仏教における障害者の立場
いつもお世話になっております。
大変に唐突な質問でございますが、
仏教の世界では、障害者、無職者はまさに「障害」、「邪なる存在」なのでしょうか?
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以前にご質問した「お寺」での非礼行為に対する苦情を申し上げたのですが、依然、一部の職員さん(お坊さんは改心してくださった模様)が、いわゆる「客を見る」ような態度で接してきます。
他の寺務さんやお坊さんたちは普通なのに、その人たちの所作を見ると、「あぁ、もしかして本当は…」
と疑心暗鬼に陥ってしまいます。お護摩の時の願意の唱和?で、
「一心祈願、就職成就~!!」
と言われたり、祈祷後の短いお話も、嫌味にしか聞こえなくなるときがあります(苦情を述べる前に、私が書いた絵馬の内容を軽く引き合いに出された事がある)
ちなみに宗派は新義真言宗です(「もしも」が恐いので、詳しい宗派はあえて書きません)
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私は発達障害を持っており、その影響の為か、時折ズレた行動に出てしまいます。それでも周囲に迷惑をかけないように心がけており、
就労支援にも通っているし、手帳の取得も考えています。
なので余計悲しいです。
素敵なご縁、素晴らしい教えのおかげで私自身の生活にも光が差し始め、祈りと感謝の喜びを噛み締めている所なのに……
真実をお教えください、よろしくお願いを申し上げます。

有り難し 34

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