仏教に生きる
先日、どなたかの質問に対するお坊さん方の答えが目の覚めるようなものでした。
実はつい最近まで原始仏教こそ仏教なのだと信じて瞑想に励んでいたのです。幸い海外の夏休みは二ヶ月以上あるので、俗世間から離れて実に充実した心の平安を保つことは容易でした。
ところがそんな調子で実生活が始まり、いつものように社会と関わって生活するようになり、欲がないのでなすこと全てが無意味に思えてきたのです。確かに、感情や欲に左右される問題は解決出来たのかもしれません。しかし、私という人間が仕事を持ってお金を稼ぎ、親として子供の健康や幸せを考えたときに、その立場を無視して一人原始仏教徒として忠実に生きてゆくことは不可能だと感じました。
そこで日本の仏教のお坊さん方の言葉を聞き、とても救われました。
生きるからには精一杯生きたい。
無責任に心の伴わない行動はしたくない。
完全とはいかないけど、仏教徒として出来るだけの努力はしつつ、人間人生を全うしたい。
人間くさく、泥臭く生きても救われる道がある、それが日本の仏教なのだ、そう理解しました。
このような理解で良いのですか?
何せ、不器用でくそ真面目な性分で、熱血にお釈迦様の教えに従おうと思うが故に行き過ぎて壁に打ち当たる、の繰り返しです。

有り難し 97

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