人生の目的
“いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます。”
太宰治の人間失格の行です。
太宰治と言えば、ネガティブなイメージで捉えられるケースが多く、この行も自死を決断した際の言葉だとも言われています。
でも、僕にはこれが『悟りの境地』なのではないかと思えてしまいます。
最近、『死』を意識するようになりました。
決して自死願望などではなく、自分の人生が良かったか悪かったかを判断するのは、死の瞬間に走馬灯のように自分を振り返る時に、自分自身で判断するものだと思うようになったのです。
だから、今を精一杯生きようと...
ただ、それが空回りしたのか、ベクトルを間違えたのか、自分の理想ばかりが鮮明になってしまい、現実が非常につまらないもの・美しくないものに見えてしまい、虚無感に苛まれておりました。
先般の質問に対してご回答を賜り、理想と現実のギャップについて学びを得させていただきました。
ありのままにすべてを受け入れることは、簡単なことではありませんし、それを理想にしてしまえば、また堂々巡りのように自分中心の思考に嵌まってしまう...
ここで、改めて質問をさせて下さい。
輪廻転生がないものだと仮定すれば、人は生まれてきて死ぬまでに、どんな意味を持つのでしょうか?
煩悩を捨て、ニュートラルな思考で生きることが最善であるならば、そこには何の喜びがあるのでしょうか?
輪廻転生があるのだとすれば話は別だと思いますが、それを記憶出来ない以上は、敢えて現世の人生の中での部分に絞ってお伺い致します。
有り難し 63
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