こんばんは。お坊様に質問があります。 先週の金曜日に喉の調子が悪かったので、お医者様に診て貰ったらアレルギーの影響だとおっしゃってました。 なので、御薬師様に、アレルギーの症状が無くなる様にとお祈りしたいのですが、問題はないでしょうか?
仏教も各宗派も、成立も発展も、ずいぶん昔からの歴史あるものですので、現代的な価値観と相容れないものもあるかと思います。 良く言われるところでは女性蔑視だとか。障害や病気を因果応報で説明される事だとか。 お坊様たちは、そういう教義と、現代的な価値観とどのように折り合いをつけておられますか? 私自身女性ですので、どのように考えて行けば良いのかわからないところがあります。 「その時代の人にもわかるように説明しただけ、方便」だとか 「解釈が間違っていただけ、仏様の本意ではない」みたいに言うのも、なんか都合が良すぎるような…。 たとえばある経典や説話集などを、全体としては採用し信仰したり説明に用いながら、特定の部分を現代の価値でジャッジして、美味しいところだけをつまみ食いするようなやり方、本当に正しいのかな、と。 お坊様たちはどうお考えですか? 考えるヒントをくだされば幸いです
こんにちは。 ご相談をさせていただきます。 今年8月に妹が亡くなりました。 11月初旬に私の職場で慰霊祭が行われるのですが、参加をして良いのでしょうか。 仏教に関する知識が乏しく、お教えいただけますと幸いです。
皆様、いつもお世話になっております。僕は今「老子」についての本を読んでいます。そこで感じたのが、老子の思想は仏教の教えに通じるものがあるのではないか?ということです。例えば老子の言う無為自然という考え方は、仏教で言う空の考え方に近いものがあるのでは?と個人的に考えています。お坊さんの意見を教えて頂けますか?
家族を亡くして3ヶ月、心を落ち着かせるために、何冊もの仏教書や動画の法話など聞いておりました。いろいろと疑問も出てくるので、大学通信教育で専門に学ぼうとさえ思うようになりました。 しかし、最近は仏教がおとぎ話のように感じるようになり、易行と言われる浄土真宗についても、本当に信じることができる方がいるのだろうか、苦行とさえ思ってしまいます。せっかくの心の拠り所が無くなってしまうのはとても辛いことです。僧侶になられた方はどのように信心を深めていったのでしょうか。
こんにちは。 動画で仏教の勉強をしている時に、難しい話ばかりで 長時間勉強が非常に集中が続かなく、飽きてしまうのですが お坊さん達はどうやって、 仏教の勉強をしましたか? 実践ないことには身につかないことは承知なのですが、 実践の仕方、歴史を学ぶためにその動画を見ています。
質問は2点つあります 1つめの質問 お坊さんはテレビに出ている霊能者 故 宜保愛子さんや 江原啓之さんをどう思っているのでしょうか? 現在 新型コロナウィルスの影響で 院内感染防止のため病院では以前のように面会が出来ないところが多く、 家族と面会できずに亡くなるが大勢います(コロナ患者だけに限りません) 遺言が伝えられないで亡くなるが大勢いるのです。 霊視番組では 宜保愛子さんや 江原啓之さんを通して 亡くなった親族の霊が 相談者にいろいろ伝える それが本人達しか知らないことなので 相談者が驚き また宜保さんや江原さんに感謝する というスタイルですが このようなことは本当に存在するとお考えでしょうか? 2つめの質問 新型コロナで亡くなる人が増えたのは、新型コロナウィルス感染対策を故意に妨害する人達だと思います。陰謀論者です。 新型コロナウィルスがただの風邪だの、実は存在しないだの 猛毒ワクチンを接種すると2年後に死ぬだの人口削減の陰謀だの 荒唐無稽なデマを拡散して マスク着用や新型コロナウィルスワクチン接種を妨害するビラを駅前で配っている怪しい団体がいたりします。 このような団体の代表は東京都知事選挙や千葉県知事選挙に立候補して病棟の最前線で働いている疲弊している医療従事者を「ありもしない新型コロナウィルスで騒ぎを起こして金儲けしている利権関係者」などと誹謗中傷する演説をしていました。 過去に女子中学生を強姦して妊娠させた事実も発覚して週刊誌にも記事になったそうです(相手は親告罪なので刑事告訴はせず、民事訴訟に発展しているそうです) このような連中が新型コロナウィルス感染拡大を引き起こしたと思います。 法律では罰せられませんが、新型コロナウィルスの犠牲者の数を考えると 私はこんな人達は普通の殺人犯より罪が重いと思います。地獄があるなら 彼らは地獄に落ちて欲しいです。 地獄は本当にあるのでしょうか? 2つ質問しましたが、 要するに あの世 霊魂 天国 地獄 霊能者や霊媒師 因果応報など 一般人の目に見えない者が存在するのか? と言う質問です。 よろしくお願いします。
在宅得度をしたいです。 しかし在家得度を行っている寺院や団体様のHPを見てみると、入門時の冥加金や、宗派本山の度牒の儀式のために数十万円必要だったり、法衣や宝具を自腹で揃えるなど、到底一般人の私にはまとめて用意できないお金が発生するとの事でした。 お金を工面しようとしてもカードローンにも通らない年収ですから、どうしても得度に必要な資金と法衣を揃えたくても揃える事ができません。 私のような貧困者でも金銭的な意味での在宅得度への道はあるのでしょうか? お金を用意する事ができない、と言う理由だけで法名や度牒を受ける事が出来ない人の為の救済手段を教えてください。 よろしくお願いします。
祖父の葬儀を境に改めて仏教を学び始めました。 宗派は、曹洞宗です。 お坊様が唱えて下さるお経を理解した上でご先祖様や祖父に手を合わせ今後、向き合いたいと強く感じたからです。また、現在の生活の中でお経について調べる事は、小さな安らぎを感じられる学びの場になっています。 現在の学び方ですが、hasunohaにてお経についての質問をブラッシュアップしたりしながら般若心経や修証義について調べています。 また修証義については、以下の現代語訳をみつつ内容を深めています。しかし、解釈や内容が正しいのか不安もあります。 https://www.zen-essay.com/entry/soujyo そもそも、現代語訳事態がダメでしょうか? 曹洞宗の教えが分かる書物があれば知りたいです。浅い状態ですが曹洞宗の教えに…悟ることすら手放す(悟りたい欲求を手放す)座禅スタイルが凄く衝撃的で素敵な考えでもっと色々と知りたいのです。 また、触れてみた状態な上での発言で恥ずかしいのですが…お経を調べると供養する相手よりも供養する側に対する生きる上での教えを説いている様に感じました。間違ってたらすみません。 余談ですが、普段、お世話になっているお坊様の爺様に法事後、お経について調べている事や内容を理解したいとの相談をしましたら笑顔で学んで来なさいと言って経本を頂きました。宿題を逆に出された気分で終わりましたので次の法事が違う意味で緊張します…。後、曹洞宗の本山は、身近な場所にあるので一度行ってみようと思っています。 ※質問して申し訳ないのですが現在、生活苦なので「お気持ち」は後々にさせて下さい。申し訳ありません。
いつもご丁寧な回答ありがとうございます。 心願成就についてお尋ねいたします。 どうしても叶えたいことがあり、9月にいつもお世話になっている厄除大師で心願成就をしてもらいました。 その場では「いつまで」ということは明言しませんでした。 家に帰り、毎日お願い事をすることを初めて知ったのですが、毎日お願いをする際の言い方に「いつまで」も言うということを知り、「9月まで」で毎日お願いしていました。 しかし、残念ながら叶う様子はありません。 ですが、どうしても叶えたく、明日からは「今年中」に変えて毎日お願いしたいと考えています。 このようにお願い事は途中で変えても良いのでしょうか? 叶わなかった際は、キッパリ諦めるしかないのでしょうか? また、心願成就をした厄除大師以外の神社・お寺にお参りするのはご法度でしょうか? ご教示よろしくお願い申し上げます。
観音経に出てくる無尽意という方に方について以前よりどういう方か気になっています。 それで、真言宗のお坊様に質問したら80種類位の法門を説く方だと教えて貰いました。 そして、禅宗のお坊さんなら詳しく分かるかもしれないともお聞きしました。 観音経の本や訳を読んでももさっぱり分かりませんでした。
こんにちは 日本に住んでいる外国人です。 キリスト教で育ってきましたが日本で仏教を出会い、とても素敵だと思っています。仏教について本読んだり、お寺に訪問したりしています。 キリスト教から仏教に改宗するのは可能ですか?仏教の信者になるため儀式ありますか?
恋人関係にあった方から傷付けられた事への怨みが消えません。 相手は今頃のうのうと生きているのかと思うと苦しく、感情の持って行き場がありません。 内面を磨いて少しでもポジティブに それだけ執着している 許すことができるように 日にち薬 よく耳にする言葉は頭では理解していますが、感情が追いつかないのです。 この苦しさを紛らわせる方法があれば知りたいです。
お疲れ様です。北風小僧と申します。 今回の質問は 自分自身が自殺したい云々では無く、 仏教的な観点から見て "自殺"とは一体何なのか。 そこに興味を持って質問させて 頂きたく思います。 まず、なぜそう思ったのかと言うと 趣味で歴史や宗教について 調べていたところ、 様々な方が論文やブログ等で 自殺とは仏教において "許される"のか"許されない"のか という点に触れておりました。 人によって 「お釈迦様が自殺について明確に咎めた記述は無いから許される。」 という方、 「動物に対する殺生をそもそも禁じているのだから人間も動物だし、自らを殺めることは許されない」 という方、 十人十色の見解があり、非常に興味深かったです。 そこで、 「お坊さんの考えはどうなんだろう?」 と思いました。 是非とも多くのお坊さんにお答え頂きたいです。 どうかよろしくお願い致します。
仏教のどの教えがオススメとか、私は仏教のここが好きとか、もしあれば教えてください。 一人で仏教を勉強することに疲れました。 薬物依存の治療中の友達のいない一人暮らしの無職の男です。 よろしくお願いします。
看取りを目的とした入院患者の多い病棟で勤務している看護師です。仕事柄、死というものは身近に感じております。 緩和医療の分野において、スピリチュアルケアという考え方があります。 世界保健機関で健康とは身体的、精神的、社会的に良好な状態であり病気の有無に関わらないと定義されているのですが、そこにspiritual health(霊的な健康)という概念を追加してはどうかという提案が2000年頃にありました。現在において、霊的な健康は概念に追加されていませんが、看取りの場において霊という概念は必要であると愚考しています。 私は人間を「尊厳を持つ存在」「胎児の頃から逝去されたのち、遺された人の心から消えるまで」と考えています。命が尽きると人間でなくなるのであれば、遺体はただの物体であり、丁寧に扱う必要のないモノとなってしまうと思うからです。看護は患者が逝去したのち、死化粧をし、身体を洗い、着衣を整え、御遺族へ患者という人間を引き継ぐ役目があると思っています。 私の考えの根底に魂というものがあるが故に、上記のような考えをしているのだと思いますが、不勉強ゆえ魂というものを言語化できません。地獄や憂き世、極楽といった様々な宗教観の言葉がある日本において、皆様は魂をどのように捉えているのか知りたく思い、質問させていただきました。
無門関 第7則に「趙州洗鉢」という公案があります。 ホームページで読み解かれていることは以下のような内容です。 ・日々の勤めを励むべき ・「当たり前を当たり前に、今を生ききる」 ・平凡に生きることが禅 ・食事と食器を洗うことは、不即不離の関係になると申せましょう。今さら申すまでもありませんが、日常生活を大切にすること、つまり、凡事を徹底することにあると思います。 修行僧が悟る機縁となるべき「公案」を一般人の生活指導のように説いていられる感があります。質問した僧が体得したことと一般人が体得すべきことが分けられていないように感じられます。 問いは答えだとよく言われます。以下の2つ質問いたします。 1.趙州和尚の真意はどこにあるのか 2.修行僧は何に気づいたのか お答えいただければ幸いです。
いつもお世話になっております。このほど、私の尊敬している 学者の先生が、てんかんをお持ちだということがわかりました。 先生は、お仕事で危険な薬品をお使いになります。万が一の事が、 非常に心配です。 そこで、休日に酷暑の中スーツを着て、たくさんお寺や神社を回り、 先生をお守りくださいと神様や仏様にお願いをしました。営業さんの ようです。 ちなみに、私は本来、願い事が嫌いです。願掛けや縁起物、 お守り等に依存するのは本来の仏様の教えからは逸れる (親鸞上人の「正像末和讃」に、とても共感しました)、仏様の 教えは、「ヒト」をバックアップし、パフォーマンスを引き上げて くれるもの、「お見守り」だと考えているからです。 巷で妄信されているような、「拝んでいれば大丈夫」ではないと 考えています。 大学入試に例えると、受けるのは自分、周りの方は、叱咤激励、 応援してくれるだけ。それが受験生さんの大きな支えとなりますが、 「私が代わりに受けてあげる!」まではいきませんよね。 なので、自分が試験を受けたり、自分の障害の寛解について などの願掛けはしたことがありません。お守りも、持っていません。 護摩札はありますが、それは、「本尊」として拝んでいます。 ちなみに願意は、「御礼」です。 回向というと対象は死者、というイメージでしたが、法話で 「自分以外の生きている人を守り給えと祈ることも、回向に入る」 と伺った気がします。これには、なるほどと思いました。 しかし、若干「願い」にも入る気がするので、願った後は、 現実的な事をしようと思いました。例えば、 ・先生は動画配信をなさっているので、動画を拝見する ・ご自身のホームページでアフィリエイトもなさっているので、 ページのリンクからサイトにアクセスし、その商品を購入する ・てんかんについて勉強し、応急処置など、理解を深め、いざと いうときに行動できるよう備えておく 仏教は「神秘主義」ではなく、「現実重視」と思って、「相手を苦から 遠ざけ、楽を得る一助となる事をする」「自分のためには、正しく事物 を見極め、邪見に惑わされぬよう努力する」これが、私の仏教観だと 思っています。 長くなりましたが、私の回向、仏教観について、先生方のご高見 を賜りたく存じます。
お寺や恐山など何となく仏教関係の施設にはかざぐるまがあるイメージがあり 気になったので教えてほしいです。気のせいでしょうか ここ最近自分が理想とする姿をかざぐるまに見出したことがきっかけでした 見えない力である風(縁)で回り、必要な分だけの風を受け止めて周りに流す(金の使い方)姿に感銘を受けたのです
大学院で障害学を研究しようとしている者です。仏教について質問があり書き込みました。 現在、日本の障害の歴史について考察しているのですが、障がい者という弱者とお寺の関係は無視できないと思い、色々調べているところです。 ですが仏教といっても宗派がたくさんあり、どれを掘り下げていけばいいのかわかりません。 そもそも仏教における障害とは何か(前世の罰、今生での修行など)、そしてもし可能であれば異なる宗派同士の考え方の違いなどあれば教えて頂けないでしょうか? 私自身障害があるため、気になっている問題でもあります。 どうぞよろしくお願い致します。