hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

死刑制度で質問です。

回答数回答 4
有り難し有り難し 73

日本弁護士連合会(日弁連)が6日、福井市内で開催した死刑制度に関するシンポジウムで、”瀬戸内さんは「人間が人間の罪を決めることは難しい。
日本が(死刑制度を)まだ続けていることは恥ずかしい」と指摘。「人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと。みなさん頑張って『殺さない』ってことを大きな声で唱えてください。そして、殺したがるばかどもと戦ってください」と述べた。”とあります。

しかし、一番野蛮な行為をした犯人が、軽い刑で済むのはどうかと思います。

また、”目には目を歯には歯をは”いけないのはわかりますが、刑期を終えて出所して社会に復帰すると恐ろしいです。

これでは被害者サイドは泣き寝入りかと存じます。

どう思われますか?ご意見を何卒よろしくお願い申し上げます。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私としては

私としては。
人の思想は様々、境遇も様々、犯罪を犯した原因も様々ですから、一つの正解というものは無いと思います。

昔インドにアングリマーラという連続殺人鬼がいました。100人目を殺そうとした時にお釈迦様と会い、目を覚まし弟子になりました。
お釈迦様は彼を罰することはしません。悟りに至るように導くのです。

つまり、犯罪者も反省したなら、許すべきと思えます。

しかし、アングリマーラはその後托鉢で町を歩いている時に、遺族達によって石を投げられ、棒で打たれ、最後には殺されてしまいます。
お釈迦様は当然の報いだから耐えなさいと言いました。

ここからは、因果応報、悪因を作れば当然その報いを受けることになる。これを止めることはお釈迦様でもできないし、遺族の気持ちも当然である、ということだと思います。

死刑制度が無ければ、遺族が犯罪者を殺すでしょう。それも当然の報いです。
ただ、その場合は返り討ちにあう遺族もいるでしょうし、反対に殺された犯罪者の遺族が、仕返しすることもあるでしょう。
怨みは際限無く続いていきます。
その怨みの継続を止める為に、死刑制度が役に立っている、という面もあると思います。
死刑になるのは当然の報いなのです。

ただ、最近は冤罪が多いようですから、十分な検証が必要ですし、可能なら、死刑ではなく終身懲役など別の形で報いを受けることも、遺族の気持ちによってはありなのかなと思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
このお坊さんを応援する

現状では、死刑廃止は難しいと考えております

 以前、「死刑は廃止すべきでないか」という立場からの質問を受けたことがあります。
その時の回答をご参照ください。
http://hasunoha.jp/questions/2648

 私は教誨師というお役を頂戴しているので、定期的に刑務所に行き、服役者の更生のお手伝いをしております。
  個人教誨と言って、個々の服役者の依頼を受けて服役者の親兄弟のご供養をしたり被害者の方のご供養をしたりして、その後に面談の時間を取ります。人の命を殺めて無期懲役や長期受刑の方も多いです。何でこの人が凶悪な犯罪をしてしまったんだろうと不思議に思い場合もあります。処遇困難と言って、「更生しよう」という意欲に欠けている方も居ます。暴力団の抗争の中で殺人を犯し、対立組織からの報復に怯え、「こんなことの繰り返しから抜け出したい。」と言っている方も居ます。一般論から言っても、「人を変える」というのは容易いことではなく、不可能な場合も多いと思います。同様に犯罪者を更生させるということもなかなか難しいものであると感じております。
 仮に、死刑を廃止して終身刑にしたとして、その犯罪者は更生できるのかでしょうか?はっきり言って難しいと思います。死刑廃止することによって、犯罪者が更生される可能性があるのか?現在の司法制度行刑制度をどう改善すればよいのか?そういう具体性を持った提言を未だに聞いたことがありません。

 私は死刑廃止が望ましいと思っております。しかし、犯罪の抑止という点を考えれば、終身刑よりは死刑の方が抑止効果があるのではないかと思っております。

{{count}}
有り難し
おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
このお坊さんを応援する

非常に判断が難しい問題でございます。

Carbuncle_Male_To_X様

日本の死刑制度は、最高法規の日本国憲法第31条の逆説的解釈から、刑法第9条の刑罰規程、刑法第11条と刑事訴訟法第475条から第479条までにおいて執行規程が定められています。

死刑制度は、刑法の法益保護機能と人権保障機能のバランスの中において、日本の場合の死刑制度については、応報刑論・目的刑論(日本では相対的応報刑論の立場)における犯罪抑止力としての法益保護機能を重視する観点から制度が存続していると従来から考えられています。

とにかく、日本の場合では、「法律の定める手続きによれば、人を合法的に殺すことのできる」という日本国憲法第31条の逆説的解釈を国民が容認しているということ、刑法・刑事訴訟法にて死刑の法的根拠・執行根拠を容認しているということは言えるのではないだろうかと存じます。

次に、仏教的な立場と致しましては、「不殺生」(みだりに生き物を殺めてはならない)がございます。何故不殺生なのかと申しますと、殺生が、煩悩や煩悩の親分の無明(根本的無知)による行為であるとして、その行為は、迷い苦しみ続ける輪廻の原因となる「悪業」となってしまうからであります。

では、煩悩、無明によらない行為(例えば、純粋な善行為・慈悲行為として)であれば、殺生は認められるのかどうか、場合によってはもちろん認められる余地はあるにはありますが、かなり判断が難しいものとなります。(軽々に凡夫では判断できないところでもございます。)

例えば、ご質問の内容のように、死刑とせずに無期懲役刑で、20-30年で刑務所から出てくるが、更正の余地は全く無く、社会に出ればまた確実に多くの人を殺すのが明らかな場合において、尊いたくさんの命を守るために、その者の命を奪うこと(死刑にすること)が、果たして仏教的に許されうるものであるのかどうかというところでございます。死刑としてのその殺生が、煩悩、無明による行為では全く無いと、仏教的に果たして言い切れるのかどうかというところであります・・

仏教の場合では、「業」(カルマ)の問題を考えて、死刑制度を容認している場合は、それが悪業となるものであると悪意有過失(知りつつ不注意にて是正せずに放置している)であれば、自らの悪業となる恐れも否めないというところがございます。

字数制限上ここまでにて・・

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

国家が犯す殺人が「戦争と死刑」です

どこの国でも「殺人」は、犯罪。その当の国家が「戦争と死刑」によって殺人という犯罪の犯す。これは”矛盾した話だなあ”と思います。死刑が未だある国の方が少ないというのが世界の現状で、終身刑があれば、日本も死刑制度をいつか卒業できるでしょう。そして未来の歴史の教科書には、「かつて日本には死刑制度がありました」と書かれることでしょう。未来の人は、「その頃は、野蛮だったんだね」と語ることでしょう。(戦争もそうですが、、、。)僕はそう信じています。

{{count}}
有り難し
おきもち

遠藤喨及
僕はウイキペディアでは以下のように紹介されています。 「日本、アメリカ、...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

冷静かつ理に適ったご回答ありがとうございました。

瀬戸内さんは言い切れない事を言い切ったのでしょうか。。。
ありがとうございますm(__)m

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

日本が一番ではない

僕が24年間生きている中で日本が一番ではありません。みんなは日本が一番だと言ってますが。日本つまらないし毎日刺激もないし変化が全くありません。サッカーの試合も見ましたがあまりつまらなかったです。なんかサッカーにはスター選手いないので面白くありませんでした。Jリーグの試合見ましたがつまらなかったです。ラグビーの試合見ましたが一方的な展開すぎて全くつまらなかったです。しょうもなさすぎました。日本脱出したいです。お金がないので今年全く関西から出たことがありません。出てみていろいろ体感してみたいです。何も楽しくありません。学生生活も全く楽しくなかったです。 日本生きてますが個性が全くありません。日本人も何となく生きてる人が多いような気がします。日本も少子高齢化が年寄りやおっさんが多いような気がします。僕にとっては楽しくもありません。ランダムチャットも利用しましたが喋ってみても全くくだらなかったです。ランダムチャットしましたがしょうもない人多かったです。考えも偏っているようにも思えます。日本には閉塞感がありすぎてつまらないです。日本楽しくもありません。日本は真面目な人多いので過ちや誰にも迷惑かけてない人が多すぎて万引きやカンニングなどの過ち犯したり人に迷惑かけたり(それは当たり前ですが…)失敗したら許されない国なので自殺者も多いのではないかとも思います。日本自殺大国になると思います。 日本人も世界情勢や世界のことに興味がない人が多いようにも感じます。 日本の気候も暑さ寒さの寒暖差が激しすぎて日本の四季に耐えれず嫌になります。 東京も行きましたがサラリーマンが多く殺伐とした風景や混雑が激しすぎて嫌になります。 今までも教習所で高圧的にされたことや偉そうにされたことやバイト先でも上司があまりにも態度悪い人もいて日本が一番とも思いません。たまたま人の答案が見えてしまったりしました。やっぱり日本悪い国だなと思います。みんな日本いい国やいい国やと言ってますが僕はそう思いません。 僕が思う日本のいいところは治安がいいところと料理が美味しいところと生活水準が高いところぐらいです。どこの国もいいところは最低1、2個はあると思います。 やっぱり僕にとっては日本が一番ではありません。

有り難し有り難し 12
回答数回答 2

日本に盛り上がりが全く足りないです

今、大阪にいますけど閉鎖的で盛り上がりもなく楽しくありません。地下鉄に乗っていますが表情が暗い雰囲気を作って楽しくもありません。夜もアメリカのようにパーティーみたいな盛り上がりもなくて寂しいです。日本は閉鎖的な国だとも思います。 ラグビーワールドカップ2019イングランド対アメリカではかなり賑やかやったしパーティーしてたようにも思えます。結構、日本よりも盛り上がっていたようにも思えます。イギリスやアメリカはパーティー文化がある国にも思えます。イギリスやアメリカの方が個性的な人いたような気がします。 アメリカ行ったことがないので自分には分かりませんが日本よりも個性がある人が多いようにも思えます。 僕にとっては10年前頃ですが、明光義塾北巽教室通ってた時は個性的な先生もかなり居ましたし、活気もありました。まあまあパーティー的に盛り上がっていたと思います。明光義塾北巽教室では賑やかでワイワイしてて僕にとっては楽しかったのです。明光義塾北巽教室Twitter(現在はX)では個性感半端ないな。キャラ感凄いなと書いたらいいね1つくれました。親には明光義塾北巽教室勉強するところやのに遊びに行ってた所が怒られました。 そういうの日本ではなかなか無いから寂しいです。日本の閉鎖的な環境が辛すぎてたまりません。パリピみたいな盛り上がりが好きでたまりません。日本は雰囲気が暗い国だなと思います。 日本生きるのが活気と盛り上がりが無さすぎて辛いです。日本人って個性が全くない人ばかりでつまらないです。僕の近所でも全くパーティーみたいに騒ぎがないのがつまらないです。 日本は治安も良くてご飯が美味しいと言う理由からいいって言っていますけど僕はそう全く思わないです。 日本は衰退国家だなと思います。日本は閉鎖的すぎて嫌になります。日本に生きていてもつまらなさすぎて嫌になります。だからアメリカ移住したいです。 四谷学院の校舎長に言われましたが大学は盛り上がりはないと言われ、寂しいです。辛すぎます。大学でも遊びに行っている人や騒ぎに行っている人もいると思います。僕は日本が大嫌いです。日本は同じことばかり過ぎてつまらないです。 サテライトオフィス平野に通っていますが、その事が悩みすぎて集中出来ないことがあります。 日本では盛り上がりや活気が全くないので暗いし寂しいししんどいです。

有り難し有り難し 10
回答数回答 2

日本は姥捨山を求めている

「今の日本は傾いているから誰かを犠牲にしたい」という感情が蔓延している、ということを声を大にして言いたいのです。だから、私のような無能は人権を放棄しなければなりません。そもそも、労働に縛られている時点で普通に生きられている人間にも人権がないからです。 増税や経済的負担に対する抜本的解決がない以上、「障害者をガス室送りにしなければならない」「生産性のない人間をガス室送りにしなければならない」という思想が蔓延するのは必然です。価値のある人間しか生きることを許されないのです。 社会や世界全体への不信感が強烈で、もうどうにもならなくなっています。けれど生きるには労働しなければなりません。私を傷つけ苦しめ貶め殺すためだけの場所に入っていかなければなりません。そうしないと人権が買えないからです。 自分を殺さないと人権が買えない。けれど人権を買ったところでいつ足元が崩れるかわからない。自殺推奨活動のほうがよっぽど慈悲深く思えてしまうのですが。 こんなクソみたいな世界で、どうして自分を殺してまで生きるしか方法がないのでしょうか。どうして、不幸になるしかないこんな世界がいまだに続いているのでしょうか。この怒りをどうしたらいいのか全くわからないのです。 壁を殴ったらヒビが入る。そういう、自分のアクションに対して当たり前の反応が返ってくる、という経験が薄く、その度に苛立ちが募ります。自分が気にならない、話を聞いても何が悪かったのかよくわからないことで長々と詰められ、こちらの言い分は何一つ聞き入れられない。そういう不公平さの中で生きてきたので、何に対しても「自分を殺せばいいじゃない」としか思えません。だって、人間は自分以外の誰かが犠牲になることを望む生き物ですから。私は誰の犠牲になれば良いですか?私の代わりに誰が犠牲になってくれるのですか? どうせどう生きたって誰かに支配されたまま終わるのです。そうしないと人権が買えないから。現実を見れば見るほど嫌な気持ちだけが募ります。この世界に救いはない。あるのは泥のような絶望だけ。はーあ、努力とかくだらない。今まで言われてきた沢山の言葉に対する恨みが消えない。でも他人から見たら悪いのはぜーんぶ自分。やってられない。どうせ「悪いのは私でした」という反省のポーズしか望んでいないのだからロボトミー手術を受けなければ私はこの世界に生きる権利を与えられない。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

やはりこの世界は信用に値しない

また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ