皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

人生手遅れ…

あまりにもお恥ずかしい話ですが、今まで因果の道理を全くしらずに、好き勝手に生きてきてしまいました。

生き方を本気で悔しいですが間違えました(>_<)
快楽の果ては死ぬしかないのでしょうか?

自分の人生を背負うには時があまりにも遅すぎ、自分の人生を見ると吐き気がし、人生に押し潰されて動けなくなってしまいます。

本当に生き方を間違えた。と心底思いますし悲しいです。動いても動いても、自分と切り離され、からっぽです。自分の人生から離れている感じです。離人症です。

今もずっと病院とカウンセリングの往復だけで、後は家で死を待っています。人生手遅れで本当に気力がなくうごきたいですが動けません。

生きていけそうにありません。

こんな私はやはり死ぬしかないのでしょうか?

仏様に手を合わせ懺悔しても、ただ吐き気と発狂したくなるほど自分か狂ってしまいそうになるだけで呼吸困難になりまた人生を見るのをやめます。

わかりにくいと思いますが、生きていく気力が何年間もありません。

ハスノハにも何度もお世話になりましたが、いよいよ私の人生もここまでかと思っています。
 
羽目をはずしすぎ、本当に恐ろしい人生です。
ただ何もしなくても今までの罪に押し潰されただただ恐怖です。本当に一日中怖くて怯え続け死にそうです。

因果応報なんて今さら言われても無理です。
耐えられません。押し潰されて動けません。本当にアホな人生でした。這い上がる気力はもうありません。と言うよりも、手遅れで背負うことができません。動くことができません。

自分の人生を背負えず生きていけないですよね。
どのようにして死ぬか日々考えています。

本当に怖いです。

話はずれてしまいますが、中絶経験からお地蔵様へ懺悔と「我が子をよろしくお願いします」とお願いしても、「知らんがな!それだけのことしておいて今さら」と言われている感覚になるので、「良いことをいっぱいするので我が子をよろしくお願いします」と言っても全く善い行いどころか、普通の行いすらできていません。以前
教えて頂いた五戒というのはできる限り守っているのですがそれだけで、我が子の冥福を、祈るのはだめでしょうか?

死について
有り難し 50
回答 3
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

過去の出来事で、菩提心が芽生えるのでしょう。

さつきさん。こんにちは。
過去のご相談については、拝見していないのでよく分かりませんが(先入観を避けるため)、
お若いのに、なぜ、そこまで自分を追い詰めるのでしょうか?
いや、私は、様々なことをしてきた。と反論されるでしょうけど、そんなことは、過去のこと、もう済んでしまったことです。
因果のことも、ご理解されいるようですが、たしかに因果の法則はあります。しかし、そのことに恐れていては、いつまでも道は開けません。
なぜ、そんなに怯え、恐怖を作りあげているのでしょうか。
どれほどの悪事を行ってきたのでしょうか。それが悪事なのかどうなのかは分かりません。
もちろん、悪いことをしてはいけないのは当然です。しかし、状況に応じては悪ではない時もあります。
それを悪と捉えるか、単なる出来事と捉えるかによって受け取り方は違うでしょう。
でも法則は働いている。それも事実です。しかし、一つの出来事であったならば、結果の受け取り方も変わるでしょう。
自分で悪事だと思えば反省と懺悔しかありません。反省したなら、そのことは忘れていけばいいのです。記憶は残りますが、いつまでもマイナス感情を持ち続けても意味がないということです。

中絶の経験、この世に誕生してくる、親子としての縁を絶ったのですから反省と懺悔は必要でしょう。しかし、お地蔵様に「我が子をお願いします」と懇願されたのなら、なぜ全託(すべてを託す)しないのですか?
その行為は、尊き善行でしょう。その善行の因果のどうなうのですか。
祈りながら、
>「知らんがな!それだけのことしておいて今さら」と言われている感覚・・。
それは、自分自身が勝手に決めつけているだけで、お地蔵様からすればどうすればいいの。となります。
過去に五戒律のお話を聞かれ、素直に実行されているなら、素晴らしいことです。ただ、あまりにも規律で雁字搦め(かんじからめ)になると身動き取れなくなります。この世で生きているのですから、少しは緩めに・・と私は思います。
大切なのはその行い、思いを亡き子供さんが見ておられます。それが一番のご供養になります。
そして、中絶を通じて、さつきさんは、反省、懺悔、菩提心を起こされたのですから、その出来事に感謝すべきことです。
そういう私も、人様に言えないことも多々あります。だから、今日を頑張ろうと思っているだけです。

お子さんの心配は要りませんよ

半年前にも回答しましたが、お子さんのことは何も心配いりません。お地蔵様も阿弥陀様もご先祖様も必ず導いてくださるのです。

あとはあなたの心次第です。
お地蔵様と阿弥陀様を信じてください。

奈良にはお寺もたくさんあるので、お近くのお寺の行事など調べて参加してみませんか?
たしか家は浄土真宗だったと思いますが、他の宗のお寺でも構いませんよ。
いろんなお寺を訪ね、人と触れ合うことが、あなたにとってプラスになるのではないかと思います。

あなたが悲しみと後悔ばかりしていると、浄土にいるお子さんが心配しますよ。笑顔を見せて、心配しないでねと伝えてあげましょう。

極端から中道へ

こんばんは。今までの問答、拝見させて頂きました。まずもって、「この世を生きるとは、こんな苦しいこともあり得るのだ」と、この世の辛さを改めて見せつけられた思いです。特に女性は命を産み出す性ですので、そのことにより、一層深く生というものに向きあっておられるのだと思います。
ところでお釈迦様は、いきなり悟りを開いて仏教を開いたのではないことをご存知ですか?
最初は小さいながら王子として生まれ、当時なりにはですけれど贅を極めた生活を送ったそうです。そして「こうやって楽しく暮らしていても、いつか病気になり年も取り、死んでいかなければならない。それは嫌だ」ということで家族も城も捨ててしまったのです。そして「自分の肉体を痛めつければ、それだけ精神が清らかになるかも」と、激しい苦行をしました。そして…苦行が激しすぎて、死の一歩手前まで行ってしまったのです。貴女はもしかすると、今この辺りにいるのかも知れない。
贅沢も無意味、苦行もダメらしい。そして辿り着いたのが「中道」でした。極端を避ける。つまり「良いことのうち、自分ができることはしよう」に近いのではないか。私はそう考えています。
貴女が何度も書かれる「自分の人生を背負う」、それは非常に難しいことです。何故なら貴女が背負おうとしているものは、貴女一人で出した結果ではなく、多くの縁の中で起きて来たことだからです。だいだい、「どこまでが自分の背負うべき人生なのか?」は線引きできますまい。お医者さんの言ったこともお母さんの気休めも、貴女の行為ではないのですよ。
だからもう一度、川口師の「無財の七施」を思い出して欲しいのです。因果応報というのは、「良いことをすれば良い結果が戻ってくる」という意味でもあるのですよ。
例えば笑顔施。貴女の家族や近くの人にではなくと有効です。公園で見かけた小さな女の子に微笑みかける。それでもう、貴女はその子に施しをしているのです。転んで泣いている子を労わることができれば、もう施しをしているのです。その善因は、すぐ目に見える形ではないかも知れないけれど、善果となってどこかに実るのです。良いことを、できるところで。できる限りでなくとも良いのです。小さくとも良いのです。


質問者からの有り難し - お礼

鈴木海祥 様
回答ありがとうございます。
そうですね。こんなに人生が狂うとは思っていませんでしたが、何とか思い詰めずに生きていくように心がけます。ありがとうございました。

聖章 様
再び回答くださりありがとうございます。
善い行いができていない…と、心配していましたがかならず導いてくださっていると思うと安心いたしました。仏教行事もこれから視野に入れてみます。
お忙しい中ありがとうございました。

佐藤良文 様

ご回答いただきありがとうございます。おっしゃる通り、自分の背負うべき人生の線引きに苦しみ、お医者さんの言ったことまた、母の気休めの言葉を恨んでしまい、あの時その一言を母が言わなければ…等と思い、自分がそれに惑わされたと言う事実があるのですが、つい、怒りの矛先が、当時携わった人に向かっています。そのため、命を軽くした人たちを恨んでは、自分を責め毎日母親を責めて母親、私共に毎日泣く日々を送っています。
ここまで人生が狂うとは思ってもいませんでした。懺悔をせずに長い間進んだことによって、なかったことにしてしまったことによって、自分の命まで軽くなり、生きている心地がしません。
生きる気力がなく、鬱のように動くことができないので、思う人生も送れず、死ぬことばかりが頭をよぎり、寝たきりで灰人のようになっておりますが、何とか生きる気力を取り戻し、諦めずに天命を全うできるようにもがいて生きたいと思います。ありがとうございました。

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