心の平穏が得られないです。
他の問答で仏教は"心の平穏"を見つける事と書いてありましたが心の平穏が見つからないです。
ずーっと死ぬor投薬を数年続けてて最近本当に生きるのをやめようと確信しつつあり、今はもう絶望感と戦いながら生きてます。おそらく私の年代でここまで人生に苦痛を感じて、失敗して、でも普通の人ぽく振る舞い、誰にも悩みを離さず生きてる人はかなり少ないと思います。
365日10何時間「死にたい、生きる意味は?生まれてこなれけば」と何度も考えている人間ですよ? そんな私はやはり苦しみについて人以上に考えるし、哲学や仏教に自ずと向かいます。
でも普段心の平穏や幸福な人たちはどちらかというと、ここハスノハで説教されるような不勉強な人達で何の苦労もないし、不幸も少ないです。人生勉強とかいうけど勉強の量が圧倒的に違うし不公平すぎる。
ここで説教されるような物事の解釈を変えるとか感謝とか人以上にしてるし、人以上にどうすればいいか勉強してますし考えてます、説教されてない幸福な人より何億倍も向き合いました。
毎日死ぬような目にあって、希望もなくて、自信につながるようなことはなくて、不幸ばかり。
そんな時に"心の平穏"と言われても無理、できるわけがない。仮に少しでも好転してもこの状態があと何十年も続き、もはや変えられないことの方が多い中、苦しみ続けるのに心の平穏なんて得れるわけないです。
いつも思うのですが、苦しみを減らす方法ってどちらかというと他人を攻撃して嘘をついて生まれた環境や遺伝子の有利さを発揮して利己的に生きる方が何億倍も心の平穏が生まれるという事。
毎日苦しんでる私のような人は平穏どころか苦しみばかりです。どんな捉え方をしてもやはり不幸なのです。
そしてそんな運の悪い人は仏教を勉強しても悟りについて考えても知名度のあるお坊さんに負けてしまいます。結局知名度もあり、欲を楽しみ、私よりも恵まれてるお坊さんが"心の平穏"こそが悟りといってるだけじゃないかと思ってしまう。
実際は悟りなんて無くて生まれた時に苦しむ人は苦しむだけの人生なのでは?と。
一度人生の地獄が続くと脳細胞が死滅していてもはや戻る事は不可能です。
仮に生まれて虐待されて親に愛されなくて友達に虐められて苦しんで自殺した人ってもはや何を悟るの?と思います。
有り難し 44
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