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僧侶の修行

回答数回答 2
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こんにちは。

ふと気になったのですが、僧侶の方は僧侶になっても定期的に修行をするのでしょうか?

簡単な質問をして申し訳ないです。。。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

はい。

修行しますよ!
決められた修行もそうですし、日々の生活の中にも修行と同じ要素があるものを見出す時もあります。

僧侶になっても、仏に成ったわけじゃないので修行頑張っています。

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正義を武器にされると辛い。 わかっていることを責められても辛い。 余裕...

山登りは頂上に登って終わりではない

個人的見解ですが、修行を山登りにとたとえますと初心者はまず、山登りがつらい状態です(1)。それが辛くならなくなる心の状態(2)を山登りという修行(1)をしながら探して、見つけます。
そして2を見つけたら状態をキープしてさらには個人的な思いを離れて無心状態(3)に突入。さらには黙々と只管に行っていく三昧行(4=修証)が大事なのです。
たとえば走るのが嫌いな人は、まず、走って(1)ある程度ならす必要があります。
「走るの嫌だ 嫌いだから」という状態では、まだ円滑修行状態=山登りが苦にならない(2)ではないのです。
「あ、走るのって、気持ちいいな」と思えれば、修行のコツを会得した(2状態)と言えます。
イヤイヤながらも坐禅でも読経でも料理でも仕事でも行じてみる(1)。そうしていると、ある時から「あれ?今まで嫌と思っていたけど、全然OK。気にならなくなった状態」(2)になります。そこからさらに進めていきますと「考え事がまるで沸かない状態、沸いて来ても気にもならない状態 出てきても手をふれない状態」(3=見性 悟り)になります。多くの人はここで悟ったオレスゲーと思い込んでしまいます。
たしかに3に到達するのはコツが要ります。単に出てくる思いを取り扱わないだけでいいのですが。
でも3になって終わりじゃないんです。ここからが修行。その状態をキープして自分をよく見てみる。何を行うにしても思いによって影響されなくなる。その状態を維持していく。それを修行ではなく修証(4)ともいいます。物事を行じながらも、思いが沸き起こらず、沸き起こっても影響されない状態。
さらにその4という状態を続けていきますと、ある時、境が取れます。底が抜けます(5)。脳が言語的脳から、総括的な脳に切り替わるとでも言いましょうか。自分が自分の身でありながら、このもの(身心)を「私だ」とも意識されない状態。自他・内外なく、その事と同化している状態になります。それも識されない状態です。
これが修行であって、道場で修行生活を送っていれば修行かと言えば必ずしも修行とは言えないのです。修行は、場所・内容ではなく「修行になっているかどうか」の中身。
12345も通り越して自分の思いからフリーになって苦から救わていないと、わたし共の業界に限っては仏道修行状態ではないのです。興味があったらお寺に来て体験してみてください。

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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

質問者からのお礼

やはり、そうなんですね。
ありがとうございますm(_ _)m

「仏教における修行」問答一覧

人間はなぜ修行しなければ悟れないのか?

ご質問させて頂きますハルソラと申します。 私は禅の思想に感銘を受け、座禅修行を念頭に日々の生活を送っております。 多数の書物やお話から理屈では「なるほど悟りとはこのようなものか」と理解しつつも、お坊さまはご存知の通り、頭の理解でどうにかなるものではなく悪戦苦闘の日々です。 そこで私はふと思いました。なぜ人間はこんなに修行しなければ悟れないのか?…と。 昔、文鳥を飼っていた事がありますが、文鳥は悟っていると思いました。 すべての行動が「作為なく自然体で、ありのまま」なのです。 例えば、指で突っつくと怒るのですが、次の瞬間に手のひらを差し出すと、怒っていた事はすっかり忘れて手のひらに乗って機嫌良くしているし、 晩年は羽の力も衰えて全く飛べなくなりましたが、そんな事を気にしたり落ち込んだりする様子もなく、シャカシャカと素早く走りいつも通りのご機嫌なのです。 動物植物などはそのように「ありのまま」生きている(…と思う私の推測ですが)のに何故に人間は長い間たくさんの修行をしてやっと悟れるか、あるいはそれでも悟れない、という言わば面倒な存在なのでしょうか? お坊さま方もお忙しい中まことに恐縮ですが、ご教授よろしくお願い致します。

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