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「仏教における修行」問答(Q&A)一覧

2021/12/21

八正道実践のアドバイス

本件急ぎませんので、お手すきの折にご確認頂けますと幸いです。 何卒よろしくお願い致します。   ■質問 ①得度前と比べて、八正道の実践が上達している実感はあるか ②八正道の実践における、具体的な行動例とは(心がけ以外) ③八正道を実践する上での「難しさ」と、その対処方法は何か   ■仮説(想像です…) ①得度前と比べて、八正道の実践が上達している実感はあるか ・ご実感は「ある」のではないか ・筋トレと同じで、徐々に筋肉つき、サボると落ちるイメージか?   ②八正道の実践における、具体的な行動例とは(心がけ以外) 【正見】仏教を勉強する、見分を広め固定観念に気付く、瞑想する等 【正思惟】モノや人間関係や思い込みの断捨離をする、慈悲の瞑想する、感謝日記かく、怒りは深呼吸する等 【正語】うそ、悪口、おべっか、無駄話NG。言葉は大切にする等 【正業】殺さない、盗まない、不倫・浮気しない、人に迷惑かけない、菜食試してみる等 【正命】仕事がんばる、規則正しい生活する等 【正精進】煩悩を誘発するものと距離を置く(スマホ、酒、繁華街etc.)、良い習慣は継続する(笑顔、気持ちいい挨拶、募金etc.)等 【正念】瞑想する(観察型)等 【正定】瞑想する(集中型)等   ③八正道を実践する上での「難しさ」と、その対処方法は何か ・「正しさとは」で迷う⇒経典を参照したり、師匠に相談する 等?   ■質問の背景 ・四法印や四諦の理解が少しずつ進み、八正道に興味が出てきた ・しかし具体的に何をすれば良いか、すこし分かり辛い印象がある ・なので、稚拙ですが、いったん具体的な行動例を書き出してみたもの ・その他具体例があれば、是非アドバイス頂きたい(無数にある?) ・実践面での工夫や困難等、お坊様のご助言をぜひ頂きたいと思った ・また、そもそも上達(?)する性質のものか、気になっている   以上です。 いつもご回答頂き、有難うございます。     師走のお忙しいところ、重ねての質問で大変恐縮ですが、お手すきの折に、どうぞよろしくお願い致します。  

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夏休みを利用した参禅の可否について

こんにちは 私は現在海外の大学にて哲学を学んでいますが、その興味の分野はもっぱら西田幾多郎や鈴木大拙などの俗にいう「東洋思想」にあります。そこで私は大学の夏休みを利用して、臨済宗のお寺に数ヶ月間参禅したいと考えているのですが、そういった短期の修行は可能なのでしょうか?また、もし可能であれば鈴木大拙の思想を深く学べるところを紹介していただけると幸いです。 上記の質問だけだとただ思想に魅了されただけの青二才という印象が否めないので、もう少しだけ「禅」を志す理由を明記させていただきたく思います。 私は幼少期の頃から嗜んでいた少林寺拳法と、中高で出会った先生方の影響により教育者になることを志しています。しかし現代教育におけるあまりにも多くの問題はロゴス的思考力ばかりを求め、心のあり方や感覚などのレンマ的なものを忘れ去ってしまっているように思われます。学問とは本来「学ぶことの楽しさ」を追求すべきなのに成績や偏差値と言った数字だけで縛りつけ、「合理的」という一点のみを求めてただの点取りゲームのようになってしまっている現状は、「歪んでいる」としか形容ができないものです。 「禅」の教えが、それは古くから日本文化が、そして日本人が慣れ親しんできた教えですが、そうした教えが「歪み」を直し、子供たちに「学ぶ」ことの楽しさや「健全な心」の育み方を教える大きなヒントになるではないかと西田幾多郎や鈴木大拙の著書を読んで感じ、より彼らの思想への理解を深めるために、修行をしたいと思い立ち、現在に至ります。 教育者を志しているので出家をし本格的に臨済宗の僧侶になることはいささか迷いがあるのは事実ですが、それでも自らの思想を育み、未来の少女少年たちに「禅」の教えを、そして「学び」の楽しさを教えることができる人間になれたらと思います、長々と失礼しましたが、何卒ご意見やご紹介のほどをよろしくお願いします。

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人間はなぜ修行しなければ悟れないのか?

ご質問させて頂きますハルソラと申します。 私は禅の思想に感銘を受け、座禅修行を念頭に日々の生活を送っております。 多数の書物やお話から理屈では「なるほど悟りとはこのようなものか」と理解しつつも、お坊さまはご存知の通り、頭の理解でどうにかなるものではなく悪戦苦闘の日々です。 そこで私はふと思いました。なぜ人間はこんなに修行しなければ悟れないのか?…と。 昔、文鳥を飼っていた事がありますが、文鳥は悟っていると思いました。 すべての行動が「作為なく自然体で、ありのまま」なのです。 例えば、指で突っつくと怒るのですが、次の瞬間に手のひらを差し出すと、怒っていた事はすっかり忘れて手のひらに乗って機嫌良くしているし、 晩年は羽の力も衰えて全く飛べなくなりましたが、そんな事を気にしたり落ち込んだりする様子もなく、シャカシャカと素早く走りいつも通りのご機嫌なのです。 動物植物などはそのように「ありのまま」生きている(…と思う私の推測ですが)のに何故に人間は長い間たくさんの修行をしてやっと悟れるか、あるいはそれでも悟れない、という言わば面倒な存在なのでしょうか? お坊さま方もお忙しい中まことに恐縮ですが、ご教授よろしくお願い致します。

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