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仏教と神道

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 こんばんは。先日は私の質問に真摯にご回答下さりまして、誠にありがとうございました。こちらで質問させていただいて、お坊さま方の回答から今後の生活のヒントになることを沢山学ぶことができました。本日は、さらに質問したいことがございますので、ご迷惑かとは存じますがご回答頂けますと幸いです。

 私は、仏教について勉強していく中で、日本では仏教と神道が結びついて独自の文化を形成してきたということを学びました。それは、ヨーロッパのような激しい宗教対立ではなく、大乗仏教の柔軟な教えがあったがゆえに土着の信仰を包摂できた結果生まれたものであり、世界の中でも珍しい信仰体系であると思います。

 しかし、仏教の教えと神道の教えは相容れない所があるようにも思い、そこが自分の中で考えの整理がつかない点でもあります。例えば、先祖崇拝はもともと仏教の教えには無かったと学びましたし、神道の荒魂・和魂といった概念も仏教の教えとは異なるもののように感じます。この両者の教えの違いをお坊さまはどう整理されているのでしょうか。

 なぜ、このようなことを申し上げたかと言いますと、私の実家の信仰と上記の問題が関連しているためです。私の実家の宗旨は浄土真宗なのですが、仏壇の他に神棚もありますし、両親は仏壇の他にも調理場や庭石などにお供えをしています。また、お寺にも神社にもお参りに行きますし、お墓へもお参りに行きます。これまではこれらを当たり前のこととして受け取っていたのですが、仏教を勉強していくうちにこれらの習俗に対して疑問が湧いてきてしまいました。

 浄土真宗を信仰する家庭では、神棚は基本的には置かないと伺っております。また、死んだら即成仏という考え方であるため、位牌も必要ないと聞いております。しかし、私の実家には神棚もありますし、黒塗りの位牌もあります。この両者の間の矛盾をどう整理すれば良いのでしょうか。菩提寺の住職様に質問はしてみたのですが、曖昧な答えで納得のいくものではありませんでした。私は、人生を生きていく上で道標となるものを得たいと思い、仏教の勉強をしてきたのですが、現実の生活に活かせるように整理しようとすると、矛盾点が多く悩みはむしろ以前に比べて増えてしまっているような気がします。

 お忙しいと思いますが、お坊さま方のご意見を伺えましたら幸いです。よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

宗教は生死の問題に安心立命せしむるもの也

鋭い質問ありがとうございます。いい質問です。

思想信条を極めれば、「神祇不拝」という考え方もあるでしょう。
そんなことをして、「私」の、または、「あなた」の気持ちは安らぎますか?
なぜなら、ほかの方が礼拝の対象として崇敬しているもを否定することは、
その方にとっては自己の価値を否定するようなことになるので、
不快感を与えるでしょうし、
あなたと、その方の間で、心情的対立を生むかもしれません。

わたしが考える「他力の信心」とは、

私は、修行して、自分で悟りに至ることは当然できないし、
神仏に祈願をしても心安らぐことのない愚か者ですから、
阿弥陀さまのお誓いを信じるだけで救われるということを信じるしか、
この私にはないということです。

ですから、そんなことを全く気にする必要がないのです。
あなたの安心の問題です。他人の安心ではないのです。

他の方と詣でた場合は、慣習に従って手を合わせたらいいんです。
「信心ノ行者ニハ 天神地祇モ敬伏シ」 とあります。(歎異抄第七条) 

宗教の目的は冒頭に書きましたように、
何物にも揺るがされることのない大安心を得ることだと思うのです。
何物にも揺るがさらないということは、とらわないということです。

ですから、全く気にすることはないのです。

追伸

神道と仏教は、相容れない対立するものではありません。廃仏毀釈という、かなり無茶なことをした時期も
ありますが、神さまは遠いご先祖さま、近いご先祖さまは、仏さまとして、国の安定と統一を図ったのです。
聖徳太子さまの、和を以って貴しとなす。とする御心が、このことを象徴的に表しています。
神道の、和魂、幸魂、荒魂は、御神体の、働きを現したものです。
現世利益は、神道、仏教問わず行われます。いま幸せでなくしていつ幸せになるのか、救わずにおくものかと、考えるわけです。神主さんも、お坊さんも真剣勝負です。私には、そんな力も根性もないので、阿弥陀さまにお縋りするだけです。

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おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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「神祇不拝」は内面的なものです

真宗大谷派僧侶です。

真宗門徒として、信心を深めていくと、「神祇不拝」の問題は出てきますよね。

まず、神頼みや加持祈祷の、なにが、人間を苦しめるのかを考えてみましょう。

例えば神頼みや加持祈祷によって病気が治るわけではありません。
入試合格をお祈りしても、そんなものは、効果ありませんから、神社に入試合格を祈願しにいくヒマがあったら、その時間勉強してたほうがマシです。

もうひとつ。
例えば、商売繁盛や恋愛成就をお祈りする人はたくさんいます。
しかし、商売繁盛も恋愛成就も、結局は「自分の都合」なのです。
自分の会社の業績があがることで、同業他社の業績が下がって、クビになって苦しむ人がでるかもしれません。
A子さんを好きな男性が、私とB君とC君と三人いるとします。。
私がA子さんを好きで、恋愛成就を祈願するということは、「自分だけよければいい。B君やC君は、失恋して悲しんでもかまわない」
ということになります。

真宗は「えらばず、きらわず、見捨てず」の教えです。
ある特定の人だけ助かればいい。
助からない人がいてもかまわない、という教えではありません。

神祇不拝の問題点は、大きくわけると、上記のふたつです。
つまり、「事実かどうか?」と「自分さえよければいいという考えでいいのか?」ということです。

もう取り壊してしまいましたが、私の実家にも神棚はありました。
(私は在家の大谷派門徒から僧侶にならせていただきました)
位牌も、母は必要だと主張しています。

真宗大谷派僧侶としては、神棚は作らないほうがいい、位牌は不要といいますが、実際には、社会の風習に従って、神棚があったり位牌がある真宗の家庭も多いと思います。

形式は内容を表す部分があるので、形式として、神棚を作らない、というのは、確かに大切なことです。

しかし、一番大切なのは、「事実かどうか?」と「自分さえよければいいという考えでいいのか?」ということです。
これは、形式ではなくて、各自それぞれの内面の問題です。
伊藤さんが、内面で、「事実かどうか?」「それは、えらばず、きらわず、見捨てずの教えなのか?それとも、自分だけよければいい教えなのか?」
を問うていくことが、神祇不拝の根本だと思います。

自治会や子供会の行事で神社にいってお神輿をかつぐとか、そういうことは普通にやってかまわないと私は思います。

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おきもち

浄土真宗、真宗大谷派です。
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法然上人の回答

私は浄土宗ですが、これも縁ですので参考に回答させてください。
昔、町人があなたと同じ質問を浄土宗の宗祖法然上人にしたのです。
法然上人は、このように回答しました。
「阿弥陀仏はあなたを極楽浄土に連れて行ってくれる仏様です。神社の神様は現世であなたを守ってくれる神様です。ですから、両方を信仰しても大丈夫なのですよ。」
浄土真宗では少し(かなり?)解釈が違うかもしれませんが、参考まで。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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ミックスジュース

 こんにちは。

 おっしゃる通りインドで発生した仏教は、その後様々な土地で様々な宗教・思想を織り交ぜながら伝播し根を下ろしながら、日本まで伝わってきました。日本においても神道やその他民間信仰と混ざり合い発展してきました。そして仏教とそれらの宗教・思想は「まだら」ではなく、まるでミックスジュースのようにしっかりと溶け込んだ状態になっています。
 ミックスジュースの中から、特定の成分だけを抜き取って飲むのが困難なように、現在、日本で信仰されている仏教から、インドで発生した部分だけを抽出して信仰しよう、というのは困難でしょう。

 ちなみに、日本に仏教が伝わってきた時点で、中国の先祖信仰思想が交ざった状態で伝わっていたと考えられ、それに日本古来からあった先祖供養思想と組み合わさり受け入れられたと考えます。

 古代日本でも、あなたと同じような事を考えた方がいらっしゃったようで、仏教が入ってまもなく、「本地垂迹説」が唱えられ、神様も仏さまも一緒だよ、という思想が生まれました。今でも「神さま仏さま」なんて言い方がありますよね。

 「もともとの仏教はどうなんだ」というのをあなたがいくらつきつめても、あなたの心の安らぎにはつながらないと思います。そういう事は学者さんに任せて、あなたは神棚も仏壇もお位牌も大切にし、信仰している宗派の考えに基づき、静かで豊かな生活を送って下さい。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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質問者からのお礼

 皆様、ご回答ありがとうございました。お礼のコメントが遅れまして大変申し訳ございません。以下に、それぞれのお坊さまへのお礼と感想を述べさせていただきます。

佐藤精徹様 ご回答ありがとうございました。①「事実かどうか?」と②「自分さえよければいいという考えでいいのか?」という二点を考えるべきだというお話は、大変参考になりました。②の点は納得できるのですが、①の点に関して少し伺いたいことがございます。私には、加持祈祷やお祓いに効果があるのかどうか分かりません。実際にお祓いをしてもらうと気が晴れますし、他宗派では加持祈祷を行っている宗派もあります。佐藤様のお考えは、それらを全て否定するもののように感じられましたが、佐藤様はなぜ「お祓いや加持祈祷に効果はない」と言い切ることができるのでしょうか?
この点が気になったので、質問させていただきました。よろしくお願いします。

聖章様 ご回答ありがとうございました。法然上人のお言葉は大変参考になりました。そのような考え方ですと、両者に折り合いをつけられるような気がします。

三浦康昭様 ご回答ありがとうございました。とても勉強になりました。私も、信仰の問題で両親と心情的対立を生むのは良くないと思いますし、それは仏教の教えるところでもない気がいたします。今後は、三浦様のおっしゃるような道を歩んでいきたいと思います。

光禪様 ご回答ありがとうございました。「もともとの仏教はどうなんだ」というのをあなたがいくらつきつめても、あなたの心の安らぎにはつながらないと思います、というお話は、本当にその通りだなぁと思いました。ただ、真宗の教義を突き詰めていくと、実家の信仰とはどうしても矛盾することが悩みでした。私も、これからは実家の信仰を大切にしていきたいと思います。

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