初めてご質問させていただきます。 友人のお坊さんが日蓮宗大荒行を成満し、成満後初めて彼のお寺にお参りに伺います。(帰山式ではありません) お寺に伺う時に成満のお祝いをお持ちしようかと思っているのですが、 私は檀家や信者ではなくあくまで友人としてお参りに行くので、 お金を包むのではなく、手土産で仏様にお煎餅などお持ちしようかと思っているのですが変でしょうか? またその場合熨斗には何とお書きすれば良いでしょうか? (「成満祝」「御祝」や「奉納」など) 仏教のしきたりがよくわからず、ご教授いただければと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。
諸事情により専修学院、真別所での修行が出来ません。 現在のお寺では教える側は住職のみで、人出がないため困難と言われました。 加行いただけるところは山内にありますでしょうか? なければ自分で勉強をして救済していくしかないのでしょうか? どうかお助けください。
最近、お坊さんとお話させてもらったり、お話を聞く機会が増えて、SNSでも交流が増えたからなのか、職場の人と会話中、「娑婆」等、お坊さんが使ってそうな言葉を無意識に使ってした。 娑婆とか言うなと言われます。 お坊さんのどこが、そんなに良いの?と言われますが、好きなのは、どうしようもないです。 どうして、お坊さんを好きになったらダメ。と言う人が多いんでしょう?
シンプルな質問ですが、お坊さんはずっと正座をしていますよね?足が痺れたりしないですか?痺れていたら我慢して歩いているのでは?と思ったりしていますよ。 僕は痺れますけどねぇ… 痺れないコツとかあったら教えて下さい。
お坊さまの声は大きくて深くて大人っぽい 私の声は小さくて浅くて子どもっぽい お坊さまのような声は憧れます 私ももう40なのだから40らしい声になればと思うこともあります でも昔から声優に向いていると言われているぐらい特徴ある声で 時にはラッキーに思うこともあって… ピンポン鳴って見知らぬ人が立っていたら微かな声で「は~い」と出ると「お忙しいところ失礼します~◯◯新聞ですが…」と勧誘だと分かったら「あのね~今みんな出かけているの」と言うと大概「じゃあまたお母さんがいるときに来ますね~」とあっさり諦めて帰ってくれる ピロロロと家の電話が鳴るけど見覚えのない番号なら微かな声で「もしもし~」と出ると「こちら△△建設の□□と申します!この度は無料の耐震検査のご案内で…」としゃべり倒されたとしても途中で「あの…あのね、今誰もいないの」と言うと大概「えっと…おばあちゃんは何時ぐらいに帰ってくるかなぁ?」「うーん…分からない」「お留守番偉いねぇ!じゃあまた電話しますね」と優しく電話を切ってくれる 「今誰もいない」が40の私がいる 「おばあちゃん」って私は母の孫じゃない 姪や甥からはハッキリこう言われる 「なんで芳美ちゃんはそんなに話すのがゆっくりなの?」 「なんかお人形さんの声みたい!」 私は…常にフツーに話しているつもりでいる フツーの声の音量と高さとスピードで ごくごくフツーに話しているつもりだけど 特別な話し方をしているように聞こえるらしい それがイヤに思うことだってあるけど どうしようもない 全国大会で優勝するぐらいの混声合唱団に所属して発声練習にボイストレーニングもしてみた でも声変わりすることはなかった 自分にないものを望んだところで意味ないことも分かっているけど お坊さまがお経を読んでいる時のようなカッコいい声を出してみたい 私がお経を読んだらお寺中に笑いが起こりそう 大人のお坊さまで声がとっても子どもっぽいお坊さまっていますか?
地方に住んでいます。 旅行をすると、旅先のお寺に行き、事前に連絡し、お坊さんとお話させてもらっています。 何名かお会いしたのですが、皆さん、わざわざ遠くから来てくれたんだから、とお菓子や販売しているであろうお守り、もっと仏教を知ってほしいと自分の持ち物の本📕をくれます。 とてもありがたいです。 有り難すぎるくらいです。 貰ってばかりじゃ申し訳ないです。
軟禁状態の私が言うのも何ですが… 私も微力ながら南無阿弥陀仏… 質問に戻ります 私の人生の中で 一番多いのが笑顔の時間 全部が笑顔らしい笑顔ではないけど 不思議と笑顔でいられるから不思議 偽りの笑顔の割合は意外と多い それでも私は笑顔でいる 心が泣いていても笑顔 イジメられていても笑顔 そんなんだから病気にもなる でも何故だか私は笑顔でいる 泣きたい時は泣いていいし 怒りたい時は怒ってもいい だって人間だもんね 私も人間らしさや人間臭さも嫌いじゃない だけどね それが出来ない人もいる 笑顔でいるしかない人もいる そういう自分がイヤになることだってある でもやっぱり笑顔になるんだなぁ それが良いとか悪いとかは 誰にも決められないこと 自分に正直でいたいと思う もっと素直にもっと感情豊かに 思いを表に出せる人を羨んだこともある それでも私は笑顔でいるのだから 私の笑顔のは単なる偽りの笑顔でなく それなりに笑顔らしい笑顔なのかなぁ それが今の私なのだから そういう自分を受け入れていたい 拒否したらおしまいになりそうだから そういう自分を受け入れていたい 涙を流しながらも笑顔でいたりもするけど 多分 それでも それなりに まだ頑張る余力が残っているのだと思う だからここhasunohaを頼ったりしながら 頑張って生きていこうと思う どう頼るとかは ちょっと意味とかもよく分からないけど 何とも言い様がないけど 何かこうして言葉にしているのだから 何か頑張れそうな気がする 決して1人じゃないと思えたから そんな私は今も笑顔 鏡の中の私が笑顔になっている お坊さまたちはどうなのかなぁ… 笑顔で過ごしているのかなぁ… そんなささやかな質問ですが お坊さまたちは今笑顔でいますか?
こんにちは。 もう3年程前の冬に、奈良の真言宗のお寺(もしかするとそのお坊さんの特定が出来てしまうかもしれないので、お寺は伏せます)に行った時のことです。 境内がとても広く、小道がとても綺麗で、私ははしゃいで歩き回っていました。 すると、目の前からお坊さんが歩いてこられて、目があった私に、合掌し軽くお辞儀をしながら「こんにちは。」と声をかけてくださいました。 でも、その時は今ほど仏教のことを知らず、悪い気はしませんでしたが、とてもびっくりしてしまい、3秒ほど固まったあと、小さい声で「こんにちは…」と言うしかできませんでした。 私が固まったのは、びっくりしただけじゃなく、そのお坊さんが纏っていたオーラに圧巻されたのもありました。 すごく綺麗な茶色のお着物に、オレンジ色の大きな?(裾まで隠れる大きさの)袈裟を着ていらして、通り過ぎたときにお線香のとても良い香りがしました。 家でお線香を焚くと、ふと思い出します。 私の知っている、黒い衣のお坊さんと全く違い、絵画や彫刻でしか見たことないようなお着物で、お顔つきも、本当に仏様のようで、とても穏やかな雰囲気の方でした。 失礼ながら、別次元の方のように思えるほどでした。 もう3年前の事ですが、そのお坊さんの出会いが、私にとって強烈な体験で、今でも忘れられません。 またどこかで出会えたら良いなぁと思います。 ここにご質問させて頂いたのは、この話を誰かに聞いてほしかったのと、どういう方だったのか、なぜそのお寺にいらしたのか、推測できる範囲で教えていただきたく、投稿しました。 袈裟の色や形によって何か立場や宗派が異なるのですか?そのお寺のお坊さんかもしれませんが、袈裟を着たまま他のお寺にお参りすることはありますか? ご回答お待ちしています。
今日は祖母の法事だったんですが、正座が辛いんですが、お坊さんは約一時間ぐらいの読経が終わるとすっと立ててるんですけど、なんか秘策あるんですか? 痺れたりしないのかなって思ってるんですけど、修行で慣れたんですか?
私は着物や浴衣といった和装が好きです。 ですが、着物での車の運転は地域によっては条例違反で下手すれば青切符になるからあまりしない方がいいと最近聞きました。 そうなれば法要や法事に行く途中のお坊さまって車運転できないではないですか? どうするのでしょうか? お坊さま方のご意見お待ちしております^^
子供の頃から、お寺とお坊さんが大好きで、大人になってからは、よくお寺に行き、事前に確認をしてお坊さんとお話をさせていただくようになりました。 イベントに参加したりしてます。 人見知りと緊張しいが、重症で、人がものすごく苦手で、怖くて、喋れなくなるし、滑舌がものすごく悪いのですが、とても優しく、親切にしてもらいました。 笑顔で、対応してくれたので、近寄りがたいイメージがありましたが、子供の頃よりずっと大好きになり、仲良しになりたいなと思いました。 人苦手だけど、お坊さんだと、他の人より緊張しないです。 Facebookで、投稿されたものにコメントして多少の交流が、ある人は、知人だけど、友達未満な距離です(´・ω・`) お寺に行かないとお話できない方もいます。 仲良く(友達)なりたいって言われたら、嫌ですか??? 自分のお坊さんのイメージが、近寄りがたいけど、優しくて安全な存在。なのです(*´ω`*) 子供の時に観た映画の影響です。
相容れない意見の僧侶の方をこき下ろしたり、お坊さん同志が白熱バトルを繰り広げたり、 他宗派を嘲笑するような投稿を目にする機会があります。 敬意が感じられない他者批判や、嘲りと悪意に満ちた投稿を全体公開にされているので、とても悲しい気持ちになります。 お坊さん同志の対立はよくある話なのですか?
質問させていただきます。 回答しづらければ、スルーでお願いします。 母の四十九日法要の和尚さんの法話でのことです。 「亡くなった人はどこへ行くか?」と和尚さんは私の甥に尋ねました。 小学生の甥は、「心の中」と答えました。 それは、亡くなった母が教えたことです。 母は「自分が死んでも、いつも見守ってるから」という意味で、生前、そのように話したのだと思います。 が、その和尚さんは、それを完全否定しました。 人は死んだら「無」になる、と。 何もなくなる、心の中ということはない、と。 実際に仏教でどのように考えられているかは知りません。 和尚さんが仰ることが正しいのかもしれません。 ですが、そこはあえて否定する必要があるのでしょうか? マチガイハ タダスベキということですか? 甥だって大人になるにつれ、母の言葉の意味は理解するだろうし、何より母の法要で母を否定されたような気がして、何とも言えない気持ちになりました。(「黙れクソ坊主がっ!」と思ったことは内緒です) また、その話の流れで、ホームレスは人間のクズだから地獄に堕ちるという話をされました。 いや、ちょっと待て! 人は死んだら無になるんじゃなかったのか? 無になったら、地獄も何もないのではないか? それとも、ソレとコレとは違うとでも言うのだろうか? それより、ホームレスが人間のクズとはどういうことなのか!? それが仏教なのか? 和尚さんの偏見ではないのか? 和尚さんに対しての怒りの感情と、母に対して申し訳ない思いと… お前が地獄に堕ちろ!とマジ思いました… ホームレスの方達に炊き出しをするボランティアをしていたので、色々と思うところがありました。 もう数年前のことですし、そのことを引きずって悩んでいる訳ではありません。 過去のことに上書きすることはできませんし、それはソレで、そういう事実があった、でよいです。 ただ、その本当のところが知りたいです。 数年前のことを、なぜ今、このタイミングで?と思われるかもしれませんが、今まで聞く人がいなかったからです。 hasunohaのサイトを最近知りました。(遅っ!) よろしくお願いいたします。
はじめまして、翔太郎と申します。お恥ずかしながら、48歳のここに至るまで、菩提寺が真言宗豊山派だということを深く考えずに生きてきました。 しかし、父親が亡くなったら寿命が尽きるまで、わたしが菩提を弔わなければなりません。 となれば、わたしは豊山派の檀家として、それ相応の作法を身に付けたいと思いました。 残念ながら、13年前に亡くなった母親は、ひどい精神疾患でした。兄にもわたしにも、その血は流れているようで、わたし自身、精神障害者手帳3級です。父親は精神疾患というものを本当には理解できないようで、今の状態のわたしにひどい言葉を言うこともあります。それでも晩年の母親に随分と暴言を吐かれながらも看病し、時に惨めな思いをしたこともある姿を近くで見ていた実の息子としては、亡くなった時、菩提寺で手厚く葬ってやりたいと思い。きちんとした檀家の作法を身に付けたいと思いました。 まずは、真言宗の開祖であるお大師様の時代からの仏教の歴史を調べ、なぜ、高野山から別れる形で豊山派ができたのか調べ、母親の戒名が飾られてから、線香をあげなくなった仏壇に線香をあげるようにしました。 次に檀家は正式には、毎日、仏壇の前でどのようなお経を唱えるべきか、菩提寺のご住職に電話で尋ねようとしたのですが、ここから流れが少しずつおかしくなって行きます。 たまにご住職が電話に出ても、これから外出するところで、話をしている余裕がない。キャッチホンが鳴ったので、またかけてもらえますかの繰り返しです。忙しいのは事実のようで、息も荒く疲れ切ってるのが伝わってきます。後日、父親から茨城県で三人しか選ばれない議員に選ばれたと伝聞で聞き、どういう事情でそこまで忙しいのか、今度こそ聞こうと思い、電話をかけたところ、今度は息子さんが出ました。副住職をされているそうです。初耳でした。ご住職が忙しいなら、電話を取った時、息子が副住職をしているので、そちらに聞いてもらえないかと言って欲しかったのですが、それは言ってもらえず、息子さんに檀家の作法をお聞きしました。ちなみに宗会議員になると、檀家の相手をする必要がないくらい忙しいものですか?僧階は2級の権野大僧正だそうですが、それくらい偉くなると、檀家の話などまともに聞く必要もなくなるものですか。わたしが傲慢な考えを持っているようでしたら、分かりやすく注意していただけると助かります。
職場の人と飲みに行った時、何で、お寺とお坊さんが好きなの?と聞かれました。 お寺は、雰囲気と佇まいが好き。夜は怖くて近づけないけど、許されるならずっといたいくらいです。 (これは渋々納得してくれました) お坊さんには、話を聞いてもらったり、悩んでいるときや、独りで、心細くてどうしようもなくて身動きとれなくなってるときに、ずっと一緒にいてくれて、優しくしてもらったので、大好きになり、数少ない尊敬できる特別な存在です。 そんなことで?何で特別なの?!好きになるなら他の人にしなよ!と言われ、納得してもらえませんでした。 私の説明下手もありますが、良さをわかってほしいですが、まだ知識が浅くうまく喋れず、余計誤解させてしまったようです( ;∀;)
今日も、始発でお寺様にうかがい 朝のお勤めに参加させて頂き、ひたすら 竹ぼうきで お手伝いさせて頂き 、、、お寺様には 葉っぱには困らないくらい沢山ありますね。いまの時期、狸飼ったらお金にかえてくれないかしらと思うほど 葉っぱだらけでした。後は護摩行に参加させて頂きましたが、朝激寒 よくあの格好で 寒くないんだろうか?と羨ましいです。 私は手が冷たくて 本堂寒いし どれだけお坊様方は強いんだろうかと思い 古いものでも構わないので 使われていた お数珠なり なんなり お守り代わりにほしいです。 仏様も素晴らしいとは思うんですが 毎朝 こんな寒い中お勤めされ お掃除してる お坊様方は 私にとっては 拝むにあたいする存在です。 生き仏くらい素晴らしいです。 どんな事をしたら そこまでの忍耐力が得られますか
YouTubeで、お坊さんの怪談話の動画を観たんですが、怖くて最後まで聞いてられませんでした( ;∀;) 他の話なら面白くて、楽しいからいつまででも聞いていられるのに。 お坊さんて何でそんなに、話をするのが上手いんでしょう・・・。 私が下手すぎるだけなんでしょうか。 怖いなら、怪談話なんて、見なければいいのにって思われるかもしれませんが、見てしまいましたΣ(ノд<) くだらないこと言ってごめんなさい
托鉢でしょうか、お坊さんが円錐の藁の帽子みたいなのを被って、おわんみたいなのを持っていらっしゃいました。 どうすれば良いのか分からなかったのですが、おわんの中にお金を入れれば良いのでしょうか? どうすれば良いのか分からなかったので通り過ぎてしまいました。 私にできる事がありますか?
いつも大変お世話になっております。今までの相談の回答をして下さったお坊様の言葉がやっと心に染み込んできたようで、フラットな自分。私が、私がになっていないだろうか? 等、心にとめながら生活するように心がけております。 お墓のパンフレットも取り寄せました。落ち着いて考えたいと思います。 お坊様方にご相談なのですが、菩提寺ではないのですが、長年お世話になっている曹洞宗の老師様が近々、古稀をお迎えになるのです。有志約10名位で老師様にお祝いの品(記念になるもの)をプレゼントしようと思うのですが、お坊様が喜ぶ品物とはどんな物なのか、教えて頂けないでしょうか。なるべく沢山のご意見を頂けたら幸いです。
私は、お坊さんに対してとても好意的に思っています。 子供の時に観た映画の映画の影響が、大きいですが、大人になってからは、話を聞いてもらったり、相談にのってもらい、とても親切にしてもらって、大好きになりました。 周りの人達は、お布施と称して、お金をとろうとしてる、壺など、何かを買わせようとする、騙されてるんだ、目を覚ませと言われます。 私が、出逢ったお坊さんは、皆優しい方ばかりなので、何も被害にはあっていませんが、洗脳されてる、病んでると言われてます。 どうしたら良さをわかってもらえるかわかりません。