ごめんなさい。それでも世界が恐いんです。
最早毎度のこととなってしまいますが、頂いた御回答について上手く飲み込めず、新規質問として失礼させて頂きます。誠に申し訳御座いません。
絶望に閉じた精神状況は少々落ち着きましたが、戦争や災害の恐怖は未だ現実的な雑念としてあり、収まりません。
未来は見えない、その時まではわからないから「今、ここ」に集中する。希望が見えないのは自分が見ていないからである。色眼鏡をかけている自覚はあります。少しずつ、外そうと試みています。
しかし、危険性は「現実」のものとして存在しているとも思ってしまいます。
これまで、数々の凄惨な「現実」がありました。私が恐れているのはその繰り返し、あるいはそれ以上の悲劇です。
これまで沢山の人々が、悲劇を避ける為に、被害を抑える為に懸命に生きて来ました。それでも災害、戦争、テロ行為による犠牲は無くなりません。私もいずれそのような死を迎えることを覚悟しなければならないような気がします。
私はただただ、あらゆる痛みが恐ろしいのです。痛みを恐れて生きることを拒絶しようとしました。懸命に生きていても、唐突に何かによって命や健康が奪われる。それがあまりに恐ろしく、悲しいのです。
本当はこの世界は安心してして生きていられる場所であると信じたいのです。どうにかなる、大丈夫だと。しかしその根拠は見つからず、むしろ絶望的な根拠ばかりが目立ちます。恐らくはこれも色眼鏡。
内臓が破裂し、鼓膜が破け、眼球が潰れ、絶えず血を吐き、全身が焼け爛れる痛みを、今日と同じ明日が奪われる悲しみをある日突然もたらされたとしても、自分の気持ち次第で極楽といえるでしょうか。今いる場所が突然焼け野原となるという前提で、今の仮初めの平穏に感謝しながら、今できることに集中すれば良いのでしょうか。それが恐いと、ここに吐き出してしまっても許されるのでしょうか。
通り過ぎれば下らないことで苦しんでいたのだと思う日が来ると思います。害されることなく生きて、無事にその日が迎えられることを願います。
有り難し 16
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