日本仏教について
他国の仏教と比べて(中国・チベット・インド・韓国・タイなど)、日本仏教の特色とはどのようなものですか?詳しく教えてください。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
其の国の風土と民俗に彩られた syncretism
このhasnunohaという枠組みの中で1000文字以内で回答するのは不可能な質問だと思います。
前の質問でクリスチャンであると述べておられましたが、世界のカトリックと正教会とプロテスタントの特色を1000文字で語ることが出来ますか?真面目に回答しようとすれば、とても出来ないでしょう。今回のご質問も同様だと思います。
私は曹洞宗の僧侶ですが、他の宗派ー真言宗・天台宗・日蓮宗・浄土宗・浄土真宗・法相宗等ーのことはあまりわかりません。インドにもタイにも中国にも行ったことが無く、海外の仏教寺院のこともほとんど知らないので(何故かブラジルには行ったことがありますが)、回答するだけの能力はございません。
日本国内の多くの寺院では、釈尊や宗祖の教えを大事にしつつも、儀礼面では祖先崇拝が中心となり、行事の面では民俗の影響が強く表れています。葬儀や年回供養では浄土や仏国土という他界観念を説きつつも、儀礼的には「祖霊は浄化されると、地域の霊山に登る。」という山中他界観の色彩が強い場合が多いと思います。山岳信仰の影響が強い場合が多く、修験者を神格化した天狗を祀る寺も多いです。ですから、日本仏教の特色は日本的なsyncretismであるというしかない、と私は思っています。インド仏教はインド的 syncretismであり、タイ仏教はタイ的 syncretismなのだと思います。
個々の地域や個々の寺院によって、重層と見た方が適切な場合も有れば、複合と見た方が適切な場合もあると思います。「日本仏教は〇〇だ。」という答えが有るなら簡単ですが、現実はそんなに単純では無いと思います。
多くの宗教学の研究者が多くの文献をあさり、多くのフィールドワークを重ねて、宗教現象や宗教儀礼の分析分類に取り組んできたと思います。でも、なかなか一筋縄ではいかないのが宗教です。宗教は理屈を超えたものですから、理屈で分類することは難しい。研究するのはたいへんですが、だからこそ研究するのが面白いのだと思います。
私は若い頃比較思想を研究してみたいとだいそれた希望を抱いたことがありますが、日本語と英語以外の言語を習得するだけの能力と根性と金と時間が無かったので、断念しました。
いろいろあっていいという感じ
拝読させて頂きました。
詳細については正直わかりません。
印象で申し上げますが(私個人的な見解でしかありません、ご了承下さい。)
インド・ネパールから発した仏教は流れ流れて何世紀にも渡って北からアジアの大陸を渡って伝わってきました、又南から海路を渡って伝わってきました。
当然ながら中国・朝鮮半島からメインで伝わってきましたが、八万四千あると云われる仏教の法門に加えて様々な地域や国家や文化や信仰や文明も含めてミックスして渡ってきました。
地図を見れば一目瞭然ですが日本は極東です、つまり行き止まりです。日本より東はハワイとかアメリカになってしまいます。そこ迄なかなか伝わっていきません。ですから仏教の教えが行き着ついた場所でもあると思います。この地学的な状況は日本の仏教伝来・信仰等に大きな影響を与えていると思います。
あなたはいかがでしょうか?
端的に言いますと何でもミックスされてきていると云えると私は思います。例えは悪いかもしれませんが清濁併せ吞むというか、玉石混交というか、聖俗不可分という部分が大いにあります。ですから神仏習合でもO.K.ですから八百万の神々と仏菩薩は複雑に混ざり合って渾然一体になっています。
つまり寛容な部分がずっと続いてきたと思いますし、言い方悪いですが、ある意味何でもありなのかと思います。(他の地域でもそういうことはあるでしょうけれど…)
日本でも多少は宗教戦争はありましたが、大きな宗教紛争・戦争はあまり無いように思います。他国である様な正統と異端による壮絶な対立・大弾圧・大量虐殺もあまりないように思います。
確かに鎌倉期の宗教革命的なムーブメントに伴う浄土教団や日蓮教団への弾圧はありましたし、戦国時代の一向一揆や真宗独立国家でのいくさ、江戸時代に真宗教団に対する幕府や藩の弾圧もありました。しかし他国で見られる根絶やしにする様な大量虐殺はあまり多くはなかったと思います。(江戸時代のキリスト教禁止令はありましたが)明治以降の廃仏毀釈で神仏分離はありましたが、仏教滅亡迄には至りませんでした。(孝明天皇迄は葬式は寺で実施し寺に埋葬されました、つまり仏教徒でしたからね)ですから国家神道的な思想統制は日本では最近のことだと思います。日本人はよく無宗教と答えますが、いろいろ混ざって寛容だからかと思います。それが日本らしい宗教信仰のアイデンティティか感じます。
再追記あり
了義未了義につきましては下記ご法話をご参考下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=tclOS8LqIWo
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ちょうど、こういったことを整理されていた方からのご意見を頂きましたので、了解を得て追記させて頂きます。ご参考までに。
輪廻と業の思想が根付かなかった、独特の浄土信仰、独特の無常観、仏教徒は多いが先祖供養色が濃く仏菩薩への信仰が薄い、お盆に先祖霊が帰ってくるのでもてなさなくてはならない(仏教と完全に習合しているのは日本だけ)、死後戒名の授与(日本だけ)、お坊様が出家でなく在家で大乗戒のみ(日本だけ)、小僧さん制度の消滅(日本だけ)、寺院継承が世襲(日本だけ)寺檀制度(日本だけ)、息のある内に詠む枕経の消滅(大乗国で日本だけ)、明確な神仏分離(おそらく日本だけ)。宗派ごとに教義の差が激しい。
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他国の仏教と比べての現代日本仏教の特色として、これと挙げるのであれば、明治期における太政官布告にて僧侶の戒律が国家権力によって緩められることになった点は大きなものがあります。僧俗の垣根がかなり薄まり、僧侶が在家的な生活をするようになっても全く問題視されなくなっている点があるかと存じます。
また、戒律が緩まったことにも伴い、本来、戒師となって沙弥戒・比丘戒を授けられる者もいなくなり、また、正式な戒壇も無いままとなってしまっているのも特色であります。つまり、正式な僧侶はいないということになります。
現在、日本において本来の正式な僧侶となるには、初期仏教系かチベット仏教系かにて正式な戒師と戒壇により受けることが望ましいところとなっています。
あとは、釈尊の善巧方便の教えには、了義と未了義として、直接に真理面から真理へのアプローチに向けて説かれた教えと、真理へと近づくための方便(ワンクッション置かれてある)として説かれた教えがあります。
そのあたりが日本の仏教の場合は色々と曖昧になってしまっているところがあり、未了義の教えを優位に置いてしまっている僧侶や宗派によっての弊害も多々見受けられるところでもあります。
合掌
質問者からのお礼
吉田俊英 様
日本仏教の特徴を単純明快にわかりやすくご説明してくださり、どうもありがとうございます。日本人の仏教前に既に確立されていた元々の考えが現在の仏教に組み込まれていて、それが独自のものとなっているということで、とても分かりやすくご説明頂けたので理解度が進みました。そういえば、私は本当に無知ですので(同じ服を着ているなとは予々思っておりましたが)、修験者を神格化したものが天狗だというのは初耳でした。宗教は理屈を超えているということですが、本当にその通りだと思います。研究はとても楽しいですが、自分が立てた仮説が立証できるように、もしくは誰もが発見したことがないことを見つける作業をしないといけないので探偵並みの推理力が必要で疲れる時が多々ありますが、このように助けて頂けたので、一生懸命頑張りたいと思います。本当にどうもありがとうございます。
Kousyo Kuuyo Azuma 様
個人的な見解だったとしても、私には知らなかったこと、もしくはあまり知識のなかったことをご説明下さったので、とても分かりやすかったです。ご回答頂きどうもありがとうございます。確かに、日本はなんでも有りのイメージが強い印象があります。そして、言われてみれば明治以降の廃仏毀釈で神仏分離の際に、仏教が滅亡してもよかったのにそれがありませんでしたね。今まで考えたことがありませんでしたけど、これもご指摘通り、日本が「色々あって良い」という考え方を持っているからですよね。そして、孝明天皇まで仏教徒だったというのは知りませんでした。わりと最近の話であることに、驚いております。色々混ざって寛容なのが日本人のアイデンティティということで、良いところ取りをしたい民族なのかな?と思いました。自分が所属する民族ですけど、とても面白い特徴を持つ民族だと思いました。色々と詳しくご説明くださり、本当にどうもありがとうございます。
eishun様
いつも手を差し伸べてくださり、どうもありがとうございます。またこう言ったことを整理されていた方にも感謝を述べます。本当にどうもありがとうございます。日本だけの特徴が端的にまとめられており、とてもわかりやすいです。結構こうして見てみると、日本だけが持っている仏教の特徴というのは多いのですね。やはり、日本の仏教はユニークというか、唯一無二のものなのですね。他にも初耳のことが多くありますが、一番印象に残った特徴は、「宗派ごとに教義の差が激しい」というものでした。お釈迦様の教えが同じ国でそんなに違いがあるというのは、とても興味深いです。また、僧侶が在家的な生活をしているということは、なんとなく知ってはおりましたが(結婚が許されている等...)、正式な僧侶が現在いないと言えるということ、また初期仏教系かチベット仏教系にて正式な戒師と戒壇により受けるのが望ましいということは知りませんでした。あと、日本仏教にそのような問題性があることも初耳でした。
一つわからないところがあったので、ご説明を願いたいのですが、「直接に真理面から真理へのアプローチに向けて説かれた教えと、真理へと近くための方便として説かれた教えがあります」というので、後者はなんとなくイメージがつくのですが、前者は一体どういう意味でしょうか?お手数ですが、ご説明頂けますと幸いです。よろしくお願いします。
eishun様
どうもありがとうございます!大変助かりました!本当に色々とありがとうございます。