昨年夏、インドで2週間程度仏教修業(retreat)をさせていただきました。 非常に勉強になったためまた参加したいと思ったのですが、内容が英語のため理解できなかったところがところどころあったのと、海外だと旅費がかなりかかったり結構大変だったため、日本でこういったこと(一泊二泊ではなく、数日以上学べるところ)ができるところを探しています。 当方大学生(西洋哲学を専攻)のため、長期休みを利用してできるところがあれば、と思っています(大体8-9月、2-3月)。 ヨガではなく、教義や儀式などを学べるところだとありがたいです。 ぜひご教授ください。
皆様が深いお悩みをお抱えの中、私がこんな質問をするのは場違いかと思ったのですが、どうしても気になったので、教えていただきたく思います。 お坊さんのことについて、いくつか質問があります。 ・一般人からお坊さんになるには約何年くらいの日数が必要なのでしょうか ・修行僧のうちはスマホを所持できないというのは本当ですか ・修行僧はお坊さんよりも朝早く起きてお経を読んだりすると伺ったのですが、寝る時間などは規則で決まっているのでしょうか。
お寺で修行したいのですが、必ず頭を丸めなくてはいけませんか?
無知で大変申し訳ない質問です。 お坊さんは、法事やお葬式で、お一人でお経を上げるようになられるまで、皆さん、 厳しい修行をなさるのですか? なぜ一般人のお経とお坊さんのお経では、表現しにくいですが、パワーというかオーラというか、違う力があると思ったので、違いは何なのだろうと思った次第です。 失礼かつ無知な質問で申し訳ないです。 何卒よろしくお願いします。
毎日朝、昼、夜にテーラワーダ仏教の「慈悲の瞑想」をして、5分ほど坐禅をして、お経(般若心経か阿弥陀経)を読んでいます。 宗派がばらばらですがこういうことはしてもいいものなのでしょうか?
臨済宗で、修行の途中です。 師僧から、自分の修行の方向は自分で決めなさいと、言われています。 そこで、日本の臨済について色々と調べてみたところ、開祖の栄西師は、比叡山で天台教学を学んでいたことを知りました。日本仏教の母とも言われているそうですね。 わたしも臨済の座禅を学びつつ、天台教学を学んでみたいのですが、この方向性で、間違っていないですよね。 ラッキーなことに天台の尼さんになりたい人のお勉強会を聴講してもよいことになりそうです。 他宗派を学んだため、破門!と、言うことはないですよね。 ちょっとビクビクしています。
臨済宗の入室参禅、独参の作法について教えてください。 坐禅修行を離れていて長いブランクがあり、この度、再び独参の許しをもらえたのですが所作に自信がなく確認をしたいです。 僧堂や道場で微妙な違いはあると思いますが、一般論のように「喚鐘場の鐘を二度鳴らす→老師の部屋の前で低頭→三拝→・・・・・→終了」の感じで教えていただけると助かります。
単刀直入に申しまして、 「最短で得度を頂く場合、いかほどで得た前例があるでしょう?」 そして、それは今の僕に成せる事でしょうか? 38歳で家族を持っており、毎日仕事に出ております。 出家を避け、在家で得度習得への近道を導いていただきたく思います。 得度習得後は、私自身で生死、人生などを考えて行きたいと願っております。 いわば、仏教における基礎知識、概念を得度を通し、習得し、 自分の落としどころを自身で探し、精進したいのです。 何か、良いアイディアがあれば、ご教授願いたく思い、 メールさせて頂いております。 よろしくお願いします。
現在自営でお店をやっていますが、今年いっぱいで閉店します。自分の人間性の欠如を感じ、人間性の修行をまたは学びを目的として今の仕事を手放し、自分と向き合う時間が作ることでした。 現在は北海道に住んでいて、奈良県に移住してそれを実行しようとしました、住居先を決めるにいたり、就職先が確定しないと入居条件を満たせず、仕事探すことになりそして来週面接のため奈良県にいきます。また決まるとは限りませんが、なんとなく決まりそうなふいんきです。 その仕事しながらも、修行したいです。 お坊さんたちはどんな修行してるのか教えてほしいです、時間なくてもどんなことに意識を持って生活していけば良いですか? (修行に場所は関係なんでしょうけど、奈良県や京都に憧れもありました)
お世話になります。修験得度についての質問です。どうかご教示いただけますと幸いです。 醍醐派のお寺で先達になる事ができたのですが得度をして本格的に山伏として活動をしたい場合どうしたらいいでしょうか? 先達になったお寺に通えば師匠のさじ加減でその内に得度もといった感じでしょうか?師匠にはこのように言われました。 具体的に何回山に登れば何回お寺に通えば得度みたいな目安とかはありませんでしょうか?どうすれば得度できるのか具体的に知りたいです。 先達になれましたがこれで念願の山伏と名乗っても良いという事で間違いありませんか? 先達になれましたが先達になると具体的に何がどう違ってくるのでしょうか?また先達になった後も以前と変わらず仏壇を拝んで仏像拝んでといった感じで過ごしてますがこれで良いんでしょうか? 先達にしてくださったお寺のお坊さんは師匠と呼べば間違いないでしょうか? 何卒回答をお願いいたします。
如来行を無事に終了しました。 神様仏様がおられる場所、分かりました。 森羅万象の一番下にいらっしゃることは既に分かっていたのですが どうやったら一番下に行けるのか探していました。 今回やっとはっきりしました。 宇宙の中で、自分を座標軸の交点 つまり原点、0に設定すると 森羅万象全てが絶対値で 自分を上回ります。 自分より上なので、森羅万象に感謝する理由ができます。 また、自分と同じ森羅万象の 一番下である、原点、0の位置 「無」の場所にいらっしゃるのが 神様仏様でした。 やっと出会えました。 自分自身を宇宙の中で原点にすることで 神様仏様と一緒に居ることができます。 ありがたきしあわせです。 私の修行は無事終了しました。 あらためて、皆さん本当にありがとうごさいました。 森羅万象に八百万の神々が宿る 日本古来の考え方もこれと同じ理論で立証できます。 この宇宙の中で、座標を原点、0に設定できるところは 全てに神様仏様がいます。 皆さんの中にも当然神様仏様がいます。 元々は如来として生まれてきました。 また、この理論を使うとあらゆる宗教宗派が肯定されます。 何を信じても大丈夫です。 簡単な話、神様仏様を信じるかどうかだけです。 信じる人だけが神様仏様に寄り添ってもらえます。 宇宙全てに神様仏様が居て、宇宙そのものが神様仏様なのです。 どこに居ても神様仏様に接しています。
高校生の女子です。 私の学校では学年集会後に男女別に分かれた課外授業があります。 女子は剣道場に集まって30分間正座瞑想して集中力や心を鍛えます。 しかし剣道場だから素足になって板の床に正座するから途中で足が痺れて痛くなります。 痺れにくい正座の方法や瞑想が上達する方法を教えてください。 この学校に入学した女子のさだめで卒業まで続きます。 逆に男子の課外授業は基礎体力トレで筋トレしたりサッカーしたりと楽しそう。 前に母に愚痴ったら女子の正座瞑想は保護者にも評判がいいし、男女の特徴を考えた課外授業も必要と考えてやっているのだからきちんと頑張りなさいよと言われました。
いつもお世話になっております。 まず報告、ドクターストップが 解け、お寺に行ってきました。 皆さん歓迎してくれました。 ですが、最近、疲れているの でしょうか?こう思います。 「神様や仏様はこの世に干渉でき ないんだし、私、何のために生ま れて何のために生きている… つまり、六道輪廻のもと、この世 で修行をしているのか?」 自分は仏様を守る、防衛駐在官 のように思って日々研鑽を積んで いるつもりですが、それも無意味 な気がします。 10の戒律なんて通じない相手も ざらにいるし、かく言う私も 家で1人でいるときは、暴言 と過激思想のオンパレード。 坊さんに泣かされたことだって あります。実際、「それは流石 にないでしょうよ!?」と 突っ込みたくなる坊さんも何人も 見てきています。 まぁ、もっとも最近は、戒律の 通じない相手は、「縁なき衆生は 度し難し」の法則で危険とみなし 退避する術も身についてきま したが… 自分は実に、無力な気がして なりません。訓練所の研修で 講義を聞いていても、その場で 泣きたくなる時が増えました。 場が混乱するので、抑えて いますが。
お坊さんでない普通の人はどうやって解消していくんでしょうか?修行?例えば〜をすれば良いとかありますか?
おぼうさんはどんな修行をされていますか? また、なんのためにされていますか?
いつもお世話になっております。 苦行は推奨しません!だけど、忍耐も忘れずにね!! という教理に疑問を抱きました。 仏様なら神通力や体の構造云々で、何をされても言われても 平気の平左かもしれませんが、私たちは生身の生き物です。 撃たれたり刺されたり、毒ガスを吸い込んだりしたら死にます。 妊娠もするし、性病にもかかります。 怪我の程度では、後遺障害も残ります。 脳と体は一対ですので、悪意の人の行動で二進も三進も 行かなくなることもあります。 忍辱って何…?ずっと疑問です。逸話などを聞くと、 殴られても耐えるとか、甚だ物騒なエピソードばかり… 自分の弱さを受け入れて、修正する努力をするのが忍辱? 風邪気味で耳鼻科行ったら、鼻に管やら長い綿棒やら 突っ込まれるじゃないですか。痛いじゃないですか。 でも、治療や感染拡大防止のため… 余裕ぶっこいて、わざわざ危ない所に突っ込んでくのが苦行? 私自身の体験談で、とある所のデーケアで、 「ロータスの信条が気に入らん」ってんで、必要な教育を 受けさせて貰えなかった。それどころか通所日減らされたり。 ちなみに他の利用者も嫌がらせを受けてました。 結局私は、本庁に通報し、今は別の施設で修行しています。 この後、この施設は本庁の偉い人からキッツイ指導を受けた、 と本庁の人から聞きました。 この、推奨される忍辱と避けるべき苦行の違い、 5年以上考えても疑問です。 「ピーマンと青酸カリ」みたいな感じなんでしょうか?
いろいろ質問します(。-人-。) 人生は修行=苦痛を受けないと意味がありませんか? その場合、人によって苦痛のレベルが変わると思いますが、客観的な数値ではなく嘘無く自分で苦痛だと思うレベルにしなければなりませんか? 例えば、普段運動をしない大人は腕立て伏せ10回をしっかりやるとへとへとになると思いますが、普段から1日100回やるのが朝飯前のプロトレーナーなら110回とかまでやらないとへとへとにならないと思うんです。 それから話は逸れますが、テレビばかり見て生きていくのでは駄目ですか? テレビ局の人達が一生懸命作ってますし。 また例えば、明石家さんまさんみたいになれば何十億も税金を納めているとのことなので、広く国民に間接的に沢山の布施をしたことになると思うので、それなりに修行はクリアしたことになりますか? 乱雑な質問ばかりですみませんm(__)m
いつもお世話になっております。 診察やカウンセリングに通いつつ、早く起きてアパートを 毎朝清掃して、その足で祈願寺(片道約1時間半)の写経道場へ… 祈願寺では写経の後、待ち時間で数学や物理の勉強、 その後護摩行でお経を上げて帰宅後は筋トレ… というルーティーンを送っていたら… それはそれは見事に体壊しました。 「鍛えなきゃ!」「強くならなきゃ!」という気持ちだけで 毎日やっていたら、知らぬうちにソッチ側に疲れが溜まっていた のかえらい事になりました。 そこで湧いた疑問が、いわゆる「鍛える」「忍耐する」 それだけが修行や訓練とは言えないのでは。という事です。 自分自身の器物の大きさや、今の状態に気づくのも 大事なんではないか?と。 私が今まで遭遇してきたトラブルの数々も、 「あれ?おかしいんじゃないか」と野生の勘やいわゆる霊感・ 第六感のように感づく前触れや兆候のたぐいはありました。 それらの勘を、「我慢しなきゃ!」「頑張らなきゃ!」 「この程度で大げさな…!」と思い続けたり、 「まぁ、こういう人もいるんだ。悪い人じゃないかもしれない。 突っぱねたら失礼だ」とあえて目を瞑った結果、 最悪の事態に発展するのがお決まりでした。 そこんとこ、どうなんでしょうか?
ハスノハに相談して心穏やかに過ごしています。お坊さんという職業についてわからない事があります。 先日大阿闍羅になるための修行の特集を見ました。大変な修行でした。私には想像もつきません。 しかし私がハスノハで救われたように沢山の方の悩みを真摯に受け止めお返事を下さるお坊さん方も大変な修行をされて今があると思っています。又、お坊さんという枠を越えて色々な形で活動されているお坊さんもハスノハにはいらっしゃいます。 そこに何の違いがあるのか知りたくなりました。 命を重んじるお坊さん方の修行の中に成し遂げられない時は短刀で自決という修行とは… 命をかけて得る称号とは… 見ればみるほどわからなくて 同じお坊さんの事なのでお答え頂ける範囲で教えて頂きたいです。宜しくお願い致します。 失礼な質問かもしれません。その時は、どうかお許しください。
仏道的な歩み方をしていれば、苦しくなくなりますか?