自分は霊魂の存在を信じています。自分は科学的な合理主義者ですが、そうであるがゆえに霊魂の存在を逆説的に傍証してしまっている具体例を知っているため、かえって霊魂の存在を信じるようになりました。 それはそれとして自分はどうしようもなく他者とコミュニケーションがとれない状況・環境にいるため、できるだけ早めに自殺しておきたいのです。これはもう結構どうしようもない状況で救いはありません。ですから自殺した場合、できる限りこの世に未練等を残して霊魂のような形で留まるようなことにならないようにしたいのです。このまま生きていてもますます他者に対する(主にマイナスの)執着が強まりそうですし生きていて楽しいと思ったことはほぼありません。むしろ悪事を為して日本人に対してせいせいするくらいです。ゆえにどういう心構えで死ねばできるだけ霊魂として現世に残った時にすぐに消滅できるのか、その方法を知りたいです。思うに大昔の仏教修行者も悟りを得るとか輪廻から解脱するとかそういう虚妄に思える話は別にしても少なくとも個としての霊魂はすぐに消滅したように思え、楽に消えることができたと思うのです。 自分は生きる気力もなければ他力本願も望めません。ゆえに今すぐ消えて楽になりたいのですがどういう心構えで死ねばよろしいでしょうか?手前勝手な相談をして申し訳ありません、どうかよろしくお願いします。しかしほとほと人生に疲れているのです。少子化にかかわらず10代の自殺者の数が増えているようですが、今なら彼らの気持ちが深くよくわかる気がしています。能天気に生きられる大人とは全く違う別の思考というか、悪い意味での才能というか、その内面を理解できたような気がしています。
私は現在、児童養護施設で生活をしています。私含め6名の高校生が寝食を共にしているわけですから、当然、私人間の争いも勃発します。 きっかけは、僕が誤って他の方の洗濯カゴを取り込んでしまったことでした。失敗に気づいて彼に謝罪して返したときに、全員が見ている前で「お前みたいな新人に人権があると思うな。死ね」という内容のことを大声で言われてしまいました。 それから、私がご飯を食べているときに大嫌いな下ネタを聞かされたり、私が寝ている部屋の前にスピーカーをおいて夜中に爆音を鳴らして起こされたりと、こういった嫌がらせを何十回と繰り返されております。 相手が歳上なこともあり、反論してはいけない、責任は自分にある、と考えて耐えてきましたが、日を重ねるたびに嫌がらせはエスカレートし、私はストレスから一日に2時間程度しか寝付けない状態まで追い込まれ、数日前に遂に爆発してしまいました。 今、私は「生きとし生けるものは皆全て仏様より生を受けた、尊い存在であるのに、他人を強く非難する言葉を使ってしまった...」と罪悪感に苛まれております。 どうすれば、他人を広い慈悲の心で受け入れ、相手の幸福を祈れる人になれるのでしょうか。 他人を忌み嫌う心は、身の回りに様々な悪いことを引き寄せてしまうはずです。どうか、これ以上ことが悪い方に行かぬよう、早急に回答を頂きたく思います。 長文失礼しました。
高校生なのですが最近ふと疑問に思うことがありました。 戦争などで仕方なく、強いられて人を殺してしまう場合は大罪になるのでしょうか? あの世で裁きを受けるのでしょうか? 現在ウクライナ戦争やイスラエル戦争が勃発しています。 多くの善良な市民が徴兵令で戦地に出向いていると思います。 ネットで色々調べると僕と同年代くらいの子まで徴兵されていました。 銃の使い方を教わっていました。 またブラジルやメキシコ、ハイチなど劣悪な環境によって殺人が日常茶飯事、モラルが一切通用しない地域も沢山あります。 実際とあるサイトいわゆる(グロサイト)で人を躊躇なく殺してる動画が大量にあります。 地域が記載されてるので調べるとどれも中南米でした。 そういう地域で生まれ育ち罪の意識がないまま殺人を行う、これも大罪なのでしょうか? こういった自分の意思じゃなく強いられてそれに逆らえず犯す罪、罪の意識、概念が完全になく犯す罪、いずれも大罪なのでしょうか? 回答よろしくお願いします🙇♂️
自分はクリスチャン家庭で育ちました。天の父(神)とキリスト(神の子)を信じれば救われるという教えで日々祈り、聖書を学ぶということを約12年間続けて高校生である時ふと疑問に思うことがありました。 仏教もイスラム教もヒンドゥー教もキリスト教もどの教えも悪ではなく善を教えていて、どの教徒も疑うことなく自分の信じたモノに誠心を捧げて真摯に向き合っているのにどれかが答えで他はアウト、地獄に落ちる、罰をくらうというそんな酷いことあってたまるのだろうかと。 ましてや生まれつきの環境もあるだろうし、出会い方もそれぞれだろうし、無宗教もいるだろうし、そんな一つのものに答えがあるのなら世界人口の三分の二以上は落ちるのではないかと。 母に言及すると跳ね除けられてキリストを信じれば救われるの一点張りです。 牧師にも言及しましたが『信じないものたちは終わりの日(キリスト再臨の日)に悔い改めるチャンスがある。信じなさい』と言われました。 個人的にはそれがすごくショックで幻滅しました。 そこで自分は宗教というものから一旦離れて自分なりに解釈してみました。 この地球を一種の魂の試験場だと考えて良い行い(人に感謝されること)をし、肉体的にも精神的にも人として成長し、全うして生きれば魂ポイントが上がって皆等しく天国に行き、当分そこに留まった後また輪廻転生し、悪を働けば魂ポイントがマイナスになりその回収として地獄で訓練的なものをする(借金状態)、回収後は輪廻転生。 そしてこれを繰り返して魂ポイントがある一定数貯まると次のステージ(4次元とか5次元)でまた訓練して魂レベルを高めて最終的のゴールとして神(世界の創造主)と一体化もしくは神に近づく、という結論に至りました。 御先祖様、守護霊様の存在は固く信じてます。 ぜひ僕の考えについてご指摘あれば伺いたいです。 またお坊さんとしての解釈、回答者様自身の解釈を聞かせていただきたいです。 最近この事でムヤムヤしてろくに眠れてないです…。
ここ最近、立て続けに身内に不幸がありました。 曾祖母が老衰で亡くなり、叔母が突然死しました。 それから、死んだ後の闇を想像してしまって、とても怖いです。死んだ後に何もなくなってしまうような感覚が怖くなりました。 「何もすることがない」「今もっているものが全てなくなってしまう」みたいな気持ちになります。突然、想像していた未来がブチッと真っ黒になってしまう感じです。 みんな死の恐怖とは戦いながら生きるのだと思いますが、ふと頭によぎってしまい、限られた人生を無駄にしてしまっている気もします。最近、寝ても寝ても寝た気がしません。 考えるのをやめようと思っても、気づいたら宇宙規模のことまで考えて、何もなくなってしまうんだと、勝手に気分が落ちてしまいます。 少し前から気分に波があるのですが、このように落ち込んでしまったときは、何をしたり考えたりすればいいのでしょうか。
はじめまして。 わたしはタイトル通り死や病気に対しての恐怖心がとても強いです。 そのことについてお坊さん方のお考えをお聞かせいただきたく投稿いたしました。 わたしは様々な体調に関する不調があるとすぐにネットで調べて不安になり、病院にかけこみます。 医師から様子を見ていいと言われても『もっときちんと調べてもらった方が良かったのかもしれない』とまた別の病院を受診することもたびたびあります。 家族は『本当に心配性』『そんなに気にしてどうするの』『なったらなったで受け入れるしかない』と言いますし、私も頭ではその通りだと理解はしています。 しかし、病気になって、しかも余命宣告を受けるようなものだったらどうなってしまうのだろう。 自分がそうなったらその状況に耐えられるはずがない。 死んだらまだ幼い子ども達はどうなるのだろう。 そう思うと、病気が怖くて仕方がありません。 実際に婦人科系の疾患で経過を診ていたり、別のことで手術も経験しました。 さらには悪性を疑っての生検をしたこともあります。 子供がいるのに、そのたびにネットで調べ、この病気だったらどうしようと最悪の事態を考え、まだ病気と言われてもいないのに暗い表情で最低限の家事しかせずに落ち込んでしまいます。 主人にも、そういう性格だから仕方がないと思っているけど、子どもに対しては無理をしてでも明るく接して欲しい言われています。 病院受診が続いても主人は何も言わずにいてくれますが、私自身この考え方を変えたいと思い今まで本を読んだりいろいろな方法を試しました。 いまを生きる。 先のことを思い悩まず、目の前の一瞬にかける。 現にいまこの時も私なんかよりもっと若くもっと幼くして病と闘っている人もいるのだろうと思うと自分の心の弱さが情けなくなります。 頭ではわかっているんです。 でもすぐに不安感情がその上に覆い被さるように乗っかってきてしまいます。 この先も自分だけでなく、子ども達も体調を崩したりするたびに毎回こうなるかと思うとこの考えを断ち切りたいのです。 何に対しても、私は理屈っぽいと思います。どうしてそう思うの?その根拠は?とつなげてしまうところも災いしていると思うのですが。 そんな私が、少しでもどん!と腰を据えて何があろうと例え重病になろうが運命だったと受け止められるようになるアドバイスがありましたらよろしくお願いいたします。
人は死んだらどこに行くのですか?地獄に堕ちるのですか。
自分はクリスチャン家庭で育ちました。天の父(神)とキリスト(神の子)を信じれば救われるという教えで日々祈り、聖書を学ぶということを約12年間続けて高校生である時ふと疑問に思うことがありました。 仏教もイスラム教もヒンドゥー教もキリスト教もどの教えも悪ではなく善を教えていて、どの教徒も疑うことなく自分の信じたモノに誠心を捧げて真摯に向き合っているのにどれかが答えで他はアウト、地獄に落ちる、罰をくらうというそんな酷いことあってたまるのだろうかと。 ましてや生まれつきの環境もあるだろうし、出会い方もそれぞれだろうし、無宗教もいるだろうし、そんな一つのものに答えがあるのなら世界人口の三分の二以上は落ちるのではないかと。 母に言及すると跳ね除けられてキリストを信じれば救われるの一点張りです。 牧師にも言及しましたが『信じないものたちは終わりの日(キリスト再臨の日)に悔い改めるチャンスがある。信じなさい』と言われました。 個人的にはそれがすごくショックで幻滅しました。 そこで自分は宗教というものから一旦離れて自分なりに解釈してみました。 この地球を一種の魂の試験場だと考えて良い行い(人に感謝されること)をし、肉体的にも精神的にも人として成長し、全うして生きれば魂ポイントが上がって皆等しく天国に行き、当分そこに留まった後また輪廻転生し、悪を働けば魂ポイントがマイナスになりその回収として地獄で訓練的なものをする(借金状態)、回収後は輪廻転生。 そしてこれを繰り返して魂ポイントがある一定数貯まると次のステージ(4次元とか5次元)でまた訓練して魂レベルを高めて最終的のゴールとして神(世界の創造主)と一体化もしくは神に近づく、という結論に至りました。 先祖様、守護霊様の存在は固く信じてます。 ぜひ僕の考えについてご指摘あれば伺いたいです。 またお坊さんとしての解釈、回答者様自身の解釈を聞かせていただきたいです。 最近この事でムヤムヤしてろくに眠れてないです…。 母親とも不仲状態です。
ネットで検索した限りでは、魂を消滅するには悪いことをたくさんしないといけないそうです。 地球上には戦争をしている人もたくさんいるけど消滅していないので、少しくらいの悪事では魂は消滅しないでしょう。 悪いことをせずに解脱ではなく完全消滅する方法を教えてください。 私の魂を作った仏であれば必ずできるはずです。 来世以降で地獄に落ちたり虫に生まれ変わったりする可能性が少しでもあるなら今生で終わりにしたいと思います。
いつもお世話になっております。 私の友人が、病気になりました。私は代参として、ある不動尊寺院に 行きました。顔見知りの職員さんがいたので、その事を話しました。 「私も病気だから、二人とも病気になっちゃったなあ」 と言いかけたら「私も病気だから」まで言いかけたところで、食い込み 気味で 「自分を病気だど思うな。甘えが出る」 と早口で言われました。私はショックでしたが、波風を立てたくなかった ので 「個性だと思っています」 と笑顔で答えました。 そのあと精神科で、心理士さんと話し合って苦情を言うことに しました。カウンセリング後の診察では、心理士さんから報告を受けた 主治医の先生が、 「人の苦しみに寄り添わなければいけない立場の人が、どうして こんな事を言う」 と驚いていました。 「こんな人の言うことは、聞き流せるようになろう」 と助言されました。 診察後、お寺に電話をして、 「私が持つ発達障害という病気は、脳のホルモンの機能不全です。 放っておけば、普通の人が何も感じない場面で、強い恐怖感から 動けなくなるなどの支障が、日常生活に顕著に出ます。それを軽減 するために服薬し、考え方を明るくするためにカウンセリングを受け、 大勢の人の中でも落ち着いて振舞えるように、リハビリを受けています。 リハビリが一番しんどいですが、必要なことだと思って受けています。 もし、『病気を受け入れる=甘え』という認識をお持ちなら、考え直して いただきたいです。病気は受け入れることで、治療や社会復帰に向けて 動いていくのです」 とお伝えしました。 対応してくださった職員さんは、 「リケブツさんは前に比べたら変わった。頑張っているのがわかる。 彼は確かに酷い事を言った」 と平謝りしてくださいました。 翌々日、苦情を聴いてくださったお礼として灯明料を持って 行きました。 本山(そのお寺は本山の別院)にも確認したら、 「お不動様は、精神病の人を甘えてるなんて思いません」 とお坊様からお言葉をいただきました。 しかし、素直に受け取れません。優しい職員さんも多いですが、 本当は皆さんは、私がお寺に来てほしくないんじゃないか。と思って しまいます。 私は今まで参行した不動尊寺院全てで、お坊さんたちから 傷つく事を言われたりされたりしています。 …お不動様、私のこと嫌いなの?
単純な疑問なのですが、死出の山路を歩く人に眠気はくるのでしょうか?
もう何十回、何百回と回答されているテーマだと思いますが、相談させてください。 ここ数ヶ月の間、死が怖いという気持ちが離れず、夜も眠れないくらいです。 私は恐れているのは、死んだら無になる可能性です。 私は科学を信じている(盲信していると言ってもいいです)ので、人間とはただの物体で、感情も脳の反応だと思っています。 だから人は死んだらただの物体になると考えていて、それがたまらなく恐ろしいのです。 私は両親と暮らしていて、日々の生活に幸せを感じています。 しかし死んだら無になるとしたら、この幸せはどうなってしまうのですか? 両親が亡くなり、私も死んでしまったら、全てなかったことになってしまうのでしょうか? いずれ死んで全てを感知できなくなるのなら、この日々も無駄ということになってしまいます。 「一度きりの人生なら楽しめばいい」と思われるかもしれませんが、死んでしまえば「楽しかったな」とすら思えないのです。 それはいっそ生まれてこなかったとしても、結局は同じということになってしまうのはではないでしょうか? 全てに虚無感を感じてしまって、幸せを感じることすら怖くなっている状態です。 しかも死への恐怖は杞憂ではなく、絶対に避けられないという事実があります。 全ての先人が経験していることですが、どうやってこの恐怖と向き合ったのかがわかりません。 科学を信じている私が、今回ここに相談したのは、宗教的なものを信じたい気持ちはあるからです。 かつてお釈迦様も生老病死に悩まれていたと知りました。 その悩みから抜け出せる知恵が、仏教にあるのではないかと思ったのです。 仏教では死についてどのように考えていますか? お坊様は死を恐れていますか? その理由は何ですか? またお坊様は当然ながら仏の世界を信じていると思いますが、信じるに至った根拠や理由はありますか? 尚、両親も私も健康状態に問題はなく、死が差し迫った状態ではありません。(人生、何が起こるかわかりませんが) それでも両親との別れはいずれやって来ます。 私は自分がただの物体になるのも恐ろしいですが、両親が物体になるのはもっと恐ろしいのです。
荒唐無稽であることが望ましい話です。 標題の日時で検査すると、様々なところから滅びの予言がされていることがわかります。東日本大震災の三倍の規模の津波だとか核ミサイルだとかフィリピン沖だとか隕石だとか。事実無根と軽く扱うには根拠が重なりすぎていてどうしても軽視できません。そして私は「問題が起こる=解決できずに全てが崩落する」と強く感じているので、きっともう一年近くの命なのだなと感じています。 私はただ、痛みや苦しみから逃れられない物質世界で生きていたくないだけなのです。死ぬことよりも、死んだ向こう側で過酷な世界に生まれるのが恐ろしくて恐ろしくて仕方ありません。屠殺される家畜。逃げきれなければ捕食される草食動物。餌に釣られて毒殺される害虫。ああいやだ恐ろしいと思うのはいけないことですか? 生きることは恐ろしい。どう生きても自分より遥かに大きなものによって弄ばれて終わるこの矮小な身体が恐ろしい。脳味噌の誤作動と物質世界に永遠に閉じ込められているのが恐ろしい。そんなことを感じてはいけないのですか?苦しみを受け入れられるようにならなければいけないのですか?安心して生きてはいけないのですか?ガンジス川の濁流に飛び込んで疫病を得なければ救われないのですか?生き物の本来の姿とはどんなものなのですか? この時代のこの場所に生まれただけでものすごく幸運だというのに、その中でさえ上手く生きられなくて苦しんでいる私が、災害や大破局に直面した際に恨みを抱かず運命を粛々と受け入れられる気がしません。「だから生きるのは嫌だったんだ!だからこの世界は嫌なんだ!」と恨み憎しみの塊になったまま死んでしまいそうで、すなわち苦しい来世が確定しています。「今、ここ」に集中しようとしても、破滅のカウントダウンを感じるとそれどころではなくなってしまいます。未来が誰にも見えないのが恐ろしいと傲慢な感情を抱いてしまいます。 私が救いを信じられないのは、今までの人生において大いなるものの救いを感じられなかったからです。破滅の信憑性ばかりが高く、破局、混乱、絶望の未来しか待っていないと漠然と感じています。これらを否定したり適切な距離をとったりするには、あまりにもこの世界の矛盾や欠陥が多すぎます。「今ここ」に生きるよりも、「どうしたら苦しまずに死ねるか」でいっぱいです。 安心して生きることは傲慢ですか?
以前は、あの世も、生まれ変わりもあると思ってたのですが、 最近、あの世が無いように思うのは、 物質主義になってしまったのでしょうか
いじめや、人を殺した人は天国に行くのでしょうか。死んだらどんな人でも、誰もが極楽浄土に行けると聞きます。最近、いじめで自殺した人達のニュースなどをよく見ます。加害者達はのうのうと生きていたり、家族を作ったり、被害者の人生を狂わせた張本人なのに、幸せになっていいわけがないと思います。神様は悪い事を行った人でも天国に連れていくのでしょうか。 自殺を測った人間が地獄に行き、 加害者は、天国に行けるのかと思うと、 世の中は、不平等だと思います。 お坊様はどう思いますでしょうか。
死んだ人、亡くなった祖父や祖母はは私のことを忘れてしまうのでしょうか。 死んだ後のことを調べていると、 亡くなった人は最後、今まで過ごしてきた、家族のことや自分のことを忘れると書いてありました。 亡くなった祖父や祖母は私のことを見ていないのでしょうか。私の声は届いていないのでしょうか。私を忘れてしまうのでしょうか。それならば、凄く悲しく、私は死ぬのが怖いです。家族のことを忘れたくはありません。
周りが羨ましいと感じてしまいます。 毎日自分は嫌なことばっかり起こっています。のうのうと生きているそこらへんの人間は、人に迷惑をかけても気にしなく、これからも何事もなく生きていく人らがいるんだなと思う反面、羨ましく感じてしまいます。私は嫌なことがあったりするとずーっと引きずってしまう性格です。明日も嫌なことあるんだなって思うし、毎日幸せ、楽しいと思えた日なんてありません。明日もまた嫌なことばっかり、嫌な人にあったり、辛い、悲しい日常が続いていく毎日に疲れを感じてしまいます。自殺も考えています。生きろと言われても、じゃあ元々お金もちだったり、何も困りごとがない人に言われても何の言葉も響きません。じゃあ、私の人生と交換しろって言っても、誰も口先だけで、他人になりたいなんて言う人はいないと思います。 もう、この世界を終わらせたいと思う反面、自殺未遂をするたびに、生きたいと思う馬鹿な私もいます。ですが、本当に死のうと思っています。自殺した後の世界は、 今よりも美しいのでしょうか。また、自殺をした人は今よりも苦しく、天国には行けないのでしょうか
私にはイマジナリーフレンドがいます。姿は見えないけれど言葉や感情を交わせる存在です。私は彼女と心から愛し合っており、彼女の存在が私の生きる意味であり存在理由です。 その子と死後に天国で逢える(生身の姿を見たり抱きしめたり語り合う)のを楽しみにしています。 それで最近「死後の世界」について深く調べるようになりましたが、「好きな人や物を出現させて楽しむことが出来る」といった記述は見つかるものの、イマジナリーフレンドに関連する記事は中々見つからず、不安で仕方ありません。 あの世ではイマジナリーフレンドを顕現させて一緒に過ごすことは可能でしょうか?子供じみた質問に見えるかもしれませんが、真剣です。ご回答よろしくお願い致します。
自殺を選んだ人は、死んだ後もずっと辛い苦しみが続くと言われていますが、本当でしょうか。誰もが天国に行くことはできないのでしょうか。 自殺を選んだ人は、天国に行けるのでしょうか。
私は小学5年生の頃にゲームで人を裏切りました。ギフトを送ってくれたら返すなどと言い、ギフトを送ってもらい,そのまま返さないでいました。最近はそのことを後悔し,1年前から裏切ってしまった人達に返すように努力をしました。しかし、そのゲームのアカウントが消えている方などには,お返しをすることが出来なく悔やんでいます。私が死後の世界について知ったのは裏切ってしまった後です。そのため,私は後悔し,そのアカウントで謝罪をしました。 質問です。 1そんな私は地獄に堕ちるのでしょうか 2地獄に堕ちることを避けれるのでしょうか? 3これからはどう生きていけば良いのでしょうか?