瘍で通院もしました。先日、私に声を荒げて怒りを向けてきたので
主人には とうに限界超えてたのに今まで許して我慢してきたけど
もう必要最小限かかわりたくないといいました。
あちらが悪くても1度だって謝罪してくれたことはありません。
顔を見るのも声を聞くのもイヤです。

ですが主人は長男ですし色々行事もありますし
義父が老いたら かかわらない知らないでは済まなくなるのが
すごくイヤです。
でも義母のように顔色伺ってご機嫌取りする人生なんてごめんですし
長男の嫁だからって介護や世話など他の兄弟に丸投げされるのかと
思うとウンザリします。
主人は おさえつけられて育てられたせいか
おとなしく言いなりになるところがあります。
なので守ってもらえた事も少ないです。

こういう人とどうやって付き合えばいいのか分かりません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

不確かな未来を憂えないで…

あなたのお義父さまが大変個性的で御苦労されているご様子ですね。
逃げる事もできずお辛い事と思います。

旦那様にもご自分のスタンスをハッキリと仰っているようですし、
そのままでよろしいのではないでしょうか?

あなたも旦那様の世界でただ1人の大事な父親であるから、決して逃げられないと知っていての将来の不安であろうかと思います。
あなたの中でそれを受けとめる覚悟がなければ起こらない不安だと思います。

…でも、将来、未来というものはまだ来てはいません。
もしかしたら、意外と自分が思っていたような事は無いかもしれません。

私事で恐縮ですが、私にも大変気難しい義父がおりましたが、
病を受けあっけなくこの世を去ってしまわれました。
しかし、実の親の介護の方が思いの外大変になっております。
人間は先の事は見通せないのです。
自分の明日ですら解らないのが人間です。

どうか、まだ来ぬ未来に心を割いて心労を召されませんように…。
ご自分をいたわってください。

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個別相談可能
仏道に入門して40年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さんだと思っております。 法昌という法名で、和歌山県の高野山の西禅院が所属寺院ですが、 普段は東京都町田市のマンションで手作りの密壇でひたすら修行を続けている  はぐれ行者です。 伝法灌頂も中院流の一流伝授も授了させていただいております。 娘を持つ母であり、一家の主婦でもあり、親の介護もあったりします。 エッセイや文章、そして漫画家として漫画も描いております。 イーハトーブクリニック萩原医師の指導をいただきヒプノセラピスト(催眠療法士)でもあります。 基本的に隣のおばちゃん的な、でも変わった尼僧です。
ご相談可能な時間はその日ごとに違うので、いくつかご都合を書いてくださいね。 人生で悩んだ時に、最善の答えを与えてくださるご神仏と、あなたは心の奥で必ず繋がっています。ご自身の心の中からご神仏のお答えが受けられるようにアドバイスをさせて頂きます。 ◆著書:「神さま仏さまがこっそり教えてくれたこと」「迷いをすっきり消す方法」「幸せを呼ぶ仏像巡り」

ホント、いやだなぁ~ で おさまりをつけましょう(._.)

どんなに頑張っても、どんなに好きになろうとしても、どんなに坐禅、念仏、荒行をしても、人間的に好きになれない人は好きになれないものです。
そればっかりは、変えようとしなくてイイんです。
でも、自分が相手に対する、❝なにか❞をしていることには気づけると今後の人生は軽くなりますよ(^<^)
あなたはきっと仏教によって「好き嫌いをおこさないこころになろう」というような立派な気持ちを起こされている部分があるのではないかと思います。それは素晴らしいことです。ですが、あえて貴女ががんばりすぎてそれが為に身心をわずらわせないように、ちょっと正論とは違う角度で申し上げます。、
結論は、まず、その方は死ぬまでその人であることに変わりありません。少しずつは丸くなっていくでしょうが、期待するだけ精神力を浪費します。(笑)
だから、無理して変えようとしてストレスを抱える位なら、その人は「そういう人なんだ」と諦めて自分の相手に対する過干渉、正義心を薄めて、「ああ、それはそういう人なんや、アタシが無理して変えようとしてはイカンのや」とあきらめ、明らめ、諦めてしまうことです。
諦めがつけば、わたくしするこころ※が引っ込むからです。
(※わたくしするこころ…自分が相手を思い通りに取り扱おうとしたり願ったりする心)
仏教でいうところの「諦める」とは、真実のすがたを悟りまひょ、という意味なのです。
夢を諦める、の諦めるという意味とは違うのです。
この世の法則をキチンとまるっと悟れよ、という意味なのです。
どんな嫌な人にも少しはイイトコロはありますから。
スパイスだと思いましょう。スパイスは主食じゃありません。
たまにかける位で丁度いいモンです。入れすぎ注意です。
ですが、申し上げたい趣旨は、あくまでも、自分が相手に対する、希望、願望をさげなはれ、ということです。
自分が相手に対する私的な願いの強さに気づいて頂ければそれはそれで義父のスパイス功徳というものですから。そういう度量も持ちましょう。(^<^)
キライは、キライのままでイイ。❝ほんっと、キライだわ~、アハハ(笑)❞くらいに肯定的に嫌いましょう。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。
確かに私は昔からおきてもいないことを不安がるところがあります。
平和に暮らしたいのにああいう人が身近にいるので心のそこから精神が休まることがありませんが
義父のせいで自分が体調を崩したり倒れるなんてバカバカしいので
なるべくかかわらずに生きていこうと思います。

「嫌いは嫌いのままでいい」
とても楽になりました。 
ありがとうございます。

気づいてなおすこともできないのですからお気の毒な方だなとおもいます。
なるべく 知らん顔でほっときます。。

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