ここにいらっしゃられる、とあるお坊様のwebサイトを読ませて頂いている者であります。 以前、私の仏教哲学への偏見や誤解が過ちであったと気付かせて貰う経験をさせて頂いた時から、 より仏教、特に原子仏教の教義への関心を持ち始めたこの頃であります。 最近では某様のサイトを読ませて頂き、私の様な凡夫でも僅少ながら仏教哲学や用語などの意味を把握する事が出来ました。 某様には本当に感謝しております。 勿論ネットでは知る事が出来る情報が限られていますので、これからは原本や学術書を読まなければならないと思っております。 最近、世俗諦即勝義諦が最終的基体(dhātu)を思想に含むという可能性がある、 という記事を見かけ大変困惑している次第であります。 具体的に世俗諦即勝義諦が最終的基体をどういう風に含むのかという解説は記述されておりませんでしたが、 私のような素人にしては訳も分かりません。 「空」による徹底的な実在否定が為されてきた中観思想の教義の頂点とも言えるべき勝義諦に、 果たして絶対的な実在・自相を持つ本質体としての最終的基体(dhātu)を思想に組み込む余地があるのでしょうか? また、如来蔵思想と非常に近しい阿頼耶識・唯識思想でも最終的基体(dhātu)を想定しているのでしょうか? 私は皆様の様に粉骨砕身する程仏教について勉強した事の無い矮小な若造でありますし、 正直この様な質問をさせて頂く事にさえ抵抗を感じました。 本来なら身を削る思いで体得する知識を、ネットで安易に答えを求めると云う怠慢こそ煩悩の一つでは無いかとさえ思われます。皆様の仏教について勉強する上での指針、心構えという物を教授願っても宜しいでしょうか?
皆様はなぜ、仏教の道を志したのでしょうか。 もしよろしければ、教えていただけないでしょうか?
みなさまには基本的かと思われる質問ですが、お許しください。 仏教で言われる三昧とはなんでしょうか?詳しく教えてください。 その定義はあるのでしょうか?条件とか? また、それに至るための修行がありますか? 修行があるならばそれはどういったことをするのですか?
素朴な疑問をさせていただきます。 仏教では西の極楽浄土に阿弥陀如来、東の浄瑠璃世界に薬師如来が居ると言われていますよね。 しかし卯の方角を文殊菩薩、酉の方角を不動明王が守るというような教えもあるようで、調べてみました。 守り本尊というものが決められているそうで各方角ごとに守っている仏様がいるようです。誰がなんのために決めたのかわからないのですが、仏様を信仰するにはこんなことまで信じないといけませんか?
私は昔からライバルがいる方が頑張りがきくタイプでした。受験勉強の時などは友人と点数を比べ合って競いあうことで、最後までモチベーションをキープすることができました。 しかし、仏教ではあまり他人と比べたり、競争心を持ったりすることは奨励されていないというイメージがあります。 たしかに他人と比較する事で、自分も他人も傷つける事がある、という事は私自身が身に染みております。 でも、他人と比較し競争心を持つことは人間の成長過程ではやはり必要な気がします。仏教では競争心の利点については認めていないのでしょうか?
はじめまして。唯と申します。 私はクリスチャンの両親に育てられ、 形ばかりですが、洗礼も受けました。 今は、教会に行くことも殆どありませんが、 子供の頃は、 クリスチャンとしての躾を受けました。 何か悪い事をすれば、お説教され、 どんなに悪い子だったかお祈りをさせられて、 それからお仕置きを受けました。 好きな物を食べる事を禁じられたり、 外出禁止や、時にはとても痛い思いもしました。 事の善悪を教えて頂いた事には感謝しています。 年齢的に、自分で自分を律する立場になった時、 気が付いた事がありました。 それは、 自分が犯した罪を告白し赦しを乞う事はしても、 十分な『反省』が出来ない、しない、と言う事です。 お仕置きされて、お仕置き嫌さに悪い事をしていなかっただけだと、気付きました。 牧師様に尋ねても『祈りなさい』と言われただけでした。 機会があり、ほんの少しですが仏教の教えに触れる事がありました。 『慚愧』について聞いた時、 益々、反省の出来ない自分に落胆し、それから、 どうしたら反省の出来る自分に変われるかを、 考え続けています。 仏教における『罪』の意味や、『反省』するための考え方など、教えて頂けないでしょうか? 宜しくお願い致します。
わたしは、子どものときに、藤原道長様が亡くなられる前に、五色の糸を手に繋がれて極楽浄土へ旅立たれていったという話を本で読んで、わたしも死ぬ前に、五色の糸を手に繋いで、極楽浄土に旅立ちたいと願うようになりました。 そこでお尋ねしたいのですが、五色の糸にはどういう意味があるのですか? すごく知りたいです。 よろしくお願いします。
私は虫が生理的にどうしても苦手です。しかし、人間の技術では蟻一匹も造れないという事を考えると、自然の驚異を感じます。そして、虫さんもすごいよね、尊い命だね、と自分に言い聞かせて、何とか恐怖心を和らげるようにしたりもします。それでも虫恐怖症は克服できませんが^^;、、、。 45億年前にはこの世が太陽と塵だけだった、というような話を聞いた事があります。私には科学的な知識が無く、創造論や進化論についてもよく分かりませんが、とにかく何かしらの大きな力の導きが無ければ、たとえ45億年たったとしても、今のような地球や植物、動物、人間は生まれていなかっただろう、と思いました。私のような考えを持つ人は多いような気がします。 このような考えを持ったのはカトリック系の大学に通っていた頃、神父様のお話に影響を受けたというのもあります。私はクリスチャンでもないし、キリスト教でいうような唯一の創造主=神が存在するだろう、と考えているわけではありません。しかし、唯一ではなく複数だとしても、この世にはなにかしらの人知を超える大きな意志が存在して自然をつかさどり、その大きな意志が地球やそこに住む生物を作り上げたのではないだろうか、と漠然と思っています。だから八百万の神というのもなんとなくしっくりきます。 仏教では創造主の存在は説いていないと聞いたことがあります。しかし、宇宙と地球、そしてそこに息づくあらゆる生物が生まれるように導いた存在について、仏教でも何らかの解釈がされているのかどうか、知りたいです。もしくは、皆様はどのようにお考えでしょうか?
友人のものを3つ盗んだ。 嘘癖がある 過去にペットを虐待した(今では可愛がっていますが) 欲しいものが尽きない 等問題が尽きない私でも天国に行きもう一度人間に生まれ変われるのでしょうか。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1363235543 これを見てから死んだ後の事を想定し恐くて居れません。 来世に反映されるだけという話もありますよね?
十年ほど前に、作家の玄侑宗久さんの般若心経の解説本で、初めて仏教的な物の見方を知りました。 息苦しい日々に、涼しい風が吹き込んだ様な気がしました。以来、少しでも仏教的な悟りや心の安心に近付きたく、仏教書(仏教関係のエッセイなど)を読んだり、座禅に通ったり、欲を捨てる事を心掛け、諸行無常、諸法無我を心に留めてきましたが、相変わらず心弱く、煩悩に振り回され続けてます。 心の安心を仏教から得るには、どのようにしたら良いのでしょうか?座禅会では、座っていれば自然に気付くと聞きましたが、何も分かる気がしないのです。信仰ではなく考え方としてしか仏教を見ていないからでしょうか?
あるセラピー系の本を友人に頂き、読んでみました。心を浄化させる、というようなタイトルの本です。 この本には 「今を生きる」「ご縁にまかせる」「善悪をはっきりさせない」という内容の話もあり、なんとなく仏教の教えに似ている感じがしました。類似の本はたくさんあるようですが、この本は全体的に読みやすい本でした。 ところで、その本の中で気になる文章がありました。「自分の心に愛を注ぐことで、あらゆる想いを溶かし、想いを成仏させる(思いを光に返す)。」というような内容の文章です。 読んでいて心が安らかになる感じがしたのですが、いまいち、ピンとこない部分もあります。 「自分の心に愛を注ぐ」、「想いを溶かす」、「想いを成仏させる」という考えは仏教にもある考えなのでしょうか? あるとすれば、どのように解釈できるのでしょうか?
「往生」の対語は「輪廻」でしょうか。 浄土真宗での往生が往相回向の果とすれば、対語は還相回向の果に相当するものだと思いますので、「輪廻」ではその果を表してはいないようです。
仏の教えを感じさせる日本の歌(JPopでも童謡でも演歌でも構いません)ってありますでしょうか? 歌のタイトル、アーティスト名、できればその歌を象徴する仏語を教えていただけますと聴く際の参考になります。
仏教の教えの貪瞋癡の癡についておしえてください。 貪は欲で、瞋が怒り、欲と怒りは仏教を知らない人が聞いても意味がわかると思いますが、癡の無知がよくわかりません。仏教の無知とはどう言う意味ですか。
一人息子が33歳の若さで自殺をしました。 自分なんかが生まれてこなければ息子もこの世に生を受けることもなかったし、当然のことながら自殺することもなかったと自分を責め、 心のよりどころを模索していました。 もともと父が熱心な浄土真宗の信者でしたから、私は仏教に興味を もっていました。そんな時、浄土真宗の仏教講座のチラシがポストに 入っておりました。 そこには入場無料で一回限りとあったので行ってみたのですが、お布施を取られ、月に1~2回やっていて、さらに仏教を学びたいなら 親鸞学徒になることを勧められました。それには入会金5万の会費3千円が必要とのことでした。 お布施なら謝礼として自由意志でできますが、月3千円と決められているのは納得がいきません。 月に1~2度、仏教講座に行くことも難しいし、どのようにして 仏教を学んだらよいのかまた親鸞学徒の入会金・会費は適切だと思われるかをお聞きしたいです。
はじめまして。 近頃仏教に興味が湧いてきました。そこで悟りを開くために自分も何か修行しようと思い、どのように修行をすればいいのかを知りたくなりました。 今はまだ出家する気はないので、出家せずにする修行法を教えてください。 スポーツも年々新しい効率的なトレーニング法が考案されますが、仏教にも最新式の修行法などがもしあれば教えていただきたいです。
私は、日本の仏教についてとても興味を持っています。 そして、仏教についてもっと、いろいろ知りたくなりました。 そこで、仏教についての分かりやすい本はありますか? おすすめ本を教えてください。
こんばんわ。このサイトに出会い自分のモヤモヤの正体がわかり、心もち変わりつつあります。相談にお返事いただいた皆さまのおかげです。ありがとうございます。 私は日記をつけたり、メモしたり物を取りおいたりして暮らしてきました。 しかし、目の前のこと、見たこと、聞いたことに暮らしていくということは、不要なものは、不要。暮らしやすくしていくことが見えてきました。 この考えで合っていますか? 私はこの際、きちんと暮らしから直していきたいのでどうか教えてください。
精神疾患や人格障害などで責任転嫁や攻撃をしてくる人と信頼関係を構築しなければならない場合、お坊さんはどのような姿勢で関わりますか?
くだらない内容で申し訳ありませんが 少し気になったので質問させていただきます 昔小学生の頃、お寺でお坊さんと母達が話しているときに 「この子は蓮の花を持っている」と私にむけて言われたそうです 私はその時の事を覚えてないので なんて話してたのか忘れてしまったのですが…… 蓮の花を持っている、とはどんな意味なんでしょうか? こんな質問で本当にすいません、 暇な時にでもご回答お願いします。