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悟りについていくつか質問させてください

回答数回答 4
有り難し有り難し 31

はじめまして、悟りについていくつか疑問があるので教えて下さい。

お釈迦さんはどうやって悟りを開いたのでしょうか?
お釈迦さんは悟りを開く前は苦行をしたり様々な修行法を試しましたが、
最終的には瞑想によって悟りを得たのでしょうか?

悟りを開くと何か特殊な能力が手に入りますか?

悟りを開いたとはどうしたら分かるものなのでしょう?

悟りを開いたお坊さんは次にどうするのでしょうか?

お坊さん以外に、この質問に正しく答えることができる人がいないと思う(教えてgooでは正確な回答が返って来るとは思えない)のでお願いします。

2015年1月11日 7:26

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

素晴らしい質問をありがとうございます。

引用返信にて失礼いたします。ご質問は文字制限があるため略させて頂きました。

どうやって悟りを開いた?
⇒お釈迦様は元々、魚が水の中にいて水をよそに求めなくても元々水の中にあったように、自我意識を働かせていなければ悟りの水の真っただ中にあったことに気づきました。
自心の外、他事や経典に悟りを求めるのではなく、自分の我見・私的見解をトコトン滅し尽くして結果、人間本有の悟り状態(仏心=非・人間の見解的なありよう)に回帰(本来成仏)したといえます。

最終的に瞑想によって悟りを得たか?
⇒6年の修行後に悟ったのではなく、6年間、間違った修行法をしてきてしまって6年目にしてようやく、悟り状態に自分を導くための正しいこころのおさめ方のコツを得ました。それが瞑想(思考やイメージ)ではなく禅定(非思量 思考以前の事実)だったのです。{言葉は瞑想と称しても構いませんが、やっている内容がイメージや思考であれば禅定とは言えませんので世の瞑想と言われるたぐいは思考活動の一種なので瞑想という言葉は控えます}
その具体的方法とは❝心内は虚脱にして 外はただ その事あるのみ❞ などとも言われるように、沸き起こる自分の思いや外の物事に対して❝撃ち方止め❞をして、思考や分別のフィルターを通したものの見方から離れる事で行きつくこころのありようだったのです。

沸き起こる思いに対して、自我の介入を控えれば 左脳的な判断・分別・認識を離れることができて 自と他、内外の隔てのない 右脳的完全感受状態 自受用三昧に到ったのです。

特殊な能力が手に入る?
⇒自分の体感する世界がそれは心地よい、喜ばしいものにかわります。

分かるものなのでしょう?
⇒自分の体感や感じ方が変わるので自分が一番分かります。悟った瞬間の時は、認識をほぼ用いていない状態(三昧)ですので、後になってから「ああ、あの時、思考や分別が途絶えたのか❞と振り返って気づくだけです。

次にどうするのでしょうか?
⇒美味いもん作れるようになったら、その美味しいものを提供したいと思うようになります。
それが釈迦出山、初転法輪に象徴される布教や伝道でしょう。
こちらはここで私が申し上げるところの「悟り」を科学的に立証されている脳学者です。
http://digitalcast.jp/v/18436/ 

2015年1月21日 23:27
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

簡潔にお答えします。

とても興味が湧く所だと思います。
お答えします(^^)

>お釈迦さんはどうやって悟りを開いたのでしょうか?
輪廻を繰り返しながら様々な修行を続けた結果悟りを開かれました。
お釈迦様は出家後の数年だけで悟りを得たわけではありません。
最後はスジャータの乳粥を召し上がった後に、菩提樹の下で瞑想し仏になられました。
お釈迦は縁覚・独覚として悟られました。

>悟りを開くと何か特殊な能力が手に入りますか?
神通力が宿ります。
六神通といわれる六種類のとんでもない能力です。

>悟りを開いたとはどうしたら分かるものなのでしょう?
神通力が備わるので、自他共にすぐ分かります。

>悟りを開いたお坊さんは次にどうするのでしょうか?
お釈迦様はお説法をなさいました。
お弟子が沢山出来て、大変多くのお弟子が仏になりました。

2015年1月11日 16:37
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有り難し
おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

おさとり。

>お釈迦さんはどうやって悟りを開いたのでしょうか?

「どうやって」の意図はわかりませんが、「無明」がわかったことによって
悟ったと伺っています。

>お釈迦さんは悟りを開く前は苦行をしたり様々な修行法を試しましたが、
最終的には瞑想によって悟りを得たのでしょうか?

悟りは一瞬を切り取ったものではないと小衲なぞは感じておりますが、
修行法のひとつである瞑想のなかで「無明」がわかったとされております。

>悟りを開くと何か特殊な能力が手に入りますか?

花はわたしにわたしは花に。

>悟りを開いたとはどうしたら分かるものなのでしょう?

おしゃかさまに聞いて頂いたらいいと思います。
道元禅師曰く
「みねのいろ たにのひびきも皆ながら わが釈迦牟尼の こえとすがたと」

やまやたにがおしゃかさまのこえを伝えておりますとのことですので、
ぜひとも耳を傾けて頂いたらよろしいかと存じます。

>悟りを開いたお坊さんは次にどうするのでしょうか?

掃除をして ごはんをたべて だいべんしょうべんをして 坐禅や念仏を唱えて 
ねむくなったら寝ます。 

2015年1月21日 13:05
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有り難し
おきもち

「悟り」について

zensyu様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「悟り」に関しましては、以前にも下記の問いにてお答えさせて頂いております。

問い「僧侶の方に聞いてみたいと思っていたこと」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_443680.html

「悟り」という結果を得るには、当然にそのための因縁(原因・条件)が必要となります。その因縁を調えていくのが仏道であり、確かなる仏道を歩むために仏教がある次第でございます。

「・・悟りの妨げとなっている煩悩障と所知障を断滅させていくことへの修行が必要であり、特には、智慧(空性の了解)と福徳(善徳・慈悲・利他行)の二資糧を円満に積んでいくことが大切なこととなります。・・」

しかるべくに智慧と福徳を修めることによって結果としての悟りへと到達できることとなります。瞑想(禅定)はあくまでも悟りへ向けた因縁における修行過程・方法の一つであって、確かに釈尊は菩提樹下にて瞑想なされて最終的に悟りを開かれましたが、瞑想だけで悟りを開けるわけではないことには注意が必要となります。

次に、悟りによって得られる特殊な能力に関しましては、確かに六神通を得られると仏典(沙門果経・相応部経典など)にはございます。六神通につきましては下記の問いにてもお答えさせて頂いておりますのでご参照下さいませ。

問い「霊感ってあるのでしょうか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002837225.html

また、悟りは、「自内証」なされるものであり、その境地を自ずと理解できることになるのではないかとは存じます。「甚深、寂静、戯論を離れ、光明、無為、甘露のごとき法を私は得た。誰に教えても理解できないから、説かずに林下に留まろう。」(ラリタヴィスタラ・釈尊の伝記より)

最後に、悟りを開かれて仏陀・如来となられましたら、仏国土・浄土において、更に悟りによる善巧方便によって衆生の救済に尚一層取り組まれることになるのではないかと存じます。

悟りへと向けて共に仏道に精進努力致して参りましょう。

川口英俊 合掌

2015年1月17日 12:50
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

質問者からのお礼

川口英俊さん、釈心誓さん、丹下覚元さん回答ありがとうございます。

「悟りとは」問答一覧

悟りが得られないです

執着も捨てましたし、友人も恋人も物も殆ど捨てました。 生きていて色んなことを学んでもこちらで質問しても納得する回答は得られず日々悶々としています。 まず命への執着を手放す以外に残るものは今ありません。 しかし苦しみは消えません。 嫌な毎日です、それすら執着を手放しても苦しいままです。 1秒を我慢し続ければ耐えられると此方のサイトで言われましたが耐え続ける人生に何の安寧があるのでしょうか。 嫌な事も受け入れて、執着を捨て、全てを捨てて、あとは自分で死ぬだけです。 その死なない間にも嫌な事が沢山あります。 こんなに受け入れて、何も動じず、ただあるがままの苦しみを受け入れてるのにまだ苦しいです。もはや悟りなんてないのでは??? 例えるなら親を目の前で殺されて、まっいっかというレベルで執着を捨てていても苦しいままです。 誰か助けてほしいです。 悟りなんてないんじゃない? 私は科学ガチ勢だけど、死んだら解脱とかも無理じゃない? ただただ生まれつき運が悪いか、良いかの違いなんじゃない。 知的な障がいが脳にあればそもそも解脱する事は不可能です、それと同じで生まれつきの知能が低ければ高度な思考すらできません。 世の中運が良ければこの世界に満足して死ぬわけです。 つまり解脱も悟りもなくて、この世界で運が悪かった人が負け惜しみでそういう概念を思いついただけじゃね? ああ人生って意味不明すぎる。 このまま色んな人に説教されるか、曖昧な表現で反論されてこのまま人生続いていくんだろうな。。そしてその曖昧な表現の人たちもそのまま何の答えも得られず死んでいくんだろうな。

有り難し有り難し 45
回答数回答 4

この世に悟りなんてないのでは?

執着を捨てる事を前の質問で教わりました。 しかし、おそらくですがどんな人間もDNAレベルで執着を植え付けられていて仮に信じられないレベルのお坊さんが執着を捨てまくって生きてたとしてそれこそもはやお坊さんではなく飯もほとんど食べないホームレスかなんかではないでしょうか。 私は執着を捨てることで悟りを得るというのは懐疑的なのです。 まず考え方や解釈を変えても、火傷した皮膚に塩を塗られたら痛いし、知らない通り魔に家族全員殺されて解釈次第なんて思えないのです。 毎日の日々がここまで現在進行形で苦しくて色んなものを手放してて執着をなくしてるのに毎日皮膚に塩を塗られて幸福になれないし苦痛だ。 しかも、周りの人間は執着しまくって生まれつき色々なものを手に入れる。 ここまで地獄を見せられ全ての欲を減らして、普通に耐えられなくね? 次にこういう事を考えると坊さんに説法を色々教わりますが、それってつまり説法の理解する知性がないと一生悟ることはないのでは? 頭が悪く生まれて→間違いを犯して→説法されます。→また間違いをおかします。 つまり生まれつき(遺伝子的に)賢い人しか悟れない? また説法を知りまくったお坊さんこそが正しい生き方なのでしょうか? 仮に欲まみれのお坊さんがいたらそれが正解なの? やっぱり最近思うのは、この世に悟りなんて無くて苦しみは生まれつき分配される量が違って、執着を捨てる方法がなくただただ苦しみしかない世界ではないのでしょうか? おそらく、まともに悟りを目指して色々仏教勉強したり執着捨てるより、何も考えずに欲に執着して生きる美少女の方が幸福だろうしビルゲイツの息子に生まれるほうが幸福で不幸がないのではないか。 ここでの私の議題は、悟りはなく苦しみの量は生まれつき決まってるのではないか。 解脱こそがゴールならばそれこそこの世界からの抹消であり、抹消したくない者からしたら悟りなんてないのでは。 楽しく生きるならば、虐待されて死んだ子供はどう楽しく生きるのだろうか。 仮に人間界に生まれるのが解脱のチャンスならば、私が死んで輪廻を繰り返してその時に人間が絶滅してたら? 宇宙が生間ガスの関係で崩壊してたら? CERNのミニブラックホールで崩壊してたら? 悟りなんてないんじゃね? あるなら今すぐ誰でも幸福になれるはずだ。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

悟りとは不可能なことなのでしょうか

なぜ、私たちは生まれてくるのでしょうか。なぜ、生と死が一つのものだと分からないのでしょうか。                                                                              なぜ生まれたら苦しみがあるのに、生きる楽しみに浸ってしまうのか。執着とは、罠のようなものなのでしょうか。                                                                                                      なぜ私たちは生まれてきた理由を知らないのでしょうか。なぜ浄土や輪廻があるか否かを知るすべを持っていないのでしょうか。                                                                                                 どうしてこの心は、真理とは違う方向に向かってしまうのでしょうか。私たちは生きているうちに悟ることができないのでしょうか。                                                                自分が愚かだと僅かに気が付いても、未だに愚かなのはなぜなのでしょうか。                                                                             

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

悟りと解脱、輪廻転生について

こんにちは。 これだけこのサイトにお世話になりながら、悟りについて良く考えた事がありませんでした。私の考え含めて質問させていただきます。 仏教の入門書だとよく「修行の完成」→「悟りを開く」→「輪廻の苦海から解脱」と解説されています。 しかし自分はこの解脱と言うか、輪廻転生が今一つピンと来ません。 生前や死後については無記とするのがお釈迦様の真意に近いと思うし、 輪廻とは一種の比喩と考えるのが適切と思うからです。 実際、輪廻を考えると色々と矛盾が生じます。 例えば虫の輪廻転生。一生無心に鳴き続けるセミ等に「善行」「悪行」などあるのでしょうか?善行を積んだセミが高次の存在に転生し悪行を積んだセミがさらなる悪趣に落ちるのだとしたら、誰がそれを判定するのでしょうか? そのような超越的な存在(判定者の類)は仏教では否定されるのではないでしょうか? となると、悟りも輪廻転生を前提にしている限り、よくワカラナイものになってしまいます。 悟った覚者は転生せず、凡夫が転生する・・・のでしょうか? だとしたら悟ったかそうでないか判定者がいる事になります。 (ここでまた超越的な判定者の問題にぶつかります。) 悟りによって体質と言うか、魂(?)の質が変わるとでも言うのでしょうか。 じゃあ輪廻とか死後が無記なら、結局「悟り」て何なの?って話になって 頭の中ぐるぐるで何だかよくわかりません。 こんな考えって戯論でしょうかね? お考えを教えて頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 66
回答数回答 6

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