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「仏教全般」問答(Q&A)一覧

何故戒名をもらったら仏教徒になるという認識は誤りなのですか?

お世話になっております。 柴田秋です。 以前、こちらで葬式をあげてほしくないという質問をいたしました。 戒名をもらった時点で仏教徒になるのが嫌という理由を上げましたが、それは誤りとの指摘がありました。 戒名とは法号のことであり授戒の証、すなわち仏門に入ることのはずですが、何故、戒名をもらうことが仏教徒になるということではないのですか? 少し長いですが、それでも、詳しい経緯をお知りになりたい方は下記をご参照下さい。 http://hasunoha.jp/questions/5942 予想される答えとしては「私はすでに仏教徒である」ということと思います。 一度も同意したことはありませんが… 私が嫌いなのは仏教だけではなく、宗教全般なので、特別仏教がどうのこうのというわけではないので、ご理解ください。 ただ、ガウタマ・シッダールタや、イエスや、ムハンマドなど、一人の人間の言葉の元に集まった集団が起源なのが特に嫌という感じはあります。 神道に言及しているのは、少なくとも私は宗教ではなく、神話扱いしているという理由です。 ギリシャ神話、ローマ神話、ゾロアスター教、それから、特に好きというわけではありませんが、エジプト神話あたりは、私に対して「無害」なので、別に嫌いというわけではありません。

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浄土の信徒とお不動さん。

いつもお世話になっております。 あるお坊さまから、阿弥陀仏さんとお不動さんでは教えもお誓いも全く違う事も伺いました。(阿弥陀様は、「すべて受け入れる」、お不動さんは「阻む物を追い返す」) 私の関わって来たお坊さま方はそれぞれ、 「左手の縄でもって無理やりにでも仏道に引き入れる」、「仏道を妨げる物を追い払う」という対極的な教えを説いています。 私は浄土宗の人間なので、あの寺の職員はお不動さんの教えにのっとって 「畑違い、出て行けや!」 的な行動をとったのかとも思いました。 遠い昔に法然上人が感じた肩身の狭さを知り、「女は成仏できない」と説かれていた事も知りました。 ですが、どうも私はお不動さんがその様な悪い神さま?には見えません。 あの細めた左目が、悲しそうに泣いているように見えるんです。 人によってはご気分を害してしまう様な質問かもしれませんが、 お不動さんはどんな想いを抱いて私たちを見ているのでしょうか。 国内の浄土宗寺院にも、不動明王をお祀りしている所があると聞きました。 なので余計混乱しています。 くだらない事かもしれませんが、 ご教授のほど、よろしくお願いいたします。

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「蜘蛛の糸」について

私は、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という作品が、昔からいろいろに解釈できて、ずっと不思議に思っていました。 最初に読んだとき(子どものとき)は、 ①カンダタは莫迦だなあ、自分ならきっと、みんなと力を合わせて、みんなで極楽にたどり着くのに と思った ちょっと時間がたって(思春期) ②どうせ私もカンダタと同じだろう、きっと誰でもエゴが勝ってチャンスをだめにしてしまうに違いない と思った またしばらくして(反抗期) ③お釈迦様って何様なんだ!(お釈迦様だけど。)教養もなく悪人として生きてきたカンダタを、カンダタが成功しそうにない極限状況で試すなんて。助ける気なんかもともとないじゃないか、この話に正解も救いもないじゃないか と思った また少しして(青年期) ④カンダタが蜘蛛の糸を見ても登ろうと思わないくらい達観していたら、もしくは落語の江戸っ子のように、「一度地獄に落ちた身分の自分が、いまさら蜘蛛の糸などにすがってたまるか」と居直っていたら、お釈迦様は確実にカンダタを助けていたのかも と思った そして今(中年期) ⑤芥川が絵本として子供向けに書いた以上、一周回って、①の子どもらしい慢心(カンダタを通した戒め)が作者の意図した一番素直な読ませ方なのでは とも思う そこで質問です。 カンダタが確実に極楽に上がるためには、どうすればよかったのでしょう。 回答者陣のお坊様方は、自分の仏教に関するすべての見識や体験をふまえたならば、助かりたいカンダタに何とアドバイスしますか? それともこれは、カンダタはどうやっても助からないというお話なのでしょうか? その他、この作品に対してどう解釈しますか?

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仏教に関する知識を得る方法について(正法眼蔵の読み方等)

坐禅を始めて2年ほどたちました。当初、気持ちいい、リフレッシュする程度で通っていたのですが、ある時、坐禅ってそんな程度じゃない気がして、仏教に強く興味を持ち始めました。 知識を得ることも行を行うことも大切だといわれます。そこで迷ってしまったのですが、仏教に関する書籍はすさまじい数だし、歴史もあるだけに書かれている内容も様々だし、知識を得るとしてもどこから手をつけていいのか分からなくなってしまいました。何冊か読んでみましたが、言葉が難しかったりで遅々として進みません。 行についても知りたいのですが、今回は知識を得る方法(+仏道)についてお尋ねします。 ・仏教に関する用語集等があるものなのでしょうか。古語辞典等も活用するものべきでしょうか。 ・書籍等より経文を理解すべきなのでしょうか。 ・現在曹洞宗のお寺に通っております。正法眼蔵を始めて読むには、どう手をつければよいでしょうか。 ・宗派にこだわらず、これは!というものがあればお教えください。 ・最後に、仏道とは結局どういうことでしょうか。心がけなのでしょうか。結果として名づけられるものなのでしょうか。 漠然としていて申し訳ありません。全く分かっていないことに改めて気づいて、何とか前進したいと思っています。何卒よろしくお願いいたします。

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本を読んでみて

法話集を求めて 近くの書店へ行ったときに、 読んでみたいなぁと思う本がありましたので 購入してさっそく読んだのですが、 書かれている内容は、 なるほどなぁ、ありがたいなぁ、 これからはこういう風に 生きていきたいなぁと前向きになれたり、 仏教についても理解が深まったり、 素敵な本だったのですが、 亡くなった人は仏様になったのだから 食べ物に好き嫌いはありません 故人の好物をそなえるのは 供養とは真逆の行為です、 仏様になったということを 信じていないことになります。 とか 仏様になった故人に、 手紙を書いても声は届かないし読めない 故人との思い出を綴ることは良いが 手紙を書くのはすすめない、 と言う内容のことが書いてありました。 他の内容はとても素敵なのに 自分がしている行動と違うからか、 どうしてもこの2つが気になります。 著者の方の考え方を否定しているわけではありません。 仏教の中で、このように考えるのか、 それとも著者の方が、このように考えておられるのかがわからず、混乱しています。 日本語がおかしいですかね、すみません。 わたしの理解力が足りないのかもしれません、 失礼なことを申し上げているかもしれません。 ですが、このモヤモヤをはっきりさせたいです。何かお言葉をいただけたら、と思います。 未熟ですみません。

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真の仏教信仰とは

去年11月に母から絶縁されそうになって相談した者です。あれから何とか母と関係修復できそうな雰囲気になりました。ありがとうございました。 その母なのですが、以前から「鬼子母神」を名乗る拝み屋なのか占い師なのか分からないような人を頼って色々と相談しており、その人の言うことを信じ切って行動するので私も弟も困惑しています。 例えば、母は去年初めに急性腸炎になった後、雪道で滑って足を骨折してしまったのですが、その拝み屋の人に見てもらうと、母の父(祖父)の二十七回忌法要をきちんとしてほしいという訴えだと言われたそうです。祖父の二十七回忌法要はすでに一昨年に祖母の三回忌法要と一緒に行ったのですが、母はその拝み屋の人の言う通り去年の3月に改めて行いました。 しかし、その後も母は去年4月に初期の胃がんが見つかり手術しました。その後も調子が良くないと言って、またその拝み屋の人の所に行って相談すると、今度は母が自分の実家の仏壇ばかり世話をするので、今の家(婚家)の先祖が怒っておりケンカになっているため母に災いが起こると言われたそうです。私は正直その話を母からきいた時に呆れてしまったのですが、母は真剣に受けっとって、毎日家の仏壇にご飯や季節の果物やお茶を欠かさずにあげているのにこれ以上どうしたらいいのかと私に言います。 私は母に、拝み屋の人の言葉をあまり否定しないように気をつけて、母の身体がずっと調子が悪いのは65歳の定年までずっと働きづめだったから、身体が少し休みたいと言っているのではと優しく言ってみたのですが、母本人は「だってそう言われたから」と今までと同じく私の言葉は届きません。 母は昔から神社仏閣を何より重んじており、その事自体は全く問題がないと思うのですが、その拝み屋の人の言うことをまるで神様仏さまが言っているように思うのはどうなのだろうと思います。その拝み屋の人にお礼として高額ではないにしろ渡しているのも気になります。 母に本来の仏教信仰を理解してもらうにはどうしたら良いのでしょうか。 本来であれば檀家の寺のご住職に相談すべきなのかと思いますが、母は身の上話をご住職にするなんてとんでもないと考えているようです。 仏教の本も渡してみましたが効果なしでした。何か良い方法があればご教示いただけますでしょうか。

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仏教における障害者の立場

いつもお世話になっております。 大変に唐突な質問でございますが、 仏教の世界では、障害者、無職者はまさに「障害」、「邪なる存在」なのでしょうか? * 以前にご質問した「お寺」での非礼行為に対する苦情を申し上げたのですが、依然、一部の職員さん(お坊さんは改心してくださった模様)が、いわゆる「客を見る」ような態度で接してきます。 他の寺務さんやお坊さんたちは普通なのに、その人たちの所作を見ると、「あぁ、もしかして本当は…」 と疑心暗鬼に陥ってしまいます。お護摩の時の願意の唱和?で、 「一心祈願、就職成就~!!」 と言われたり、祈祷後の短いお話も、嫌味にしか聞こえなくなるときがあります(苦情を述べる前に、私が書いた絵馬の内容を軽く引き合いに出された事がある) ちなみに宗派は新義真言宗です(「もしも」が恐いので、詳しい宗派はあえて書きません) * 私は発達障害を持っており、その影響の為か、時折ズレた行動に出てしまいます。それでも周囲に迷惑をかけないように心がけており、 就労支援にも通っているし、手帳の取得も考えています。 なので余計悲しいです。 素敵なご縁、素晴らしい教えのおかげで私自身の生活にも光が差し始め、祈りと感謝の喜びを噛み締めている所なのに…… 真実をお教えください、よろしくお願いを申し上げます。

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仏教に依存するのは、よくないことですか?

先日は客観的かつ優しさに溢れたご回答を、ありがとうございました。 辛さがぶり返した時に読んで励みにしています。 泣いてばかりの時もありましたが、今はとにかく前に進もうと、転居の準備を進めています。 hasunohaで、自分と似た悩みを抱えた方へのご回答を拝見するうちに、仏教のことがもっと知りたくなりました。 そして、生き方など普遍的な悩みを持つ方へのご回答や、人生を穏やかに過ごすヒントになるようなご回答を探して、読むようになりました。 いくつかは画面を保存させていただいて、時々読み返しています。読むたび、少しほっとします。 読書が好きなので、お坊様の書かれた本や、手塚治虫先生の「ブッダ」を読んだりもしました。とても感動し、腑に落ちる内容でした。 ありがたい教えに触れているうちに、私の今までの人生は、執着と寂しさにまみれていたと気づくことができました。 手に入れたいものが多くて、ガツガツ努力して、認められても不安で、環境を恨み続けて…という生き方に、疲れている自分を見つけました。 お坊様のお話に触れているうちは、一人でも生きてていいんだよ、無理しなくても大丈夫だよ、と言ってもらえている気がするのです。 凝り固まった考え方が、少しずつ変わりつつあるのを実感していますが、同時に、私は仏教や、お坊様の教えに依存しているのではないか?と不安が出てきました。 日常でも、人と接する時、フッと辛さが出てきた時、仏教の事を考えます。皆様のお言葉を思い出して心を鎮めています。 他にも書店で関連の本を探したり、近くのお寺を探したり、ネットで用語を調べたり、日常の中で仏教のことを考える時間がかなり増えました。 仏教を知ることで、自分が救われる気がしてならないのです。 周りからの評価や、恋人の存在に依存していたのが、仏教に依存先が変わっただけなのではと思ってしまって、お坊様のありがたいお話を読んでいても、苦しくなってしまうんです。 仏教の考え方に依存するのは、いけないことでしょうか。執着にあたるのでしょうか。 長くなってしまい恐縮ですが、ご教示いただけますと幸いです。

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