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仏教をまとめると

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仏教の教えを簡単にまとめるとどんなかんじになりますか?

仏教の教えが山ほどあって混乱します。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

▢〇△ これなんぞ   ▢〇△ ただこれこれ

「▢〇△」
これが仏教です。(終)
(解説)
この記号は何という事もありません。
これを示されると、万人が▢〇△というように映る。
ただ、そのまま、ストレートに、この事(▢〇△)になる。
この同じ▢〇△が、人によって、✖◆●と映ることはありません。
仏教徒であろうとなかろうと。ただ、▢〇△。これがこうある。こればかり。
禅語でも、如是、ただこれこれ、などと言いますように、そのことがそのものを、すでに全て説き尽くしているのです。
そこに二の句を継がない。つけ足さないでいいのです。
誰かの口を通して、仏教らしい言葉に翻訳されなくても、現前の一切それがすでにそのままその通りであるという事が、覚者の説いた仏法の本核です。
仏教を本当に理解するという事は、この自分自身を明らめるという事です。
どこかに仏教らしいものを立てて、それを知識的にもとめることではありません。
何故なら、この自分の真実・真相の他に、仏教らしいことを求めてもそれはおそらく知識か思想的遊戯でしょう。お釈迦さまの時代には仏教のブの字も無かった。
およそ世間の方々はシャカ入滅後の二次的に生まれた副産物を頼りにし、仏教的な文字知識ばかり理解しようとして、肝心の中身に到達しない。だから仏教が分からなくなってしまう。
ご自分のたった今の様子をご覧ください。
ただ 今 このごとくにある。このようにある。その通りにある。
それが人のいつでもの真相です。
カラスがカアと鳴けば、ただカァということが間違いなくこの全身の上に行われる。
それが、きちんと、そのまま、うけがえさえすれば、誰でも、いつでも、そこで成仏なのです。ところが、成仏の道と、一般世間の道との分かれ道がここからです。
「何を言っているんだろう」
「仏教、成仏と言うのはそんなことではないだろう」
「それはどういうことであろうか」
というような、認識、理解、分別意識で探るゆえに、ますます遠ざけるのでしょう。
それは、そのものをその事の通りにそのまま受け取っている姿ではありません。
自分が、これぞ仏教であろう、と思い込んでいる事も一度捨ててみてください。
棄て切って、はじめてあらわれる目の前の真実。
そこには仏教というラベルすらついていない、お釈迦様が本当に気づかれた、本物の真実仏法があります。もう一度冒頭から読み返してみてください。必ず、見出されるはずです。

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丹下覚元(たんげかくげん)
かくげん和尚の電話おなやみ相談  📞08020659278 そのモ...

仏教=仏になる教え

簡単にまとめると「仏教」=「仏になる教え」です。
仏教を信仰するというということは、自らが仏になる道を歩むということです。
宗派や考えがたくさんありますが、それは仏への成り方がたくさんあると考えたらいいと思います。
大きく分けて聖道門と浄土門があります。
聖道門の場合は様々な修行によって仏になることを目的とします。
浄土門の場合は死んだ後に浄土へ生まれ、浄土での成仏を目的とします。

また多く説かれているのは仏様の智慧です。
「空」が説かれる般若心経が日本では有名です
「諸行無常」や「縁起」など仏様が悟られたこの世の本質がたくさんあきらかにされています。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

悩み苦しみを消したり減らしたりする教え

生きることは苦しみである。(苦諦)
苦しみの原因は煩悩である。(集諦)
煩悩をなくして悩み苦しみを滅ぼすことができる。(滅諦)
そのための方法(仏道修行)が実際にある。(道諦)
以上、4つの真理(四諦)が仏教の基礎です。
また、煩悩を消せないままでも、煩悩をコントロールできれば悩み苦しみを減らしたり制御したりできる。
そのような教えを学び、信じ納得し、修行するのが仏教(仏が説いた教えであり、仏に成ることができる教え)です。
また、修行の結果悟った(煩悩をなくした)仏様や仏の弟子達、仏を目指して人助けしながら修行している菩薩、仏教を守護する神々(天)を拝んで心の拠り所としたりする信仰もあります。
煩悩がなくなり、生き物の世界から卒業(解脱)することを涅槃と言います。
涅槃を目指すのが、仏教の特徴です。
煩悩の根源、無明という煩悩は、まだまだ生きていたいという執着・不満です。
食べることに満足した人は食べるのを止めます。では、生きることに完全に満足したら?
輪廻からの解脱、平安なる滅び、余すことなき涅槃(ニルヴァーナ)です。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...

質問者からのお礼

みなさん、回答どうもありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

仏教とは?

こんにちは。私はとある信仰宗教の元信者です。その宗教ではその宗教のお経を毎日よんで、法名といわれるものをおさめ、つどいと称される会合に参加し、弥勒山という山に登ります。勧誘してきた人は私の20年来の付き合いのある方で、その信仰宗教をとても心から信じていました。しかし、私はこの信仰宗教に違和感を感じていました。職場の方に話してもら辞めた方が良いという回答でした。また、旦那が私には居ましたがその宗教を毛嫌いされ、彼の親族にも激怒され縁をきられてしまいました。私は今実家で幸せに暮らしています。仕事も頑張って居ます。勧誘された方は癌で若くして亡くなりました。彼女は最後までその宗教を信じていましたが、私も彼女もそのお経を毎日読みましたが、私は離婚し、彼女は命を失いました。これのなにが幸せなんでしょうか。私には弟が居ます。まだ若くこれからどうなるか分からないですがきっと結婚するだろうと思います。義理の妹は果たして私の事を理解してくれるかと不安になり、檀家になってるお寺のお坊さんに相談しました。その方は瞑想会をしていて、瞑想すると涅槃の境地に近づけるとの事で、私は毎日するようになり、瞑想会にも参加するようになり、元の信仰宗教は辞めたい。と彼女の旦那さんや支部長に言って辞めさせていただきました。しかし、彼女には本当にお世話になったし、お経を読まないと瞑想出来ない脳になってしまったので、辞めてもお経は読んでいるし、彼女のお墓にお墓参りに行こうと思っています。信仰宗教で出会った方々とはまだLINEで繋がっています。このままいくとまた、戻ってしまうかどうか心配です。私は幸せになりたいからやってるんではありません。ただ、お墓参りして、お経読んで、瞑想して、線香あげて。私は仏教なんて全然知りません。お経の意味も分かりません。でも、これから勉強したいと思います。信仰宗教であげてるのは簡易なもので独自の解釈がされていて本質ではないと思います。瞑想の檀家のお寺のお坊さんも良い方ですが、わたしが涅槃までいけるかどうかは分かりません。こんな私は社会から見ておかしな人間なのでしょうか?仏教ってなんなんでしょうか?お経読む事でしょうか?墓参りする事でしょうか?瞑想する事でしょうか?私は宗教を理由に仕事休んだ事はありません。信仰宗教勧誘は一度しかやった事がなく、家族からも止められてるので今はやってないです。

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最後の言葉「ありがとう、また会おう」

長文で失礼致します。 急ぎの相談ではありませんので、お時間のある際にお話いただければ幸いです。 もう1点、伺いたいことがあるのですが、お坊さま方もお忙しいと思い、別の機会にさせていただきます。 父親のいなかった私たちを、親代わりになって育ててくれた祖父が先日他界しました。 母や叔父と叔母にとっては、優しくも厳しい一面もある父親だったそうですが、孫全員には優しく頼もしく接してくれて、「いい思い出」しか残っていません。 ここ数年は持病が悪化し、コロナ禍ということもあり、楽しみにしていた大勢で食事を楽しむ機会を設けれなかったことだけは心残りです。 入院先の配慮で、最後にお話をする機会があり、駆けつけた祖母・母と叔父・叔母、孫全員と話をすることができたのが幸いです。 「遅くまでいると迷惑がかかる」と祖父に促され、亡くなる前日の別れの際にかけられた言葉が印象的でした。 「じーちゃんが死んだ後、コロナが収まったらな、ばーちゃんに会いに行ってやってくれ」 最後まで祖母を思う優しさ、そして。 「ありがとう……また、会おう」 この言葉は、もしかすると生きて会えるのは最後とわかっていて、「来世」でまた会おうという意味だと私は受け取りました。 葬儀をお願いした元々ご縁のあるお寺のご住職も、「今の別れは、ゆくゆくは浄土で再会するまでの一時的なもの」とお説法をされていたので、受け取り方は違ってなかったのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

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初めて知った事に対して、怖いです

三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫。三虫(さんちゅう)三彭(さんほう)伏尸(ふくし)尸虫(しちゅう)尸鬼(しき)尸彭(しほう)ともいう。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。 日本では平安時代に貴族の間で始まり[1]、民間では江戸時代に入ってから地域で庚申講(こうしんこう)とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待をする風習がひろまった。 道教では人間に欲望を起こさせたり寿命を縮めさせるところから、仙人となる上で体内から排除すべき存在としてこれを挙げている ウィキペディアからコピーさせていただきました。 こちらの文章を読んだ上でご質問させていただきます。 質問ですが・・、本当に3匹の虫が体の中に入っているのでしょうか? とある小説でこのような事を知りました。 正直、今までこんな事知らなかったので、怖いです。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられと wikiに書かれていますが・・・、 寝ないで1日越した方がよいでしょうか?あまりいい気分がしないので教えていただけると嬉しいです・・。 お坊さんの方々もこの日は何か特別な事はやってらっしゃるのでしょうか?

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