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「仏教全般」問答(Q&A)一覧

仏教の教えを忘れなければいけませんか?

(編集部より、こちらの質問は利用規約により一部変更しています) 私には、13年前に知り合った男性がいます。 お互い離婚経験ありでしたが、優しく、明るい彼にひかれ生活を共にするようになりました。 彼の家は〝ある宗教の分会〟です。知り合った当初、彼は教会長を継ぐ気はなく、私の住む県へ越してきました。そこで、9年近く一緒に暮らしました。 ところが、彼の母親や兄弟から、そろそろ後を継いで欲しいと話がありました。 彼は悩みました。けど、彼は、母親に悲しい思いをさせたくなかった。 彼は、後継者になることを決め、実家に戻りました。彼からは、『今後も付き合って行きたい。できれば、家に(他県)に来てほしい』と言われました。 悩みに悩んで3年後の昨年の春に、この家に来ました。再婚したのです。〝無理に信仰しなくていい〟〝徐々に覚えてくれればいい〟と・・・そんな言葉を真に受けて。 ところが、私以上にこの宗教に納得していない彼。もともと、ここの後継者になりたくなくて私の居る他県に行った(逃げた?)くらいですから。 私自身、48年、仏教の家で育ち、信心深い両親に教えてもらった、しきたりや教えを、変えて行く事はつらいです。 この宗教では、お盆やお彼岸も関係ないし、ひたすら神様や、その宗教の創設者(?)の教えを毎日毎日唱えて、月に一度家でお祭りみたいな事をして、信者さんがお供えをしてゆく。 信者さんと言っても、ほんの数人・・・しかも身内。 この家には私と、その彼、彼のお母さんの3人で住んでいます。ほんの数人の信者さんからのお供え、しかも、そのほとんどは、上級(?)へのお供えになります。 なので、私も、働かないと、食べては行けませんので、働いています。しかし、毎月、決まった日にちに、儀式を行うため、休まざるを得ません。 彼は、身体が丈夫ではなく、頻繁に入院をしています。 後継者になったこと、こんな家に産まれてしまったこと、とても悔やんでると良く言ってます。しかし、簡単には辞める事もできず、毎日苦しんでます。何度、心入れ換えようと頑張ってるようですが、納得できない事ばかりに嫌気までさしてるようです。 お母さんは、とても信仰熱心です。だから、余計に辞められないと。 正直、私も、この生活苦しいです。自分の納得していない思想を無理に替えてなんかいけません。 それとも、完璧に洗脳(?)され、彼の力になれば、彼もまた楽になるのでしょうか?

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大乗の三宝について(なぜ『仏』なのか)

どうもこんばんは。 いつも皆様には質問をお答えいただき感謝しております。 今回は大乗仏教の三宝について質問があります。 ブッダ入滅後の原始仏教や上座部仏教での三宝は、 仏=釈迦牟尼(ブッダ) 法=ブッダの教え(ダンマ) 僧=僧団(サンガ) と思います。 大乗仏教の三宝では、 仏=本尊 法=ブッダまたは本尊や宗祖(または高祖や太祖)の説いた教え 僧=僧侶(ここは色々と議論の余地はありますが) であると認識しています。 今回の質問はご本尊についてですが、ニュアンス的に本尊は『仏』ではなくて『法』に思えるのですがいかがでしょうか。 例えば、大雑把に言うと 阿弥陀如来(アミターユスとアミターバ) それぞれ無限の光と無限の寿命の体現 大日如来・毘盧遮那仏(マハーヴィローチャナ・ヴィローチャナ) 宇宙の真理の体現 内容から見ると大覚者というよりは真理そのものではないかなと考えてしまいます。 大乗のマハーパリニッバーナスッタンタ(大般涅槃経)では三宝一体常住不変説があるから、『仏』で良いのだというのは理解が難しいです。 どういう流れでご本尊は三宝の『法』ではなくて『仏』なのでしょうか。 マハーヤーナ(大きな乗り物=大乗)に掛けて、木造の手漕ぎの小舟しか知らない人が大型豪華客船(鉄船)を見ても船と『認識』しませんが、変化の過程を理解すると鉄でも浮いて自動で走るのが理解できるかと思います。 ここは私の知識欲だけの話で、問題が解決してもしなくても自分の苦を滅することには関係いたしませんが、どうかご教授の程宜しくお願い致します。

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護鬼佛理

こんばんは。 話が長くなるかもしれませんが、お付き合いくだされば嬉しいです。 ずばり、①ここにいらっしゃるお坊さまは家中のゴキブリにどう対処なさいますか。②また蚊はどうですか。 例: 殺虫する、生け捕りにして外へ逃す、全く気にしないので放置 加えて、ゴキブリに対するその対応について、既婚者の方は、③奥さまも同じように対応なさいますか。 こんな質問をするに至った経緯を説明しますと… 私の住んでいる県ではうちわまきがあり、蚊に対しても不殺生、というエピソードを何度と聴くうち、「そうか、蚊も生きているのだものな」という事実を認識するようになりました。 私自身は仏教徒かと問われれば甚だ疑問の残る、なんでも信じる人間ですので可笑しな話ではあるのですが、なんとなく、蚊を叩き殺したりすることに葛藤が生まれ、ただ払うことが多くなってきたのです。(※肉食するのでそもそも論でいえばなぜそんな不徹底なことをするのか意味がわからないですが…) そしてつい最近、同じ県内に"護鬼佛理天"(ごきぶりてん)なる神様の像があることを知ってしまいました。なんでも、害虫駆除の被害にあった虫を供養するためのようです。さて、ここで、蚊もゴキブリも虫であり、理論でいえばゴキブリも殺さずにおくべきなのでしょう。とはいえ、やっぱりどうしても無視できないのです。同じ場所にいると考えるだけで嫌悪感が募ります。自分で殺虫できればまだいいのかもしれないですが、あろうことか、自分で手を下すのが嫌なので(単純に怖いというのもある)誰かに殺してもらっている、というのもなんだかひっかかります。自分の手は汚さずに…という感じで精神的にはひどいな、と思います。 訓練すればゴキブリすら無視できるようになるのでしょうか…。 さて、宣言通り長くなりましたが、質問は上にあげさせていただいた通りです。お坊さまたちとそのご家族は一体どんな意見をお持ちなのか伺いたいです!お手隙のさいにでも回答をいただければ幸いです。よろしくお願いします。 ここまで読んでくださり有難うございました◎

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