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「世の中・社会のできごと・風潮」問答(Q&A)一覧

日本の未来に希望が持てません

日本の将来に希望が持てず、危機感を感じます。自分ではどうにもならないネガティブな感情を抱くと、3月に病気になった腹部の調子が悪くなります。 折り合いのつけ方だと思いますが、仕事の現場に復職すると、いろいろな家庭の状況が見えるので、この状態でやっていけるのかと感じます。 私自身の30年ぐらいの経験、親から聞いた先祖(親も含む)の話、親世代の親族間の人間関係、この一年で読んだ本の内容から、社会現象について予想がある程度できるようになってきました。今、ニュースでいろいろな事件が報道されますが、加害者の家庭環境をだいたい予想でき、後で続報で当たっていることが多いのです。直感とかではなく、根拠はあります。 「自分の病気を根本的に治したい」、「仕事で必要なことを本質から理解したい」とやったことが、逆に自分を苦しめることになっています。 おおまかに捉えたままの方が良かったのかと、たまに思うことがありました。しかし、今日、夕飯を食べているときに、「どんなに努力して解決したとしても、また新たな苦しみが現れる。何とかしたいと思わないことが、苦しみから逃れることだ。」と、思い浮かびました。しかし、それは、努力を放棄することではないかとも思います。 今生きている人とその子孫が幸せに、その土地で幸せに過ごしていける智恵が宗教にはあったのだと思います。欧米はキリスト教ですし、中東はイスラム教、アジアは仏教、日本は仏教と神道というように、それぞれの土地の自然環境に合った智恵があるのだと思います。 そう思うのには、三つあります。一つ目は、高校までの地理の知識。二つ目は、大学の教養科目の宗教学で履修したイスラム教の知識。三つ目は、この一年で勉強した仏教と神道の知識。 今の社会現象は、現代日本人が宗教の本質を理解せず、道徳性が崩壊したことに原因があると思います。 お正月は神道に、結婚式はキリスト教に、お葬式は仏教にというように、生きるための智恵を真面目に学ぶ機会が極端に減っていると思います。道徳教育や生活指導は、本来、家庭教育の領域だと思いますが、もう機能していないところが多いように感じます。 私の世代が子供の時から、家庭教育は学校が担うようになっていたと思います。しかし、学校もその余裕がなく、20年、30年経ったのではないかと思います。 もはや、どうにもならない状況になっていると思います。

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世の中の悪意について

こんばんは。 この世の中には、人の事を傷つけても何とも思わない人、むしろ傷付けようとしたり、それを快楽にしている人も多い様に思います。 例えば、仕事が遅い人は怒られてきつい言葉を言われて当たり前。犯罪を犯した人はきつい言葉を言われて辛い思いをして当たり前。 犯罪の被害者であればともかく、ワイドショー等、他人に対しての容赦ない批判が目に付きます。 なんだかあまりにそういった考えが世の中の常識になり過ぎていて、世の中が良く分からないです。怖いです。 そういった事を感じると傷付いてしまうので、いつもは付き合う人や場所をできる限り選んでいますが、不意にそういった価値観に出くわしてしまいます。。 そういった人も疲れていたり、何かのプレッシャーからその様な事をしてしまうのであれば、この世界は悪循環なのでしょうか。 私自身、自分の気持ちを常にオープンであり、クリアに保つ様に気をつけていますが、そういった価値観を感じると、心が少し荒みますし、悲しくなります。けれど、怒りとなって人に向かわない様に気をつけています。 誰も意図的に傷つけたくはないし、できれば傷付きたくもないです。 私は傷付きやすい様で、この世界を生き抜いていくのが辛い時があります。 どの様に心を保っていけば良いでしょうか?

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「バブル」が人や世の中を荒らした…?

 いつもお世話になっております。  時折、大人の方と話していると、バブル景気が世の中や人を 荒らした…というような話を聞くことがあります。  「バブル経済期」という言葉を字引で引いてみると、 「株価や土地建物の値段が適正水準を超えて以上に高騰 し、その後泡が弾けるがことぐ、一気に急落した時期。  この時期には、高額な貸付も横行した」 などといった説明が出てきます。               *  思い返せば私の祖母は、 「アパートを所有している」という事実でひどく 奢り高ぶっていました。木蓮尊者のお母様のようでした。  「アパートがあるんだから、あんたは働かなくていい」 「いいところから婿を取って、たくさん子供を産みなさい」 「黒留袖、いつ作る?」  このような発言は日常茶飯事でした。  彼女のといた邪教により私が今でも苦しめられているのは、 私からただでさえ未熟な社会性を剥ぎ取るためだったのでしょう。               *    最近の新聞記事に、「病院内ポリス」や「荒れる中高年」、 「冥土の土産ハラスメント」などの記事が増え、 また私もそれらを読んでみて考えました。  ついこの前までは、「今時の若者〜」という記事が多く、 これは?と思ったので質問です。  ご意見いただければと思います。  よろしくお願いいたします。

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仏様の道と異なる道(医療編)

「病気の仕組み」が解明されたとしたら、治るのか治らないのかも、はっきりと断言できるのかも知れません。しかし、時には現在の医学で証明出来ないような「奇跡の生還」というものが存在します。 科学的な根拠に基づいた治療では治せない大病を患った時、人は「民間療法」という選択をする場合があります。「藁をもすがる思い」でです。ほんの微かな望みを頼りに、科学的根拠のない「民間療法」に挑む時に、忘れてはならないことがあります。 「治った人がいる」≠「治る」ではなく、「治った人がいる」=「奇跡」「たまたま」ということです。 「STAP細胞」は、本当に存在したのかしなかったのか、それと同じ要領です。もしかしたら「奇跡的」に「STAP細胞」は完成していたのかも知れません。しかし、証明出来なかった。だからと言って「存在しない」とは言い切れない。何故なら、時に「奇跡」は起こるからです。私は、ある時本当に「STAP細胞」が出来たのではないかと思っています。ただ根拠と証明が出来なかっただけで。 治療でいう「民間療法」が「STAP細胞」。確かに、病気が治った患者様がいたのでしょう。しかし、科学的な根拠がなく、また、不確実な為に「保険適応外」となり、膨大な治療費を請求される… 私は、ある「民間療法」に不信感を抱いています。その「民間療法」は、普通の精神状態で見たら、明らかに「アウト」、なのにそれを信じ、命懸けで、命乞いをする、「藁をもすがる思い」の患者様が、いろんな地域から集まる病院があります。集まる患者様らは、皆「先生」をまるで「教祖様」のように信頼して心酔しています。 入院施設はなく、コンテナの中での共同生活。食事も出ません。その劣悪な環境に自分達が置かれていることにも気付かない、もう治す手立てのない弱った患者様たちが、先生の「気合い」を感じる治療、施術らしきものの為に、コンテナと病院を行ったり来たりの生活を送っているのです。結局、亡くなるケースが多いのですが、もし遺族がその先生に「何故、私の娘は亡くなったのですか?」と尋ねると「私を信じる力が足りなかったからです」と言われてしまいます。 「信仰の自由」は私たちの権利です。そして「奇跡」は不完全な社会でたまに起こります。しかし、「医師と患者様」は「教祖と信者」ではない!「仏教の救い」とは異なる危険な医療行為があることを、お坊さまはどう思われますか?

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異常気象と子供達の未来

こんにちは。 この度、被災された方々には心から お見舞い申し上げます。 連日の猛暑がニュースのトップになっており、 世界的にも各地で記録的な熱波が発生し 死者や搬送者が続出しているとの事、 このままでは地球は大丈夫なのかな、と心配になります。 本当に人間の発生させる温暖化ガスの影響なのか、 冷静に分析しなければならないでしょうが、 製造業に携わる者として、責任を感じずには居られません。 だからと言って家族もいる身では仕事を辞める訳には行きません。 私が辞めても工場は相変わらず生産を続けるでしょう。 結局何の解決にもなりません。 最悪のケース、異常気象が一過性のものでなく、 私達の生産活動に原因があり、なおかつ後戻りできない所まで 来てしまっているとしたら・・・ 子孫たちに何と詫びれば良いのか分かりません。 4歳の娘と生後8ヵ月の息子の未来を思うと、 気持ちが落ち着きません。 以前にも似たような質問をした記憶がありますが、 私は50億年後には太陽の寿命も尽きて、地上の生物は死滅する のを知っています。だからこそ「今を生きる」事の大切さを教えられました。 が、こんなにも目に見える形で危機が訪れる事、 さらに私達の責任である可能性がある事、 平安ではいられません。 私達や子供達の世代なら何とかなるかも知れませんが、 孫や、その先には・・・ 私が仏道を学び実践し、「今ここ」を精いっぱい生きる 境地を得たとしても、過酷になる環境の中で子孫達が じわじわと衰滅するのを防げなければ、何の意味が あるでしょうか。 私は輪廻転生は信じてません。死後についてはお釈迦様にならい 「無記」とするのが適切な態度と思います。 が、もし輪廻が真実ならば、私には解脱も救いも浄土も要りません。 ひたすら転生して子孫達に寄り添い、共に悩み苦しみながら 最後の日まで一緒に過ごしてあげたい、と願います。 私がこう考えるのも煩悩でしょうか? 手遅れかも知れませんし、大勢に影響は無いかも知れませんが、 暇を見つけて、ささやかながらエコ活動や環境保護活動を 行いたいとは思います。 (もっとも、私の考えがただの杞憂である可能性も、 まだあるのですが。そうであって欲しいと願います) 質問と言うには余りに漠然としすぎてしまいましたが、 ご意見を頂ければ幸いです。

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世の中に疲れました

世の中、不安を煽り、人を商品として見ているのではと思います。 他の世代は分かりませんが、 私と同じ30代かそれより下の世代を見たり、自分の経験から感じたりしたしたことです。 私は私立の中高一貫校で過ごしました。 中学入学当初の学年主任の先生は、 「受け入れた以上、絶対に退学者を出さない」という気持ちでやっていたようです。ところが、周りの先生は、「退学者を出さないと、生徒がだらけてしまう。」、「早めに判断して、公立に行かせた方が生徒のためだ。」というのを耳にしました。ちなみに、西日本は、公立よりも私立の方が進学実績が高いところが多いです。 就活の時に、私立学校も受け、内定を頂きましたが、私が通っていた私立学校と同じ考えで嫌悪感を抱き、公立学校に就職しました。 何だか、生徒を商品として考えているんだなと感じてしまいました。高校の監督が中学校に出向き勧誘したり、大学の監督が高校に出向き勧誘したりするのを見ても、人を商品として見ているのかと思ってしまいます。もちろん、しっかりとした理念を持って教育を行っているところもあります。 最近では、婚活市場も盛んになってきました。私も、独り身で不安に思って、婚活イベントに参加したことがあります。4月から復職を目指していましたが、3月に腸閉塞で入院してしまい、婚活イベントに参加しても相手女性に失礼だと思い、婚活はやっていません。本を読んだり、どこかに行ったり、今しかできないことをやっています。もちろん、結婚相談所や婚活イベントの業者の中にも、しっかりとした理念を持って誠実に対応しているところはあると思います。 親戚のおばさんや母親から、「相手をよく見て選びなさいよ」、「いい人がいたら、パッと掴みなさいよ」と言います。身内だからそういう言い方になるのだと思いますが、どこか人を商品として見ているようで違和感を感じます。私の相手ということは、相手は女性です。同じ女性の立場としてどのように思うのだろうかと思います。 他の男性はどうか分かりませんが、心ある男性なら相手を支えられる自信がなければ、結婚に踏み切らないと思います。結婚はそれだけ重いものだと思いますので、益々踏み切れません。困難があるから、それだけ楽しみもあります。 社会改革するには、人の不安を除かねばなりませんが、嘆いても仕方ないので、自分で自分を認め、輝きたいです。

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今の社会にghostのような人が増えて不安

今の社会の状況に危機感を感じます。睡眠がとれないぐらい不安に感じてはいませんが、「何とかならないかな~」とは思います。まずは、私自身が気付いて、自分自身を改革しようと 取り組んでいるつもりです。 多くの人が「ghost」になっているのではと思い、ある意味、恐怖さえ感じます。ここでいう「ghost 」とは、幽霊という意味ではありません。イメージするなら、生命科学で出てくる「ghost cell」で、中身のない細胞膜からなるような感じです。空っぽです。 本質を追求しなくなり、本質を追求するはずの大学が、職業学校と化し、学歴というラベルを得るために学校に通う。その学歴をいかして、自分の人生を切り開き、社会に貢献するならいいのですが、ラベルに依存してしまう。その依存に、危機意識を感じずにはいられません。本質を追求することが、異文化理解に繋がり、他者理解に繋がると思うのです。私も、つい最近まで、全く中身のない人間でした。今も中身がありません。中身がないということに気づきました。病気になったのは、考える時間ができて、ある意味ラッキーです。 芯がしっかりした中身を付けていって装飾するのが大切なはずだと思います。しかし、和紙を丸めて筒を作り、そこに学歴というラベルや重り、有名企業というラベルや重り、重要なポストというラベルや重りをつけていっているような教育を行っているのではないかと感じます。これでは、人生の早い段階で潰れてしまうと思います。ある意味、成人前に潰れてしまうのは幸せです。やり直しがしやすいと思うからです。成人後だと、自己責任と片付けられます。大事なものを忘れ、後生に引き継がれていないのではないかと思います。その大事なものがどの世代で忘れ去られたかはわかりません。私たちの世代かもしれませんし、その上の世代かもしれませんし、さらに上の世代かもしれません。どこかでメスを入れないと、どんどん人間が弱くなっていくと思うのです。人間を強くするのが、家庭教育であり、地域教育であり、学校教育であり、生涯学習だと思うのです。それが機能しているのかと思うのです。 そんな中でも、それぞれの道の素晴らしい実践家がいます。その方たちを見て、私自身がまず改めることかなと思います。

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現代日本の課題を解決するための仏教的な知恵はありますか?

今の日本社会を見ていると、日本の将来が不安になります。自分の問題ではないので、今は深く考えていません。しかし、何か手を打てないかなと思っています。 今、心身の調子を崩して休んでいます。その間、多くの時間、読書に費やしました。機会があって、公立の精神科病院に行ったり、内科的な問題で入院したりしました。精神科のデイ・ケアにも通っています。 この一年の中で仮説を立てました。 (1)今の日本の現状、貧富の格差は仕方ない 地球上の化学元素の数は、あまり変わらず、一定です。富を集めるということは、必然的に富を吸いとられ貧困に陥る人がいるということです。大昔は、物々交換で自分が必要なものを交換していたようです。その時に、感謝の言葉も交わされたかもしれません。それが、一部の人が欲を持ち、物を集めるようになったため、貧困層が生まれ、不満や恨み、怒りを買ってしまうのだと思います。寄付という自主的な社会貢献は、寄付した人の満足感と寄付された人の感謝の心が生まれ、お金も循環し、良いことがあると思うのです。心の寂しさや自己顕示欲をお金や物で示しすぎるので、まずいと思っています。 (2)家庭教育力や地域教育力の低下 今の大人は余裕がありません。また、少なくとも私たちの年代は、学校名のブランドや数字の成績に注目し、教育の質や中身について軽視された教育を受けてきたと思います。外見は華やかに飾って、中身がしっかりしていない。だから、精神を保てず、自殺や引きこもり、殺人が起こるのかなと思います。たぶん、「人を虐めるのはダメだ」「人を殺すのはダメだ」「挨拶をしましょう」とかって分かっているのだと思います。精神的に耐えられない状況にあるのだと思います。それは、様々な宗教や先人の教えを軽視した結果だと思います。子供が変わったのではなく、大人が変わってしまったと考えます。まず、大人の認識を改めることが先だと思います。 この現状を打開するのは教育。でも、学校教育はもはやもぐらたたき状態で対処していくしかない現状。私自身は、これからどのように行動していこうか考えている状況です。 何か仏教の知恵はありますか?

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