先日、台湾の友人にこのような質問をされました。 「台湾の僧侶は肉は食べない、酒も飲まない、女性との関係も持たない、そうやって厳しい修行をしているから尊敬されている。 日本の僧侶は肉も食べ酒も飲み女性との関係も持つ、どうしてそれで尊敬されるのか?一般人と同じじゃないか?」 わたしは仏教に詳しくなく、戸惑ってしまい、彼の質問にうまく答えることができませんでした。 「日本のお坊さんも修行はしていると思うし……それにお酒と肉と女性をやってなければ偉いっていうのも違うと思うし……うーん……」 というような曖昧な返答になってしまいました。 もし、お坊さん自身がこのような質問をされた場合、どのようにお答えになるでしょうか。 ご不快な思いをさせてしまっているかもしれませんが、どうかお答えいただければ幸いです。
毎回、私のは質問というよりイチャモンと言った方がよいかもしれませんが、今回もよろしくお願いします。 私(S40年代生まれ)の子供の頃は、現在よりもずっとお坊さんは尊敬される存在であった気がしますが、現在の僧侶の威厳の低下(私にはそうみえる)はどこに原因があるのでしょうか? それは、現在の僧侶の大半に、戒律を厳守して生活している印象が全く無い、というところが大きいのでないか(あくまで部外者の印象で、実際のところはわかりませんが)と私は考えます。 「威厳なんていりません」とおっしゃるかもしれませんが、毎日、朝夕「三宝に帰依します」と唱えている側にしてみれば、やはり僧侶には、仰ぎ見る存在であってほしいのです。 現在、僧侶(日本仏教界)にとって戒律はどのようなもので、どれくらい重要視されているのでしょうか? ぜひ、ご意見をお聞かせください。 ちなみに、私は仏教徒であることを強く意識するようになって、五戒のうち、せめて不飲酒戒の一つだけでも、死ぬまで守り通そうと決めて、十四年間一滴も飲んでいません。それ以前は、ひどいもんでした...。 私は本当に仏教に救われたと思っています。
素朴な疑問です。 来月法事があるのですが、お坊さんを呼ぶ時、なんてお呼びしていいのかわかりません。 お坊さん? ご住職? 家族で悩んでます(笑) こんな質問で本当に申し訳ありません。 ご回答いただけると有り難いです。 よろしくお願いします。
今まで全く宗教とは無縁だった訳ではなくごく普通のかと思いますがいつも法事などでお寺に行ってもお坊さんの説法を短時間聞くのみでいろんな宗教的な悩みなど聞いてもらえる場所がなかったです。 普段は特別故意にしているお寺がある訳でもなくただお参りして帰ってくるのみで、何かの節目があれば特別にお祓いなどしてもらうだけです。 もっと気軽にお坊さんと宗教の話ができる機会ができる場所はないのでしょうか? ただ新興宗教のような信仰の亡者にはなりたくなく、普段仏壇にお参りするだけではなくもっと生活の中に溶け込んだ宗教が欲しいです。 それともっといろんな宗派がありますがその教えを一方的に説法などで聞くだけではなく質問や詳しい話を聞きたい場所を提供して欲しいといつも思っていますがなかなかそのような機会や場所はないです。 実際の所、先祖や親がやっていたので自分も同じ宗派と言われてもどうして良いか全くわからずじまいです。 例えばお経一つとっても何を言っているのかさっぱりわかりません、他宗派のは意味はわからなくても言葉はわかるのもあります。 あなたの修行が足りないと言われても修行の仕方すら誰も教えてもらえないです。 般若心経は解説等たくさんありますがそのほか話目にすることはありません。 もう少し誰にでも平易にわかりやすく教えてもらいたいといつも思っていますが。 日本の仏教界はこんなものなのでしょうか? お坊さん忙しいのでそんな暇はないのでしょうか?
どのカテゴリーか分からなかったので、こちらに書きました。 TV、雑誌等で顔や名が知れて有名人と言われている僧侶や神主の方々がいくつか出版されている本があると思いますが、ある有名な神主の方の本に、それこそ一冊20以上の御札が書いてある本があるのですが、その本には、身を清め精神を落ち着かせ、一人の時にその方が直筆で書いた(コピーの直筆)御札の上から自分で筆ペン等でなぞり、自分の目的の気を入れて書き、その御札を切り取って常に身に付けると効果がある等と記されています。 もちろん、効果はそれぞれで、一番は自分の気持ちが一番大切と書いてはありますが、こんなに何十種類もの御札の文言を一般人が真似事のように使用することや、効果を期待させて、何千円もの金額を何億人から徴収させて、本当に世のため人のためと言えるのでしょうか? 御札の文言をそんなに簡単に扱っていいものなのでしょうか?皆様はどう思われますか。
度々、質問させていただいております。今回も宜しくお願いいたしします。 ハスノハの先生方は、『美坊主図鑑』なる書籍をご存知でしょうか。いろんな宗派のハンサムな僧侶を紹介している本です。 私はそれを数年前に書店で手に取り、サーッと目を通しました(立ち読みです)。その書籍に対する、私の個人的感情(くだらん!)はさておき、宗派によって(所属している僧侶が)、たくさん掲載されていたり、逆に、まったく掲載されていなかったりしました。 この違いは、ハンサムな僧侶が、その宗派にいる、いない、ではなく、”宗派ごとの姿勢のあらわれ”だろうな、と私は推測しました。 この推測は間違っていますか? また、そのとおりであったとしても、「だから、どうした」といわれれば、それだけのことですが・・・。 この投稿は私個人の(私の推測が正しいという前提での、遠回しな)各宗派への称賛と批判です。この思いに対する先生方の率直な意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。
お寺にいらっしゃるお坊さん… 呼び方は、和尚様がよいのか御住職がよいのか教えてください。 また、これから写経をしてみたいと思っているのですが、何から始めたらよろしいでしょうか? また、お寺、宗派により、お経は違うものなのでしょうか? 何も知らず、お恥ずかしいですが、ご指導いただけると幸いでございます。 よろしくお願いいたします。
本日、仕事中にお客様が「僧侶にさえ袈裟の色で階級をつけたりしているのはおかしい。本来仏教とは身分差別したりしないはずだ」とおっしゃっているのを聴き、疑問に思いましたので質問させて下さい。 僧侶によって?宗派に違いはあれど袈裟の色で階級があるのは何の為でしょうか? また、それは誰が判断、ジャッジし決められるものなのでしょうか?
こんにちは。過去にも質問させていただきましたが、ここ最近、法律を身近に考える出来事がありました。 そして政治に関しても、選挙がありましたので、普段よりも自分の中で考えていた時期でした。 お坊さんは、私のような一般市民と同じ、日本という枠の中にいらっしゃいますが、 もっと大きな目で見ると、仏教という世界にいらっしゃいますよね。 そんなお坊さんからみて、人が作った法律や政治とどのような付き合い方、解釈をされていますか? ニュースをみても、良い出来事はニュースにならず、悪い犯罪ばかりを報道し、 選挙に関しても、選挙期間中は一切メディアに露出しなかった方が、 落選した時だけ、挙って報道される世の中に、ほとほと嫌気がさしています。 他のことに関してもそうです。 よろしくお願い致します。
こんばんは。(・ω・)ノ あるローカルニュースでターミナルケアを専門にやっている臨床宗教師というお坊さん達が新しく取り始めた試みを前から気になって観てました。(^ω^) 京都のある病院と連携してお坊さん達が末期癌のターミナルケアをしてはる方々の特集は別の番組で観て知ってますが、その方々と臨床宗教師というお坊さん達は別の人達なのかとそもそも臨床宗教師というものを知りたいのでよろしくお願いします。m(_ _)m 京都の龍谷大学という仏教の大学にその臨床宗教師を育成するコースがあるみたいですが、hasunohaの御僧侶の方々で臨床宗教師に詳しい方がおられましたら教えて頂けたら幸いです。(・ω・)ノ お坊さん達が末期癌やターミナルケアを必要としてはる方に死についてホスピスで旅立ちを安らかに迎える取り組みは前から気になって私は良い取り組みだと共感している人間なので、臨床宗教師というお坊さん達にも関心があるので、質問させて頂きましたので、よろしくお願いします。m(_ _)m
昨日、有名な某お寺で、住職の立場にあるお坊さんが暴力で人に怪我をさせ逮捕のニュースがありました。怪我をさせる暴力がお寺の中で起こったようです。 1度だけではなく、何度かあったとのことでした。 質問ですが、お坊さんや住職というのは人柄に関係なくなれるものなのでしょうか? きちんと修行をおこない、その立場になるための規律を守っていれば、人間性は関係なくその立場を与えられるのですか? それとも、きちんと見定められるシステムがあるのでしょうか。 お坊さんだって人です。逮捕されたご住職は、何か辛いことや思わず暴力をふるってしまう事情があったのか、と考えてしまいます。 仏教に従事する世界でも何か我慢のならない、よんどころない事があるのかと。 仏教の教えやこのサイトのお坊様の回答を見てると、非常に考えにくいのですが、少ないながらもやはりあるのかな。 一般的な会社や学校等である、ごく一部の心無い人のおこないが、お寺やお坊さん達の間でもおこっているとすれば、どこにでもある現実ということでしょうか。 仏教の教えを説く方々なので、なんだか悲しい現実に思えます。 私の感覚ですが、お坊さんや仏教に対して、聖職というイメージを抱いています。 でも、人間なので色々あり、色々起こるだろうと思います。 たくさん巻き起こる事柄の中で負けてほしくないです。 ものすごく多くの人の心を実際に救ってるお坊さんが現にこのサイトには沢山いるので複雑な気持ちになりました。
僧侶の多くが妻以外の女性と関係を持っているという話を僧侶から直接聞きました。花街のようなところで使ったり出張先のホテルで女性を呼んだり、人々の大切なお布施であったりということも忘れてしまうみたいで、そういうことがあると知っていても、繰り返し十数年も、と聞くと、やはりとてもショックでした。カトリックの僧が外国ではやはり子供をあちこちにつくったり、乱れた性生活をしていますが(子供相手とか)、お金と権力と(住職などでたえずひとにあがめられるようになると)手に入れてしまうと、思うままになんでもできるようになるので、そういことが普通になってしまうのでしょうか。罪悪感がないところにとてもショックを受けました。 もうひとつ質問があるのですが、僧侶は男性社会で長期修行などをすることがあると思うのですが、男性同士で関係をもったりすることというのは頻繁にあるものなのですか?外国では、カトリック教会内部が女性禁止とはいわなくてもやはり男性社会なので、そういう傾向にあります。 不躾な質問で、多くのそうではない方々を侮辱するような内容になってしまっていますが、そういうつもりはまるでなく、本当にあくまで、そういうことがあるのはなぜなのか知りたいと思い、書かせていただきました。
初めまして。 つい先日、息子、帰宅中にコンビニに寄りました。店内はアルバイトの女の子、息子、高齢のお坊さん(間違いなくお坊さんです)。 息子が、店内の飲み物が置いてる場所で飲み物を取る時、そのお坊さんと目が完全に合い、その瞬間息子を見て、お坊さんが一言、【気色悪い】とおっしゃったそうです。あまりの衝撃に驚いてます。人の顔を見てこんな言葉をかけるなんて。短気な人だったらそのお坊さんに殴りかかったと思います。正直、お坊さんの見る目がかわってしまいました。
先日初めて質問させていただきました。 そこで、お坊さんも色々な戒律や教えに従って日々修行されているのだなと感じました。 そして新たに疑問に思った事があります。 ①お坊さんがパチンコなどのギャンブルをする事はどのような教えなのか? ②お坊さんが風俗に行く事はどのような教えなのか? ③上記の様な事がよろしくない事だった場合、その事をしているお坊さんは少数派かもしれませんが、そういうお坊さんを他のお坊さんは野放しにしているのはどのような教えにのっとっているのか?徹底するべきではないのか? ④お坊さんは高級車に乗っているイメージがありますが、乗る車について何か決まりでもあるのか?また、決まりがないとしたら、高級車に乗っている事はお坊さんとして恥ずかしくないのか? 他にも色々ありますが、とりあえず以上の4つについて出来るだけ簡潔に教えていただきたいです。 日本は無宗派が進んできているなどと言われていますが、お坊さんに対するイメージの変化も影響があるのではないかと思います。 あのお布施はパチンコに使われるのかな...とか、例えそうでなくても心のどこかで思ってしまうのはつらいです。どうしてもやりたいならお坊さんやめてやって欲しい訳です。 「悟りを得る為に良いことも悪いことも経験しよう」という人なら良いのかもしれませんが、悪い事を継続的にやる必要はないでしょうし、第一そういう心構えの人はそういう事をやってなさそうです。欲が絡むのは良くないと思うわけです。 無宗派が進む日本を変えようとするなら 人々を変えようとするのではなく まず、お坊さん自信が徹底して変わっていくのが一番の近道なのではないでしょうか。 最後に ここまで読んでいただきありがとうございました。私の無知さと出しゃばった発言、お許しください。決して、陥れようと思い書いたわけではございません。 ただただ、これからお世話になっていくであろうお坊さんの真実が知りたいだけです。
あほか あんたら 適当なこと言って! 人には自分もできないアドバイスして ふだんはお布施だなんだかんだ高い金ふんだくって 自分の身が危なくなると、逃げ腰で、 神仏を出して人を脅す 人の悩みにつけ込んで神様仏様気取るんじゃねえ 正々堂々してろってんだよ! 内輪もめでもしてろ 丁寧な言葉使っても騙されないよ そんな坊さんがいました
はじめまして。 私都内でビジネススクールに通っております高木と申します。 これから訪日客が増える中、お寺さんがどういったことをされてて、困っていることをビジネススクールの宿題で調査しております。 下記の2点の質問を教えて頂けると幸いです。 Q1, みなさまは海外の方への布教活動をされてますか? Q2, 布教活動をされてるとしたらどういったことを行われてますか? 私が知り合いのお坊さんに聞いた限りだと、各々のお寺で行なってたり、海外の布教師の方がいたりと聞きましたが、どういった方が行われてるか具体的なイメージが掴めてません。 ご協力どうぞよろしくお願い致します!
初めまして、よろしくお願いいたします。 菩提寺のご住職が立派な方で、法事以外の機会をもうけ、お食事をしながらお話を聞いてみたいのですが、こんなお誘いをしてもいいのか、(失礼にあたらないのか)わかりません。 そもそも菩提寺をいただいてから、私どもはまだ数年にしかならず、お付き合いの仕方がわかっておりません。法事は、まだ三回忌までですが、行いまして、今後もずっととり行う予定です。お盆と回忌法要以外でご住職にお目にかかるのは、初めてなので、なるべく失礼がないようにしたいです。 お寺さんのお接待について、なんでも結構ですので教えて下さい。
こんにちは 托鉢について質問させて下さい。 1、托鉢のお坊さんを時々出かけた先(繁華街など)で見かけます。 私はこれも縁と思い、時々わずかですが、お金を差し上げるのですが、最近知人から托鉢のお坊さんにも「偽物」がいるらしいと聞きました。 何か見分け方はあるのでしょうか? それとも、たとえ偽物でも、お布施する事がわずかでも私の心の修養(?)になるのでしょうか? 2、「高野山」と書かれた茶色の着物を着た、托鉢のお坊さんを10月と2月に、それぞれ別の場所で見かけました。真言宗でも托鉢する事はあるのですか? 3、托鉢のお坊さんのお椀にお布施する時、周りの目が気になって、無言で近づき、お金を差し上げ、手を合わせてそそくさと逃げ去ってしまうのですが、何か作法のようなものはあるのでしょうか? せっかくの機会ですので、教えて頂きたいです。 些細な質問で申し訳ないです。 いつもこのサイトでお坊さん方の暖かい回答を読んでは勉強させていただいています。ありがとうございます。
あけましておめでとうございます。 2回目の質問になります。よろしくお願い致します。 いま、NHKで「瀬戸内寂聴完全密着という放送を見ています」(海外でもNHKだけ見れます!)昔からなんとなく気分が悪くなる人だな〜と思っていたのが、放送を見てハッキリと嫌になりました。 私は不倫したことないのでよくわかりませんが、寂聴さん曰く、「恋愛は不倫が醍醐味」 「他人の旦那でもセックス欲、我慢するのは不可能」 なんだそうです。 そして食に関しても、お肉は 「自分で殺して食べるのはダメだけどおよばれされる肉はよろしい」との事です。意味がよくわかりません。 男にとち狂って子供を捨て、三角関係だの、不倫は燃えるだの、そんな体験談を恋愛の神髄といって、これでもか!とお話されていて、女性としてまた人間としても吐き気がしました。 あの方に集う女性たちも似た境遇が多いか、悪を美徳とする様なこんな説法をわざわざ聞きたいと思うのが不思議でなりません。 話しがうまいんでしょうか? 今も 「93になっても、たまにあの時の男たちの声が聞こえてくる」と言っているのでチャンネル変えます。 こんなをの仏門と名乗ってはいけないでしょう!と思うんですが、、 自分のふしだらさを開き直るために、仏の教えを都合の良いように解釈しているだけの人に思えます。 お坊さま方はこの方を率直にどうお考えになられるのか興味があり質問させていただきました。^_^;;
あるお坊さんのサイトを見た時、こんなこんな考えがあるのかと思った事があります。 「ヘビに食べれそうになっていた猫を助けた人が称賛されている。食べ物を奪われたヘビの気持ちはどうなのか、人間が他の生き物の生き死にを決めていいのか」 この考えを見て、猫を助けるべきだったのかそうでないのか、答えは無いと思いますがお坊さんの考えを聞きたいと思って質問させて頂きました。