正見正思がどういうものかこちらのサイトで教えていただいたのですが、つい自分の価値観や判断を挟んで見てしまいます。 最悪なのは、そういった価値観や判断を挟んで見ているということさえ気づけずそれに囚われてしまうこも非常に多いです。 お坊さんは正見正思をどのようにおこなっていますか?やり方を教えてください。
食事をする前に、よく 「この牛肉はきっと死にたくなかっただろう」 「このネギだって刈り取られて死なずに種を作りたかったのではないか」 「食べるのが私で申し訳ない」 と、食べられるものについて考えます。 また、物を捨てる時も 「私の都合で捨ててごめんなさい」 「今までありがとう」 と、捨てられる物に思います。 それから、絵を描く時にも 「大変な手間で画材を作ってくれてありがとうございます」 「拙い私に使われてしまってごめんなさい」 と、画材やそれを作った人達に思います。 そして、それらの間、手を合わせています。 ありがたい事があった時に祖母が手を合わせていたのを何となく真似ているのだと思います。 私はあまり仏教や、手を合わせる文化について知りません。 このような時に手を合わせるのは、変だったり、何か良くなかったりはしないでしょうか。 感謝などの気持ちを表す動作として、私が良かれと思ってやっている事が本当はとんでもなく悪い事だったらどうしようと不安に思っています。
子どもが、1月から仏教の幼稚園に通っています。 近所にあり、評判もいい幼稚園が、たまたま仏教で、宗教には特にこだわりはなく、入園させました。 私自身、仏教についても、ほとんど知識が無いので、失礼な質問になってしまうかもしれませんが、幼児期に仏教に触れることで、どのような点がいいのでしょうか? それぞれの幼稚園で、違いはあると思いますが、教えていだだけると嬉しいです。 ちなみに、子どもは、最近になって、手を合わせて、深々と頭を下げながら、「おしゃかさま、おはようございます。」ってやるんだよ!と教えてくれるようになりました。 家ではなかなか見れない、真面目な表情が親としては可愛く、なんだか、いい影響を受けているのかなぁ、となんとなく、感じています。
はじめて質問させていただきます。こんにちは。げんげんと申します。 私は昔、おじいちゃん・おばあちゃんっ子で、自分でいうのも何ですが、小さいうちから蝶よ花よと大事に大事に可愛がられていました。 そんな祖父母も、私がまだ学生だったうちに3か月程度の間をおいて相次いで亡くなり、昨年7回忌を迎えたばかりです。 とくに祖父は92歳で亡くなる前、90歳くらいまでは元気いっぱいで畑まで一人で作り、何を言っても怒らないような、人に慕われる好々爺を画に描いたような人でした。 亡くなる前、本当は大好きなのに、あれだけ元気だった人が弱っていくところを見るのはなかなかに怖くて、ベッドの上の手を握れなかったのをよく覚えています。 亡くなった後から、じいちゃんはこんな人で、ばあちゃんはあんな人で、と、もう何年も経つ今でも、少なくとも月一回は食卓の笑い話に上がります。 夢にも見ます。なんだか取り留めのないような話をして、そういえばじいちゃんはばあちゃんはもういないんだったっけなぁと思い出しながら目が覚めます。 さて、私は仏教徒ではないのですが、私が入っている宗教では、亡くなった人は現世に写真があったりすると、それだけでとらわれたりするから、棚の中に裏を見せて隠せとか、そんなことを言うのです。 でも、私はじいちゃんのこともばあちゃんのことも、忘れたくない。じいちゃんのお化け沼の話とか、もっとたくさんしたい。 いやいやでも、向こうに行ってから、何年たっても私たちにとらわれつづけていたら、じいちゃんもばあちゃんも可哀そうだ。亡くなる前に手も握ってくれなかった孫に、笑い話にされるなんて、迷惑かもしれないし。 私たちがこちらで何か、祖父母について語るたびに、写真を動画を見るたびに、宗教のせいか、それとも自分の中にあるなにやら決まりかで、祖父母に要らぬ引き留めをしているのかも? …と、思ってしまうわけです。 亡くなった後の世界は、私にはわかりません。お坊さんなら、わかるかなぁ。そんな願いを込めて質問させてください。 おじいちゃんとおばあちゃんは、向こうで今、昔みたいに夫婦仲よく、楽しくやれていますか?私は迷惑をかけていないですか?
初めまして。 私はすごく仏教に興味があります。 お寺・神社・仏像等々、前々から興味はありまして「ぶっちゃけ寺」の影響だったりここ何年かの悩みもあり、仏様に救いを求めたいという事なのかもしれません。 ただどのようにして足を踏み入れて良いのか分からず、まずは何か仏教関係の本を読みたいなと思っているのですが、色々な種類の本がたくさんありどれから手をつけて良いのか分かりません。 初心者が読んでも分かる入門書の様なものはありますでしょうか?? よろしくお願い致します。
禅に興味を持ち始め、禅に関する本などを読んだり、このサイトにもよく見にきます。 こうして仏教と触れていくうちに、自分の雑念などそういったものに振り回されないような生き方を身に付けたいと思うようになりました。 しかし、だんだんとその雑念というものを振り払うというのが、自分の大切な感情を無視しているように思えてならなくなり、何か大事なものを見落としてしまいそうな気がしてしまうのです。 なんともまとまらない文章になってしまいすみません。一体どうしたら良いのでしょうか
(ー人ー) 仏縁の定義を教えてください。 よろしくお願いします。
仏ゾーンという、少し昔の少年漫画をご存知でしょうか。 簡単に説明すると弥勒菩薩の生まれ変わりの女の子のもとに、千手観音のセンジュ君が現れ一緒に悟りの旅に出るというバトル漫画です。 宗教の問題で打ち切りになったとか噂されますが、実際の所は多分違います。 しかしそれでも、お坊さんとしてはああいった仏様を主人公にした漫画をどう思われますか?罰当たりでしょうか。 私は仏様に対して「カッコイイ!!」と思ってしまう、信仰とはちょっと違った好きという感情を持ってしまった仏教マニアです。(もちろん有難いとも思う。) 仏様を主人公にした漫画は大好きで、有名なみうらじゅんの仏教趣味にもいいなぁ、と思います。 しかし、これは仏様に対する冒涜なのではないか?という思いもあります。 だって、煩悩を断ち切ってくれる仏に煩悩が止まらないのですから。 そういった仏教趣味にお坊さん達はどう思われるのでしょう。 また、もし許してくださるなら「これだけは気をつけろ」というマナーを教えてくださると嬉しいです。 蛇足、仏様は有難ければ有難い程にカッコイイと思うのです。
黄檗宗について調べているのですが、参考資料が少なく中々進みません。 寺院関係者ではない一般の人の書いた本で、黄檗宗についてのオススメの資料をいくつかご教示願えませんか。 手に入りにくいものでも構いません。高いものでも大丈夫です。ただ、20世紀以降に書かれたものでお願いいたします。
聞きかじりの知識なので正確さを大きく欠いている可能性が御座いますがご了承下さい。 仏教においては輪廻転生が唱えられてはおり、目指すべきは解脱であるため、本来仏教に天国や地獄といったあの世観は存在せず、日本内での布教の際に付随したという話を以前聞きました。 しかしいざ調べてみると、仏教にもあの世観(前世、来世での意味でなく、天国や地獄の意味で)は存在しているという記述を見つけました。 実際に仏教ではどのように考えられているのでしょうか? また、仏教の成り立ちや変遷について学べる読み物が御座いましたらお教えください。
私は仏教系の学校に通っておりまして学校でいただいたブレスレットのように常につけておける数珠を常につけているのですがその一つが欠けていました そういうものがかけるというのは何かの予兆とかいろいろ聞いたことがありますがどうなんでしょうか? また、高校時代も同じ数珠をもらっていたのでそれを最近引き出しから見つけ2つ数珠をつけていたのですが数珠は1つにしておくべきでしょうか
お世話になります。 お題目の なむみょうほうれんげきょう と、 なんみょうほうれんげきょう の違いを教えてください。
お寺の雰囲気や、そんなに詳しくは無いけれど仏像が好きで、時々京都の街を徘徊❓しています。 写経をしたり、とにかくあの空気が大好きなのですが、あちこちの宗派が入り混じってしまって、ふと、いいんだろうか……❓と思ってしまいます(-。-; 気にし過ぎですか❓
この前はいいへんじをもらい誠に有難うございます。 この前の話と言っても夢の話で そのこの前の話の内容がじいちゃんが夢に出て来てお前は足を壊すからあの世に連れていくと言われました。 するともう一回じいちゃんの夢を見て、じいちゃん本体は出てきてないんですけど父さんが急に自分の部屋に上がってきて父さんもおなじ夢を見たってゆったんですよそうすると父さんよりも速く階段をおりようとすると変な力で体が浮いて見たことのない縄が天井につけられてて、首をつったんですよ 死んだじいちゃんに殺される夢を2回見てしまってこれはおかしいぞと思って書きました。 いいへんじをまってます。
私は特に何かの宗教、宗派に属している訳ではありませんが、初詣などは神社に行くし身内のお墓はお寺にあるし、クリスマスは何となく特別な感じがしてケーキを買ってきます。 こういう状態は海外の人には驚かれるみたいですが、お坊さんから見ても変なことだとかけしらかん!と思うのですか? 私は正直あまり宗教は詳しくないですがそれぞれの考えを聞くとなるほど、と思うこともあってどれか一つに絞って信じるのは出来そうにありません。これっておかしい、いけないことですか?
こんにちは 初めて書きますので漢字とか間違ってたら暖かい目で見てください。 初めてなんでどうしたらいいのかわからないんですけど、最近祖父をなくしたばっかででも特に祖父とは別々に暮らしてていつも日曜日になると介護しに行ったんですけど昨日その祖父が夢に出て来てこう言われました。 お前は近いうちに足を壊すだから連れていくと言われ、こわくって体が震えてますこれはどうしたらいいんでしょうか間だ死にたくありません。どうかいい答えを待ってます。
お世話になっております。 私はクリスマスを大々的に祝う国に住んでおり、SNSを見ると友人たちの家族団欒の写真やらプレゼントへの感謝の言葉やら、はたまたシンプルに祝福の言葉やらが飛んできて、思わず頬が緩みます。かく言う私も日頃お世話になっている道場の師匠や仕事の同僚からプレゼントやカードをいただき、本当にありがたく思います。 さて、感謝や祝福、笑顔の一日であるクリスマスですが、皆様はどう過ごされているのでしょうか。「クリスマスもまた一年のうちの一日に過ぎず。そもそも毎日が感謝と慈愛に満ち溢れているので、特に祝う必要もなし」というのも理解できますし、「キリスト教の祝日なので管轄外です。うちはいつも通りです」というのも納得できますが、もし特別な日と捉えていらっしゃるのなら、少しお話いただければ幸いです。 不躾な質問で恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
ツォンカパと龍樹の勝義諦 世俗諦についての解釈の違いは何でしょうか?
仏教は、人が苦しむのはあれこれ考えるからで、解決策として何も考えなければ苦しみはないよという教えなのですか?
松本史朗氏は『チベット仏教哲学』に於いてツォンカパを称賛される一方で、 「縁起説を擁護するツォンカパでも、縁起よりも無自性を重視し過ぎてしまった事により、 論理的矛盾から逃れられなかった。」(意訳) と仰っておられますが、果たしてツォンカパの論理的矛盾とはどういう物でしょうか?