仏教を学びたいです。教えてください
長文になりますが、見て頂けますと幸いです。
私の曽祖父は神戸市須磨区にあります須磨寺というところで副住職をしていたと伝えききました。年齢的に戦前であったと思われますが、寺務所では確認できませんでしたので、定かではありません。その曽祖父が何らかの理由で須磨寺を離れ、神戸市長田区の善心寺というお寺へ移りました。その後曽祖父の娘婿さんが跡を継ぎ、現在は別の方が住職をされております。
この度祖母の四十九日法要を善心寺で行うこととなりましたので、縁は続いておるみたいです。
私の先祖代々のお墓は曽祖父が須磨寺へ建立しております。四十九日法要のあと、納骨は善心寺の方が須磨寺まで来てくださり行います。
私は今まで宗教に無関心でしたが、祖母が亡くなったことをきっかけに、祖母への感謝、後悔などの想いと真言宗の僧侶であった曽祖父の存在で仏教に関心を持ちました。
仏教をしっかり学び、ご先祖様への供養をしたく、また自分の生き方のヒントとしたく思っております。
私が曽祖父のことをもっと知りたいと思ったきっかけはもうひとつあり、私はご先祖様が守ってきてくださった苗字を受け継ぐ長男です。曽祖父には13人子供がおりその中で男が4人で13人兄妹の末っ子が私の祖父です。そして父、私となりますが、祖父の兄妹のお子様方は女性のみで苗字を守れる血筋が私の所だけとなっております。私は2人子供がおりまして2人とも男の子なので、ここからまた苗字を守れる子孫が繁栄してくれると願っております。
こういう経緯で偶然とは思えずご先祖様方の意志や願いなどを託されていると思うようになりました。
長くなり申し訳ございませんが何点かお聞きしたくよろしくお願いいたします。
・私が真言宗の仏教を学ぶに当たり、善心寺のご住職へ師僧となって頂きたいと思うのですが、仕事をしながら仏教を学ぶために師僧となって頂けませんか?とお聞きすることは失礼に当たりますか?
・仕事をしながら得度し仏弟子として学んで行くことは可能ですか?
・私の菩提寺はお墓のある須磨寺だと思いますが、これから関係を深めるべきは善心寺でしょうか?
私は父に血筋のことや宗派の話などあまり詳しく聞いてきませんでした。この度のご縁で私のルーツを知り自分の子たちへ受け継いでほしいと思っております。
長くなり申し訳ございませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
聴聞し、み教えをいただいていくことが、僧侶にとって一番大切
縁は、支えにもなりますし、苦しみも生みます。あなたの考えや想いを否定しているわけではありませんが、お子さん方には、それぞれの人生がありますので、縁を理由に縛ることのないようにと思うのです。
仏法を学ばれるということは、執着から離れるということも仏道になります。苗字に捉われていくと、見えなくなるもの出てきます。大切なものを失うことにもなります。例えば、継ぐのは男系だけでしょうか。絶えてしまう家柄もあるでしょうが、それでも嫁ぐという女性側の家族や本人の想いは、どうでしょうか。姓を名乗るということは、男女どちらにとっても大切なこと。また、そのことにより、親が婚姻を反対するという問題も聞いてきました。ですので、あなたの想いを繋いでいくときには、押し付けることのないようにと思います。(あなたの質問からは、苗字への拘りを強く感じたので)
質問に関してですが、
仏法を学ぶことと、僧侶になることは、また別です。住職からはなぜ得度をする必要があるのかと尋ねられるかと思いますが、いざ得度を受けるとなると、所属寺の住職の承認(許可)が要るでしょうから、善心寺さまへお伺いされたらよろしいかと思います。墓があっても、現在お世話になり、仏法を身近に聴聞するご縁は、善心寺さまですから。まずは、仏法に触れていく機会を持ちましょう。
私は浄土真宗なのですが、学ぶということは、仏法を聴くことから。聞法が何より大切なのです。聴聞を繰り返し、み教えをいただいていくことが、僧侶にとっても一番大切なことです。
真言宗でも、そうでしょう。一番身近に仏法を説いてくださっている善心寺さまに、ご相談を。
そして、縁により、あなたの生き方をお子さん方へ見せていきましょう。受け継ぐのは、あくまでも親(あなたの)願いであり、仏道を歩むのは誰でもない私(あなた)自身のいのちの問題になります。
お子さんは、あなたの生き方を見ながら、自分の生き方を大切にすることを学ばれるでしょう。それがたとえどんな道であったとしても、大切に尊重できるあなたでいてくださいね。
私は嫁ぎましたが苗字に拘らず両家分け隔てなく大切に、仏道を歩んでおりますし、息子に私の願いで継がせることは考えておりません。それは、あの子が決めること。生き方は本人が決めるから、しっかりと定まっていくのです。仏縁の尊さは、私の生き方から、知り得てくれるでしょう。
仏教とは世間でいう所の所謂仏教を学ぶことではないという視点
お釈迦さまって仏教を学びましたか?仏教とかいう聖書・バイブル・経典みたいなものがあって、それを( ..)φメモメモ( ..)フムフムしていたでしょうか?いいえ。
もしあなたが本当に仏教を学びたければの話ですが、そのトラップにハマらない方がいい。私も昔は仏教を学ぶとはそういうものだろうと思って本を沢山読みましたが、仏教書を読んでも仏教知識が増えるだけ。この人を師匠に…、といっても本当にその人が仏教を明らかにした人かどうかも別。
蕎麦屋さんだって全国にはいっぱいあるでしょう。中には表に出てなくてもスゲー旨い蕎麦作る蕎麦の神様とか居るものです。
仏教を学ぶということもそう。
仏教を学ぶのが坊さんや仏教学者。
自己の本来の様相を学ぼうとしたのがお釈迦さまや祖師。そこを明かさないと本当に意味では免許皆伝にならないと思っています。
「人間がどうあれば救われるか」「どうすればあらゆる苦しみから救われるのか」を求めて明らかにするのが仏教の本来。だから、仏教を学ぶのではなく、そこを学ぶ。自己を知る。心を知る。この自己の身心と事象や心象作用との関り。学ぶ材料や教わる環境はこの自己の真実相を教えてくれる指導者。本当に仏教を学びたいと思うのであれば宗派はどうであれちゃんと「仏法を明らかにされた人」からでないと仏教学や仏教学問・僧侶学を教わることになる。これは意味が解らない人が多いと思いますのでわかるまで最低十数回読み返してみて下さい。多くの人が仏教を学ぼうとして失敗する。釈尊や祖師や優れた僧侶たちは仏教学を学んだ人ではない。この自己をみつめ、自己の作用をじっとみつめる。ものとこととがこの身に触れる時に一切の思慮分別・価値観・善悪や好き嫌いを伴わずにノック(如来如去)されていることを良く見つめることからです。それが仏教を学ぶことになる。何故なら
何もせずともそこで起こること、わが身に生ずるこその一切を見つめてみることがそのまま自己を明らかに知る最短の道=仏道だからです。
ものの起こり、事の起こり、その事のあらわれ、映し出され。わが身に体感され映し出される一切。それを縁起と言い、生滅の相という。その事のあらわれの来たるがごとく去るがごとくのさまを如来・如去という。そこを見ずして他方に仏や如来を思い描かせるものはサブカルチャーです。師匠は誰であってもいいですが、あなたが真に学ぶべき仏教は何か。
ころころさま
仏教を学び修していくのに最も大切となるのは、「菩提心」となります。
自分も含めて皆、この輪廻の苦しみの中にある、その皆を救うための道である仏道を歩もうという志であります。
この「菩提心」を起こすことこそが、真に仏道を歩む者となるのであって、それは僧俗関係のないことであります。
形式的に、得度、受戒しただけでは何にもなりません。
別に得度、受戒せずとも「菩提心」を受持して六波羅蜜に励む者は、立派な菩薩の道を歩む者となります。
日本の仏教における一番の弊害は、世襲制にあり、一番大事となる「菩提心」がなくても、任意の資格的な一定の条件を満たせば僧侶として仏教を扱えてしまっていることであります。
また、どこで、誰から学ばなければならないというわけでもありません。
それこそ、ネットからでも、このhasunohaからでも学ぼうと思えばいくらでも学べるものでもあります。
例えば、ダライ・ラマ法王さまのご法話からだけでも仏教を総合的に学ぼうと思えば、いくらでも学べるものでもあります。
初期仏教の経典から無上瑜伽タントラの経典についてまで、色々とご解説なさられています。
https://www.youtube.com/user/dalailamajapanese
まあ、あまり最初から拘らず、偏らずに学び進めていかれることをお勧め申し上げます。
合掌
まず、お寺に通ってみてください
ご先祖さまの思いを汲み、仏教を学びしっかりと先祖を護りたいとのこと、本当に素晴らしい心がけであり、仏教(真言密教)を学ぶ有り難いご縁を頂きましたね。
さて、菩提寺が真言宗とのこと、先祖代々真言宗であったのですね。
真言宗を学びたいのであれば、在家で、できる範囲で学ぶのか、
それとも、修行し加行を受けて僧侶としての道を歩むのかの2つの学び方があります。
おそらく、貴方は仕事をされながら出来る範囲で学んで行きたいのですよね。
2つのお寺に電話等で朝勤行か夕勤行もしくは一般に参加できる法要などに参加したいと言って確認して、まず、参加をされてみてください。
真言宗は拝むこと祈ること、に重きを置きます。法話よりも大事にしていると思います。
朝勤行や夕勤行にはあまり法話は無いと思いますが、まずお経を聞いてみてください。そして般若心経など比較的あげやすいお経を一緒に小声でお唱えしてみてください。
どんな気持ちがするでしょうか?
もし、とても気持ちが良く、心が清々しく感じるのであれば、、、
可能なら、出勤前に朝勤行に通ってみるなどされてみてください。
で、それを2つのお寺でどちらも受け入れてくださるなら、自分の心が気持ち良い方に、在家で仕事をしながら、もう少し仏教を学びたいとご相談されてみてください。
合掌
追記.真言宗では説法を聴く事も一般の方々には推奨しますが、僧侶が大事にしているのは、伝法灌頂が終わってからのいろいろな場所の大阿闍梨さまからいろいろと教え(かなり浄土真宗とは違うと思います)を直接授かることと、さらにもっと大事なのは、その教えを受けて祈ることと拝むことです。むしろ拝み祈ることの方が大事としていると思います。
質問者からのお礼
丹下 覚元さま、悟東あすかさま、eishunさま、中田三恵さま
お返事が遅くなり申し訳ございません。
親身なご回答誠にありがとうございました。その後色々調べたところ曽祖父は副住職ではないことがわかりました。しかし私にとっては仏教に、真言宗に巡り合えた大切なご縁だと思いますので、皆さまのご回答を大切に何度も何度も読み返して参ります。本当にありがとうございました。
悟東あすか様
追記頂きましてありがとうございます。
菩提寺の住職様に頂いた仏前勤行次第を今は大切に毎日唱えていこうと思います。
有難い教えを頂きましてありがとうございます。