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「お坊さん・僧侶全般」問答(Q&A)一覧

あのとき出会ったお坊さんは。

こんにちは。 もう3年程前の冬に、奈良の真言宗のお寺(もしかするとそのお坊さんの特定が出来てしまうかもしれないので、お寺は伏せます)に行った時のことです。 境内がとても広く、小道がとても綺麗で、私ははしゃいで歩き回っていました。 すると、目の前からお坊さんが歩いてこられて、目があった私に、合掌し軽くお辞儀をしながら「こんにちは。」と声をかけてくださいました。 でも、その時は今ほど仏教のことを知らず、悪い気はしませんでしたが、とてもびっくりしてしまい、3秒ほど固まったあと、小さい声で「こんにちは…」と言うしかできませんでした。 私が固まったのは、びっくりしただけじゃなく、そのお坊さんが纏っていたオーラに圧巻されたのもありました。 すごく綺麗な茶色のお着物に、オレンジ色の大きな?(裾まで隠れる大きさの)袈裟を着ていらして、通り過ぎたときにお線香のとても良い香りがしました。 家でお線香を焚くと、ふと思い出します。 私の知っている、黒い衣のお坊さんと全く違い、絵画や彫刻でしか見たことないようなお着物で、お顔つきも、本当に仏様のようで、とても穏やかな雰囲気の方でした。 失礼ながら、別次元の方のように思えるほどでした。 もう3年前の事ですが、そのお坊さんの出会いが、私にとって強烈な体験で、今でも忘れられません。 またどこかで出会えたら良いなぁと思います。 ここにご質問させて頂いたのは、この話を誰かに聞いてほしかったのと、どういう方だったのか、なぜそのお寺にいらしたのか、推測できる範囲で教えていただきたく、投稿しました。 袈裟の色や形によって何か立場や宗派が異なるのですか?そのお寺のお坊さんかもしれませんが、袈裟を着たまま他のお寺にお参りすることはありますか? ご回答お待ちしています。

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納得のいかない法話

質問させていただきます。 回答しづらければ、スルーでお願いします。 母の四十九日法要の和尚さんの法話でのことです。 「亡くなった人はどこへ行くか?」と和尚さんは私の甥に尋ねました。 小学生の甥は、「心の中」と答えました。 それは、亡くなった母が教えたことです。 母は「自分が死んでも、いつも見守ってるから」という意味で、生前、そのように話したのだと思います。 が、その和尚さんは、それを完全否定しました。 人は死んだら「無」になる、と。 何もなくなる、心の中ということはない、と。 実際に仏教でどのように考えられているかは知りません。 和尚さんが仰ることが正しいのかもしれません。 ですが、そこはあえて否定する必要があるのでしょうか? マチガイハ タダスベキということですか? 甥だって大人になるにつれ、母の言葉の意味は理解するだろうし、何より母の法要で母を否定されたような気がして、何とも言えない気持ちになりました。(「黙れクソ坊主がっ!」と思ったことは内緒です) また、その話の流れで、ホームレスは人間のクズだから地獄に堕ちるという話をされました。 いや、ちょっと待て! 人は死んだら無になるんじゃなかったのか? 無になったら、地獄も何もないのではないか? それとも、ソレとコレとは違うとでも言うのだろうか? それより、ホームレスが人間のクズとはどういうことなのか!? それが仏教なのか? 和尚さんの偏見ではないのか? 和尚さんに対しての怒りの感情と、母に対して申し訳ない思いと… お前が地獄に堕ちろ!とマジ思いました… ホームレスの方達に炊き出しをするボランティアをしていたので、色々と思うところがありました。 もう数年前のことですし、そのことを引きずって悩んでいる訳ではありません。 過去のことに上書きすることはできませんし、それはソレで、そういう事実があった、でよいです。 ただ、その本当のところが知りたいです。 数年前のことを、なぜ今、このタイミングで?と思われるかもしれませんが、今まで聞く人がいなかったからです。 hasunohaのサイトを最近知りました。(遅っ!) よろしくお願いいたします。

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住職と檀家

はじめまして、翔太郎と申します。お恥ずかしながら、48歳のここに至るまで、菩提寺が真言宗豊山派だということを深く考えずに生きてきました。 しかし、父親が亡くなったら寿命が尽きるまで、わたしが菩提を弔わなければなりません。 となれば、わたしは豊山派の檀家として、それ相応の作法を身に付けたいと思いました。 残念ながら、13年前に亡くなった母親は、ひどい精神疾患でした。兄にもわたしにも、その血は流れているようで、わたし自身、精神障害者手帳3級です。父親は精神疾患というものを本当には理解できないようで、今の状態のわたしにひどい言葉を言うこともあります。それでも晩年の母親に随分と暴言を吐かれながらも看病し、時に惨めな思いをしたこともある姿を近くで見ていた実の息子としては、亡くなった時、菩提寺で手厚く葬ってやりたいと思い。きちんとした檀家の作法を身に付けたいと思いました。 まずは、真言宗の開祖であるお大師様の時代からの仏教の歴史を調べ、なぜ、高野山から別れる形で豊山派ができたのか調べ、母親の戒名が飾られてから、線香をあげなくなった仏壇に線香をあげるようにしました。 次に檀家は正式には、毎日、仏壇の前でどのようなお経を唱えるべきか、菩提寺のご住職に電話で尋ねようとしたのですが、ここから流れが少しずつおかしくなって行きます。 たまにご住職が電話に出ても、これから外出するところで、話をしている余裕がない。キャッチホンが鳴ったので、またかけてもらえますかの繰り返しです。忙しいのは事実のようで、息も荒く疲れ切ってるのが伝わってきます。後日、父親から茨城県で三人しか選ばれない議員に選ばれたと伝聞で聞き、どういう事情でそこまで忙しいのか、今度こそ聞こうと思い、電話をかけたところ、今度は息子さんが出ました。副住職をされているそうです。初耳でした。ご住職が忙しいなら、電話を取った時、息子が副住職をしているので、そちらに聞いてもらえないかと言って欲しかったのですが、それは言ってもらえず、息子さんに檀家の作法をお聞きしました。ちなみに宗会議員になると、檀家の相手をする必要がないくらい忙しいものですか?僧階は2級の権野大僧正だそうですが、それくらい偉くなると、檀家の話などまともに聞く必要もなくなるものですか。わたしが傲慢な考えを持っているようでしたら、分かりやすく注意していただけると助かります。

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お肉についてお坊さんに聞くのが怖いのですが…

勇気を持って質問します。 世界の人達は対象である生き物を殺してお肉を食べています。 仏教のお坊さんは、生き物を殺さずベジタリアン派で生活をしていますよね。 勿論、生き物を殺す事を殺生と言います。 私は必ず虫を殺さないようにしています、ティッシュ等で虫を優しく乗せて外に逃がしています。 勇気を持って……ここからが本題です。 世界でお肉を食べる理由は幾つかあるのですが、まず人口増加です。 世界には爆発的に人口が増えて国際で問題になっています。となると、菜食だけで食べる事は難しそうです。 次に、伝統です。 世界には伝統があって伝統を守り、お肉を使う事があります。 次は、アマゾン川の部族です。 海外にあるアマゾン川のどこかに部族がいます。その部族の生活は菜食は勿論、生き物を殺してお肉を食べています。どうしようもない部族です。 他にもまだあるのですが、世界にはどうしてもお肉を食べないと生活が出来ないようになっています。 この事をお坊さんはどう考えていますか? 聞くのが怖いです… 私はお肉を食べる時は、食前に「申し訳ありません、その命を頂きます。」と言うようにしてから食べています。

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以前、お坊さんに「あなたの思いを聞かせて」と言われました

私は中2の時にいじめにあいました。ボールなど沢山投げられ足に当たったり、至近距離から首に何か当たって物凄い衝撃があり痛かったです。首が真っ赤になりました・・・ゴミ箱も当てられそうになったりからかわれたり、時には大量の唾が吐き捨ててありました・・・毎日(涙) 友達もいないし、先生や親にも相談できませんでした。家に帰ればワンちゃんがいたので耐えられましたが、もしワンちゃんがいなかったら自殺していたと思います・・・そのぐらい当時は辛かったです・・・涙 いじめが原因で人嫌いになり、大人になってからも社会に馴染めず、職場でのいじめや人間関係で悩むことも多く、職を転々としていました。 それでバチが当たったのでしょう。病気をし、今では職がなかなか見つからず苦労しています・・・ いじめにあった時の記憶がふと蘇ることがあり、動悸がして辛いです。 いつしか「死にたい」と毎日思うようになりました・・・ 夜になると急に不安に襲われます。怖いんです。 1人で考え込んで、誰にも相談できず、こそこそ泣いて、時には奇声を発したり、イライラしたり・・・ 毎日何回も死にたいと連呼します 落ち込んだり、元気になったり、の繰り返しで・・・ 気持ちの浮き沈みが激しく、ネガティブ思考で・・・つらくて、苦しい・・・ 母親とは仲良くありません。 父親も私を「ダメ人間」と言います。 頑固で意地っ張りな母親なのでよく喧嘩します。 私のことを理解もしてくれません・・・ 私は母親の意見には耳を傾けてるつもりです。けど母親は自分の意見ばかり通して私の話を聞こうともしません・・・ 父と兄の意見は聞きます。 いつも喧嘩すると私から謝ります・・・ 母親は一切謝りません・・・ 偉そうな態度をしてきます・・・ 私のこと見下してるからでしょうね・・・ 自分の非を一切認めない母親・・・ 母親のことで悩み、死にたい気持ちがさらに強くなりました。 父親に「ダメ人間」と言われて、母親には意味もなくブチ切れられ、仕事もなかなか見つからない・・・もう、つらい・・・心が辛い・・・ 私の安らげる場所は・・・ もうどこにもない・・・ なんかもう・・・ 皆に「死ね」って言われているようです・・・ 母親も父親も私のこと嫌いですからね・・・ 毎回くだらない事を吐き出し、それを読んでくれたお坊さん・・・ありがとうございました・・・

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ANESTHESIOLOGIST

麻酔科医の主な仕事は、「体の痛み」を取り除くこと。 お坊さまの主な仕事は、「心の痛み」を取り除くこと。 患者様に寄り添う仕事。 救いを求める人たちに寄り添う仕事。 ほぼ同じようなもの。 もし互いに協力し合えれば、もっとたくさんの人たちを救うことが出来るのではないでしょうか? でも、何だか今、非常に高い「壁」を感じています。 「どちらかだけの世界」として存在しているように感じています。 私は、そんな「偏った世界」や「無意味な壁」を取り除きたい。 「誰でもいらっしゃい!」と人を招いておきながら、互いの中に「分け隔てる壁」を持ってしまっているのではないでしょうか? 窮屈です。 息苦しいです。 全然、開放的ではない。 閉鎖的です。 この「壁」は、これからもずっとずーっと無くならないものなのでしょうか? それだと、せっかくの「ビハーラ活動」もなかなか広まらないのではないでしょうか? こっちはこっち、あっちはあっち。 そんな状態、良いとは思えません。 これは「喜怒哀楽」で言うならば、私にとって「怒」ではなく「哀」です。 このままだと、ここに私のいる意味など無くなってしまいそうです。 助け合いの精神とは…? 「助けたい」 これも「欲」の「煩悩」なのでしょうか? ここhasunohaに来て1か月が経ちました。 去るべきかどうか迷っています。 hasunohaは、とても心地よく素晴らしい場所です。 しかし、何だか… うまく言葉に出来ませんが… 迷っています… 消えた方がラクなのでしょうか…

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「有り難し」ボタンの押し方

いろんな人たちの悩みや問いかけを読ませていただき、それにお答えになるお坊さまのお言葉を拝読し、「なるほど!」「イイかも!」と思ったときも、「うーん…」と思ったときも、「有り難し」ボタンを押しています。 いろんな考え方があることに「有り難し」と感じたから「有り難し」ボタンを押す。 または、悩める人たちにエールを送りたい、「そう思って悩んでいるのはあなただけじゃないですよ」「あなたは1人じゃないですよ」という気持ちを込めて、「有り難し」ボタンを押す。 いろんな生き方、考え方に感謝して、「有り難し」ボタンを押させていただいております。 なので、私のように、所謂「有り難し」と思った時以外の意味合いで「有り難し」ボタンを押す、例えば前に書いたような「エールを送りたい!」等でも「有り難し」ボタンを押すのは、アリなのかナシなのか… 決して軽い気持ちでボタンを押したりはしていません。 でも、私の想いを「有り難し」ボタンに込める押し方を、このまま継続しても良いのか、ふと疑問に思いました。 私の「有り難し」ボタンの押し方は…大丈夫なのでしょうか? 「感謝」だけでなく「エール」も「有り難し」に反映させてもよろしいでしょうか? ちょっと意味不明な質問になって、すみません。 ※不思議なことに、回答の「出だし」や「言葉遣い」で、どちらのお坊さまがお答えしているのかが、最後の回答者を見なくても、分かるようになってきました。 でも、それよりもっと不思議なことに、「答えは人それぞれ」「答えは1つじゃない」のに、辿り着く答えは1つ、「仏様の道」や「仏様の教え」であるところに不思議を感じています。

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妻帯について

こんばんは。 同じような質問を他でも見かけるのですが、改めて質問させてください。話をまとめるのが苦手ですので長くなりますがご容赦ください。 一週間ほど前に出会った海外の僧侶の方に、 「なぜ、日本の僧侶は結婚するのか」 という質問をされました。 私の生半可な知識では到底答えられなかったのでhasunohaで見かけた意見などを紹介してみたのですが、いまいち質問の意図にそぐわない気がしました。 彼が訊ねていたのは妻帯を許されるようになった歴史とか、結婚したらしたなりの別の修行があるから、というようなことではなく、なんと言えばいいのか…もっと根本的なことのように思います。(と、いっても私の拙い英会話力での印象ですが) 会話の中では"不必要な結婚"(わざわざ戒律を破る不可解な行為)とも表現していました。 彼はインドで修行を開始し、その後"世捨て人"(なんと訳せば良いのかわかりませんが、英語ではrenunciantと呼んでいました。彼は家も(自認する)国籍も持たず、各地を放浪しながら乞食修行を行なっているようです)になったようです。不学なので詳しくはわからないのですが、インドでの仏教のあり方に最も共感しているようです。それ故、日本でのこの特殊な仏教のあり方に心底疑問を抱くようで、お寺が世襲制であることにも違和感を感じているようです。また、人によってそれぞれ適した修行方法があるし、だからこそ妻帯者には妻帯者なりの仏道修行があるのは認めた上で、それでも、最終的には乞食修行に行き着くのではないか、とも語っていました。 日本という国や仏教に関心を寄せる身として、「今後空海のような人が日本から出てくることはないだろう」とか、「日本のお坊さんは会社員と同じ(誰でも望めばなることができるし、ビジネスとしてやっている)」などと言われてしまうとなんだか悲しくなってしまいしたし、うまく答えられないことがとても悔しく感じました…。勿論、彼に日本を貶めようとかいう気が全くないことは重々承知の上ですが…。 長くなりましたが、hasunohaに集うお坊さま方は彼の質問"日本の僧侶はなぜ妻帯するのか"にどのようにお答えになりますか?是非皆様の智慧をお貸しください。 彼はまだしばらく近くに滞在しているので、会う機会があれば伝えたいと思います。 どうぞよろしくお願いします。

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