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相依性縁起について

回答数回答 2
有り難し有り難し 19

私は仏教哲学を勉強し始めたばかりの凡夫でありますが、仏教の縁起説に関して一つ疑問に思うところが有ります。
もちろん、縁起説の欠点だとかそういう物ではありません。

仏教には時間的生起を認める「此縁性縁起」と、時間や空間を論理的に関係づける「相依性縁起」の二つが代表的だと聞きます。
主に前者は釈尊の説かれた縁起とされ、後者は龍樹大師の説かれた縁起とされていますが、これらは学者によって意見が真っ二つであることを、最近本で知りました。
例を挙げるならば松本史朗博士が「龍樹は此縁性縁起を説いた」といった感じですね。

1.果たして今現在の仏教界(?)のこれらに対する見解の主流はどうなっているのでしょうか?

2.また、以下の二つのリンクに対するご感想を伺っても宜しいでしょうか?
ネットの意見を鵜呑みにするのもどうかとは思いますが、個人的にはこの方の縁起説は大変興味深いものだと思われます。

http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku02.html

http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku03.html

2016年9月12日 23:16

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

う〜ん…そんなにホットな議論という印象はありませんが…

私自身、此縁性と相依性という用語を仏教系大学で習った記憶がありません。また、インド学仏教学論文データベースで検索しても、此縁性は1hit、相依性も3hitsしかありません。しかも3hitsのうち関連があるのは1件だけのようです。

では実際に大学でどう習ったかといいますと、「同一人物が世界観や思想面では無我を説くが、実践面では我を前提として説くということがよくある」と習います。それはそうですよね。本来無我(非我)であることを知ることによって執着の原因が滅するということと、自主的に修行することによって我を手放すということは矛盾しません。
前者が相依性、後者が此縁性の切り口ですから、両者は矛盾なく同時に保持することができますし、実際に使い分けられてきました。私の回答でもそうです。こちらは相依性からの回答ですが、
http://hasunoha.jp/questions/3160
こちらは此縁性から入った回答です。
http://hasunoha.jp/questions/1923
こういった使い分けはしょっちゅうしておりますが、これで矛盾だと言われたことはありません。対機説法ですし。むしろ色々な読み方ができた方が含蓄があって良いではありませんかという感覚です。

龍樹尊者にしてもそもそも複数人説があったりする謎の多い人物ですからねぇ…いかにも学者さんが好きそうな議論ではありますが、この手の議論の裏には「原始仏教と大乗仏教は別物なんだぞ!」ということにしたい人たちと、「いや、原始仏教と大乗仏教で違うわけではない!」と反論する人たちの思惑が絡んでいたりいなかったりします。和辻説宇井説の頃はそのような意図ではなくても、後世に引き合いに出す人たちがそのような差別心に利用するのですよ。だからこそ仏教界全体として見ればあまり相手にされていません。お坊さんの会話にも此縁性、相依性という言葉はでてきません。

2つのリンクについては長いのでご容赦ください。もう寝なければなりませんし。

2016年9月13日 2:23
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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み) 最近YouTubeを...

「縁起と空」を理解する目的について

akbcde様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

かなり昔のものとなりますが、「縁起」については、

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html

この中で、時間的縁起・空間的縁起については、
http://oujyouin.com/enginorikai3.html

にて扱わせて頂いておりますが、正直、かなり未熟な理解で、まだまだであったと振り返ります。

佐倉哲さんの論考も誠に懐かしいですね。もちろん、当時、何度も何度も訪れて読んで、内容について考えていましたよ。。

で、今はどうかと申しますと、「縁起」については、「空」を理解するために、かなり重要な概念であることは変わりありませんが、「空」をある程度理解した後は、川を渡った後の筏のようなもので、あまり仔細に囚われてしまっては、さほど益がないものであると考えております。

もちろん、一応、「空」の理解がある程度進んだとしても、世俗諦の理解のためにおいては、完全に捨て去るべきものではありませんが・・

「今現在の仏教界(?)のこれらに対する見解の主流」・・

今の日本仏教界ということになるのか、あるいは大乗仏教界全体ということになるのか、でも変わってきますが、以前に無分別智をめぐるところでも少し触れていたかもしれませんが、チベット仏教、特にダライ・ラマ法王猊下様の属されているゲルク派における「縁起と空」の理解が、今後の主流になっていくのではないだろうかと、推察致しております。

とにかく、「縁起と空」を理解するのは、何のためであるのか、その意義を考えることも大切なことになります。

当然に、智慧と方便(慈悲)のレベルアップによる無明の対治、自利利他の円満なる成就のためであるべきとなります。

特に、仏教の目的は、悟り、衆生済度であり、学究論文・学術研究等における論功行賞や名誉、称賛、お金などのためではないというところとなります。

「縁起」や「空」の理解を、では、どう仏教、仏道実践に役立ていくべきであるのかについても、少しお考えを頂きながら、是非、これからも更に意欲的に学ばれていって頂けましたらと存じます。

ちなみに、「縁起」には最終的に重大な欠点があるとは思っています。もちろん視点にもよりますが・・

川口英俊 合掌

2016年9月13日 14:10
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

質問者からのお礼

皆様回答して下さって有り難う御座います。
相依性や此縁性という様な言葉だけに固執しておりました。
まだまだ至らぬところも多い凡夫ですが、これからも精進して参りたいと思っております。

「仏教における縁起」問答一覧

十二因縁(縁起)を例えると…

日頃、宗教や哲学について、ネットあさりしています。 最近は仏教、特に原始仏教と呼ばれるものに興味を持っていますが、十二因縁(縁起)について、府に落ちたイメージを持つことができません。 そこで、難しい言葉や理論を使わず、現代でもわかりやすい具体的な例えを挙げていただきたいと思い、こちらに質問してみました。 なお、こういった知識(智恵でしょうか?)は、一言では語り難いものでしょうし、また言葉だけでわかったつもりになってはいけないとも思っています。でも、こうもイメージが湧かないと、日頃に意識することも難しい。 ぜひ、「なるほど💡 そんな感じなのね!」と感触を得られ、日常の中でさらに感触を深めていけるような例えを、いただきたいと思っています。 ちなみに、これまで私が掴んだ感触・知識は次の通りです。間違いや不足もあると思いますが、その部分こそ、例えで払拭したり補足したりしていただきたいです。 十二因縁(縁起)とは、 無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の12個 「無明によって行が生じる」のように、前の物が次の因になる。 最後の「生、老死」については、「生まれることで、老いがあり死がある」ということ? では、「無明→行」「行→識」「識→名色」「名色→六処」「六処→触」「触→受」「受→愛」「愛→取」「取→有」「有→生」「老死→無明」はそれぞれ、どのような因果なのか。 現代でもわかりやすい例をあげるとすれば、どういう例が考えられるか。 仏教に疎い者でもわかりやすい例を、ぜひよろしくお願いしますm(_ _)m

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ダンマパダより!「愚か」「縁起や道理を理解」とは?

 いつもお世話になっております。  ビルクリーニング技能士と並行し、気分転換がてらダンマパダ を勉強しています。その中に、 「もし旅に出て、自分より尊い、または等しき人に出会うことが できなければ、むしろきっぱりと一人で行け。愚かな人を道連れ にしてはならぬ。」という文言がありました。  この他にも、「愚か」という言葉がたくさん出て来て、 お釈迦さまでもこんなこと言うんだ…wという感じです。  死んだジジィも、「バカはほっとけ!」(狙ってないわよ?) と言ってました。  調べてみましたが、このような解釈で間違いないでしょうか。  愚か=愚痴=無明。  愚痴、無明とは「縁起や道理をわきまえずに自己中心的な 理論や考え方で、同じくそのように振舞う様」とのこと。  例として、いきなり道端の人を挑発したりdisる奴と、 それにガチでキレる私。    反対に、縁起や道理をわきまえるというのは、 「原因と過程を察して冷静に対処する」ということでしょうか。  例えばあのお嬢様が睨んで来たら、「あぁこの人もなにか事情が あるんだな」と思ってほっといてあげる。  既に存在するルールに照らし合わせて合理的に判断し、 適宜そこから離れるか、管理者や知識ある方の指示を仰ぐ。  例としてお説教会のセクハラwww  お釈迦様が悟ったのは人間界を効率よく生き抜くための法則 だと聞きました。これらの見解で問題ないでしょうか。  ご意見お待ちしております。

有り難し有り難し 14
回答数回答 2

縁起論争

上山春平・梶山雄一編  「仏教の思想 その原型をさぐる」 より  縁起ということは相依性(idappaccayata)ということで、相依性とは「これがあるとき、かれがある。これが生ずるとき、かれが生ずる。これがないとき、かれがなく、これが滅びるから、かれが滅びる」ということであると説かれている。後の中観学派では、この相依性は交互因果・交互媒介の意味でAとBとが、AがあるときBがあり。BがあるときAがあるという、A⇔Bの関係を成立させることであるという。『中論』の立場は空すなわち無自性(自己原因としての実体概念の否定)ということを、一切の存在(法)の交互媒介性によって考えようとするのである。  原始仏教の縁起説で縁起支の相互の関係が一方的な基礎づけの系列であるか、あるいは交互媒介的であるかは、わが国の学者の間でも議論のあったところで、一方的基礎づけと考えるのは和辻哲郎説であり、交互媒介説は宇井伯寿説が代表的である。和辻説によると、縁起支の関係がもし全く相互的であるとすれば、根拠付けの系列に縁起支の全体を秩序付けることも、本来不可能なことになる。これに対して宇井説は、原始仏教の縁起では、それぞれの縁起死が自己の中に全系列を映じ、いわば世界とモナドのような互いに映じ合う関係にあるとする。その結果縁起支AとBとの間に予定調和に基づく相互融入の関係が成立する。要するに相即相入という華厳哲学の交互媒介を───一即一切の世界観を前提としながら───原始仏教の縁起説の相依性を及ぼそうとするのが宇井説の特色である。 宇井伯寿や和辻哲郎は共に十二支縁起を「相依性」と解釈していた筈ですが、これによると両者の縁起観に若干の違いが有ると見受けられます。 和辻の主張する「一方的基礎づけ」と宇井伯寿の主張する「交互媒介」にはどのような違いが有るのでしょうか? 両博士は縁起の「相依性」を主張していた筈ですが、私にはこれらの差異が何を意味しているのかさっぱりです。

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