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仏教に関する知識を得る方法について(正法眼蔵の読み方等)

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坐禅を始めて2年ほどたちました。当初、気持ちいい、リフレッシュする程度で通っていたのですが、ある時、坐禅ってそんな程度じゃない気がして、仏教に強く興味を持ち始めました。

知識を得ることも行を行うことも大切だといわれます。そこで迷ってしまったのですが、仏教に関する書籍はすさまじい数だし、歴史もあるだけに書かれている内容も様々だし、知識を得るとしてもどこから手をつけていいのか分からなくなってしまいました。何冊か読んでみましたが、言葉が難しかったりで遅々として進みません。
行についても知りたいのですが、今回は知識を得る方法(+仏道)についてお尋ねします。

・仏教に関する用語集等があるものなのでしょうか。古語辞典等も活用するものべきでしょうか。

・書籍等より経文を理解すべきなのでしょうか。

・現在曹洞宗のお寺に通っております。正法眼蔵を始めて読むには、どう手をつければよいでしょうか。

・宗派にこだわらず、これは!というものがあればお教えください。

・最後に、仏道とは結局どういうことでしょうか。心がけなのでしょうか。結果として名づけられるものなのでしょうか。

漠然としていて申し訳ありません。全く分かっていないことに改めて気づいて、何とか前進したいと思っています。何卒よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人の機根に応じて色々な切り口がありますが、

>用語集等が
家庭に1冊レベルでは『岩波 仏教辞典』、本格的な辞典では通仏教なら中村元『仏教語大辞典』、禅なら駒澤大学編『禅学大辞典』、重要ワード解説は水野弘元『仏教要語の基礎知識』が定番です。
ただ、受験英語のように辞書を引きながら一語一語口語訳できたから分かった!というものではない所がミソです。その意味では用語集は必要ないかもしれません。

>書籍等より経文を
仏典に三蔵があります。経・律・論です。経はお釈迦さまの言葉をまとめたもの。律は規則集。論は経の注釈書です。経は覚えることを重視し、詩の形に整形手術をしていますので、実は言葉足らずなものが少なくありません。同じ事を繰り返してばかりで、巻数の割に結論のみで、途中の計算式を書いていなかったりとか。その穴を埋めるのが論です。

だから経をキッカケとして論を読みたい。正法眼蔵のようなお祖師さま方の著書は広義の論です。しかし論はさらに輪をかけて難しいわけです。↓で二通りの読み方をご紹介しましたが、
http://hasunoha.jp/questions/15129
難しい方の読み方は提唱本というジャンルの本を手に入れないと読めません。しかしほとんど市販されていませんし、数行にウン十分かけて読んで結局分からない事がよくあります。

じゃあどうするか?お坊さんの法話を聴いて頂きたいと思います。お寺に行ければベストですが、CDでも有ります。私のソシャゲ回答のゾンビのくだりですら、↑のリンクと同じメッセージから書かれています。法話とはそういうものです。あるいはお坊さんが書いた読み物やhasunohaもオススメです。

そして仏道というものが分かってから経論を読むと、スーッと入ってくる…
現代の本だってITとか医学書とか専門的な本を読んでも、国語としては読めても何を言っているのかチンプンカンプンですよね。逆に大意が分かっているから読んで分かるのです。

>正法眼蔵を始めて読むには
読まない方が良いです。私のゼミの恩師は「卒論で正法眼蔵をしようと思ったのですが、正法眼蔵を読むためにはまず華厳経を理解しなければならない。しかし華厳経を30年やっても全く終わりが見えない」とおっしゃっていました。
お寺の和尚さんに師事し、縁あらば読み、縁来たらざれば保留にしておきましょう。

>仏道とは結局どういうことでしょうか
仏道とは生活です。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み) 最近YouTubeを...

知識を得る方法に関してだけ…。一助になればと思います。

拝読いたしました。

知識を得る方法に関してだけ書かせていただきます。

こだわりがなければ、「悟りの階梯」などから、理解されると仏道がわかりやすいと思います。到達地点を知っておくことは修行の一助になると思います。

悟りの階梯とは、悟りには4つのレベル(段階)があるということです。

簡単に書きます。
詳細は下記のアドレスを見てください。

第1の段階は預流果(よるか)
達すれば十結
【五下分結と五上分結を合わせ十結】
(輪廻に縛り付ける「束縛」としての10の煩悩のこと)
の(五下分結)内の3つの結、
「有身見」「疑」「戒禁取」が滅します。

第2は一来果(いちらいか)
達すれば、欲、怒り、無知の3煩悩が弱まる。

第3は不還果(ふげんか)
達すれば、五下分結が滅す。

第4は阿羅漢果(あらかんか)
達すれば、残りの五上分結が滅す。
最後の禅定の「滅尽定」に入定できる。

詳しくはこちらをご覧ください。
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html

また関連して禅定について学ばれてもいいかもしれません。
(禅定に囚われてもいけないという意味で、その状態を知っておくことが大事)

色界の禅定
①初禅(第一禅)
②第二禅 
③第三禅 
④第四禅

無色界の禅定
⑤空無辺処 
⑥識無辺処 
⑦無所有処 
⑧非想非非想処

⑨滅尽定

禅定の詳細
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta3.html

また坐禅についてはこちらが参考になるかと
http://antaiji.org/ja/dharma/
http://antaiji.org/ja/dharma/okumura-mind-and-zazen/

最後に…
もしかしたら知識は坐禅や修行の邪魔になるかもしれません。
あまりこだわり過ぎないように精進なさって下さい。

合掌

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皆様のお悩みを聞き、お答えすることで、 苦しみが少しでも和らいでくれれば...

所有モードと存在モード

拝読させていただきました。

ある曹洞宗の老師の受け売りですが…、

仏道とは、存在モードで生きることだと思います。

私たち人間には、「存在モード」と「所有モード」がコインの裏表のように備わっていて、大体の人が所有モードしか知らないまま人生を終えていきます。

所有モードとは、自分が手に入れることに価値を置くモードです。お金や車、家などの物質的なもの、知識や考え方、性格などの精神的なもの、技術的なものや、家族などもそうです。これらを持ち物として認識すること。
ですが、これらを所有という認識でいると、苦しみに変わります。「失いたくない」という苦しみ。そして最後には「私の命」を失いたくない、という苦しみの中で死んでいくことになります。

一方存在モードは、そこに価値を置きません。存在しているだけで満ち足りているという状態です。そこには「私のもの」とか「他人のもの」とかいう分別がありません。「もっともっと!手放したくない!」という執着もありません。「私」と「他」に境がありません。全てが私で私が全ての世界観です。これは「所有モード=思考モード」にはない世界観です。

存在モードとは「感じるモード」のことだと思います。感じるモード全開のときは、思考はありません。

この2つのモードは、冒頭でいったように、コインの裏表です。どちらか良くてどちらかが悪いという話ではありません。どちらかを切り捨てるということもできません。どちらかが表のときはどちらかが裏で控えるということです。

所有モードしか知らないと苦しみの世界です。
存在モードだけでも人間社会を生きていけないんじゃないかと思います。

存在モードにしっかり支えてもらいながら、便宜上、所有しながら生きる。決して所有に重心をかけないで生きる。

もしくは、かたち上、所有しながらも、存在モードで生きる。

…というのが仏道として生きるということだと、私は思っております。

曹洞宗だと、藤田一照老師、井上貫道老師の本がいいんじゃないかと思います。お二人とも別の角度から真理を言葉にされています。

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若輩者ですが、宜しくお願い致します。

お勧めの本を思いついたので、遅ればせながら回答します

こんにちは。曹洞宗僧侶です。

 私は、お寺の息子のくせに、仏教学部を出ておらず、サラリーマンになってしまっていたので、お坊さんになってから(本山修行後)、きちんと勉強をしなくては思い、週に一回東京に行かせてもらい1年間駒澤大学仏教学部の聴講生として経典や正法眼蔵について勉強させてもらいました。
 その後、地元で井上貫道老師による正法眼蔵を読む会をあることを知り、それに参加し引き続き勉強をしました。
 正法眼蔵については、詳しい人の助けがなくては正しく読むことができません。また大学の講義でも週1の講義で1年に3巻くらいしか進むことができませんでした。ですので、ご縁があれば参究されると良いと思います。
 経本についても同じです。

 仏教について学びたいと思ったら、まずはお釈迦様の伝記を知ると良いですね。伝記に仏教のエッセンスがちりばめられています。手塚治虫の「ブッダ」というマンガがあります。お釈迦様の伝記ですが、手塚氏による創作の部分もありますので注意が必要ですが、マンガですので読みやすいと思います。

 尚、タイトルに書いた、私のおすすめの本とは、角田泰隆著 禅のすすめ-道元の言葉
https://www.amazon.co.jp/dp/4140841591
です。以前ラジオ講座をやっていて、その時のテキストを本にしたものです。このラジオ講座を聴いていた頃の私は、全くの初心者でしたが、このラジオ講座を通し、仏教(特に曹洞宗)について様々な事を知ることができ、また仏教にさらなる興味をもつことができました。

 最後の「仏道とは何でしょうか?」ですが、大慈師のおっしゃる通り、私も生活そのものだと考えます。
 
 どうぞご精進ください。

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・曹洞宗/静岡県/50代 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、...

質問者からのお礼

今回、初投稿でこんなにも早くこんなにも丁寧な回答をいただけるとは驚きました。また、先を歩いてくださる方がいることがとても心強く感じました。お答えを拝読させていただき、単純なのですが、何だかすっきりして、やる気になっています。これから、ますます迷いまくるとは思いますが、楽しみながら迷いきってみたいと思います。
取り急ぎの御礼ではありますが、本当にありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

仏教とは?

こんにちは。私はとある信仰宗教の元信者です。その宗教ではその宗教のお経を毎日よんで、法名といわれるものをおさめ、つどいと称される会合に参加し、弥勒山という山に登ります。勧誘してきた人は私の20年来の付き合いのある方で、その信仰宗教をとても心から信じていました。しかし、私はこの信仰宗教に違和感を感じていました。職場の方に話してもら辞めた方が良いという回答でした。また、旦那が私には居ましたがその宗教を毛嫌いされ、彼の親族にも激怒され縁をきられてしまいました。私は今実家で幸せに暮らしています。仕事も頑張って居ます。勧誘された方は癌で若くして亡くなりました。彼女は最後までその宗教を信じていましたが、私も彼女もそのお経を毎日読みましたが、私は離婚し、彼女は命を失いました。これのなにが幸せなんでしょうか。私には弟が居ます。まだ若くこれからどうなるか分からないですがきっと結婚するだろうと思います。義理の妹は果たして私の事を理解してくれるかと不安になり、檀家になってるお寺のお坊さんに相談しました。その方は瞑想会をしていて、瞑想すると涅槃の境地に近づけるとの事で、私は毎日するようになり、瞑想会にも参加するようになり、元の信仰宗教は辞めたい。と彼女の旦那さんや支部長に言って辞めさせていただきました。しかし、彼女には本当にお世話になったし、お経を読まないと瞑想出来ない脳になってしまったので、辞めてもお経は読んでいるし、彼女のお墓にお墓参りに行こうと思っています。信仰宗教で出会った方々とはまだLINEで繋がっています。このままいくとまた、戻ってしまうかどうか心配です。私は幸せになりたいからやってるんではありません。ただ、お墓参りして、お経読んで、瞑想して、線香あげて。私は仏教なんて全然知りません。お経の意味も分かりません。でも、これから勉強したいと思います。信仰宗教であげてるのは簡易なもので独自の解釈がされていて本質ではないと思います。瞑想の檀家のお寺のお坊さんも良い方ですが、わたしが涅槃までいけるかどうかは分かりません。こんな私は社会から見ておかしな人間なのでしょうか?仏教ってなんなんでしょうか?お経読む事でしょうか?墓参りする事でしょうか?瞑想する事でしょうか?私は宗教を理由に仕事休んだ事はありません。信仰宗教勧誘は一度しかやった事がなく、家族からも止められてるので今はやってないです。

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最後の言葉「ありがとう、また会おう」

長文で失礼致します。 急ぎの相談ではありませんので、お時間のある際にお話いただければ幸いです。 もう1点、伺いたいことがあるのですが、お坊さま方もお忙しいと思い、別の機会にさせていただきます。 父親のいなかった私たちを、親代わりになって育ててくれた祖父が先日他界しました。 母や叔父と叔母にとっては、優しくも厳しい一面もある父親だったそうですが、孫全員には優しく頼もしく接してくれて、「いい思い出」しか残っていません。 ここ数年は持病が悪化し、コロナ禍ということもあり、楽しみにしていた大勢で食事を楽しむ機会を設けれなかったことだけは心残りです。 入院先の配慮で、最後にお話をする機会があり、駆けつけた祖母・母と叔父・叔母、孫全員と話をすることができたのが幸いです。 「遅くまでいると迷惑がかかる」と祖父に促され、亡くなる前日の別れの際にかけられた言葉が印象的でした。 「じーちゃんが死んだ後、コロナが収まったらな、ばーちゃんに会いに行ってやってくれ」 最後まで祖母を思う優しさ、そして。 「ありがとう……また、会おう」 この言葉は、もしかすると生きて会えるのは最後とわかっていて、「来世」でまた会おうという意味だと私は受け取りました。 葬儀をお願いした元々ご縁のあるお寺のご住職も、「今の別れは、ゆくゆくは浄土で再会するまでの一時的なもの」とお説法をされていたので、受け取り方は違ってなかったのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

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回答数回答 1

初めて知った事に対して、怖いです

三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫。三虫(さんちゅう)三彭(さんほう)伏尸(ふくし)尸虫(しちゅう)尸鬼(しき)尸彭(しほう)ともいう。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。 日本では平安時代に貴族の間で始まり[1]、民間では江戸時代に入ってから地域で庚申講(こうしんこう)とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待をする風習がひろまった。 道教では人間に欲望を起こさせたり寿命を縮めさせるところから、仙人となる上で体内から排除すべき存在としてこれを挙げている ウィキペディアからコピーさせていただきました。 こちらの文章を読んだ上でご質問させていただきます。 質問ですが・・、本当に3匹の虫が体の中に入っているのでしょうか? とある小説でこのような事を知りました。 正直、今までこんな事知らなかったので、怖いです。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられと wikiに書かれていますが・・・、 寝ないで1日越した方がよいでしょうか?あまりいい気分がしないので教えていただけると嬉しいです・・。 お坊さんの方々もこの日は何か特別な事はやってらっしゃるのでしょうか?

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