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「仏教全般」問答(Q&A)一覧

合掌の意味

職場で、感謝の気持ちを込めて手を合わせて 「ありがとうございます」 を伝えていたところ、 私、仏様じゃないんだけど!!! と二人の方に別々に注意されてしまいました。 勿論、誤解されてまでその方たちに行おうとは思いませんが、 一般的にその様な合掌は正しくないのでしょうか。 インターネットで検索しても、 外国の人が間違ってしてしまっているおかしな日本の文化だ! 若い人がするのを見るとイラっとする! 等あまりよく思われていないようです。 私にとっては、お寺さんやお墓、仏様で手を合わせることも、 いつもご先祖様や私たちを守ってくれている仏様やご先祖様達へ感謝と尊敬の気持ちで行なっていましたし、 ご飯のいただきますの合掌も、 食材や食卓に並ぶまでの多くの人たち、 食事を頂けるということへの感謝と尊敬の念を込めてすると教わり、 そうした気持ちで手を合わせてきました。 お坊様の丁寧なお辞儀と手を合わせたありがとうございます、の仕草が暖かさを感じ好きだったこともあります。 いつの頃からか、 ありがとう感謝します、有難いことです。 を伝えるジェスチャーとして、度々使っていたため、 ちょっとショックでした。 合掌のそのような使い方は正しくないのでしょうか? お坊様のそうした合掌とはまた違ったものなのでしょうか? 本来、合掌の意味とはどんなことなのでしょうか?

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私が今取り組んでる仏教修行はハードル高い

三年くらい前に仏教に出会ってから、その考え方に感動し自分なりにかなり努力してきたと思います。 (とは言え日常生活に取り入れるくらいですから、お坊さんに対しこの程度を「仏教修行」と言うにはおこがましいかもしれません。) 他者は己をうつす鏡と言うのは本当で、誰かに対し怒りや悪感情を覚えたならそれはその人ではなく、自分の内面の未熟な箇所が露になっているのだということを、仏教はわたしに教えてくれました。 そんな考え方を持ってから、自然と友達が多くなったと思います。 同時にちょっと辛いことも多くなりました。 頼られすぎていると言えばいいんでしょうか。 相談を長く受けているうちに、相手が多分甘えているのだと思いますが、攻撃的になる人も中にはいます。 相談をしながら何だかこちらに向けて嫌みをおりまぜてくるというか。 社会的に見ると身勝手、というような行為を受けることもあります。 「辛いことがあったから家に来て聞いてほしい」と言われ一時間半かけて向かったら、「彼氏が家に来ることになったからやっぱり帰って」と帰されたりとか、そういうことがままあります。 内心ぎょっとしますが、それすら優しく迎えられるような人間になりたいと思っていたので「そっか、じゃあ彼氏とゆっくりね!後日のろけを聞かせてもらうんだからな☆」と笑って終えます。表面だけではなくて、優しい感情を持ってそう言います。 私には二つ障害がありまして、また診断を下すほどではないけどかなりその傾向があるよ、とお医者さんに言われている障害がもう一つあります。 友人には特に隠しているわけではありませんが話していないので、友人が嫌味をわたしに言うときに障害の症状にあたる面をなじられたりすると、結構こたえます。これは私自身が私の欠点に感じているからでもありますが、やはりきついものはきつくて、一時期ある友人とは距離をおいたことがありました。 するとその友人の母らしき人が電話をかけてきて、「あの子の支えはあなただけなので支えてあげてほしい」みたいなことを言われました。 もうなんか全部きっついな。自分でもサイズの合わないタイトなジーンズにねじ込んでるな、と思います。 こころざしのレベルを少し落とした方がいいのでしょうか。 障害のこともあり頑張ってきましたが、今までの努力が間違っていたとしたらなかなか悲しいです。

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みんなの幸せを願う。仏様に甘えちゃいけないってことですか?

 いつもお世話になっております。  もう当面は例の法要会にいけそうにないので、仏事の質問は ここでさせていただきたく存じます。               *  仏は誰かを傷つけよう、陥れようとする願い、それから自分の 欲求だけを満たそうとする願いは聞いてくれない。  皆さんの願いと一緒に、わたしのお願いも聞いてくださいと 願うのが正しいお願いの仕方だとお話をいただきました。               *  ですが私自身も難儀を抱えており、 愛し守ってくれる親も無し、お不動様や阿弥陀様を父母と思い、  慕い縋って生活している次第でございます。               *  私自身、人のために願い事をして、その人に裏切られるのが 恐い、という思いがあります。一度成功しましたが…  大祭などでお札を奉安するときも「信徒安全」と書きますが 基本的に普段はご本尊様の前で自分の感じる辛さを吐露して 時には涙すらこぼします。               *  でも普段の生活においては赤ちゃんに笑いかける、席を譲る 、お礼とねぎらいの言葉を忘れないなど多々気を付けています。               *  私のやり方は間違っていますか。  どうかお教えいただきたく存じます。

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飲酒について

お酒を飲みたい思いと葛藤しています。 親族の死をきっかけに仏教について調べるようになり、五戒のうちの一つに不飲酒戒 があるのを知りました。 ネットで調べていると、「『不飲酒とは、酒を飲むこと自体を戒めているのではない。酒によって堕落し悪行を行うことを戒めているのだから、多少ならば良い』などというのは詭弁」 「飲酒など人に酔いをもたらす行為は、仏教の核心に大きく差し障る行為」 とありました。 不安になり、ここ約半年間、飲み会の席でも飲むのをさけ、料理をするときもみりんや酒などを使わない、もしくは沸騰させてアルコールをとばすようにしたりしています。 みんな飲んでいるし、少しくらいなら、自分のためになることもあるのに、などと言い訳をしている自分がいます。不飲酒戒について知らなかった人は飲んでも許されるのだろうな、いいなと思ってしまったりもしました。 飲み会があってもいつもは飲んでいたのに飲まない私は他人からどう思われているのだろうとか考えてしまいます。 ここにこうやって書いているのは、「飲んでも大丈夫」と言ってもらいたいのかもしれません。 罪悪感と煩悩と、いろんな考えで頭がごちゃごちゃです。 飲酒についてのお坊さんのお考えを教えてください。

有り難し有り難し 66
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