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僧侶の修行

回答数回答 2
有り難し有り難し 18

こんにちは。

ふと気になったのですが、僧侶の方は僧侶になっても定期的に修行をするのでしょうか?

簡単な質問をして申し訳ないです。。。

2015年2月26日 14:50

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

はい。

修行しますよ!
決められた修行もそうですし、日々の生活の中にも修行と同じ要素があるものを見出す時もあります。

僧侶になっても、仏に成ったわけじゃないので修行頑張っています。

2015年2月26日 19:50
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有り難し
おきもち

『壊してしまうのは一瞬でできるから、大切に生きてと彼女は泣いた』 という...

山登りは頂上に登って終わりではない

個人的見解ですが、修行を山登りにとたとえますと初心者はまず、山登りがつらい状態です(1)。それが辛くならなくなる心の状態(2)を山登りという修行(1)をしながら探して、見つけます。
そして2を見つけたら状態をキープしてさらには個人的な思いを離れて無心状態(3)に突入。さらには黙々と只管に行っていく三昧行(4=修証)が大事なのです。
たとえば走るのが嫌いな人は、まず、走って(1)ある程度ならす必要があります。
「走るの嫌だ 嫌いだから」という状態では、まだ円滑修行状態=山登りが苦にならない(2)ではないのです。
「あ、走るのって、気持ちいいな」と思えれば、修行のコツを会得した(2状態)と言えます。
イヤイヤながらも坐禅でも読経でも料理でも仕事でも行じてみる(1)。そうしていると、ある時から「あれ?今まで嫌と思っていたけど、全然OK。気にならなくなった状態」(2)になります。そこからさらに進めていきますと「考え事がまるで沸かない状態、沸いて来ても気にもならない状態 出てきても手をふれない状態」(3=見性 悟り)になります。多くの人はここで悟ったオレスゲーと思い込んでしまいます。
たしかに3に到達するのはコツが要ります。単に出てくる思いを取り扱わないだけでいいのですが。
でも3になって終わりじゃないんです。ここからが修行。その状態をキープして自分をよく見てみる。何を行うにしても思いによって影響されなくなる。その状態を維持していく。それを修行ではなく修証(4)ともいいます。物事を行じながらも、思いが沸き起こらず、沸き起こっても影響されない状態。
さらにその4という状態を続けていきますと、ある時、境が取れます。底が抜けます(5)。脳が言語的脳から、総括的な脳に切り替わるとでも言いましょうか。自分が自分の身でありながら、このもの(身心)を「私だ」とも意識されない状態。自他・内外なく、その事と同化している状態になります。それも識されない状態です。
これが修行であって、道場で修行生活を送っていれば修行かと言えば必ずしも修行とは言えないのです。修行は、場所・内容ではなく「修行になっているかどうか」の中身。
12345も通り越して自分の思いからフリーになって苦から救わていないと、わたし共の業界に限っては仏道修行状態ではないのです。興味があったらお寺に来て体験してみてください。

2015年3月4日 1:08
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 坐禅会 法話・提唱会 毎週...

質問者からのお礼

やはり、そうなんですね。
ありがとうございますm(_ _)m

「仏教における修行」問答一覧

忍辱と苦行の違いは?

 いつもお世話になっております。 苦行は推奨しません!だけど、忍耐も忘れずにね!! という教理に疑問を抱きました。  仏様なら神通力や体の構造云々で、何をされても言われても 平気の平左かもしれませんが、私たちは生身の生き物です。  撃たれたり刺されたり、毒ガスを吸い込んだりしたら死にます。 妊娠もするし、性病にもかかります。  怪我の程度では、後遺障害も残ります。  脳と体は一対ですので、悪意の人の行動で二進も三進も 行かなくなることもあります。  忍辱って何…?ずっと疑問です。逸話などを聞くと、 殴られても耐えるとか、甚だ物騒なエピソードばかり…  自分の弱さを受け入れて、修正する努力をするのが忍辱?  風邪気味で耳鼻科行ったら、鼻に管やら長い綿棒やら 突っ込まれるじゃないですか。痛いじゃないですか。 でも、治療や感染拡大防止のため…  余裕ぶっこいて、わざわざ危ない所に突っ込んでくのが苦行?  私自身の体験談で、とある所のデーケアで、 「ロータスの信条が気に入らん」ってんで、必要な教育を 受けさせて貰えなかった。それどころか通所日減らされたり。  ちなみに他の利用者も嫌がらせを受けてました。  結局私は、本庁に通報し、今は別の施設で修行しています。 この後、この施設は本庁の偉い人からキッツイ指導を受けた、 と本庁の人から聞きました。  この、推奨される忍辱と避けるべき苦行の違い、 5年以上考えても疑問です。  「ピーマンと青酸カリ」みたいな感じなんでしょうか?

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

鍛える、耐える、我慢する、だけが修行じゃないんでは…

 いつもお世話になっております。  診察やカウンセリングに通いつつ、早く起きてアパートを 毎朝清掃して、その足で祈願寺(片道約1時間半)の写経道場へ…  祈願寺では写経の後、待ち時間で数学や物理の勉強、 その後護摩行でお経を上げて帰宅後は筋トレ… というルーティーンを送っていたら…  それはそれは見事に体壊しました。 「鍛えなきゃ!」「強くならなきゃ!」という気持ちだけで 毎日やっていたら、知らぬうちにソッチ側に疲れが溜まっていた のかえらい事になりました。  そこで湧いた疑問が、いわゆる「鍛える」「忍耐する」 それだけが修行や訓練とは言えないのでは。という事です。  自分自身の器物の大きさや、今の状態に気づくのも 大事なんではないか?と。  私が今まで遭遇してきたトラブルの数々も、 「あれ?おかしいんじゃないか」と野生の勘やいわゆる霊感・ 第六感のように感づく前触れや兆候のたぐいはありました。  それらの勘を、「我慢しなきゃ!」「頑張らなきゃ!」 「この程度で大げさな…!」と思い続けたり、 「まぁ、こういう人もいるんだ。悪い人じゃないかもしれない。 突っぱねたら失礼だ」とあえて目を瞑った結果、 最悪の事態に発展するのがお決まりでした。  そこんとこ、どうなんでしょうか?

有り難し有り難し 32
回答数回答 2

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