私は病弱で、精神も患っていますし体も患っています。臓器もボロボロで、28歳でそこそこ若いのに身体能力はもう老人のそれです。いや、下手をすれば健康な老人の方がもっと体力があるかもしれません。けれど、そんな自分でも人助けがしたかった。そして私はある結論に辿り着きました。 それは、今の現代を支配している「ゲーム」という文化を使ったものです。自動演算(わかる人に言えば連射コントローラー)をしてくれる機械(ちゃんとアマゾンでも発売されている正当な品でゲーマーなら愛用者も多く、違法性のものではありません)を使い、寝ている間にオートで作業を行ってもらい、長い作業時間に対して確率1%を下回るレアアイテムを入手したら、それをSNSを使って無償で誰かに配布する行為です。 これならば「自分の得」を削って誰かに譲ることそのものをボランティアにしているため、体力を使わなくて済みます。つまり、私は人に譲るためだけにこの作業を黙々と続けているのです。人を喜ばせることに、何か自分の魂の行き先に必要性を感じ、それを行うことに自分も喜びを感じているからです。 これは仏教的に言ってなんらかの「行」にちゃんとあてはまっているでしょうか。また、己の中の仏をちゃんと育てることができているでしょうか。なまじ、ゲームというエンターテイメントを使ったものなのでこの質問をすること自体に対して不安はありますが、よろしくお願い申し上げます。
釈尊は自己の体は虚しいものだし生老病死は必ず来るものですし執着する価値がないといってるように解釈しております。 また私は今1日8時間程度用事を作ったりして意識的に体を動かすなどをしています。 釈尊がいっているように執着で運動したところでいつかは病気になるんだし無意味だとしても出来るだけ医学が推奨するように執着的な健康な行動(ウォーキングや食事、プログラム的に体を動かす)などをしていったほうが単純に得ではないでしょうか。 お坊様方のような清い心を持っていれば運動も食事も自然に健康的になるとおもいますが、今!人格的に未熟で運動ができないため、執着的な運動をしてでも奇病や早期的病気や腰痛足痛などを予防することを釈尊は実際どう仰っていますでしょうか。 人格が未熟で運動できないのが原因で病気になったとしても気にとめないということでしょうか。 ブッダの言葉(どこかの記事でブッダの言葉で体を動かすことにかまけないことと見たことがあります。)や一部動画ででてるような説法を聞いてもいまいち理解できていない状況です。 そもそもの私の解釈の違いなどがあればぜひともお教え頂ければと思います。よろしくお願い致します。
私はバガヴァッド・ギーターというインドの聖典が大好きで、その中に「奉仕活動によって解脱ができる。それは行よりも有効な手段」という記述があります。私の夢は解脱とみんなが幸せな世界であり、そのためにボランティア、人助け、世界のためになる選択肢を選ぶことが大好きです。 しかし、達磨大師はこう言われました。功徳(つまり私でいう、解脱を目的としていること)のために寺を建築したり写経したりしても新たな煩悩を生むだけであり無功徳であると。これは、解脱という利己的な目的を持って人を助けたり救ったところで自分は何も得られるものがない、ということなのでしょうか。 奉仕活動によって解脱を目指すというのはシク教やヒンドゥー教的な考え方のはずで、確かに私は若い頃にいっぱい罪を犯したためその分、誰かを助けたり誰かの役に立ったりよりよい世界を作るために努力することは損得を抜きとして心から大好きです。しかし、その先で自分も解脱したいという利己的な抱きがあるのもまた事実です。 私のしていることは、解脱を目指す上で無駄なのでしょうか? 私の行いで誰かが喜びを味わったり救われたりしているので、それは決して無駄なことではないのは確かなはずです。しかし、やはり達磨大師のおっしゃられたことにも一理あるので、そこがずっと引っかかっているのです。例え自分に得が無くとも、奉仕活動自体は好きなのでそのスタンスは崩さないつもりです。 私はちゃんと正しい方向へ進めているでしょうか? よろしくお願いいたします
2ヶ月ぐらい前に鶴見の総持寺に参拝したのですが、瓦志納の貼紙を拝見し7口奉納致しました。 瓦の意味は分かるのですが、志納とはどういう意味でしょうか?
立川武蔵著書の『最澄と空海』という本の中で、空海の家系が帰化系だと書いてありました。この帰化系というのは、もう少し具体的に国を絞って言うのであれば、どこの国になりますか?中国ですか?それとも朝鮮ですか?もしくはもっと違うオリエンタルの国ですか? この本の中では、最澄がどう言う帰化系日本人なのかは具体的に書いてありましたが、空海に関しては「どこの国の帰化系日本人」なのかは具体的な説明がありませんでした。すごく知りたいです。もしご存知でしたら、具体的な説明を添えてご説明してくださると大変嬉しいです。宜しくお願いします。
おととい、祖母が亡くなりました。 危篤になって病院に駆けつけてから数時間はまだ息があり、少しだけ思い出を話したり今までありがとうという言葉も言えました。 個性的ではありましたが信念を持ち、優しくて料理上手な祖母でした。 亡くなってからもありがとうの言葉は伝えられたのですが、どうしても後ろめたさで言えなかったことがあり、それが今とても心残りです。 祖母は1年半ほど前から認知症が進行し、上手く話が伝わらないことが多くなっていきました。 私はなかなか認知症になってしまった祖母を受け入れられず、何度言っても伝わらない事に苛立って強い言い方をしてしまったり、祖母に会うのを鬱陶しく思ってしまったこともありました。 祖母は認知症でも私の存在は忘れていなかったので、きっと悲しかっただろうと思います。 それを、結局最後までごめんと言えないまま祖母はお骨になってしまいました。 今となって、もっと沢山話してあげればよかった、手を繋いであげれば良かったと思います。 謝るのはもう遅いのかもしれませんが、本当は祖母に感謝してるし大好きです。 どうしたら良いでしょうか?
大金剛輪陀羅尼について教えてください。 大金剛輪陀羅尼を覚えようと思い調べたのですが、 『ジビキャナン サルバ タタギャタナン』 と書いてあったのですが、YouTubeで大金剛輪陀羅尼を唱えているお坊さんの動画を見ると 『ジビキャナン タタギャタナン』 と『サルバ』が抜けてるのですが、どちらが正しいのでしょうか? 『サルバ』は唱えても唱えなくてもどっちでもいいのでしょうか??
お経には観音菩薩とか不動明王とか釈迦以外の仏様がたくさん出てきますが、仏教ではそういう霊的な存在を本当に存在すると教えているのでしょうか? それとも実在しているわけではなくて、仏教の教えを象徴しているだけの架空の存在なのでしょうか?たとえば、不動明王の剣は智慧の象徴とか、座ってる石は固い菩提心の象徴とかいう感じで、仏教の教えを大衆に分かりやすくキャラクター化して説明しているだけで、崇拝の対象ではないのでしょうか。 お経の中ではお釈迦様がいろいろな菩薩や如来を紹介しますが、お釈迦様自身がそういう存在を拝んでいたとか護摩祈祷をしていたとか逸話は聞いたことがないので、不思議に思い質問させていただきました。よろしくお願いします。
こんばんは。お坊様に質問があります。 先週の金曜日に喉の調子が悪かったので、お医者様に診て貰ったらアレルギーの影響だとおっしゃってました。 なので、御薬師様に、アレルギーの症状が無くなる様にとお祈りしたいのですが、問題はないでしょうか?
仏教も各宗派も、成立も発展も、ずいぶん昔からの歴史あるものですので、現代的な価値観と相容れないものもあるかと思います。 良く言われるところでは女性蔑視だとか。障害や病気を因果応報で説明される事だとか。 お坊様たちは、そういう教義と、現代的な価値観とどのように折り合いをつけておられますか? 私自身女性ですので、どのように考えて行けば良いのかわからないところがあります。 「その時代の人にもわかるように説明しただけ、方便」だとか 「解釈が間違っていただけ、仏様の本意ではない」みたいに言うのも、なんか都合が良すぎるような…。 たとえばある経典や説話集などを、全体としては採用し信仰したり説明に用いながら、特定の部分を現代の価値でジャッジして、美味しいところだけをつまみ食いするようなやり方、本当に正しいのかな、と。 お坊様たちはどうお考えですか? 考えるヒントをくだされば幸いです
こんにちは。 ご相談をさせていただきます。 今年8月に妹が亡くなりました。 11月初旬に私の職場で慰霊祭が行われるのですが、参加をして良いのでしょうか。 仏教に関する知識が乏しく、お教えいただけますと幸いです。
皆様、いつもお世話になっております。僕は今「老子」についての本を読んでいます。そこで感じたのが、老子の思想は仏教の教えに通じるものがあるのではないか?ということです。例えば老子の言う無為自然という考え方は、仏教で言う空の考え方に近いものがあるのでは?と個人的に考えています。お坊さんの意見を教えて頂けますか?
家族を亡くして3ヶ月、心を落ち着かせるために、何冊もの仏教書や動画の法話など聞いておりました。いろいろと疑問も出てくるので、大学通信教育で専門に学ぼうとさえ思うようになりました。 しかし、最近は仏教がおとぎ話のように感じるようになり、易行と言われる浄土真宗についても、本当に信じることができる方がいるのだろうか、苦行とさえ思ってしまいます。せっかくの心の拠り所が無くなってしまうのはとても辛いことです。僧侶になられた方はどのように信心を深めていったのでしょうか。
こんにちは。 動画で仏教の勉強をしている時に、難しい話ばかりで 長時間勉強が非常に集中が続かなく、飽きてしまうのですが お坊さん達はどうやって、 仏教の勉強をしましたか? 実践ないことには身につかないことは承知なのですが、 実践の仕方、歴史を学ぶためにその動画を見ています。
質問は2点つあります 1つめの質問 お坊さんはテレビに出ている霊能者 故 宜保愛子さんや 江原啓之さんをどう思っているのでしょうか? 現在 新型コロナウィルスの影響で 院内感染防止のため病院では以前のように面会が出来ないところが多く、 家族と面会できずに亡くなるが大勢います(コロナ患者だけに限りません) 遺言が伝えられないで亡くなるが大勢いるのです。 霊視番組では 宜保愛子さんや 江原啓之さんを通して 亡くなった親族の霊が 相談者にいろいろ伝える それが本人達しか知らないことなので 相談者が驚き また宜保さんや江原さんに感謝する というスタイルですが このようなことは本当に存在するとお考えでしょうか? 2つめの質問 新型コロナで亡くなる人が増えたのは、新型コロナウィルス感染対策を故意に妨害する人達だと思います。陰謀論者です。 新型コロナウィルスがただの風邪だの、実は存在しないだの 猛毒ワクチンを接種すると2年後に死ぬだの人口削減の陰謀だの 荒唐無稽なデマを拡散して マスク着用や新型コロナウィルスワクチン接種を妨害するビラを駅前で配っている怪しい団体がいたりします。 このような団体の代表は東京都知事選挙や千葉県知事選挙に立候補して病棟の最前線で働いている疲弊している医療従事者を「ありもしない新型コロナウィルスで騒ぎを起こして金儲けしている利権関係者」などと誹謗中傷する演説をしていました。 過去に女子中学生を強姦して妊娠させた事実も発覚して週刊誌にも記事になったそうです(相手は親告罪なので刑事告訴はせず、民事訴訟に発展しているそうです) このような連中が新型コロナウィルス感染拡大を引き起こしたと思います。 法律では罰せられませんが、新型コロナウィルスの犠牲者の数を考えると 私はこんな人達は普通の殺人犯より罪が重いと思います。地獄があるなら 彼らは地獄に落ちて欲しいです。 地獄は本当にあるのでしょうか? 2つ質問しましたが、 要するに あの世 霊魂 天国 地獄 霊能者や霊媒師 因果応報など 一般人の目に見えない者が存在するのか? と言う質問です。 よろしくお願いします。
在宅得度をしたいです。 しかし在家得度を行っている寺院や団体様のHPを見てみると、入門時の冥加金や、宗派本山の度牒の儀式のために数十万円必要だったり、法衣や宝具を自腹で揃えるなど、到底一般人の私にはまとめて用意できないお金が発生するとの事でした。 お金を工面しようとしてもカードローンにも通らない年収ですから、どうしても得度に必要な資金と法衣を揃えたくても揃える事ができません。 私のような貧困者でも金銭的な意味での在宅得度への道はあるのでしょうか? お金を用意する事ができない、と言う理由だけで法名や度牒を受ける事が出来ない人の為の救済手段を教えてください。 よろしくお願いします。
祖父の葬儀を境に改めて仏教を学び始めました。 宗派は、曹洞宗です。 お坊様が唱えて下さるお経を理解した上でご先祖様や祖父に手を合わせ今後、向き合いたいと強く感じたからです。また、現在の生活の中でお経について調べる事は、小さな安らぎを感じられる学びの場になっています。 現在の学び方ですが、hasunohaにてお経についての質問をブラッシュアップしたりしながら般若心経や修証義について調べています。 また修証義については、以下の現代語訳をみつつ内容を深めています。しかし、解釈や内容が正しいのか不安もあります。 https://www.zen-essay.com/entry/soujyo そもそも、現代語訳事態がダメでしょうか? 曹洞宗の教えが分かる書物があれば知りたいです。浅い状態ですが曹洞宗の教えに…悟ることすら手放す(悟りたい欲求を手放す)座禅スタイルが凄く衝撃的で素敵な考えでもっと色々と知りたいのです。 また、触れてみた状態な上での発言で恥ずかしいのですが…お経を調べると供養する相手よりも供養する側に対する生きる上での教えを説いている様に感じました。間違ってたらすみません。 余談ですが、普段、お世話になっているお坊様の爺様に法事後、お経について調べている事や内容を理解したいとの相談をしましたら笑顔で学んで来なさいと言って経本を頂きました。宿題を逆に出された気分で終わりましたので次の法事が違う意味で緊張します…。後、曹洞宗の本山は、身近な場所にあるので一度行ってみようと思っています。 ※質問して申し訳ないのですが現在、生活苦なので「お気持ち」は後々にさせて下さい。申し訳ありません。
いつもご丁寧な回答ありがとうございます。 心願成就についてお尋ねいたします。 どうしても叶えたいことがあり、9月にいつもお世話になっている厄除大師で心願成就をしてもらいました。 その場では「いつまで」ということは明言しませんでした。 家に帰り、毎日お願い事をすることを初めて知ったのですが、毎日お願いをする際の言い方に「いつまで」も言うということを知り、「9月まで」で毎日お願いしていました。 しかし、残念ながら叶う様子はありません。 ですが、どうしても叶えたく、明日からは「今年中」に変えて毎日お願いしたいと考えています。 このようにお願い事は途中で変えても良いのでしょうか? 叶わなかった際は、キッパリ諦めるしかないのでしょうか? また、心願成就をした厄除大師以外の神社・お寺にお参りするのはご法度でしょうか? ご教示よろしくお願い申し上げます。
観音経に出てくる無尽意という方に方について以前よりどういう方か気になっています。 それで、真言宗のお坊様に質問したら80種類位の法門を説く方だと教えて貰いました。 そして、禅宗のお坊さんなら詳しく分かるかもしれないともお聞きしました。 観音経の本や訳を読んでももさっぱり分かりませんでした。
こんにちは 日本に住んでいる外国人です。 キリスト教で育ってきましたが日本で仏教を出会い、とても素敵だと思っています。仏教について本読んだり、お寺に訪問したりしています。 キリスト教から仏教に改宗するのは可能ですか?仏教の信者になるため儀式ありますか?