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修行期間

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曹洞宗の修行期間を教えて欲しいです.男性は永平寺or總持寺、女性は愛知県専門尼僧堂で修行するそうですが何年修行するんですか?

2024年1月6日 14:44

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

僧侶としての資格は期間ではなく本人の発心。発菩提心。要求力。

4年制の大学を卒業している人であれば最低半年は安居する必要があります。
曹洞宗の宗侶・僧侶としての教師資格が認められます。ですが正直僧侶の本当の資格というものは年数ではありません。
わかりやすく医療として考えてみましょう。
半年医療を学んだ、で医者になれるでしょうか?
あなたが病気になったときそういう医者に生死にかかわる病気を任せられるかと言えば、そんな医者にはかかりたくないはずです。だからちゃんとした僧・医師を世の中に送り出す必要があるかと思います。
そこで僧侶としての資格とは本当はどういうことか?を、真剣に考えてみる必要があると思いますよ。
今は逸る気持ちで早く修行期間を終えて帰ってきたい、あるいは相手に戻ってきてほしいという気持ちかもしれませんが🦆僧侶とは人間世界の都合から出離・出家・一度ホナサイナラする立場です。

よって、

・僧侶としての本当の資格を有するまでは下りない、という誓願を持つ。
・自分が釈尊や祖師と同じように、人の悩みや苦しみを取り除くための力を持つことができるかどうか。
・仏法を明らかにして仏道を成就する=自己の本来の姿を明らかにする。
・人々の幸せ、安楽、安らぎということを明らかにして教導できる力を持つ。
・人格、人間性、人権意識、社会性、共存精神、しっかりとした導き先を持つ。
・曹洞宗の僧侶として周りの人たちと同等の力量を持つまでは修行を継続する。
などなど、様々な角度からちゃんと自分で学ぼうとしなければ、修行は永遠に終わらないと思います。修行道場に入れば何でもかんでも教えてくれるかと思われるかもしれません。ところが、意外や意外。誰も教えちゃァくれんのです。だから、ここで今のうちに「そういう気持ちでいるよりも本人の志をちゃんとアツくしておかないと」いざ道場に入ってみると、全然想像想定していた世界とは別物でショックで途中で帰っちゃう人もあるくらいなのです。
修行という事は「生きる」という事であり、よりよく生きる、確かに生きる、迷いなく生きる、最尊最上の生き方を見出すということでもあるわけですからそもそも終わりはないのです。多くの人たちは厳しい修行道場である一定期間の修行生活をすれば資格がもらえるものと考えます。NO。ただひたすら我慢生活をしただけで、それで人として僧侶として立派になるか?といえばNO。まるで別問題。発菩提心あるのみです。

2024年1月7日 11:46
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おきもち

安居(僧堂での修行)期間は様々です

曹洞宗では僧堂に入って修行する期間を安居(あんご)と言っています。
安居は三ヶ月を一単位としますが、実際には三ヶ月だけ安居するということはまずありません。一律に何ヶ月、何年ということはできません。
たとえば、住職になる資格を得るためには規定された期間の安居が必要ですが、最終卒業学校、その学校が規則に定められた曹洞宗関係の学校であるかどうか、その学校のどういう学部や課程を卒業したか、住職する予定のお寺の寺格(格式)は何か等々によって必要な長さは異なります。
一例としては大学卒で一般的なお寺の住職になるのであれば、現在では最低半年間の安居が必要になります。ただし、一年間は安居しないと年間のお寺の行事の流れがわかりませんので、ほとんどの場合は最低一年間は安居されるようです。
もっとも安居は仏教を学び実践するためのものですから、住職資格云々にかかわらず自分が納得するまで続けてかまいません。実際に何年も安居される方も多いですし、複数の僧堂に安居される方もいます。
曹洞宗では永平寺、總持寺の両大本山の他に、全国に専門僧堂と呼ばれる正式な安居ができる修行道場が複数あります。愛知専門尼僧堂もその専門僧堂のひとつです。

2024年1月6日 17:47
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新潟県上越市、龍興山宗恩寺住職。
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ありがとうございました

「仏教における修行」問答一覧

達磨大師は架空の人物ですか?

彼は「仏教をよく知らない中国人によって架空に作られた存在」または「達磨さん自体は実在したが、仏教をよく知らない中国人が適当なストーリーを考えただけ」と言われることがあって、「そうかもしれない」と思いました ・ なぜなら彼は悟りを開いたはずなのに、教えを請う凡夫に対して無視のいじめを行ったり、「これは試されているんだ」とポジティブに考えて耐え忍んだ凡夫に「仏教はそんなに簡単に教えてもらえるものじゃない、命をかけろ」と言って凡夫に腕を切り落とさせたりしました ・ とても悟りを開いた人の行為とは思えません。「自分はお前より偉いぞ、そう安安とは教えられない仏教を熟知しているぞ、自分をタダで師事できると思うな」なんていう態度は、「菩薩道」の精神から大きく逸脱していないでしょうか。知識の独占という時点で「利他」じゃなく「利己」だし、傲慢な振る舞いは「慈悲」じゃなくて「暴慢」です ・ それならむしろ、偉いお坊さんにいじめられてもくじけず「自分は試されているんだ」とポジティブに考えた凡夫こそまさしく仏に相応しいのではないかというトリックにさえなってしまっています ・ 彼がもし実在してストーリーも本当なら、彼のスタンスは間違いなく仏の教えを利他や慈悲などで解釈しないただの「知恵」でしかないとする(つまり悟りとは賢いかどうかだけで優しさなど必要ない)「小乗仏教」と批判される類のものだったことが伺えます。やはり、彼は架空のお話で色を付けられた、本来ならば謎多き存在でしょうか?

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