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「仏教全般」問答(Q&A)一覧

修証義について教えて下さい。

祖父の葬儀を境に改めて仏教を学び始めました。  宗派は、曹洞宗です。 お坊様が唱えて下さるお経を理解した上でご先祖様や祖父に手を合わせ今後、向き合いたいと強く感じたからです。また、現在の生活の中でお経について調べる事は、小さな安らぎを感じられる学びの場になっています。 現在の学び方ですが、hasunohaにてお経についての質問をブラッシュアップしたりしながら般若心経や修証義について調べています。 また修証義については、以下の現代語訳をみつつ内容を深めています。しかし、解釈や内容が正しいのか不安もあります。 https://www.zen-essay.com/entry/soujyo そもそも、現代語訳事態がダメでしょうか? 曹洞宗の教えが分かる書物があれば知りたいです。浅い状態ですが曹洞宗の教えに…悟ることすら手放す(悟りたい欲求を手放す)座禅スタイルが凄く衝撃的で素敵な考えでもっと色々と知りたいのです。 また、触れてみた状態な上での発言で恥ずかしいのですが…お経を調べると供養する相手よりも供養する側に対する生きる上での教えを説いている様に感じました。間違ってたらすみません。 余談ですが、普段、お世話になっているお坊様の爺様に法事後、お経について調べている事や内容を理解したいとの相談をしましたら笑顔で学んで来なさいと言って経本を頂きました。宿題を逆に出された気分で終わりましたので次の法事が違う意味で緊張します…。後、曹洞宗の本山は、身近な場所にあるので一度行ってみようと思っています。 ※質問して申し訳ないのですが現在、生活苦なので「お気持ち」は後々にさせて下さい。申し訳ありません。

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死生観や魂についてご教示いただきたいです

 看取りを目的とした入院患者の多い病棟で勤務している看護師です。仕事柄、死というものは身近に感じております。  緩和医療の分野において、スピリチュアルケアという考え方があります。  世界保健機関で健康とは身体的、精神的、社会的に良好な状態であり病気の有無に関わらないと定義されているのですが、そこにspiritual health(霊的な健康)という概念を追加してはどうかという提案が2000年頃にありました。現在において、霊的な健康は概念に追加されていませんが、看取りの場において霊という概念は必要であると愚考しています。  私は人間を「尊厳を持つ存在」「胎児の頃から逝去されたのち、遺された人の心から消えるまで」と考えています。命が尽きると人間でなくなるのであれば、遺体はただの物体であり、丁寧に扱う必要のないモノとなってしまうと思うからです。看護は患者が逝去したのち、死化粧をし、身体を洗い、着衣を整え、御遺族へ患者という人間を引き継ぐ役目があると思っています。  私の考えの根底に魂というものがあるが故に、上記のような考えをしているのだと思いますが、不勉強ゆえ魂というものを言語化できません。地獄や憂き世、極楽といった様々な宗教観の言葉がある日本において、皆様は魂をどのように捉えているのか知りたく思い、質問させていただきました。

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生きている人への「回向」と、私の仏教観

 いつもお世話になっております。このほど、私の尊敬している 学者の先生が、てんかんをお持ちだということがわかりました。 先生は、お仕事で危険な薬品をお使いになります。万が一の事が、 非常に心配です。  そこで、休日に酷暑の中スーツを着て、たくさんお寺や神社を回り、 先生をお守りくださいと神様や仏様にお願いをしました。営業さんの ようです。  ちなみに、私は本来、願い事が嫌いです。願掛けや縁起物、 お守り等に依存するのは本来の仏様の教えからは逸れる (親鸞上人の「正像末和讃」に、とても共感しました)、仏様の 教えは、「ヒト」をバックアップし、パフォーマンスを引き上げて くれるもの、「お見守り」だと考えているからです。  巷で妄信されているような、「拝んでいれば大丈夫」ではないと 考えています。  大学入試に例えると、受けるのは自分、周りの方は、叱咤激励、 応援してくれるだけ。それが受験生さんの大きな支えとなりますが、 「私が代わりに受けてあげる!」まではいきませんよね。  なので、自分が試験を受けたり、自分の障害の寛解について などの願掛けはしたことがありません。お守りも、持っていません。  護摩札はありますが、それは、「本尊」として拝んでいます。 ちなみに願意は、「御礼」です。  回向というと対象は死者、というイメージでしたが、法話で 「自分以外の生きている人を守り給えと祈ることも、回向に入る」 と伺った気がします。これには、なるほどと思いました。  しかし、若干「願い」にも入る気がするので、願った後は、 現実的な事をしようと思いました。例えば、 ・先生は動画配信をなさっているので、動画を拝見する ・ご自身のホームページでアフィリエイトもなさっているので、 ページのリンクからサイトにアクセスし、その商品を購入する ・てんかんについて勉強し、応急処置など、理解を深め、いざと いうときに行動できるよう備えておく  仏教は「神秘主義」ではなく、「現実重視」と思って、「相手を苦から 遠ざけ、楽を得る一助となる事をする」「自分のためには、正しく事物 を見極め、邪見に惑わされぬよう努力する」これが、私の仏教観だと 思っています。  長くなりましたが、私の回向、仏教観について、先生方のご高見 を賜りたく存じます。

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思うだけでも罪になる

私はどこの宗派に属しているわけでもありませんが、色々な書物を読むことが好きで、高校大学がカトリック系列であったため、聖書やキリスト教関係のものも少し読みました。祖父母は浄土真宗なので、般若心経も小さい頃から暗記するくらい読んで唱えて、大学院では国文学としての密教も少し学びました。どの教えも尊く、かつ興味深いのですが、中でもキリスト教の教えに「思うだけでも罪である」というのがありました。ここでの「思う」は、悪いこと、憎しみを思うことを指します。 確かに、「思う」だけで心におさめられることもありますが、「思」へば、それを実行してやろう(例えば、機会があったら悪口を言ってやろうとか。)という気にもなります。仏教(宗派は忘れてしまいました)にも似たような教えがあって、「良いことも悪いことも、思えばエネルギーがそちらに動いて、そのとおりに物事が進むようになる」とも。 ですので、何かマイナスの考えが浮かぶと「あー、ダメダメ。そういうこと思うのやめよ」と、なるべく自分に言い聞かせますが、なかなか思考はコントロールできないですよね。やはり、悪く思ってしまうこともあります。お坊様方は、自身の心の在り方を、どのように受け止めていらっしゃるのか、修行などによって、我々凡人よりも少し克服できるものなのか、伺ってみたいと思いました。

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