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「希死念慮とのつきあい方どうしたらいい」問答(Q&A)一覧

生きなければならないことに疑問を感じる

初めて希死念慮やここではないどこかに行きたいと感じたのは小学3年生です。 そこから10年以上、特に気持ちが落ち込んでいる際は死に方を調べては完璧な自殺方法を探すようになりました。完璧な方法が見つかるまでは自殺はしないかもしれませんが、突発的にベランダから飛び出したくなることも多いです。 父や親類を小学6年生から何度か亡くしたり、近しい人が自殺未遂をし、現場立ち会いをしたこともあり 死んだら誰かが悲しむ、住んでいる家の処理や警察対応など自分が死んだ後に大変なことが起きる方が多いこともよく分かっています。 それでも生きていることに意味が見出せず、希死念慮が出てきた時から一貫して 事故や病気になって自殺以外のしょうがない理由をつけて早く死ぬことが目標になってしまっています。 もしガンなど体を切らなければならないような病気になった場合は一切治療を受けるつもりもありません。 正直苦しいです。みんな死にたいと思いながら生きていると思っていたので、それは普通ではないと聞いた時は本当に驚きました。 いつか全てがどうでもよくなって、突発的に希死念慮が強くなりベランダを飛び出したりODなどをしてしまうのではないかと心配もしています。 生きたいと思えるように生きたい でも勝手に産み落とされて、自分の意思とは関係なく自分という存在が始まったのに 自分の意思で安楽死などを選択できないこの世界にも疑問しかありません 他人が悲しむからという理由でしか生きられない自分にも嫌気がさしています。 すぐには安楽死や病気や事故などが起きそうにもないため、なにか生きたいと思える理由がほしいです。

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生きたいと思えない

私は母親が大好きです。姉も大好きです。 しかし、父親と自分のことは大嫌いです。 幸せか不幸せかと言われたら圧倒的に幸せだと思いますが、生まれて良かったと思ったことはありません。 その点だけ母親含め、親が憎いです。 生まれたかったわけじゃないのにと思ってしまいます。 出来れば死にたいですが、方法やタイミングよりも、賠償金などで家族に迷惑がかかることが嫌で自殺はしていません。 元々、物心ついた時からよく死にたいなと思っていたのですが、 親が離婚した際に言葉では言われていませんが、それって全く私に愛情はないし、要らないってことだよね。 と思うようなことを父親が言っていたのを聞いて 私は死ぬ事も出来ず苦しいのに、あなたは自分勝手に産んだんだ…と怒りと共に悲しい気持ちになりました。 父親は嫌いだし、愛情が欲しいとは思いませんが、単純にじゃあなぜ生まれたのか?と落ち込んでしまいました。 母親には感謝しているし、母親がいるうちは幸せにしたいので生きようと思いますが、ふと辛くなってしまいます。 どうしたら生きたいと思えるのでしょう。 死にたいと思わない方はどういう風に生きているのでしょうか。

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理由もなくしにたくなる

こんにちは。高校三年生の女子です。お話を聞いていただきたく、投稿させていただきます。駅のホームで電車を待っている時や、高い所に行った時や一人でいる時など、「あ〜しにたいな〜」と思うことが不定期にあります。 しかし、私には特別な悩みがあるわけでも、息詰まってることもあるわけでもありません。毎日学校は楽しく、大学にも一発で合格して、(自分でいうのもなんですが)一緒にいて楽しい友達も沢山いて、恋人もいて、生きているのは心の底から楽しいと感じています。 ネットでうつ病の診断テストをやってみたり日記を書いて自分の気持ちを確かめたりしてみましたが、原因がいまいちわかりません。 私は普段から明るい性格でポジティブな方だと思います。いい意味でも悪い意味でも何事も重く受け止めすぎず、なんでも楽観的な考えをもっています。自分の話をするのが苦手なわけでも、人に悩みを話せないわけでもありません。ただストレスというものがわからず、自分がいつストレスをが抱えているのかとかも自覚できないので発散もできず、爆発することがたまにあります。ですが次の日からは普通に元気に過ごすことができます。 その1人でいる時やしにたくなるときがとてもつらいのでなおしたいのですが、どうしたら原因がわかるでしょうか。ご意見お待ちしております。

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特に悩みはないけど、希死念慮が消えません

初めての相談です。 物心ついた時から希死念慮が消えません。 もちろん楽しいことをしている真っ最中や、そう言った予定の前日は消えますが、基本的に死にたいという漠然とした思いがあります。 中学生の時、祖母と同居するようになり、ストレスがひどくなりました。 毎日祖母と母親が喧嘩するからです。 母親は祖母から躾という理由で暴力を受けていたこともあり、私は祖母のことが嫌いでした。父も母も祖母のことは嫌いで、家庭環境は最悪でした。 先日祖母が亡くなりました。道徳的に問題があるとは思いますが、人生で一番嬉しい瞬間でした。 この時、今後は一切のことに悩まず毎日明るく楽しく暮らそうと決意しました。 しかし、実際は仕事が思うように進まないなど小さなことで不安になる自分を変えられませんでした。ちょっとしたことで死にたいと思ってしまいます。また、不安なことがあると夜寝れなくて、次の日思うように自分の力を発揮できず、そんな自分に苛立つことも頻繁にあります。その気持ちを夫にぶつけてしまう自分に何より嫌気がさします。こんな不安な気持ちにすぐなる自分は人間に向いていないと感じています。客観的に見て仕事も安定していて、人間性がとても良い夫もいて、人間関係にも恵まれている、不満のない人生だと思います。 結局は小さなことに反応し、不安になり、死にたくなる自分に問題があるとわかっています。これだけ死にたい気持ちがあっても死ねない自分の勇気のなさも情けなくてたまらないです。 まとまりのない文章で申し訳ないですが、何かアドバイスが頂ければと思い、相談しました。よろしくお願いします。

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希死念慮と闘ってきました

はじめてお話させていただきます。よろしくお願いいたします。 何年も希死念慮に抗ってきました。 死んではいけない。生きて責任を全うしようという意思はあります。苦しくて涙が出るのは、死にたいという気持ちを死んではいけないという考えで打ち消そうとするときです。 気持ちを押し殺さなくても、終わりの準備をしながら生きればいいと己に言い聞かせてここまで長らえました。生命保険、連絡先の整理、持ち物の処分、仕事のマニュアル作成……でももう頑張れそうにないのです。 愛犬に病気が見つかりました。 なぜ犬がこんな目に?私の病気だったらよかった。延命治療は苦痛では?最後まで一緒にいたい。その後は? 私の役目も希死念慮も関係ないところで、犬の存在だけは幸福そのものだったのに。 私はこのさき何十年も死ぬ準備を続けていく自信がありません。心が落ち着かず、最近は物を捨てる行為をとめられません。 その時がきたら、誰かにお疲れ様と言われたい……などと贅沢なことも望んでしまいます。お坊さんは、自死するような愚か者に労いの言葉はかけてくださいませんか? 最後まで犬に寄り添うことができたら、もう一度ここへきてお話してもいいですか?

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生の強制を信奉できない

以前自殺願望について何度も相談させて頂いたものです。何度もお手数をお掛けして申し訳ありませんが、またご相談の程宜しくお願いいたします。 私は、皆さんとの対話の末に何とか生きる目的を導き、少しずつ自らの存在と自身が存在する世界を祝福できるようになりました。ですが、自身の中で解決していない問題があります。 生の強制と自殺についてです。 私が知る限りでは、仏教は生と死という対立概念について中立の立場を取っています。生きようが死のうが問題ないような心構えを説かれているように思えるのです。私はこの考え方に大いに賛同しているのですが、その立場故に生存を無条件に強制する人たちに対して今でも強い忌避感を覚えてしまうことに悩んでいます。 私は、ハスノハ以外でも両親や友人、教授に自殺願望の悩みを打ち明けたのですが、その誰もに私に対して「死ぬな」という事を前提に説得されました。 私が、生活に不満はないがやることがなくなり、これ以上生命に執着したくないという事を打ち明けたとしても、その発想自体を幻想と一蹴され頑なに生を強制されました。 説得者の言葉からは、現実の私ではなく、説得者のイメージとしての私や、先程述べた死生観を見ているような見当違いを感じ、それ以来人を信頼できなくなっています。 断っておきますが、この方々が悪い人間とは思っていません。むしろ、自己の想像の範疇で私を助けようとしてくれる善人だと思います。しかし、それ故に彼らが生きるという事を無自覚に狂信している事実に深い断絶を感じます。この世のどんな渓谷よりも深い絶望的な断絶の向こう側に、ひとりぼっちで取り残されたような感じです。 私は、彼らのように生を肯定すること自体は問題ないと思っているのですが、生に取り憑かれ、挙句他者にそれを強制する傲慢さを拒絶せずにはいられません。 生きたいと決心した人が快く生き、死にたいと決心した人が悔いなく死ねる。そんな世のあり方を私は望んでいますが、この考え方に取り憑かれた私もまた傲慢なのでしょうか。 そもそも、仏教の教えを信じる時点で私は傲慢だったのでしょうか。

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世界一優しい戦士

以前から希死観念について相談させて頂いている者です。何回もお世話になり申し訳ありません。 これまでの相談で、私は生きる理由が無いにも関わらず原始的欲求や死の苦痛に対する恐怖、なけなしの人情などに屈して死ねない自分に苛立ってきました。そんな中で「人の煩悩、ひいては人という概念に打ち勝つ」という人生で初めての目標を持ち、それを自殺によって達成しようと思いました。 しかし、数々のご相談で皆様になだめられ、煩わしさを感じながらも踏み止まる間、ある偉人の格言に出会いました。 「戦いは万物の父である」 古代ギリシャの哲学者ヘラクライトスの言葉です。 彼は「存在する」という万物の本質を「空間や構成要素の奪い合い」つまり戦いと解釈し、万象を陰陽や男女といった対立概念で説明した人です。 しかし、彼は決して酷薄な考え方をしたわけではありませんでした。何故なら、彼の言う戦いは、相対する存在を断滅する事だけではないからです。 彼は、対立概念が共倒れしない理由として「調和」というあり方を提唱しました。対立概念が居場所を取り合って争ううちに譲歩の仕方を学び、釣り合いを取るというあり方です。それは、片方が死滅するまで終わらぬ死闘ではなく、鎬を削りながらも相手を尊重する世界一優しい戦いです。 私は、生命の本質に抗う自分を戦士として鼓舞し、死という選択肢がありながらその恐怖に屈する人々や頑なに生を説い続ける皆さんに辟易していました。そうしていれば、生に抗う自身が特別に見えたからです。 しかし、存在することは戦うことだと説くこの格言を言い換えるとこう表せます。 人間は生きるだけで戦士である、と。 生に屈したと思われた人たち、生を説く皆様は死に抗っていました。戦う相手、戦い方が違うだけの戦士だったのです。 仏道を進む皆様はことさらに凄い。不完全な自身を抹殺対象ではなく研鑽の相手として受け入れた上、他人に寄り添って共に戦っています。自分を殺そうとした私と違い誰も殺そうとしない。 世界一優しい戦士だったのです。 私は戦い方を間違えていました。今やるべきことは死を恐れて理想から遠ざかる自身を受け入れ、研鑽し続けることです。 前置きが長くなり申し訳ありません。 私は皆さんのように、万象と調和する戦い方をしたいです。 世界一優しい戦い方の心得を教えて下さい。

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希死念慮がなくなりません。

相談失礼します。 私は23歳の男です。 中学生に入ったくらいの頃から自分の心と体の性別になんとなく違和感を覚えるようになりました。それは歳をとるごとに増し、今現在の心の割合は男3女7くらいです。 やはり大人になるにつれ心とは裏腹に段々と男らしい体になっていき、いつしか自分の男の身体に強烈な嫌悪感を覚えるようになりました。最近ではなんとなく髪も薄くなったような気がして、自分が男だということを突きつけられたような気がして余計に気持ち悪く、精神的にも参っています。 母には相談でき、そのことも理解してくれますが、いくら母に相談したところで身体が男ということが変わるわけではありません。 性転換手術を受けてもガタイが良く、体毛も濃く、濃い目の顔なので女性にはなりきれません。 もうこの先生きていくのが辛く、自殺を考えています。母にも自殺のことを相談しましたが、本気だと思っていないらしく、毎回「それだけはやめて。」とだけ言われ、受け流されます。 これから先もこの男の体で生きていくのは無理です。生きるのが怖いんです。未来という途方も無い時間に足がすくんで進めそうに無いんです。 今まで真面目に優しい人であろうと生きてきたつもりです。なぜ私はこんな辛い思いをしなければならないのでしょうか?私は何が悪いことでもしたのでしょうか? そして、自殺はいけないことなのでしょうか? 情けない話ですみません。 長文乱文失礼しました。

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希死念慮が消えません

双極性障害20年 子なし主婦です。 主人から もう躁のときは、つきはなして、 鬱になると頼ってくる。 このままだと自分が潰れる。 自立して生活してくれ。 と言われました。 離婚ではないけど、今の状態では 一緒に暮らせないと言います。 先生には、薬は今の状態から動かすより、 自分の習慣を変える 朝きちんと起きる。 朝日を浴びる 外に出て散歩などする。 全部正しいことなのですが私にはできず、 ただ布団の中で過ごす日々です。 いまは、主人の実家に世話になっています。 高齢なのもあって、 早く出ていかなければなりません。 お義母さんからもそう言われています。 先生は病院の単身寮に入って デイケア、ナイトケアに通うように 提案してくださったのですが、 いざ体験をお願いしたものの、 引きこもり状態の寝たきりでは 体験さえ 不安でなりません。 ずっとずっと希死念慮が離れないのを 先生にもいえずにきています。 いえば、入院になるから。 今の私には、勇気が足りないのでしょうか? どうすれば、勇気をもてるのでしょうか? ずっと離れない希死念慮を抑える事ができるのでしょうか? 1人になるとより考えが増しそうで怖いです。 まとまりのない文章ですみません。

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希死念慮を失くしたい

自殺願望が芽生え始めたのは、記憶では小学4年生頃からです。それは高校3年生頃まで続いていました。 理由は、母のしつけが自分にはとても辛く感じていたためです。(母子家庭)母が仕事から帰ってくると機嫌が悪く、威圧的であったり、嫌味であったり、怒鳴るような叱り方を頻繁にされていました。 大学では一人暮らしで連絡もほとんど取っていなかったので、しつけが辛いと感じることは少なくなりました。その頃から、自殺願望から希死念慮に変わったと思います。 自殺未遂は中3〜高2までリストカット、大学〜2回首吊りを試みています。首吊りの2回は、もう十分人生楽しんだから、嫌なことが起こる前に死のうという気持ちからです。 昔から友人は多く、恋愛も人並みにしていたので、楽しい生活ではあったのですが、どんなに幸せな毎日でも、可能であれば今すぐに死にたいと思い続けています。 特に死にたい理由は思い浮かびませんが、こんなにも恵まれているのに死にたいと思ってしまうのが嫌で死にたい。と思うこともあります。 たまに理由もなく死にたすぎて涙が出ることもあります。 まとまりはありませんが、こんな死にたいLIFEを送っています。ですが、できることなら死にたいと思う気持ちを失くしたいです。 よろしくお願いします。

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