回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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これを仏縁にするのがあなた
どんな事もすべて縁。
「縁」でないものはない。
今や時代はシビアで¥(円)でなけりゃ、関われないものも多いですが、関われなかったという事を学ぶのもまたご縁。あ、当サイトは無料、無¥です。有り難し。
縁は永遠に続くからエンドレス。
何もしなくとも、自分が色々なものと関わり合っているから、裸の王様もビックリな縁ドレスをみんながまとっている。
永遠にエンエンに続くもの。
縁は関わり、つながり、きっかけ、作用、条件、働きかけ。
私がこうして答えればそれがまた誰かの働きかけになり、何かが変わる。
ただし、仏縁とは、ただの関わり合いではない。
その人をして、正覚、悟りに導く縁でなければならない。
故に、自分を苦しめ煩悩や過剰な自己意識を薄めて、より良い安楽な心に導くもの。
それが仏縁と言えます。
濃度の薄い仏縁はお寺でのお詣り。
濃度の濃い仏縁は当山の坐禅会でやっているような提唱、法話。ズバリ人をして、思いの世界から抜け出させて、無為無我の仏心に導くもの。
それが濃縮された仏縁です。
さて、今度は私からあなたに質問。
今日は節分。
赤オニとは怒りや恥じらい、嫉妬の気持ち。顔が赤くなることを言う。
青オニとは恐れや不安、ネガティブな気持ち。顔が青ざめる事を言う。
そのあなたの心の中の鬼を、一生よりつかないように追い払うにはどうすればよいか。
それを考えなさい。
それがあなたをして仏(正覚者・悟りを得るもの)に導く確実な仏縁となる。
あなたにとっての仏縁が何か。それが最高の答えだ。
「縁なき衆生は度し難し」
あかり様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「縁なき衆生は度し難し」・・
仏教、仏法を学び修するご縁が無ければ、悟り・涅槃へと至れるのは難しいという内容の言葉でございます。
「仏縁」とは、「仏様の教えを真摯に学び修する機会・機縁」になるのではないかと存じております。
仏教では、この世における全てのモノ・コトは、因縁(原因と条件)に依りて変化し、無常であると考えます。
確かなる因縁が調ってこそにおいて、様々な結果が出る、またその結果も何かの因や縁となりて、更に結果へと至る、更に・・ということにて、悟り・涅槃も、悟り・涅槃へと至るための因縁無しでは、至れることはありえないものとなります。
「仏縁」を確かに、悟り・涅槃へと至るための因縁をしっかりと調えていくことが大切になります。
特には、
因=「堅固なる菩提心の発心」
縁=「智慧と福徳(方便・功徳)の資糧」
が必要になるかと存じます。
仏様と供に、皆と供に、悟りへの因縁をしっかりと養って、悟りへと至れるように頑張って仏道を歩んで参りましょう。(供養)
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
様々に広がる仏門に同じく、私の心も広がりました。
(ー人ー)南無妙法蓮華経。