死にたくないと子供が泣いて困っています
小学1年の息子が夜になると死にたくないと言って泣き出します。
詳しく聞くと自分が死ぬことだけでなくパパやママが死ぬのも嫌で
一人になるのが嫌だとのこと。
「新しい命が生まれる為にいつかは死ぬんだよ」と説明すると
「どうせ死ぬなら皆で一緒に死にたい」と言ってきます。
でも、自殺は天国に行けないからどうしらいい?と聞いてきて困っています。
今はとりあえず「死ぬのはまだ先のことだから大丈夫」と言って落ち着かせますがそれ以上良い回答ができません。
息子が落ち着ける助言をお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
優しい息子さんですね
ご質問拝読しました。
とっても優しい息子さんですよね。まずはそこを褒めてあげてください。そして優しく抱きしめてあげてください。死ぬことを真剣に考えられるということは、生きることを真剣に考えることができるということです。
とても立派なことですよ。チャトさんが「新しい命が生まれる為にいつかは死ぬんだよ」と、きちんとお伝えできていることもすばらしいと思います。
息子さんはご両親のことが大好きで、離れるのがつらいんですよね。いまは、ご両親が抱きしめてあげて、ぬくもりを伝えてあげてください。ご両親から大切に思われているということが伝わったならば、息子さんも安心できるのではないでしょうか。
そして「大丈夫だよ。死ぬんじゃ無くてほとけさまの世界に生まれていくんだよ。」と声をかけてあげましょう。また、「あなたが笑顔でいてくれることがお母さん(お父さん)のいちばん嬉しいことだから、泣かないでね」と伝えてあげていただきたいです。
一年生でしたらまだまだ不安もいっぱいあるでしょう。安心できるのは親のふところに抱かれた時だと思いますよ。かわいがってあげてくださいね。
生死一如
死ぬのが漠然と怖いものだと理解できたお子さんを、誉めてあげてください。
人間の苦悩の究極でもある死に対して、真っ直ぐに向き合った結果なのですから。
大人にだって、正面きって死を(他人事ではなく)我が事として考えるのは勇気がいります。それをやってのけたお子さんは大したもんです。
仏教の考え方では「生死一如」
つまり、生も死も同じです。
なぜなら、命は産まれた瞬間から死ぬことが定まっているからです。
生きることは死んでいくことなのです。
死ぬことが怖いからこそ、生きていくことが怖い。だったら、こうして毎日お父さんやお母さんとお話ができたり、楽しいことや悲しいこと、怒ったりする事がどれだけ有難い事なのかを伝えてあげてください。
限りある命が、今こうしてあることを喜び、大切に生きていかなきゃいけないと教えてあげて下さい。
『仏説阿弥陀経』というお経の中で「倶会一処(くえいっしょ)」という言葉があります。死ぬタイミングや場所は違っても、阿弥陀仏の救いによって、お浄土でまた会えるという意味合いです。
死んでもまた会えるのだから、死に対してそんなに悲観的にならなくて良いんだよ~死に怯えず、今を精一杯に生きて欲しいって願って下さるのが阿弥陀仏です。
同じ親として、是非、お子さんに阿弥陀仏のお浄土についてや、死と向き合った勇気について、話し合って頂きたいと思います。
南無阿弥陀仏
愛別離苦
子どもさんは不安がってます。大人目線で生死の論理を語るより母子の安心感を伝えてあげてください。
ちゃんと居るよ。
お母さんだって、死んで別れたくないよ。
大好きよ。
昨日一緒に居れて嬉しかった。
一緒にいてくれてありがとね。
と言ってあげてはいかがでしょうか。
私には、お母さんと別れたくないの裏返しに思えてしまいます。。
みんな死ぬ。みんな怖い。みんな考える。……
わたしも似たようなことを言って泣いて親を困らせたことがあります。わたしの場合は「ノストラダムスの大予言によると世界は1999年に終わるらしい。終わるのは核戦争だ。その前にきっと世界大戦になるんだ。なったらぼくはちょうどそのころ若者だから戦争に行くはずだ。戦争に行ったら死ぬはずだ。死ぬのは怖い!」みたいな、今思い出してよくよく考えると非常に不思議な論理で泣いてました。まあ総合すると「死ぬのはいやだ!死にたくない!」と言っていたのだろうか……。
母親は何と言ってくれたかなあ。「みんな死ぬから大丈夫」くらいなことを言ったのだろうか。または「それは誰も避けられないことだよ」と言っただろうか。よくは覚えていませんが、たぶんそういう事実を言って、もっと泣かされたような気がします。ただ、「全員がいずれ死ぬ」という、この世の中でそれだけかもしれない真実みたいなものにそのとき本気で触れられたのは、今は、とても良かったと思っています。
わたしは「えーん えーん」と泣いて、泣いて、泣き疲れて眠りました。(河島英五みたいですね。)すっきりと目が覚めた、というか、朝になったら別のことが気になって、死の問題はヨソへいってしまいました。何度かそんなことをやっているうちに、保留にするということを覚えたのだと思います。世の中の人はすべてそうなのだ(死について考えて泣き疲れて眠った経験が一度や二度はあるのだ)と思っていましたが、死についてまっったく考えたことがないという人が結構いるのを知って、すごく驚きました。
わたしも死ぬのはいやです。なるべく、楽しく長く、この世界にいたいです。
その一方で、仏さまが「死ぬのではない、お浄土に迎えます。そして永遠に生きます」とお示しなので、そうなのかなあ、と思ってもいます。
息子さんのその質問には、納得のいく回答を本人以外の人が示すことはできないと思います。本人が何かに気付くか、その問題を考えなくなるのを待つしかないのだと思います。だから、他のかたもおっしゃっているように、今はただそばにいて、言葉や思いを聞けるだけ聞くのが良いのだと思います。もどかしくて、おつらいかもわかりませんが……。
質問者からのお礼
沢山の回答ありがとうございます。
死んでもまた必ず会えるということと、
今一緒にいられて嬉しいということを伝えてみます。
大人でも「死」について考えることは怖いですが、
「死」がくるまでどのように過ごしたらいいか
息子と一緒に考えたいと思います。