相依性縁起について
私は仏教哲学を勉強し始めたばかりの凡夫でありますが、仏教の縁起説に関して一つ疑問に思うところが有ります。
もちろん、縁起説の欠点だとかそういう物ではありません。
仏教には時間的生起を認める「此縁性縁起」と、時間や空間を論理的に関係づける「相依性縁起」の二つが代表的だと聞きます。
主に前者は釈尊の説かれた縁起とされ、後者は龍樹大師の説かれた縁起とされていますが、これらは学者によって意見が真っ二つであることを、最近本で知りました。
例を挙げるならば松本史朗博士が「龍樹は此縁性縁起を説いた」といった感じですね。
1.果たして今現在の仏教界(?)のこれらに対する見解の主流はどうなっているのでしょうか?
2.また、以下の二つのリンクに対するご感想を伺っても宜しいでしょうか?
ネットの意見を鵜呑みにするのもどうかとは思いますが、個人的にはこの方の縁起説は大変興味深いものだと思われます。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku02.html
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku03.html
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
う〜ん…そんなにホットな議論という印象はありませんが…
私自身、此縁性と相依性という用語を仏教系大学で習った記憶がありません。また、インド学仏教学論文データベースで検索しても、此縁性は1hit、相依性も3hitsしかありません。しかも3hitsのうち関連があるのは1件だけのようです。
では実際に大学でどう習ったかといいますと、「同一人物が世界観や思想面では無我を説くが、実践面では我を前提として説くということがよくある」と習います。それはそうですよね。本来無我(非我)であることを知ることによって執着の原因が滅するということと、自主的に修行することによって我を手放すということは矛盾しません。
前者が相依性、後者が此縁性の切り口ですから、両者は矛盾なく同時に保持することができますし、実際に使い分けられてきました。私の回答でもそうです。こちらは相依性からの回答ですが、
http://hasunoha.jp/questions/3160
こちらは此縁性から入った回答です。
http://hasunoha.jp/questions/1923
こういった使い分けはしょっちゅうしておりますが、これで矛盾だと言われたことはありません。対機説法ですし。むしろ色々な読み方ができた方が含蓄があって良いではありませんかという感覚です。
龍樹尊者にしてもそもそも複数人説があったりする謎の多い人物ですからねぇ…いかにも学者さんが好きそうな議論ではありますが、この手の議論の裏には「原始仏教と大乗仏教は別物なんだぞ!」ということにしたい人たちと、「いや、原始仏教と大乗仏教で違うわけではない!」と反論する人たちの思惑が絡んでいたりいなかったりします。和辻説宇井説の頃はそのような意図ではなくても、後世に引き合いに出す人たちがそのような差別心に利用するのですよ。だからこそ仏教界全体として見ればあまり相手にされていません。お坊さんの会話にも此縁性、相依性という言葉はでてきません。
2つのリンクについては長いのでご容赦ください。もう寝なければなりませんし。
「縁起と空」を理解する目的について
akbcde様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
かなり昔のものとなりますが、「縁起」については、
施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
この中で、時間的縁起・空間的縁起については、
http://oujyouin.com/enginorikai3.html
にて扱わせて頂いておりますが、正直、かなり未熟な理解で、まだまだであったと振り返ります。
佐倉哲さんの論考も誠に懐かしいですね。もちろん、当時、何度も何度も訪れて読んで、内容について考えていましたよ。。
で、今はどうかと申しますと、「縁起」については、「空」を理解するために、かなり重要な概念であることは変わりありませんが、「空」をある程度理解した後は、川を渡った後の筏のようなもので、あまり仔細に囚われてしまっては、さほど益がないものであると考えております。
もちろん、一応、「空」の理解がある程度進んだとしても、世俗諦の理解のためにおいては、完全に捨て去るべきものではありませんが・・
「今現在の仏教界(?)のこれらに対する見解の主流」・・
今の日本仏教界ということになるのか、あるいは大乗仏教界全体ということになるのか、でも変わってきますが、以前に無分別智をめぐるところでも少し触れていたかもしれませんが、チベット仏教、特にダライ・ラマ法王猊下様の属されているゲルク派における「縁起と空」の理解が、今後の主流になっていくのではないだろうかと、推察致しております。
とにかく、「縁起と空」を理解するのは、何のためであるのか、その意義を考えることも大切なことになります。
当然に、智慧と方便(慈悲)のレベルアップによる無明の対治、自利利他の円満なる成就のためであるべきとなります。
特に、仏教の目的は、悟り、衆生済度であり、学究論文・学術研究等における論功行賞や名誉、称賛、お金などのためではないというところとなります。
「縁起」や「空」の理解を、では、どう仏教、仏道実践に役立ていくべきであるのかについても、少しお考えを頂きながら、是非、これからも更に意欲的に学ばれていって頂けましたらと存じます。
ちなみに、「縁起」には最終的に重大な欠点があるとは思っています。もちろん視点にもよりますが・・
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
皆様回答して下さって有り難う御座います。
相依性や此縁性という様な言葉だけに固執しておりました。
まだまだ至らぬところも多い凡夫ですが、これからも精進して参りたいと思っております。