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老人が死ぬほど嫌いです。

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老人が死ぬほど嫌いです。

タイトルのとおりです。老人が死ぬほど嫌いなのですが、おかしいでしょうか?
医療従事者ですが、老人が嫌いです。なんで嫌いなのに医療従事者になったの?とよく言われますが、就職氷河期で手に職をつけたかったからという理由しかありません。というよりも、働き出してたら老人が嫌いになりました。
あいつら、なんであんなにエラそうなのでしょうか?長く生きていることがそんなにエラいのですか?
「糖尿病で目が見えんのじゃ」とか「足が痛いから介助してくれ」と言ってくる老人もいます。これまでの不摂生が祟ったのじゃないですか?自業自得なんじゃないですか?と言ってやりたくなります。
なんで生産性のない奴らを生かすために多額の税金が投入されているのか、怒りを覚えます。
「あなたもいずれ老人になるのだから」と言われますが、人様の世話にならないよう、健康や食事には気をつけています。それでも自分ひとりの力ではどうにもならなくなった時は、もうそれまでかなと考えています。
こんな考えはおかしいのでしょうか?

2022年4月28日 0:59

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたも役に立たなくなったら同じ扱いでイイのでしょうか?

それを言ったらオシマイダーです。なぜオシマイなのか。あなたにも同じルールが適用されてよいということになるからです。そういう考えは💀危険思想💀という。ヤバいっスよ。💀他の生命なんぞ俺サマのルールで家畜🐖モノのように扱ってよいという💀という態度になります。
「人は年を取ったらおしまい」
「役に立たなくなったら意味がない」
「生産性がない人間は不要」と考えるのであれば👿貴方や家族にもそれが適用されてヨイ👿ということになりますヨ?💀
人間、たまたーま健康に恵まれているだけなんスよ。
あなたが今たまたま健康でも、お体を患って高齢者の方々を同じ状況になれば「貴様の人格や人権などない!」と尊厳軽視でエエのですか?そのヤバい危険思想を持つ人が増えれば「💀こんなことを考える社会の役に立たん愚か者は死んでよい!」ということにもなる。貴方の家族、愛する人に対しても人格軽視でヨイということになる。だから、あってはならないのです。たまたま思い起こしちゃったという程度であっても改めましょう。定期的にそういうことを考えるのであればその種の業務に携わらない方がよいでしょう。心を込めて勤めておられる同じ職務の人を冒涜する姿勢だからです。簡単に言えばそういう考えはエゴの高い自分勝手なルールだということ。別に怒っちゃいません、キレテナイッスヨ。👌
どうして、そういうことを考えてはいけないのかという問いを自分や愛する人に向けてみると良いです。人として。職務に携わる人として誰もが救われる正しい道理・活路を見出す必要があります。その考えを押し通したければこちらも同じように致しましょうか?ですがあなたと同じようにすれば同格になってしまうので私は改めてほしいと願い「こちらですよ」と心の善導ガイドをします。
結論:あなたがいけないのではない。あなたが現在そういうダークな心理に追い込まれている。自分をみつめる。あなたが今、嫌いな高齢者たちと同じく支援を必要としているのです。そこまでドライで冷酷な不健全な考えを起こす心理に陥っているのはなぜか?今まで人間関係の負の感染で心理的に追い込まれているのではないですか?そういうダークな考えが起こるのも家庭や職場で嫌な事が続き人間関係で病んで疲れているからでしょう。でなけりゃ普通、口にはしません。貴方が現在、心のケアを必要としているミラー心理なのです。👴👵

2022年4月28日 4:12
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おきもち

「嫌い」はあなたの能力(キャパ)が低いから

「嫌い」というのは怒りの煩悩なんです。
要は、あなたに老人を平気へっちゃらに処理する能力が無いという、あなた自身の処理能力不足が「嫌い」の正体なのです。
能力には個人差があります。
たとえば、お釈迦様はどんな生き物相手でも平気へっちゃらなのです。
経典では悪魔の相手もしています。
悪魔から「お釈迦様、もうそろそろ死んでくれませんか」と頼まれたお釈迦様は、
「そうだな、もう弟子も信者も立派に育ったから死んでも良いよ。」
と悪魔のお願いすら聞き入れました。
お釈迦様には自我や執着がなく、欲・怒り・怠け・プライドの煩悩がないので、誰のお願いごとでも「はいはい、オッケー」と身軽に聞き入れ、たいていのことはチャチャっとやってしまう。
80歳の(当時のインドではすごい高齢者)お釈迦様自身がもう死期が近い病床についていたときに、弟子入り志願者が訪ねてきて、側近の弟子たちは「今お師匠さまはそれどころでは・・・」と断ろうとしましたが、
さすがお釈迦様「いや、通してあげなさい」とその弟子入り志願者を受け付け、その人が最後の弟子となりました。
仏様のように能力が高いなら「嫌い」は無い。
能力が低い私達には「嫌い」がある。
ただそれだけ。
「嫌い」は悩み苦しみストレスの原因になるので、「老人嫌い」で苦しむのはあなた自身。
それは現実だから仕方ないのです。
怨憎会苦(おんぞうえく。嫌いな者に出会う苦)は、人間の基本的な8種類の苦の一つなのです。
ただ、あまり他人に「私は老人が嫌い」と言わない方が良いかも。
なぜなら、他人に「私は能力(キャパ)が低い」と宣伝することになるから、そんなあなたをバカにしたがる人もいるので。
あとは、私達もお釈迦様みたいな格好いい高齢者になれたら最高でしょうね。
周辺諸国の庶民から王様までがお釈迦様を慕っていたのですから。

2022年4月28日 4:51
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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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受け流すスキルを身に着ける

就職氷河期とか手に職とか言いながら、しかしやはりしっかり勉強して資格を取って、誇りをもって日々の仕事に臨んでおられると思います。
 で、実際のジジババは、特に爺は、言いたい放題やりたい放題で、なんやねん、ということになっているのでしょう。
 普通の就職をしたら、上司が嫌なやつとか取引相手が嫌なやつとか、別の苦労があるかもしれません。
 あまり感情を入れずに、淡々と仕事として受け流すのが良いと思います。
 薬剤師なら、薬の説明をしなければならないと決まりました。説明を聞くほうも、医師に先に病状に関して言われているので、なんで薬剤師がもう一回言うのだ面倒くさいという気持ちでいるかもしれません。薬の説明だけでよいでしょう。
 しかし、こちらから話しかけるからには、相手も何か言いたくなるなら、接しているときだけ気を付けて、「へえ~、そうなんですね」とか「ああ、すみません」「はい、気を付けます」などと受け流す。相手の機嫌をもろに受ける必要はありません。
 受け流すつもりでも、素直にやっていると、言葉の二の矢、三の矢が飛んできます。相手は機嫌が収まるまで収まらないので。それさえも全部、「はい、そうですね」と受け流し、やることをやって、その人の相手は終わり。
 冷たくドライに接するというわけではありません。愛情とかその反対の憎悪とかではなく、ニュートラルな慈悲の気持ちで、感情の表面よりも奥底に慈悲の気持ちを入れながら、仕事をするのです。ガンガン怒鳴られても、その感情に向き合うのではなく、「ああ、この人はずっと仕事してきて今は体が動かなくなって思い通りにいかなくてイライラするのは無理もない」と理解して、「この人のイライラが消えますように」という気持ちで感情は受け流すのです。
 多分、ベテランというか長続きしている人はそういうふうにドライに仕事をしていると思います。

2022年4月28日 8:35
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初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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「老い・老後」問答一覧

老いること衰えることが怖くて生きたくない

私の長所は努力できることです。 昨日より今日、今日より明日、良い自分になりたくて様々な面で努力してきました。勉強も仕事も美容も、目標を設定し、達成するまでの方法を考え、いくつもの目標を達成してきました。 目標に向かって努力する自分が好きですし、達成感は人生の喜びでした。 しかし、40代になってからうまくいきません。脳や体、肌や髪の毛などがどんどん衰えてきます。仕事はデスクワークですが、目や脳の衰えから以前より効率が落ちてきました。気力もどんどんなくなり、何をしても疲れやすくつまらないです。 やりたいことはやってきましたし、目標や夢もかなったので、今現在やりたいことが特にありません。 そしてこれから脳や体がどんどん衰え、がんばることもできない、努力によって磨いてきた女性としての美しさも失われていくことにむなしさを感じています。 肌がしわしわになり、白髪になり、髪もぱさぱさになり、記憶力も体力もどんどん衰えていく。 「昨日より今日、今日より明日、良い自分になりたくて様々な面で努力」することが楽しかった私には苦痛の日々です。今まで楽しかったことや達成感を得たことがたくさんありました。そんな楽しい日々はもう来ないでしょう。 はっきり言って、老いることでよくなることは本当に少ない気がしています。どんどんダメになるくらいなら人生終わった方がましです。 これからどんどん衰えていく自分をどうとらえ、何を目指して生きていけばいいでしょうか。自分勝手な悩みではありますが、日々真剣に悩んでいますので、助言をいただければ幸いです。

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老い・死が本当に怖い

老いること、死ぬことが本当に怖いです。 言葉にしにくいことが多く、複雑かもしれませんごめんなさい。 老いについて ふと寝る前や、勉強中に、自分の将来を考えてしまい、年老いたことを考えると辛い気持ちになります。言葉では表現しにくいのですが、先行き見えない不安感などが強くて、将来どうしているか、社会がどうなっているかなどを考えるのが怖く、特に両親や祖父母のことを考えると余計に辛くなります。今まで過ごして来た時間、これから過ごすわからない時間を考えると言いようのない恐怖と無力感に苛まれ、どうしようもなくなります。対処法を教えていただきたいです。 死について 死ぬのが怖いです。自分が死ぬ時、周りにいる人のことを考えたり、死んだ後の自分の体、意識のことを考えた時、どうしても怖くなります。自分のこの世界が「無くなる」ことを考えると、本当に恐ろしく眠れません。自分がこうやって質問しているように、なんでもない1日がなくなり、目が覚めないとはどういうことなのか、2度とこの世界に帰れないとはどういうことなのかものすごく怖いです。漫画の世界のように、脳みそだけが夢を見続けるような、そんな世界ならまだいいと思ってしまい、今の世界が無くなり、自分が認知できなくなることが怖いです。 自分が歳をとって行くこと、弱って行くこと、そして死んでいくこと。何もわからないからこそすごく恐ろしく、辛いです。自分の将来を考えることも、今日したことを振り返るのも辛く、もうどうすればいいかわからないです。曖昧な質問で悪いのですが答えていただきたいです。それから、10代でこの疑問に苦しめられてるから、今後の将来、もっと苦しむのではないか、と思ってしまいます。その対処法も教えていただきたいです。

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年を取るのが怖いです

最近 年を取るのが怖いです。 私は、まだ十分に若いと言う年齢ですが、もう既に怖いです。 子供時代は、早く大人になりたいとか、早く30歳になりたいとか、早く60歳になりたい、80歳になりたいなど早く年を取りたかったです。でも最近は、年を取ることにとても恐怖を感じていて、毎日その事を考えてしまいます。 10代の頃は、早く30歳になりたいとか、オーストリア皇帝カール1世の享年を越えたいなど思う気持ちがありました。 私が年をとることが怖い理由は、今の自分が変わってしまうかもいう恐怖です。その事を毎日考えています。とても苦しいです。誰でも年はとるものということは分かっているが、それでも怖いです。 年を取るってメリットないのですか? 私の好きなオーストリア皇帝カール1世の年齢を思い出します。カール1世は1922年に34歳という若さで亡くなりました。カール1世は、亡くなった後は年を取らなかったのですか? 過去を忘れられないことも苦しいです。周りの人は過去のことを忘れて、前に向かって歩いているのに…過去のことをいまだに引きずっている自分がなんか嫌悪感を感じます。 過去は忘れること、過去をやり直すことも出来ないことも分かっていますが、過去を忘れたくても、成功している人や、キラキラしている人を見ると、過去の失敗が思い出されます。また過去の失敗など考えます。過去を忘れたくても忘れられないです。過去を忘れて、前に向かっているが羨ましいです。 過去を忘れられないことで、母親とも険悪感になりました。 年を取る恐怖と、過去を忘れられないことが一番の今の自分にとっては苦しいです。 オーストリア皇帝カール1世は、亡くなった後も年を取らないのですか? つまりカール1世は34歳のままですか?

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若さを無駄にするのが怖いです

率直な悩みで大変お恥ずかしいのですが、私は何もせずに若さを失うことへの恐怖があります。 若いっていいね・羨ましい・大事にしてねなど今までいろんな大人に言われて間に受けたり、InstagramやSNSで、思う存分お洒落や旅行、遊びを楽しんでいる人たちや、同い年なのに外国語が話せたりダンスができたりといった、能力や技術が優れている人を毎日のように見て、いつか若い状態はなくなってしまうから、やりたいことがあるなら今やらなきゃ、って、それが強迫観念のようになってしまいました。 何歳までにこの実績を積まなければ、資格を取ったり英語を話せるようにならなければ、〇〇ができるのは何歳までだから今やらなければ、可愛い服を着られるのは若いうちしかできない、など、上げたらキリがないです。 目標が高すぎて、そして多すぎて、頑張ろうとすると思考停止・無気力になってしまい辛いです。 そしていくらこうなりたいと思ってもそこに到達するまでには時間がかかると思います。それでも執着してしまいます。この執着は意味のないものでしょうか。もしそうだとしたら手放して、毎日をもっと気楽に生きたいです。 幼稚で未熟な質問ですみません。

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先日50才になりました。歳を重ねる事は素晴らしい事だ。と考えている私です。子供も成長し寂しくなり体も不調が出てきて不安ですが、気持ちを切り替え「歳を重ねる事は恥かしくもなく素晴らしい事」と考えるようにしようと思っていました。 先程、父親(81才)と話しをしていたら「今月の連休にでも遊びに行こうかなあと思ってる。これが最後だと考えて行く。」と。この一言で私凄く心が寂しくなりました。悲しくなりました。50才にもなってお恥ずかしいですが泣きそうになるくらい寂しくなりました。当たり前の事なんです。母も脳梗塞になり早4年。運良く早期発見だったので後遺症もなく元気です。が年齢も年齢他の病気にもかかり私の家まで来るのは年老いた2人にしたら大変でしょう。分かるのですが、「これが最後」との言葉が…それと同時に年老いていく悲しさ。私は素晴らしい事と考えていましたが自分の事ではなくなると、年老いていく事の寂しさ悲しさ。人間歳をとることは一体どういう事?耳も聞こえなくなる。足腰も弱くなる。体は衰えていく。これの何処が素晴らしいの?悲しくないの?分からなくなってきました。寿命があるのは分かるんですよ。でも年老いる意味を教えてほしいです。よろしくお願いします。

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高齢者が嫌いになる

今、介護施設で働いてます。働き始めた頃はそうでもなかったのですが、最近では高齢者にわがままで憎らしいような怒りの感情を抱いてしまいます。本来福祉を提供する立場は対等であるはずですが、施設の高齢者は家族から離れた寂しさ故に、理不尽な要求を続ける方が多く私は奴隷か何かに思われてるのではと否定的な気持ちが抑えられません。また私がそうやって必死に自分を抑えて仕事をすればするほど、何でも我慢できる職員と勘違いするのか、さらに要求がエスカレートします。トイレに行った数分後にトイレが出ると言い連れて行ったものの何もせず早く寝せてよと言うとか。ご飯を介助で食べる方が職員を好き嫌いで判断して私の時は口すら開けてくれないとか。こんな一部では収まらない程日々の訴えに対応してます。これはもしかしたら相手の立場で考えたら何か理由があるのかもしれないが、高齢者だし、人の気持ちがわからないのかもしれないし自分のことさえ良ければいいとか考えてるのでは?と不信な心が育ってます。それが高齢者というものであってもこんな不信感にさいなまれて仕事行くので、相手と関わりたくもなくなるし、最低限の仕事をこなせばいいと思うのですが、そんなこちらの苦悩なんてわかるはずもないので、いつもの様にわがままを繰り返します。この怒りや不信感はどこに持っていけばいいのかわからないです。私自身、お婆ちゃんと一緒に住んでいたとか、前からお年寄りが好きとかいうたいした動機もなく夜間福祉大学の実習で言った職場に就職したしこんな気持ちでいるならこの先も仕事は上手くいかないだろうと思います。大学自体も親の勧めでした。この状況なら離れた方がお互いのためですよね。もちろん、それを見てくださり、あなたのお世話は嬉しいよとか、大変ねとか言ってくださるほんのひと握りの優しい高齢者もいます。ただ8割が人の気持ちも知らずあれしてこれしてよという人ばかりです。寂しい、死の恐怖がある、人に縋りつきたいを理解したいと言う気持ちもあるが、それは相手の気持ちでありそれをわがままに代えてこちらを振り回すのは違うのではと一人モヤモヤしてて、最近はあまり寝ることもできません。

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こんにちは、お縋りさせてください。 私は37歳で、母は77歳です。 父は私が20代に亡くなりました。 一人っ子です。 生前、父はアルコール依存症を患っており、父だけでなく、母も私も苦しみました。 家族三人で父の病を受け入れ、お酒をのんだらいけんから、とやっと笑い話にできるようになったのは、父が死ぬ一年前でした。 それまで、母と私は父の病に怯えて、ずっと励まし合い続け、父が死んだ事も二人で乗り越えました。 父が亡くなった後、四十九日頃、当時の上司に「もう立ち直ったでしょう」と言われて、普通の人はそれくらいで立ち直るものなのか、と驚いた記憶があります。 こんな苦しみがあるものか、人が受けて良いつらさじゃ無い、と思いながら過ごしてきました。 結婚し、子どもも授かりましたが、なぜか、母とのように深く思えません。 どこか「いずれ離れる人」という気持ちがあります。母が死んだら一人になってしまう、という気持ちが強いです。 母の死が怖いです。 また、あの苦しみを味会わなければならないのか、そのときはたった一人で……と思うと恐ろしくてなりません。 母が老いていくのも怖いですが、どうか健やかにたのしく生きていて欲しい、と思うあまり、母の「耳が聞こえなかったのをごまかしてトラブルになる」「なんとかして私の助けになりたいと空回りして迷惑をかける」というような、老いを隠そうとする姿が辛いです。怒ってしまうこともあります。 母は母で、必死なのだと思います。 どうやったら、すこやかにみんなたのしく、未来を楽しみに生きる事ができるのだろうかとそればかり考えてしまいます。 泣きながらタイプしているので、読みづらい部分があると思いますが、どうか教お許しください。

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