即身仏になられた尊いお坊様のご心境を教えて頂けますか。
突然、シビアな質問をお許しください。
即身仏になられた尊いお坊様が過去にはおられたと、承ったことがございますが、現在は法律で禁止されていますので、詳しいことは解りがたいとは存じます。
しかし、そのような厳しい修行をされた方のご心境を拝聴したく質問させていただくのをお許しください。
この世の一切の無常を憂いてなさるのか、ご自身の身を捧げてこの世の幸せを願われたのか、はたまた修行の果ての純粋なご心境であって我々凡人では到達しえない境地からなさるのか、どなたか教えて頂けませんでしょうか。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人様の幸せのために自分のできることをする。
ECHODAISUKIさん、こんにちは。
即身仏について、愚僧もこれらの生命を信仰にかけた高僧に心よりお礼いたします。
即身仏なんて、科学的にいえば自らミイラになりやすいように餓死したものでしかありません。そしてそのミイラに力があることなどありません。
しかし、当時の知識の中で、人々を救う最後の手段として、僧侶が生命を堵して挑まれたものです。今でもそうですが、生命をかけて行う一人の行動によって人々の心は動かされることがあります。即身仏修行はまさにそれで普通の人がなし得ない行為によって、人は感動し動き、そして奇跡に近い結果がもたらされるのです。即身仏は普通の人がなし得ない荒修行を見せることによって現代でも即身仏を通して菩提心、信仰心を起こすことが続いているのです。
現代でも同じ意味を持つ修行をされている方々は少なからずいます。天台宗でいえば、千日回峰行や十三年篭山行でもあります。他の宗派にも荒行というものがたくさんあります。必ずしも科学的方法だけでは人は動きません。人は情によって動く生き物です。信仰だけでなく、スポーツもそうでしょう。人並み外れた練習をすることによって得た能力は、私たちを感動に導き、そして人生の苦難に立ち向かうモデルになっている方はたくさんいます。
私たちは、その方々を通して、自分にふりかかる苦難に立ち向かう勇気をもらうことができます。今を全力で生きられるかどうか?お互い様、人々を救うために究極の苦行である即身仏修行をされた高僧の信仰心を学びたいものです。
合掌
即身是仏になりましょう
この心身が本来成仏であるということを深く会得すると一番の答えになるでしょう。
まず、そもそも、私たちは「成仏」ということを勝手に想像していると思われませんか?
成仏、悟りということの真意をよく分っていない内に勝手に成仏とは死んで仏になることだという具合に考えてしまっていたりするものです。
死んで成仏するという事は最後の最後です。
まず、生きているうちに生きた成仏をせんといかんでしょう。
他人さまやミイラ様が成仏することより、自分自身が成仏しないことには仏教は始まりません。
自分の生老病死は自分の自己責任なのですから。ミイラは救っちゃくれません。
お釈迦様が遺されたHOW TO 成仏は自分が自分の想念から救われるようになることです。
苦しみの正体とは何でしょう。
自分の中で起こる煩悩。
煩悩の正体とは何でしょう。今の一念です。
今の一念には2種類あります。
一つは、自然発生型の想念。
二つには、自分の意志で継続していく想念。
PCやスマホの画面が様々なページを同時起動すればだんだん重たくなってフリーズし始めます。
心も同じです。
健全な状態であれば一念、一念、一念。
起こるだけで無問題です。
煩悩とは何でしょうか?誰がそれを煩悩と定めるのでしょうか?
自分が自分の中で出てくる想念を毛嫌いしなければ煩悩ではなくなります。
今、私の傍で赤ちゃんが大きな声を出していますが、この身心が即身仏、即身是仏であると邪魔になりません。問題になりません。
「赤ちゃんが泣いている」という様子だけですから。
ところが「自分を立てる」と赤子の声も問題になる。
自分の都合が生ずるからです。
自分の都合があると何をするにしても自分が最優先。エゴの虜ですわな。
エゴの虜になると仏、成仏からは遠ざかる。煩悩苦楽が生ずるからです。
だから、自らが即身仏、即身是仏、即心成仏するには「わたくし」を機能させないことがhowto成仏です。
ミイラになって死ぬ僧もいいですが、そのまんま死んで焼かれた僧侶やお釈迦様だっていいでしょう。
あなたはまだ死んじゃいませんから、それまでは、今日一日の成仏であってください。
事に触れるに一念起こさざれば即心仏です。
仏教は悟りを重宝する教えです。
人には人の乳酸菌とか。
あなたにゃあなたの生老病死や苦難あり。
だからあなたにはあなたの悟り・即身仏を会得する必要があるのです。
ご修行満足の尊きお姿
ECHODAISUKI様
こんばんは、釋 慧心です。
拝見させて頂きました。
それほど仏教にご興味をお示し頂いて個人的に非常に嬉しいです。
即身仏のお姿。
まさに、只今ご修行満行満足され、お成仏ご往生の尊いお姿です。
何も言うことが出来ません。
私は浄土信仰の宗派でありまして、その中でも、絶対他力を宗とする浄土真宗の僧侶であります。
修行も瞑想もしない宗派です。
しかし、ご修行に真摯に励まれておられますご出家様には理屈抜きに、その姿が胸に響きます。
比叡山が好きで時々お参りさせて頂きます。
四季折々の山の姿、根本中堂から横川への路々から望む琵琶湖の姿にもなんとも言えぬものがあります。
私の宗派の宗祖や名僧知識方が歩まれた路。
その路の脇に常行堂があります。
私の宗祖が主に励まれた常行三昧行をされるお堂です。
私はここが最も心が打たれる場所です。
他にも、有名な回峰行、言い伝えですが、伝教大師様と親鸞様だけが満行されたと言われる大満読誦の行。
言い伝えや伝説は、本当か否かではないと思うております。
私が死んでも伝説は出来ません(笑)
そしてご修行は昔の話ではなく、もちろん現在でもされておられます。
もしご機会が御座いましたら、南都北嶺や、高野山へお足を運ばれて、肌でお感じ頂きますと、何かのヒントになるかと思います。
即身仏に成られるご心境。
私は五劫思惟のご心境に違いないと思います。
(どのような苦行難行をしてでも、どれほど果てしない時間がかかろうと、衆生を必ず救いたい。)
質問者からのお礼
早速、懇切丁寧なご説明を賜り、心よりお礼申し上げます。そして、苦行や荒行を現代でもされているお坊さま方や、その教えを脈々と人々に教え広めてくださっておられる無数のお坊様方に、尊敬と感謝の念を改めて捧げさせていただきます。とてもよくわかりました。再度、自分にふりかかる苦難に立ち向かう勇気を頂きました。苦行、荒行、に比べましたら、私の苦難など到底およびません、皮膚のかゆみ程度のものです。本当に本当にありがとうございました。詳しく教えて頂き本当に有難うございました。失礼いたします。
また、たくさんお教え頂き、ありがとうございます。五却思惟のご心境や、人には人の悟りや即身是仏となる必要など、貴重なご助言を賜りありがとうございました。心に留め置いて、毎日反芻して精進して参ります。昨年とても腹立たしいことがあり、自分一人で考えに考え抜いて、あるがままに相手を受け止めて許そうと思えました。(善悪の基準でいえば、許しがたいことでも、相手が聞き入れる気持ちがなければどうしようもなくて)、しかし、いまだに腹を立てては、相手を許すまでに数時間や数日かかります。乱れた自分の心を落ち着かせるために、何かを集中して学んだりします。今後とも、いろいろご相談申し上げますので、よろしくご指導お願い致します。本当にこのサイトにご相談して良かったです。心が落ち着きます。有り難いです。感謝です。