悟りについていくつか質問させてください
はじめまして、悟りについていくつか疑問があるので教えて下さい。
お釈迦さんはどうやって悟りを開いたのでしょうか?
お釈迦さんは悟りを開く前は苦行をしたり様々な修行法を試しましたが、
最終的には瞑想によって悟りを得たのでしょうか?
悟りを開くと何か特殊な能力が手に入りますか?
悟りを開いたとはどうしたら分かるものなのでしょう?
悟りを開いたお坊さんは次にどうするのでしょうか?
お坊さん以外に、この質問に正しく答えることができる人がいないと思う(教えてgooでは正確な回答が返って来るとは思えない)のでお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
素晴らしい質問をありがとうございます。
引用返信にて失礼いたします。ご質問は文字制限があるため略させて頂きました。
どうやって悟りを開いた?
⇒お釈迦様は元々、魚が水の中にいて水をよそに求めなくても元々水の中にあったように、自我意識を働かせていなければ悟りの水の真っただ中にあったことに気づきました。
自心の外、他事や経典に悟りを求めるのではなく、自分の我見・私的見解をトコトン滅し尽くして結果、人間本有の悟り状態(仏心=非・人間の見解的なありよう)に回帰(本来成仏)したといえます。
最終的に瞑想によって悟りを得たか?
⇒6年の修行後に悟ったのではなく、6年間、間違った修行法をしてきてしまって6年目にしてようやく、悟り状態に自分を導くための正しいこころのおさめ方のコツを得ました。それが瞑想(思考やイメージ)ではなく禅定(非思量 思考以前の事実)だったのです。{言葉は瞑想と称しても構いませんが、やっている内容がイメージや思考であれば禅定とは言えませんので世の瞑想と言われるたぐいは思考活動の一種なので瞑想という言葉は控えます}
その具体的方法とは❝心内は虚脱にして 外はただ その事あるのみ❞ などとも言われるように、沸き起こる自分の思いや外の物事に対して❝撃ち方止め❞をして、思考や分別のフィルターを通したものの見方から離れる事で行きつくこころのありようだったのです。
沸き起こる思いに対して、自我の介入を控えれば 左脳的な判断・分別・認識を離れることができて 自と他、内外の隔てのない 右脳的完全感受状態 自受用三昧に到ったのです。
特殊な能力が手に入る?
⇒自分の体感する世界がそれは心地よい、喜ばしいものにかわります。
分かるものなのでしょう?
⇒自分の体感や感じ方が変わるので自分が一番分かります。悟った瞬間の時は、認識をほぼ用いていない状態(三昧)ですので、後になってから「ああ、あの時、思考や分別が途絶えたのか❞と振り返って気づくだけです。
次にどうするのでしょうか?
⇒美味いもん作れるようになったら、その美味しいものを提供したいと思うようになります。
それが釈迦出山、初転法輪に象徴される布教や伝道でしょう。
こちらはここで私が申し上げるところの「悟り」を科学的に立証されている脳学者です。
http://digitalcast.jp/v/18436/
簡潔にお答えします。
とても興味が湧く所だと思います。
お答えします(^^)
>お釈迦さんはどうやって悟りを開いたのでしょうか?
輪廻を繰り返しながら様々な修行を続けた結果悟りを開かれました。
お釈迦様は出家後の数年だけで悟りを得たわけではありません。
最後はスジャータの乳粥を召し上がった後に、菩提樹の下で瞑想し仏になられました。
お釈迦は縁覚・独覚として悟られました。
>悟りを開くと何か特殊な能力が手に入りますか?
神通力が宿ります。
六神通といわれる六種類のとんでもない能力です。
>悟りを開いたとはどうしたら分かるものなのでしょう?
神通力が備わるので、自他共にすぐ分かります。
>悟りを開いたお坊さんは次にどうするのでしょうか?
お釈迦様はお説法をなさいました。
お弟子が沢山出来て、大変多くのお弟子が仏になりました。
おさとり。
>お釈迦さんはどうやって悟りを開いたのでしょうか?
「どうやって」の意図はわかりませんが、「無明」がわかったことによって
悟ったと伺っています。
>お釈迦さんは悟りを開く前は苦行をしたり様々な修行法を試しましたが、
最終的には瞑想によって悟りを得たのでしょうか?
悟りは一瞬を切り取ったものではないと小衲なぞは感じておりますが、
修行法のひとつである瞑想のなかで「無明」がわかったとされております。
>悟りを開くと何か特殊な能力が手に入りますか?
花はわたしにわたしは花に。
>悟りを開いたとはどうしたら分かるものなのでしょう?
おしゃかさまに聞いて頂いたらいいと思います。
道元禅師曰く
「みねのいろ たにのひびきも皆ながら わが釈迦牟尼の こえとすがたと」
やまやたにがおしゃかさまのこえを伝えておりますとのことですので、
ぜひとも耳を傾けて頂いたらよろしいかと存じます。
>悟りを開いたお坊さんは次にどうするのでしょうか?
掃除をして ごはんをたべて だいべんしょうべんをして 坐禅や念仏を唱えて
ねむくなったら寝ます。
「悟り」について
zensyu様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「悟り」に関しましては、以前にも下記の問いにてお答えさせて頂いております。
問い「僧侶の方に聞いてみたいと思っていたこと」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_443680.html
「悟り」という結果を得るには、当然にそのための因縁(原因・条件)が必要となります。その因縁を調えていくのが仏道であり、確かなる仏道を歩むために仏教がある次第でございます。
「・・悟りの妨げとなっている煩悩障と所知障を断滅させていくことへの修行が必要であり、特には、智慧(空性の了解)と福徳(善徳・慈悲・利他行)の二資糧を円満に積んでいくことが大切なこととなります。・・」
しかるべくに智慧と福徳を修めることによって結果としての悟りへと到達できることとなります。瞑想(禅定)はあくまでも悟りへ向けた因縁における修行過程・方法の一つであって、確かに釈尊は菩提樹下にて瞑想なされて最終的に悟りを開かれましたが、瞑想だけで悟りを開けるわけではないことには注意が必要となります。
次に、悟りによって得られる特殊な能力に関しましては、確かに六神通を得られると仏典(沙門果経・相応部経典など)にはございます。六神通につきましては下記の問いにてもお答えさせて頂いておりますのでご参照下さいませ。
問い「霊感ってあるのでしょうか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002837225.html
また、悟りは、「自内証」なされるものであり、その境地を自ずと理解できることになるのではないかとは存じます。「甚深、寂静、戯論を離れ、光明、無為、甘露のごとき法を私は得た。誰に教えても理解できないから、説かずに林下に留まろう。」(ラリタヴィスタラ・釈尊の伝記より)
最後に、悟りを開かれて仏陀・如来となられましたら、仏国土・浄土において、更に悟りによる善巧方便によって衆生の救済に尚一層取り組まれることになるのではないかと存じます。
悟りへと向けて共に仏道に精進努力致して参りましょう。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
川口英俊さん、釈心誓さん、丹下覚元さん回答ありがとうございます。