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「仏教全般」問答(Q&A)一覧

祠があるのですがどのように管理していけば良いのでしょうか?

お坊様に教えて頂きたいことがあり、こちらに書いてみました。 実家に庭があるのですが、私の祖父の代から庭に行者菩薩と書かれた石碑が置かれた祠のようなものがあります。 祖父はもう20年近く前に亡くなっています。 実家は祖父から私の父に継がれてますが、庭仕事が趣味だった祖父が亡くなり現在は誰も庭の管理をしなくなり荒れた庭となっています。 その行者菩薩様の祠も祖父が建てたらしいのですが、庭も荒れ放題で祠も誰も手入れをしないことが最近気になっております。 そもそもどんな経緯があって実家にこの祠があるのか実家の父も母もよく分からず、荒れた庭にとくに何もされずに放置されてる状態です。 しかし、何か理由があり実家に祀られていて管理をしていた祖父が居なくなって放置というのもどうなのかと思っています。 祠を建てお迎えしておきながら長らく荒れた庭に・・なんとなく実家に今の状態を見に行ったのですが、祠には蔦が絡まり隣に植えられてる紫陽花の枝が祠を覆うように伸びていて、これはちょっと庭全体を片付けるのは難しいにしても、せめて祠と祠の周りくらいは綺麗にした方がいいと思いました。 道具を揃えて実家に掃除に先ほど行ってきました。 なんだか・・そうした方がいいと思って。 私自身も祠の存在のことなど忘れていたので今更という気もしましたが・・。 長らく放置してしまってますが、この祠はこれからどのように管理したら良いのでしょうか? 私自身は家庭を持ち実家を離れております。 隣町なのでいつでも行ける距離ではありますが、どのように管理していくのが適切なのか教えて頂けないでしょうか?

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仏教っていいですね。

高校生の頃から将来や未来に対して、漠然とした恐怖や不安に絶えず襲われて、何をするのにも尻込みしてしまう癖がついてしまいました。 社会人になって仕事を初めてからもずっとその癖が抜けず、人間関係の構築、効率的な思考、発言も下手くそになってしまい辛い日々を送って来ました。 最近は世間も人も未来も、とにかくありとあらゆる事柄に不安と恐怖を感じるようになり、自分は本当は何が怖いのか、何がしたいのか、誰に何を言いたいのかわからなくなって、ただ得体の知れない恐怖と不安に支配されてしまいました。 自分でもわからない心の不安と恐怖をどう相談していいかも判然とせず、ずっと自分の内に押し込めたままでした。 そんな時に、お坊様が相談に乗ってくださるサイトがあること知り、試しに覗いてみると世間には自分と似た若しくは、それ以上の悩みや苦しみを抱えた人がこんなにも多いものかと、悲しくなったと同時に一つ一つ丁寧に回答して下さるお坊様達の慈悲の心に深く深く感動致しました。 それからと言うものお釈迦様の教えや仏教の歴史をより深く知りたいと考えるようになり、書籍を読んだりやお寺に訪れて手を合わせるようになりました。 すっかり仏教の虜です。 未だに不安や恐怖は取り除けてはいないのですが、仏教と出会う前よりは心が軽くなってきたと感じております。 ハスノハを通じて、お釈迦様の教えに触れる機会を与えて下さった縁とお坊様達に誠に勝手ながら感謝の気持ちを伝えたくなり、文章を送らせて頂きました。 本当にありがとうございます。 最後に乱文、長文で読みにくいものになってしまい。申し訳ありません。

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何故戒名をもらったら仏教徒になるという認識は誤りなのですか?

お世話になっております。 柴田秋です。 以前、こちらで葬式をあげてほしくないという質問をいたしました。 戒名をもらった時点で仏教徒になるのが嫌という理由を上げましたが、それは誤りとの指摘がありました。 戒名とは法号のことであり授戒の証、すなわち仏門に入ることのはずですが、何故、戒名をもらうことが仏教徒になるということではないのですか? 少し長いですが、それでも、詳しい経緯をお知りになりたい方は下記をご参照下さい。 http://hasunoha.jp/questions/5942 予想される答えとしては「私はすでに仏教徒である」ということと思います。 一度も同意したことはありませんが… 私が嫌いなのは仏教だけではなく、宗教全般なので、特別仏教がどうのこうのというわけではないので、ご理解ください。 ただ、ガウタマ・シッダールタや、イエスや、ムハンマドなど、一人の人間の言葉の元に集まった集団が起源なのが特に嫌という感じはあります。 神道に言及しているのは、少なくとも私は宗教ではなく、神話扱いしているという理由です。 ギリシャ神話、ローマ神話、ゾロアスター教、それから、特に好きというわけではありませんが、エジプト神話あたりは、私に対して「無害」なので、別に嫌いというわけではありません。

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浄土の信徒とお不動さん。

いつもお世話になっております。 あるお坊さまから、阿弥陀仏さんとお不動さんでは教えもお誓いも全く違う事も伺いました。(阿弥陀様は、「すべて受け入れる」、お不動さんは「阻む物を追い返す」) 私の関わって来たお坊さま方はそれぞれ、 「左手の縄でもって無理やりにでも仏道に引き入れる」、「仏道を妨げる物を追い払う」という対極的な教えを説いています。 私は浄土宗の人間なので、あの寺の職員はお不動さんの教えにのっとって 「畑違い、出て行けや!」 的な行動をとったのかとも思いました。 遠い昔に法然上人が感じた肩身の狭さを知り、「女は成仏できない」と説かれていた事も知りました。 ですが、どうも私はお不動さんがその様な悪い神さま?には見えません。 あの細めた左目が、悲しそうに泣いているように見えるんです。 人によってはご気分を害してしまう様な質問かもしれませんが、 お不動さんはどんな想いを抱いて私たちを見ているのでしょうか。 国内の浄土宗寺院にも、不動明王をお祀りしている所があると聞きました。 なので余計混乱しています。 くだらない事かもしれませんが、 ご教授のほど、よろしくお願いいたします。

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「蜘蛛の糸」について

私は、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という作品が、昔からいろいろに解釈できて、ずっと不思議に思っていました。 最初に読んだとき(子どものとき)は、 ①カンダタは莫迦だなあ、自分ならきっと、みんなと力を合わせて、みんなで極楽にたどり着くのに と思った ちょっと時間がたって(思春期) ②どうせ私もカンダタと同じだろう、きっと誰でもエゴが勝ってチャンスをだめにしてしまうに違いない と思った またしばらくして(反抗期) ③お釈迦様って何様なんだ!(お釈迦様だけど。)教養もなく悪人として生きてきたカンダタを、カンダタが成功しそうにない極限状況で試すなんて。助ける気なんかもともとないじゃないか、この話に正解も救いもないじゃないか と思った また少しして(青年期) ④カンダタが蜘蛛の糸を見ても登ろうと思わないくらい達観していたら、もしくは落語の江戸っ子のように、「一度地獄に落ちた身分の自分が、いまさら蜘蛛の糸などにすがってたまるか」と居直っていたら、お釈迦様は確実にカンダタを助けていたのかも と思った そして今(中年期) ⑤芥川が絵本として子供向けに書いた以上、一周回って、①の子どもらしい慢心(カンダタを通した戒め)が作者の意図した一番素直な読ませ方なのでは とも思う そこで質問です。 カンダタが確実に極楽に上がるためには、どうすればよかったのでしょう。 回答者陣のお坊様方は、自分の仏教に関するすべての見識や体験をふまえたならば、助かりたいカンダタに何とアドバイスしますか? それともこれは、カンダタはどうやっても助からないというお話なのでしょうか? その他、この作品に対してどう解釈しますか?

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