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生きていく気力が切れてしまいました

回答数回答 3
有り難し有り難し 70

こんばんは。
こんな独りよがりの相談で恐縮ですが誰にも恥ずかしくて相談ができませんでした。

なぜかというと、いつも私は自分のことばかり考えて生きてきたからです。

今回の人事異動で末端の営業所に左遷させられました。私より年下の人は昇進しました。

その末端の営業所に行ってしばらくは荒れましたが、ここの営業所にいる人たちが仕事がしやすいように気持ちを切り替えてきました。

しかしながら、末端の営業所は人が少ない分仕事量が多く、毎晩家に帰るのが23時過ぎでした。

その頃から家事も育児もできなくなり、会社に行くのも休みがちになってしまいました。

しかし、休んでばかりいられないと思い頑張って出社した朝、事故を起こしてしまいました。

原因は私の脇見です。

事故相手の女性はムチウチ、妊娠してらしたので救急車をよんで病院に行っていただきました。

幸い今の所お腹の赤ちゃんには異常はなかったのですが、その際駆けつけられた相手方のご主人に胸ぐらをつかまれそうな勢いで(警察の方が止めてくれました)罵倒され、もちろん私が100パーセント悪いので殴られても仕方がないぐらいだと思ってはいたのですが、それから私の中でプツリと生きていく気力が切れてしまいまいました。

きっと自分のことしか考えてこなかった私に対する天罰なのだと思いますが、それを償う気力ももうありません。

今私がすべきことはなんなんでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

二次災害グセを無くしなさい

まず妊婦さん、母子ともに御無事で、最悪の事態だけは免れただけでも良かったです。
その事故はもう終わりました。人事異動も終わりました。悩んでいたあなたもさっきの悩みはそこで完了しました。そこできっちりおわらせましょうよ。
結論を先に申し上げますと、❝交通事故はぶつかった瞬間だけで、あとは片付け❞です。
片付けが終われば交通事故はそこで完了です。
「二次災害を今後、あなたのしあわせの為にも、心の中で起こすな!」です。
私も以前、交通事故を起こしたことがあり、数か月間呆然としていましたが、師匠から同じように言われて、ハッと気づき私は過ぎた過去の出来事を何度も再生したり、思っても仕方ない事ばかりを思って自分を苦しめていただけだという事が分かりました。
あなたを一番に苦しめているのが、あなた自身であるという事にお気づきでしょうか。
・過去を後悔したり、追認してみたって何になりましょう
・自分を責めて何になりましょう。
・子供たちを捨てるような事をして何になりましょう。
・陰鬱に仕事をして何になりましょう。
・必要以上に心配しても意味はありません
・もうダメだと口にしたって何になりましょう

もう苦しむべきことは苦しみ尽くしたはずです。
思いの世界で煮つめ返すことをやめましょう。
今日は今日で、ちゃんと真新しいことが目の前に起こっているはずです。
困った時は、もっと現実的に助けを求めるべきです。
あなたが考えるべき自分とは、お子様を持つ身としての自分ですから、それはちゃんと周りの事も考えているじゃないですか。
人生、子供の事も含めて、一生自分のことだらけです。
悩むのも自分。思い返すのも自分。苦しくなるように自分を責めるのもの自分。
もっと、本当に自分の事を考えてあげてください。
自分の命が、喜ぶ生き方があります。
自我ではなく、命を喜ばせる生き方だってあります。またいつでもご相談ください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

忙しかった時の自分をねぎらって。。。

ゆう様 はじめまして。

ひとりよがり、じぶんのことばかり、という表現が気になりました。

キツイ言い方になっていたら申し訳ないのですが、
もしかして、誰かに言われた言葉で深く傷ついていませんか。
もしかして、気持ちの上で自分中心の優先順位をつけていただけで、自分自身を本当に大切に丁寧に扱っていたと言えますでしょうか?

誰かが自分を守ってくれるという信頼や安心感はお持ちでしょうか。
もしかして、その部分を誰も担保してくれないので自分のことをまず考えるようになってしまったのではないでしょうか。

今の気持ちは自信喪失しているかもしれませんがあまり自分を責めないでください。
時は動いています。

今 ゆうさんがすべきこと

事故直前の自分にたいして、ねぎらいの言葉をかけてあげてください。
異動という慣れない環境の上での育児子育て、本当に頑張ってたね。えらかったよ!

事故は決していいことではありませんが、事故によりそれまで頑張っていた部分が消滅するわけではありません。

心や気持ちほど不安定なものはなく、落ち込むこともあるでしょうが、自分を大切に扱ってあげてください。そのうえで、相手の家族の無事を念じてあげてください。

あなたのことを心配している存在がこの世界にあります。
「心光常護」私が毎日よむ経典(偈文)の一節にある言葉です。
お大事に。

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おきもち

hasunohaに出会えた私は幸せ者です。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しい地方の町のお寺にいます。人混みは苦手、都会のイルミネーションやサイネージはまぶしすぎる。だけど、ここhasunohaでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みがなくても話してみたいときは相談ください

するべきことは仏法を聞くことです。

仏様の教えを聞くことを聴聞といいます。
親鸞聖人は『聴聞』を『ゆるされて聞く』とお示し下さいます。
全てゆるされて全て委ねて聞いていくこと。

誰しも人生に絶望し空虚、空しさを感じる事があるのだと思います。
仏様はそこに寄り添い救おうとなさる存在です。
しかしそれを聞かない人には全く関係のない話です。

たから私は仏法を聴聞して欲しいと思います。
仏様の智恵と慈悲を聞くことは、私の視野になかったものが見えてくるとても大切なことです。

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おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学の身でありますが、多くの方のお支えの中で日々精進しております。 仏教には、「私が知らないことを仏様から聞かせて頂く」という大切な側面があります。 聞かせて頂くのは、仏様の智慧であります。 今まで仏様のご縁が遠いと感じておられた方が、少しでも仏法に触れるご縁になれば幸いです。

質問者からのお礼

一法和尚さま
ありがとうございました。

一法和尚さま
ありがとうございました。
「事故によりそれまで頑張っていた部分が消滅するわけではありません。」
まさに私が気にしていたのは事故をして鬱状態になってしまった。それで会社の評価が下がるのではないか?家族にもうっとおしがられるのではないか?ということで、一法和尚さまのこの一言で大変気が楽になりました。

釈心誓和尚さま
ありがとうございました。
「仏様の智恵と慈悲を聞くことは、私の視野になかったものが見えてくるとても大切なことです。」という言葉で私は自分の杓子定規で頭の中が支配されていたのかな?と思いました。仏様の広いお智慧を聴いて視野を広げていけるようにいまします。

覚元和尚さま
ありがとうございました。
本当に悲劇のヒロインのような感じでどんどん自分で自分を責めて苦しめていたと目からウロコが落ちました。
「自分の命が、喜ぶ生き方があります。 自我ではなく、命を喜ばせる生き方だってあります。」今までそんな幸せな瞬間はなかったので、ぜひお話しを聴かせていただきたいです。

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