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「仏教全般」問答(Q&A)一覧

家中の人形を毎日拝むのは良いのでしょうか?

同居のお姑さんが、家にある人形を毎日拝みます。 商売繁盛や、家族を守ってください、など拝むそうです。 (拝み対象の人形&置物は8体くらいあります) そんな人形は、どこかから買ったり お土産で貰ったりしたもので、かなり昔からあるようです。 狐の置物、大黒天、謎の中国の女性人形、色々あります。 毎朝、結構長い時間をかけて拝んでいます。 自分たちで作った七福神も拝んでる時は拝みます。 我が家には神棚が二つあります。 といってもミニチュア神社みたいなあの木のつくりものは置いていません。 神棚の一つには大黒天のお人形が座っており、神社のお札はその後ろに二枚ほど。ここも拝んでいます。 二階の義両親の寝室の神棚には、また別の神社のお札が二つ。 ここも拝んでます。 玄関には近所の神社のお札。 これも拝んでます。 ・・・・正式な神棚や仏壇がないのに 大丈夫なんでしょうか・・・ さらに、我が家には仏壇はありません。 一応、浄土真宗らしいのですが、お坊さんが来たことはありません。 義父母は長男長女ではありません。 しかし、両方のご両親のスナップ写真を置いた 仏壇代わり?のようなコーナーがあり そこにお菓子などをいつもお供えします。 貰う場合は拝んで「頂きます」をします。 ここも拝みスポットです。 なんだかぐちゃぐちゃでわからないのですが これってどうなんでしょうか・・・・。

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母子関係、仏教での捉え方は?

私は40代ですが、小さい頃、こわいことがあっても母にくっついているだけで安心したことを、いまだに覚えています。 「母は万能、母が守ってくれるから安心」という感覚を経て、人はこの世に対して安心感を抱き、成長していくのだと思います。 ところが今の母を見ていると、あれほど万能に見えた存在がまったく万能ではなかったのだということがよくわかります。自分の安心感が、こんな未熟な存在一つに左右されていたのかと思うと、複雑な気分になります。 そして、私自身が幼児の母です。子どもがわたしにすがってくると、もちろん抱きしめて安心させてあげます。でも内心は、自分自身がちっとも安心していなかったり、マイナスのことを山ほど考えていたりするも多々あるんです。 要するに子どもは、私の演技を見て安心し、この世はいいところだと思い、満足しているわけで・・・。 こんなに未熟な私なのに、こんな私を見て安心感を培っているなんて。 馬鹿馬鹿しいとまではいいませんが、虚しいです。茶番劇に感じます。世の中のことがわからなくなってしまいました。 こうしたことについて、仏教の教えではどのように捉えているのでしょうか。 ご教示いただけると助かります。

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仏教団体の慈善活動について教えてください

先日は相談にお答えいただきありがとうございました。 ところで、皆様にお伺いしたいのですが、仏教系の組織・団体で慈善事業・活動をされているところはあるのでしょうか?また、私のような特定の宗派の門徒・檀家ではない一般人が参加できるような活動をされているところはあるのでしょうか? というのも、現在、とある本の影響で始めたのですが、少額ですが毎月一定額を募金して、貧しい国の子どもたちを支援する、というのやっております。これは、キリスト教系のNGO団体が行っている活動で、かなり昔から行われているとのことで、ここなら信頼出来ると思って始めました。 もちろん、貧しい人、困っている人を少しでも助けられるのであれば、どこの組織だろうと宗教だろうとそんなことは問題ではないとは思います。しかし、自分の宗教観に合う組織を通して募金が出来るのであれば、その方がいいなとも思います。 ちなみに、私は、実家が浄土真宗(本願寺派)の門徒で、個人的にも幼い頃から慣れ親しんだからか、浄土真宗が親しみやすいです。と言っても、これまで何かの活動に参加したという経験は全くありません。毎月、祖父の月命日にお坊さんがお経をあげに来てくださるのを、後ろで正座して聞いていたくらいで、あとは本で詠んだ程度の知識しかありません。 皆様には、特定の組織・団体について発言されるのは、お立場上難しいこともあるかもしれませんが、参考になるサイトなど自分で調べる方法をお教えいただければと思います。よろしくお願い致します。

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宗派にとらわれない仏教思想の学び方について

10年ほど前、職場やプライベートの過度なストレスから パニック障害→鬱となり、仕事ができない状況になって職を離れました。 それまでは、フルタイムでバリバリ働き帰りは終電、 帰宅後や週末も時々在宅や出先で別の仕事をかけ持つなど 無茶もしていた時期もありました。 それくらい動けていたのが突然何もできなくり、愕然としました。 投薬治療で少しずつ動けるようになってきたものの、未だに完治とならず 相変わらず波がありゆられながらギリギリで過ごしています。 それまでの様な生き方、暮らし方はもう出来ない状況です。 そんな中、自分の生き方を振り返りながら、 ふと子供の頃から生き辛さを感じ続けていた事に気づかされました。 そこで、色々と勉強(通信制で通学もある大学で)を始め、 数年前に(明治維新以降ではなくそれ以前の仏教の考え方)仏教の 教えに触れる事ができ、そこから色々と(亀の様な歩みではありますが) 物事の捉え方を修正できてきている実感ができるようになってきました。 授業だけでは物足りず、参考文献など少しずつ読みながら独学を進めております。 最近は、どこかのお寺で勉強会などがあるなら行ってみようか? と考えてみたりするようになりましたが、 宗派にとらわれずにお坊さんから学ぶ術はないのだろうか? という疑問が湧いてきております。 今後学んで行くために何か良いアドバイスがいただければ幸いに存じます。

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