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「仏教全般」問答(Q&A)一覧

仏教徒としての道を歩んでいきたい。

こんにちは。初めて書き込みさせていただきます。 私は現在仏教徒としての道を歩んでいきたいと考えております。 きっかけとして仕事などが原因でどのような生き方をすべきか悩んだり、死への恐怖について不安になったりした時、いつも自分を助けてくれたのは仏教の教えでした。 先日母からうちが新興宗教の元信者だったことを知らされました。 母は所謂二世だったのですが、今は脱会しており仏教(真言宗)へと改宗しています。 私は母親の告白から真言宗について興味を持ち、調べていくうちに大日如来様や弘法大師様の御心に惹かれ、真言宗の信徒として歩んでいきたいと考えました。 しかしどのように学んでいけばいいのかいまいち分かりません。 仏教はキリスト教やイスラム教のように洗礼を受ける必要がないと聞きました。母が真言宗なので私も真言宗という考えでいいのでしょうか。(父は多分別の宗派だと思いますが) また、仏壇を購入するなどして形から入るべきなのだろうかとも考えましたが、何が正しいのか分からないので、とにかく今は仏教に関する本や記事をたくさん読んでいるところです。 何から始めればいいのか、どうすればいいのか教えていただければと存じます。ご回答のほどよろしくお願いいたします。

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修行に行った彼。仏教が憎いです

閲覧ありがとうございます。 自分の中で仏教に対する憎しみ(逆恨みのようなもの)があり、どう付き合っていけば良いのかわからず、 ご助言をいただければと存じます。 仏教に帰依する方々が集う掲示板でこのような質問をしてしまう非礼をどうかお許しください。 私は現在20代前半の社会人で、学生時代からお付き合いしている彼が雲水修行をしております。 その彼に対する恋愛感情、会えない時間に対して、 修行のせい、仏教のせいと思ってしまう自分がおり、苦しく思っております。 彼の実家はお寺で、彼は跡取りとして育てられました。 お寺の跡取りを嫌がり逃げ出す御子息も多いと聞いていますが、彼は特に抵抗もなく入山いたしました。 ただ、話を聞いていると本気で仏教の道を志したい、解脱したいといった様子ではなく、雲水修行も住職になる資格を得るため、嫌々入山したようです。 私がここで仏教に対し敵対心を持ってしまう理由として、以下の2点が挙げられます。 ①彼のように生活のために嫌々修行を行う人間が多く(もちろんハスノハの皆さんは違うと思っております。回答を拝見する限り、仏教への信心がとても伝わってきます)、修行が形骸化している。 ②寺を継ぐことを期待され、他の道を選べなかった彼への感情(日本の仏教が廃れないように世襲制のような形へ発展していったのは理解できますが、子供の人生を縛ってしまう点が気になります。また、義務で修行を終えたような人より、本当の意味で修行をされた方がお寺を継ぐべきと考えてしまいます。そのような現在の仏教のあり方にも憎しみを感じてしまいます。) 特に①について、形骸化した修行のせいで彼と引き離されているというような逆恨みの感情があります。 彼とは結婚を前提にお付き合いしており、入山前にはご両親にもご挨拶をさせていただきました。 しかしながら、仏教を逆恨みし自分の目の前の感情しか見えていない私がお寺に入ってやっていけるのかと苦悩しております。 特にこういったクリスマスなどの時期、カップルを見るととても寂しく苦しい気持ちになります。 彼に会えない、形骸化した修行のせいで…と被害者面をし、自分の寂しさに対し仏教へ責任転嫁をしようとする愚かな自分がいます。 こんな自分が嫌です。 何かアドバイスを下さい。

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二ーバーの祈り

変えられるもの。変えられないもの。その線引きについての質問です。 仏教版の「二ーバーの祈り」を知りたいと思いました。   ※二ーバーの祈り(大木英夫 訳)   神よ、 変えることのできるものについて、 それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。   変えることのできないものについては、 それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。   そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、 識別する知恵を与えたまえ。   (ここまで)     そこに明確な線引きなど無い、と分かってはいるのですが…。   例えば、他人の感情・行動です。 原則として、変えることができない、と思います。 しかし、自分から働きかけることで、一部変えられる可能性もあります。 だからこそ、自分から働きかけて、相手が自分の思い通りにならないときに、苦しいんだと思います。。   ならば、変えることができるものは、「自分の感情と行動だけ」と捉えて、それ以外は、変えることができないものと、割り切るべきでしょうか。少しストイックすぎるようにも思えますが。。   漠然とした質問で恐れ入りますが、ぜひ皆様のお考えをお聞かせください。  

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もしブッダがナイフで刺されたら【他2点】

仏教の初学者です。何卒よろしくお願い致します。   ①ブッダがナイフで刺されたら、どう反応されたでしょうか。  慈悲で相手を許されるかと思いますが、止血しようとしますか?  「生への執着」すら持たないのでしょうか。(想像で構いません)   ②より良い生のため、「知足」と「向上心」をどう両立させるか? 以下の4パターンを考えてみました。   【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分   【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   しかし、諸法無我を考えると混乱します。 異なる線引きが適切でしょうか?     また、向上心は往々にして執着/煩悩に変わりそうですね。。   ③人間は「感覚」に「反応」して、喜んだり悲しんだりするかと。   A 感覚「喉が渇いた」etc. B 反応「不快だ」etc.   瞑想や修行で、A⇒Bの繋がりを弱めることは可能だと思います。 悟りとは、A⇒Bの繋がりが無くなる(=涅槃)との認識です。 そこで質問。悟ったら、生きてて楽しいのでしょうか? (批判する意図は全くありません)   一切皆苦を前提とした上で、喜んだり悲しんだり「いま」を味わうのが「生きる」とすると、悟ってどんな「いいこと」があるのでしょうか? (メタに考えると、一切皆苦から逃げたいという煩悩がある?)   或いは、煩悩と悟りの間でどうバランスを取られているのでしょうか?   長文失礼いたしました。 ピントがずれているかもですが、何卒宜しくお願い致します。  

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できる範囲での仏教でいいのか

短期間に多くの質問をして申し訳ありません。 hasunohaに出会って、自分の心と 向き合うための知恵や方法を少しずつですが知ることができました。 特に死生観や生きる意味については お経にしめされている教えや、hasunohaでの問答で 少しずつ道が見えてきたような気がして、 仏教の教えや考え方を取り入れて生活したいと 考えるようになりました。 そこで自分は、書籍などで仏教の作法やお経を調べて 実践しやすいものを生活に取り入れてみたのですが 家が檀家ではないし、近所にお寺が少ないので 自分がしていることが仏教的によいのかがわからなくて、 自分が読んだ本についても、今までの学の範囲内で 意味を考えているかもしれないので もしかしたら解釈が違ってしまっているかも、と不安です。 生兵法は大怪我のもと、のように 檀家でない人、制式に入信していない中途半端な人 が仏教の教えや作法などを生活の中に取り入れても 効果はないのでしょうか? 信仰はどこから有効なものなのでしょうか? また、今後自分がどうしていくべきか (どのように仏教と付き合い 生活の中に生かしていくべきか) を教えてください。 この質問が、今の仏教に対する冒涜のようになってしまっていたら 申し訳ありません。 乱文失礼しました。 追伸 今自分がしていること 寝る前に念仏を唱えて、阿弥陀さまにその日のことや 次の日のことについてご報告させていただくこと。 同じように空いた時間に念仏を唱えること。 お経や教えを心に留めて日常生活をすること。

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