hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「世の中・社会のできごと・風潮」問答(Q&A)一覧

なんとなく思ったこと

いろいろと考えて思ったのですが、世の中はバランスによって成り立っているような気がします。善があり悪があり、陰があり陽がある。 そして、存在していると信じているものは実は不確実で、存在とは思考により生まれた産物なのだと思います。 例えば、絶対的に「良い」とされる行いを、「良いことをした」と考え、過去の記憶(記録)として覚えておく、誇らしく思うこと、つまり自分の現在や過去の「善」に執着することで「善」を生み出し、同時に「悪」を生み出すことに繋がるのではないか、と思うのです。 ですから、世の中を良くしたいと思うなら「善」の行いを「良いことをしている」という意識を取り払って行い、そして行った事実をできるだけ早く忘れる(執着しない)、ということで世の中が平安になれるのでしょうか? 世の中の悲しみは、「罪悪」ではなくて「罪悪感」、「喪失」ではなくて「喪失感」のように、感覚から来るものが多いような気がします。 ならば、感覚を生み出す「意識」ををコントロールすることで平和にもなれるのかなと思いました。 「以心伝心」のように、人と人の心が繋がっているなら、自分の思考を「無」にすることが、隣の人の心の平安になるかもしれない、そして、それが世界中の平安に繋がるといいなと思いました。

有り難し有り難し 1006
回答数回答 3

世俗の人々が可哀想でたまらない

イライラしている人、怒り狂う人、自分の感情や他人の振る舞いに支配されきっている人を見ると本当に可哀想になってしまいます。 最近人と接する仕事に転職し、それらをますます生々しく感じ取る機会が増えました。 般若心経の一節に「色即是空 空即是色」とありますが、 自分という人間は色即是空、で止まっているような人間なのです。空即是色までどう頑張っても至れないわけです。 もしかすると自分は仏教的思想とは無縁で、西洋的な虚無主義者にすぎないかもしれません。 根本的に意味のない世界で、意味のないことに踊り狂わされている人々を見ると本当にこの世は惨たらしい地獄なんだと思ってしまい嘔気を催してしまいます。 通勤ラッシュの人混みで、具合が悪くなります。人間がロボットに見えてしまうのです。実際彼らは「生きる意味」というありもしないものに支配されているから出勤しているわけです。 自分は人生の当事者であるくせにどこか傍観者的です。 観るもの聴くもの感じるもの全てに根拠がありません。 全てに意味がなく、自殺することも出来ないまま、今朝も非常に可哀想なお客さんは私に怒鳴り散らしました。 苦しみの悲鳴に聞こえて、今でも頭に灼きついて胸が痛みます。(情けないことに謝ることしか出来ませんでした。私が彼らにしてやれることは何もありません) 何もないこの世界に対して私は何を行えばいいのでしょうか? 苦痛が大きいですが、私は彼らを救えないし、身寄りがありませんので、引きこもることも出来ませんし、自殺も出来ません。

有り難し有り難し 41
回答数回答 3

罪人の命(死刑について)

重い罪を犯した方が、死刑判決を受ける事がありますよね? 死刑の実行の仕方のようなものを人から聞いた事がありますが…。 私は、どんな酷い罪人でも、人間が人間に手を掛けるべきではないと思ってしまいます。 殺したところでご遺族の方の傷が癒えるわけでもないし、それなら死を迎えるまで償い続けるべきなのでは?と。 ご遺族の方々にとったら、生きていてほしくないし死刑を望む方もいると思いますが、人間が手に掛けることは私には納得出来ません。 無期懲役で良いのではないのでしょうか? 最終的な償いや処罰は、罪人が亡くなった時あの世で神様なり仏様が下すものなのではないかと個人的には思うのですが、御坊様達はどう考えますか? それに、昔読んだ禅語の本で、何という禅語か忘れましたが、その禅語に対しての解説文の様なものの一部に 「どんな罪を犯した極悪人でも、仏の心がある事を忘れてはならない」的な事が書かれていました。今の世の中卑劣な事件が多く、私自身も胸を痛めたり嫌な気持ちになったりしますが、その禅語を信じたいです。 被害者やご遺族の方にとったら、本当に赦せないと思うし辛くやるせない気持ちになるし憎しみを拭い去る事は難しいでしょうが… 自分がそういう目に遭った事がないから、この様な綺麗事がいえるのでしょうか…。 昨日別の質問をさせて頂き、なんだか心が軽くなった気がして、そしたら色々質問してみたい事が出てきてしまいましたσ(^_^;)ごめんなさい。 ありがとうございました。

有り難し有り難し 51
回答数回答 4

暴走族などの迷惑行為のやり過ごし方

こんにちは。 表記件、自分の中で気持ちの落としどころが見つけられず、相談させていただきます。よろしくお願いいたします。 私の現在住んでいる地域では、暴走族や、爆音を鳴らしながら走ったりアイドリングをしている車が頻繁にいます。 深夜にそういった迷惑行為をする輩に、「何で皆寝ている時間にわざわざ走るんだろう」「病気の人や赤ちゃん、仕事で朝が早い人が起こされるって思い至れないんだろうか」と理解出来ず、ストレスが溜まって仕方ありません。 あまりに酷いと警察に通報するのですが、基本的にこちらから働きかけて解決する方法が思いつかず、部屋で一人悪態をつく事しかできません。(耳栓も試したのですが、あまり効果が無い上、眠りにくいので余計ストレスでした。) 最近では「これだけは言ってはいけない言葉」とずっと思ってきた恐ろしい言葉(お察しください…)まで解禁して言ってしまい、そんな言葉を発してしまう自分自身も嫌で、二重に苦しいです。 「夜は静かにするものだ」と決めつけるから暴走族に腹が立つんだ、自分の常識を周りに当てはめない方がいい…と自分に言い聞かせようともしましたが、実際は耳に不快な爆音が入ってくる為、とても心からはそう思えません。 去年引っ越しをしたところなので、すぐに転居は難しいですし…どうにも行き詰まり、今では「もう心の持ち方で解決するしかない」と思っています。 そこで、こういった自分ではどうしようもない外部からの不快なストレスをやりすごす心の持ち方をアドバイスいただけないでしょうか。 いつも穏やかな心でいられる自分になりたいです。 どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 45
回答数回答 5

体罰について

教育の現場で体罰が問題になることってよくありますよね。皆様は体罰についてどうお考えでしょうか? 私は特定の条件下のみ体罰を使うことを認めてもよいのではないかと思います。その特定の条件下とはいじめっ子がいじめられっ子に暴力を振るった時です。 その理由として一つ目に暴力を振るわれた痛みをいじめっ子に理解してもらうためというのがあります。一度暴力を振るわれて自分で痛みを感じないことには相手の受けた辛さは分からないと思います。二つ目はいじめられっ子が不平等だと思うようにさせないためです。自分は肉体的に傷ついたのに相手は口先だけで終わった、そう思っているいじめられっ子も中にはいると思っています。(三つ目に言葉で言っても分からないいじめっ子がいるというのもあるといえばありそうですね) ここで誤解してほしくないのが私は決して根性論で積極的な体罰を求めている人間ではないということです。私も体罰で大怪我を負った生徒がいるのは知っています。だからこそ体罰はあくまでも限られた条件下のみで使ういわば最終手段的な形であって欲しいと考えています。決して忘れ物をしたとか部活の試合に負けたという理由で濫用してはならないと思っています。 最後に理想を言えば体罰を使わず暴力を振るったいじめっ子の心を抉るような、暴力と同じだけのもしくはそれ以上の効力を言葉で二度と暴力をしないようにさせればいいのでしょうがそんな理想的な言葉が本当にあるのかは私が知る範囲では残念ながら今のところないように思えますね・・・。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1