ユーチューブの「みすずの野望」チャンネルにて、住職の方がクラブのママと心霊スポットに出向き、クラブのママにお酒を飲みながら接客を受けるという企画を目にしました。 その企画を見た瞬間に、亡くなられた方を馬鹿にしているように見えてしまいました。とても不謹慎なことをしていると思いました。 住職がこのようなことをしても良いのでしょうか。
前回の質問にて、浄土宗の三宅章聖様にお答え頂き。元々無神論者でしたが、【仏教】に興味が湧き、色々と調べてみました。 各宗派、色々な僧侶の方が居られる事。 各宗派、様々な教え、導き方がある事。 この歳でようやく、ほんの少しだけですがわかってきました。(気がする?) そんな中、一人のお坊様に興味が湧きました。 そのお坊様は、 【散る桜 残る桜も 散る桜】 と詠われたそうですが、、 これを見た時。言葉では表現できぬビリビリっと不思議な感覚がありました。 人間ってのは、全て等しく【寿命】という致死率100%の大病に冒されてるんだよな……と、改めて思いました。 儚いですよね……。 そもそも、この【儚い】(はかない)という言葉 これも、漢字の構成は 【人の夢】 …… 我々人間なんぞは、そもそも存在自体、地球規模で見た時には必要さえ感じれぬ矮小な存在です。 改めて曹洞宗のお坊様。聞きたいのですが、、 なぜ、良寛禅師は、楽して暮らせるはずの家から苦行(俗人から見れば財を捨てた世捨人?)を選ぶ必要があったのですかね? 良寛禅師はなぜ曹洞宗を選ばれたのですかね?
「いいね!」を「有り難し」にしてみたり、FacebookやTwitterへの誘導を「この問答を娑婆にも伝える」にしてみたり。 言い方は悪いですが、イメプレ臭がします。 質問の大半についても、「何もお坊さんに訊く必要はないのでは…」と思います。 お坊さんが答えても良いでしょうが、質問者と近い経験をしている人の方が、もっとためになる回答ができるのでは?と思えるものばかり。 大した回答でもないのに、質問者の大半が、「お坊さん」という仕事に対する過剰な期待と幻想にごまかされて、必要以上に有り難がっていることが多い気がします。 とくに熱血系の回答を見ていると、何だかなー…って気分になります。 こういうサイトこそ、人々を宗教の本質から離れさせていくのではないでしょうか? 利得が絡んでいそうなので、回答はないかもしれませんが、僧侶のみなさまの本心をお聞きしてみたかったので、質問させていただきます。
忙しく世知辛い毎日を送っているのですが、 先日、金魚の水槽の水を取り替えました。 夜、きれいな水槽の中でスイスイ泳ぐ金魚を見ていると、 時がたつのも忘れて見入ってしまいました。 ふと、「心を空っぽにして、ただ金魚を眺めるだけって、 すごく仏教的な行為だよな」と思ってしまいました。 闇夜にカラスの鳴き声を聞いて悟った禅僧の話も 連想してしまいました。名前は忘れましたが・・・ 私にとって金魚を眺める一時は、癒しの時間でしたが、 修行を積んだお坊様は、水槽の金魚にさえ 悟りにも通じるような真理の片鱗を感じ取るものでしょうか? それとも、金魚はただの金魚ですか?
お坊さんって所属してるお寺で事務とかして働いてなくても給料が出るんですか?だからお坊さんはなかなか弟子をとらないんですか?
ハスノハは毎日閲覧しています。お坊様のご回答に「必ず幸せが…」とか、悪い事をした方には「必ず…返ってきます…」など…必ず…なのでしょうか?私は、友人に騙されてお金を騙し取られ、今だに連絡がつかない状態です。以前の相談では返ってこないと思え。と、アドバイスを受けました。そう思い、1年半以上過ごしてきましたが、私は、親の介護、受験生の子供がいて毎日、空いている時間にはパートをしています。最近、お金を渡した友人は、家を購入した、と、噂を耳にしました。やはり、腹が立ち警察に相談しましたが、証拠がないので何もできない。と…弁護士さんは、費用が払えないなら何もできないと…幸せになれる?悪い事をしたら、返ってくる?必ず……ですか?一生懸命やっていても、正直者がバカをみる世の中。お坊様は、必ず……と、言い切れるのですか?乱文で申し訳ありません。 今までは、お坊様の回答に納得していましたが、今は、簡単に必ず…と、言われても自分の中では、必ず……なんて無い!と、思ってしまっています。所詮、その方は悪い事をして幸せになっているのだから。私は、まじめにやってきたつもりですが、幸せにはなれません。
タイトルの通りです。 お坊さん、あなた達の仕事は何ですか。 法事のお勉強は沢山して、沢山葬式では命について教える機会はあるかも知れませんね。 一部の方は自分の経験を元に説法するために全国を飛び回り、忙しくされているかもしれません。 その法話に集うのは若い子ですか? 見てください。今の若い子達の顔を。 幸せ、生きること、命について教えるのがお坊さんの仕事ではないのですか? 彼らは氷山の一角に過ぎませんが、もしあの9人がツイッターではなくここでのお坊さんに出会っていたら、教えを受けていたら。 危機感をもっともって欲しいです。 警察は法のもとに起きた事件に対してしか動けません。それが仕事。 学校の先生は命の授業はしません。みんな学業の点数をつけるのに忙しくされています。 お坊さん、お坊さん。何やってるんですか。 犯人は言っていました。 会ってみたら本当に死にたいと、殺して欲しいと言う人は1人もいませんでしたと。 やっぱりな。と思いました。 彼らは行動力のある若者です。その足で寺に向かっていれば。 こう思いました。 でも彼らは命の地図を誰が持っているのか知りません。自分の悩みが死でしか解決できないと、本当は生きていたいと思いながら、行動に出たんです。 お坊さん、立派な良い地図持ってるんでしょう? そこで迷ったのは被害者だけではなく、加害者もであると私は考えます。 私は今まで自分が幸せな立場にいると思うが故に、被害者の気持ちに寄り添って生きてきました。 それは今でも変わりません。この事件に家族も自分も絶対に巻き込まれたくはありませんし、加害者の気持ちに寄り添う事はまだ出来ません。 しかし、こういった事件の根本を解決、未然に防ぐ為には、加害者の気持ちにこそ寄り添うべきなのでは?とも思うのです。 気持ちが分からずに罪を憎んでも犯罪は無くなりません。 済んだ事件、亡くなった命は戻ってきません。 だから問います。 お坊さん、今の子達に、今後どうやって命について教えていかれるおつもりですか。 自殺を考えている子の話だけではありません。 加害者になり得る子に対しての話もお聞かせ下さい。
電車通勤をしている者ですが、たった今これから托鉢をなさるだろう若いお坊様3人が同じ駅で降りました。 その後は別方向へ分かれたので彼らの行先はわかりません。 托鉢というのはあちこちでなさるものなのですか? あと、修行しているお寺からこの日にどこそこへ行け、と言われてるのか或いは自らなさってるのか。 いずれにせよ、hasunohaで托鉢の意味を知った私としては見かけたら少しですが入れさせていただく所存ではあります。 あの駅にいれば、ですけど・・・
会社の役に立ちたい。なのにいつも空回り、勘違いされては誤解を生んで、どうしてもうまく事が回りません。 たぶん私の話す言葉にトゲがあるんです。 でもどうしてもなおせなくて。 お坊さんの様に、いろんな言葉を使って上手に話してうまく自分の気持ちを伝えられる様になりたいです。 真剣に話を聞こうとすると いつも怒ってると勘違いされてしまいます。 そんなときは必ず相手の顔もこわばっていて それに対してまたイライラしてしまいます。
お坊さんは仕事柄、年配の方と接する機会も多いと思いますので、質問させてください。 私は有料老人ホームで清掃パートをしてますが、たまに入居者様から話しかけられます。 殆どが挨拶で、たまに、ありがとう、とか、助かるわ〜、とか言われます。私は単純だからその一言でやる気になります。 話しかけられるのは嬉しいのですが、たまに、ここならボケても安心ね〜、という自虐ネタ(?)があります。 それに対し私は、本気の怒り50、冗談50のバランスで、そんな悲しいこと言わないでください〜(=゚ω゚)ノと返事しました。 が、後から考えて、どう見ても、しっかりした(話し方も外見も)ご婦人でしたから、アレは100%冗談だったんだ…と気が付きました。 何気ない冗談が通じないと悲しくなりますよね。 逆に、あぁ私はもうボケるネタさえ本気にされちゃう年齢なのね。 と、ガッカリさせてしまったのではと反省してます。 お坊さんなら、どのように返事しますか?私は過去に福祉施設に利用者として住んでたことがあり、スタッフさんとのやり取りで、励まされる事、傷つけられる事があったので、居住者さんと自分が重なります。 立場としては、清掃パートの私が下で、高額な居住費用を支払う入居者様が上です。当然ですが…
私は現在適応障害を発症しており今の仕事を退職予定です。去年、無くなった祖母は自宅で庵をしておりました。 僧侶として人生を歩むと言うのは私と同じように精神疾患があったり悩みがある方への少しの力にでもなればと思いますしもう一度祖母がやっていた庵を復活させたいと思っております。 今回の適応障害が私の一度目の人生が終わったと感じ、残された命を仏様のお力を借りながら一歩ずつ歩みたいとも考えております。ですが、一歩踏み出す勇気が中々でずに気持ちが先走るばかりです。どのように踏み出したらよろしいでしょうか。色々な僧侶様からご意見頂ければと思います。
私は現在適応障害を発症しており今の仕事を退職予定です。去年、無くなった祖母は自宅で庵をしておりました。 僧侶として人生を歩むと言うのは私と同じように精神疾患があったり悩みがある方への少しの力にでもなればと思いますしもう一度祖母がやっていた庵を復活させたいと思っております。 今回の適応障害が私の一度目の人生が終わったと感じ残された命を仏様のお力を借りながら一歩ずつ歩みたいとも考えております。ですが、一歩踏み出す勇気が中々でずに気持ちが先走るばかりです。どのように踏み出したらよろしいでしょうか。
お世話になります 出家というのに興味を持ちまして いくつか検索したのですが 私は瀬戸内寂聴さんのことを 詳しく知りませんでした かなりドロドロの恋愛(不倫?)等を されたというの知って、正直ひいてしまいました 好きになれなくなりました 肉も食べているとか書き込みを見ました お坊さんはお肉を食べたらだめなのですか? あまり詳しい所は知りませんm( )m お坊さんから見て 『 瀬戸内寂聴さん 』をどう思われますか? また、出家すればとても辛い修行が待っているそうですが どうゆう所がとても辛い修行になりますか? 興味があるので教えて下さいm( )m どうぞよろしくお願い致します
いつもお世話になっております。お陰様で無事に仏壇の発遣、開眼も済みました!ありがとうございます!! * 本題です。修験道、修験者さんって何ですか? 仏教、密教、お坊さんとは違うんですか? 半聖半俗の身ともどこかで聞きましたが、そうだとしたら法名はどうしているんでしょうか。本山も、真言天台各派ではないんですか? 教えて頂けたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。
変な時間に目が覚めてしまって(^▽^) 久しぶりに質問させていただきます。 私の祖父母は昔、祇園で八百屋を経営しておりました。(今はやってません)小さい頃は配達について行ったりしていたため、四条大橋を通ることがよくありました。その四条大橋でよく、笠をかぶって、お坊さんが来ているような黒の衣を身にまとって、お経のようなものを唱えている一人の(たぶん)女性がいました。その方が本当にお坊さんなのか自分で確かめていないので、よく分かりません。そしてお金が入れられるような箱を首から下げていて、人が寄ってくると説法なのかよくわからない話を始めて、それでお金を集めていた方で小さい時、祖母に「あの人お坊さんなのー?」って聞いたら、「偽モンやで、寄らんとき」って言われて、ずっとあやしい存在でした。地元でも知られていて、確かによく見てみるとその人の話に耳を傾けてる人はだいたい観光客で、地元の人はみんなスルーでした。 私が高校生くらいの時には見かけなくなったので、お亡くなりになられたのか、どこに行かれたのかわかりませんが、暑い中、寒い中も一日中立っている人でした。もし本当に偽物ならあんな、やり方で金を集めるなんて許せません。最近、偽の募金集めもよく見ます。 そういうことをするお坊さんっているんですか? お坊さんではないと思うんですが、、、 京都特に四条大橋大橋近辺にお住まい、または橋を利用されるお坊さんで知ってる方居られませんか?ほんの10年前の話です。ずっと気になっていたので質問させていただきました(❁´ω`❁)
どうしても気になることがあり、ご質問いたします。 5〜6年ほど前、家族で京都旅行をしていたときのことです。 東山区にある護国神社や高台寺のあたりだったかと記憶しています。 わりと広い坂道を歩いていると、デモ行進をしている団体がやってきて、その中に黒い袈裟を着た優しそうなお坊さんがおられました。 珍しい組み合わせなので思わず注目していると、お坊さんの方もこちらを見ていることに気がつきました。 そして、距離が近づくと、そのお坊さんは私に向かって手を合わせました。 立ち止まっていた私たち家族の後ろに神社があったため、最初はそちらに手を合わせているのかと思ったのですが、父に「お前に向かって手を合わせるんじゃないか」と指摘されました。 たしかに私とそのお坊さんは終始目が合っていたので、私に向かって手を合わせていると考える方が自然です。 でもなんで?どうして?とドキドキしていたのですが、お坊さんは私に手を合わせたあと、そのまま通り過ぎていってしまいました。 とてもにこやかなお坊さんでしたので、全く嫌な気持ちにはなりませんでしたが、通りすがりのお坊さんに手を合わせられたのは後にも先にもこの一度きりなので、不思議な出来事として印象深く記憶にのこっています。 そこで2点ほどお聞きしたいのですが、お坊さんは、通りすがりの誰かに手を合わせることがあるのでしょうか? (それともはやり私たちの思い違いで、お坊さんは神社に向かって手を合わせいらっしゃったのでしょうか) また、そういったことがある場合、お坊さんはどのような意図があって私に対して手を合わせられたのでしょうか? よろしくお願いいたします。
おはようございます。 前々から思っていましたが、お坊さんは1ヶ月前にご自身がご回答なさった質問を振り返ることがあるのでしょうか? と言いますのも、質問者は投稿から1ヶ月経ちますと、お坊さんのご回答が締め切られた、お礼をするよう促すメールが届きます。 そこで初めて、お礼をなさる方もいらっしゃるのでは?と思うのです。 どうなんでしょうか? よろしくお願いいたします。
今、お坊さんを題材にしたものを描きたいと思っています。 まったく想像もつかない職業でキャラを作ったのですが 青年誌向けの雑誌なのでリアリティーを出すために 一つ質問があります。 お坊さんで言葉で説くのが下手くそで 行動で示すお坊さんは「あり」でしょうか?
ヤフーニュースに地域と書いてある項目があります。新しいニュースが段々入ってきて今から書く記事は消えてますが、昨日私がヤフーニュースの地域欄をみていた所奈良県の僧侶がゴミを分別せずに捨てていたと話を見ました。理由はゴミを分別するのが面倒臭かったと書いてありました。その記事を探したんですが、やっぱり新しいニュースがどんどん入ってきてて消えてありませんでした。私達の実家で毎月2回資源ゴミ回収で第2、第4水曜日にトレー、牛乳とかのパック、ビン、缶、缶詰缶とかの資源ゴミ回収をやってます。私が実家にいた時は私も良く資源ゴミを捨てに行き、分別して帰ってました。今は当番の人がいない時に捨てにきて分別が間違ってたら分別できるまで何度もやらせるようになったみたいです。コンテナに分別のカードが貼ってあるのに見ないで間違えて入れる事が多いみたいです。その奈良県の僧侶さんもゴミの分別が面倒臭かったと理由を言ってますが、今はゴミも厳しくなってるのでもう少し頑張ってでもゴミ分別して欲しいと思いました。奈良県の僧侶は逮捕されたみたいです。ゴミ置場じゃない所に捨ててたんじゃないかなと。記事が消えてて余り覚えてないですが、覚えてる範囲で書きました。 昨日に続き僧侶の逮捕の事を書いてすみません。回答してくれるお坊さんありがとうございます。私が昨日と今日書いた記事はお坊さんにめみて欲しくて書きました。決して悪い意味で取らないでくださいね。改めてこれからもよろしくお願いします
私は出家希望者です。理由は正式な仏弟子になりたいからです。別にお寺の住職になりたいわけでもお葬式でお経を唱えたいわけでもありません。 しかし、最近思うようになったのは、日本仏教において僧侶は在家とほとんど変わらない生活をしています。お寺の住職は別として、それ以外のお寺を持っていないお坊さんは、在家のように働き、在家のように生活を送ります。 すると、どうでしょう? 僧侶といっても剃髪して法名をいただいているだけで、その実際は在家とかわりないわけですよね?在家得度というものもあるそうですが、そうなると出家と在家の区別って物凄く曖昧じゃないですか? 私は仏弟子になりたくて出家を希望していますが、仏弟子になるなら在家のままでもいいかもしれない、と悩みはじめています。 日本仏教において僧侶の存在意義って何なんでしょう?特に、お寺の住職ではないお坊さん。