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突然死が怖くてたまらない

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6月に父が急死しました。
前日、普通に電話で話をしていたのに。
健康面では特に問題もなかったし、何の前触れもなく、突然死でした。

そんな父の死がトラウマとなってしまっています。ふとした瞬間に思い出し、恐怖や悲しみが頭から離れなくなり寝られなくなります。
母が、旦那が、娘が、弟が……身近に居る大好きな家族が「もし父と同じように急に居なくなったら」という不安が、父が亡くなってから今でもずっと続いてしまうのです。

いつかは来ることと分かっていても、本当に怖いです。頭では理解しようと頑張っても、心の中が追いつきません。
急に居なくなったら私はどうしたら良いのだろうと、自分の不安な気持ちのことばかり優先させた考えで情けないですが、そんなことをずっと夜中じゅう考えて朝になってしまうこともあります。

どうやってこのトラウマを乗り越えたら良いのか未だに分かりません。ずっと私につきまとってくるのです。
私はどうしたら良いのでしょうか。
久しぶりに不安でたまらなくなったので、こちらで相談させてもらいました。

2016年11月3日 1:25

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

本当は突然死ではないのであろうと思います。

お父さまの突然のご逝去、本当にショックであられたと思います。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
おそらくお父さまが亡くなられた原因は、本当に小さなことの積み重ねや、めぐりあわせの中での結果であられたのだと思います。
必ず結果には原因があります。
最後にお会いしたかった、もっとお話をしたかったというお気持ちもおありであろうと思います。
ですが、本当に残念ではありますが、今お嬢様であるあなたがお父さまへのご報恩となることは、ご報恩となる生き方をされていく事であります。
もしお父さまが生きておられたら、、、
今のあなたのご様子をみて何を望まれる事でありましょうか。
私にも娘がいます。
もし、私が突然死でなくなったとしたら、娘に願う事は「とうちゃんはやむを得ずして死んでしまった。長く苦しまずに安らかに眠りについた。だから、今は私はもう苦しくないから安心しなさい。でもお前は生きている。いたずらに悲しみ続けることよりも、今日から一歩目を踏み出してほしい。人はいつか死ぬんだ。遅かれ早かれ、いつかはこの命を返さなきゃいけない日が来る。だから生きている内にこそ、【いつ死んでも大丈夫な生き方】を探しなさい。どんな苦しみがあっても、それを乗り越えていけるものを学びなさい。それが仏教だ。私もそれですくわれた。」と励ますことでしょう。
人生はどんな困難苦しみがあっても、古来よりずっと寺院や仏教を守ってきて下さった先人様が遺してくださった教え、それを乗り越えていく力、智慧があります。また、お父さんがどこかのお寺さんの護持をされていたのであれば、そのお寺さんがきっとあなたを助けてくださるはずです。
今なきお父さまが、形を変えて、あなたに手を差し伸べてくれているのですよ。
私のこの回答も、今日の寒き日にあなたを温めてくれる服も、みんな間接的にお父さまが遺してくれたものなのです。何故ならば、今日まであなたが元気で育っているのはかげながらのお父さまのお力でもあるのではないでしょうか。そういうかげながらのお力をおかげさまというのです。その姿はお父さまのお姿はしていません。お父さまのお姿はしていませんがそれはお父さまがお姿を変えているものであるという事をあなたは感じ取って生きていくべきです。それが宗教心というものです。そういう心を大切に生きていくことが、報恩の供養になるのです。

安穏小住 覚元合掌

2016年11月4日 6:18
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

だからこそ今を大切に

 こんにちは。

 お父様のご逝去に謹んでお悔やみ申し上げます。

 さて死はお釈迦様が説かれた「四苦八苦」のなかの「死苦」(死は思い通りにならない)として取り上げられています。
※仏教でいう「苦」とは「くるしい」ではなく「思い通りにならない」の意味です。

 多くの人が病院で死を迎え、核家族化により身内の老いや死を見る機会の減少、「家族葬」の流行で他人の葬儀にも参列する機会が少なくなってしまった現在、死の存在はとても遠くに感じられるようになってしまいました。

 しかし、私も、あなたも、あなたの大切な友人や家族も、必ず死にます。私たちは生まれたと同時に「死」という属性を持っているわけです。そしてそれはいつ死ぬのかどのような原因で死ぬのかは「苦」(=思い通りにならない)のです。

 仏教では、死を「いつ死ぬか分からないんだ」と悲観的・詠嘆的にとらえるのではなく、「だからこそ今を大切に生きよう」とする考え方をします。
 「いってらっしゃい」や「おやすみなさい」を言うときに「もしかしたらこれが最後のいってらっしゃいやおやすみなさいになるかもしれない」だからこそ、けんかをしていたら仲直りをしておくべきだし、最高の気持ちでいってらっしゃいやおやすみなさいを言うべきです。

 あなたは、お父様の死を機会に、死について深く考え知ることができました。だからこそ今をしっかりと生き、いつも笑顔で家族やお友達と仲良くしましょう。お父様は死を通してあなたにそれを最後に身をもって教えてくれたのです。

2016年11月4日 11:31
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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/40歳代 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが...

質問者からのお礼

お忙しい中、お二人のお坊さんに回答頂き嬉しく思います。ありがとうございます。

私は父と、もっと話したいことがあったのだと思います。だから突然の別れに戸惑い、それを今生きている大切な人たちに当てはめてしまっているようです。

後悔するような接し方はダメだと、本当にそう思います。大切な人たちをいつでも心から大切に思えるように、その気持ちを忘れないようにしていこうと思います。

きっとまたクヨクヨして気持ちが弱くなった時に同じようなことを言う日が来ると思いますが、その時もまたこちらを利用させてもらい、気持ちを落ち着かせることが出来ればと思います。

本当にありがとうございます。

「死ぬのが怖い」問答一覧

死への恐怖

母は私が幼いころに癌を患い、その後治療を続けていたものの半年ほど前に再発しました。今すぐに命に関わるという病状ではないのですが、身近な人間の死に関わりうる病気を通して死というものを考えることが増え、もうどうしていいかわかりません。 私と母とは30ほど歳が離れています。つまり、一般的な寿命を迎えることができても、私はいつか母がいない時間を30年も過ごさなければいけない。そのことが私には耐えられないことに思えます。私には妹弟はおりませんので、私は家族の中で最も長く生きる可能性が高いわけですが、自分の大切な人が皆亡くなってもなお生きていかなくてはいけないのでしょうか。頭ではそんなことわかっているのです。死は避けられない、身近な人の死も受け入れなくてはいけないし、皆そうやって受け入れて乗り越えて生きていると思うのですが、わたしにはそのことができないように思えます。親不孝の極みですが、母が死ぬ前に死ねたら幸せだなとすら思ってしまいます。 私が中学3年の時に祖父が亡くなった時のことを未だに忘れることができません。少し前まで生きていた、人が、生きてはいないということが受け入れられず、その恐怖を忘れることができません。昔見たドラマで、大量殺人を犯した犯人が、人をモノにするのが好きなんだと言っているものがありました。祖父の葬式の時に感じた、人がモノになったということが、私の中に恐ろしい記憶として残っています。祖父の死以来、刑事ドラマも不愉快で見ることができません。人の死を面白がって作っているように思えてしまうのです。私はどうしたらいいのでしょうか。受験期に入り、ストレスや疲れもも溜まっているのか、死ぬこと、母のこと、いつか大切な人が皆亡くなってしまった時のことなどばかりかんがえてしまいます。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

死について考えるとパニックになります

死ぬことがとても怖いです。 死んだ後、こうやって今文字を打ってる、自分という存在はどうなるのかと考えると、怖くて仕方ありません。 死は逃れられないのだから、どうにか死を受け入れられるように、死というものに悲しいイメージを抱かないようにと、お釈迦さまの考えや、聖書など様々なものを読みました。 ですが、いざ死について考えた時、魂という存在や天国、地獄など、それらのものが無かったら?と考えてしまいます。 最近はニュースなどで殺人や自殺など誰かが亡くなってしまう内容を見ると、死は突然訪れるのだと強く感じ、とても苦しく、死にたくないと叫び泣いてしまいます。 こういう話を周りに相談すると、後悔の無いように生きることを全うする、考えても仕方ないのだから考えないようにするなどアドバイスをいただきます。 ですが、後悔の無いように生きても、私は死にたくないんです。死ぬ前に生きてて楽しかったな、なんて思える気がしません。 不老不死でいいのかと言われたら、それで構いません。私という存在が無くなることの方が怖いです。 死からは逃れられないという気持ちと、死ぬことが怖いと思う気持ちどちらも交互に出てきて、また教えやアドバイスを受けても、実際はどうなのか分からないじゃないかと考え受け入れることが出来ない、そんな自分はどうすればいいでしょうか。 まとまりのない文章となり申し訳ございません。お願いします、助けてください。

有り難し有り難し 38
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死への恐怖を改善したい

初めて質問をする者です。 よろしくお願いします。 当方、大学4年生で就活活動中です。 タイトル通りなのですが、 いわゆる自分はタナトフォビアなのだと思います。 きっかけは恐らく 幼稚園の頃に経験した祖母の死 小学生の頃に経験した祖父の死 高校生の頃に経験した母親の死 だと感じています。 身の回りにこれだけの身内の死を経験した人がいなく、あまり共感はされません。 仕方のないことだと分かっています。 避けられないことだとも分かっているのです。 しかし、怖いのです。最近時間があるせいか、毎日のように死んだらどうなるのか、これからの別れに耐えられるのか、生きる意味とは何なのか、そういうことばかり考えています。 何も手につかなくなってしまいます。 周りの人たちは、こういうことを考えず前向きに将来のことを語っているのに、今の私にはそれが出来ません。私も前向きに将来を語りたいです。 心配性なところもあり、果たして自分はいつまで生きることが出来るのか、考えても仕方がない未来のことを心配してばかりいます。 周りからは明るい人間だと言われるのですが、今はとてもそんな状態ではありません。 きっと母親の死が大きすぎたのですが、高校生活が忙しく、適切に処理出来ていなかったのだと思います(泣いたら駄目だと思っていました) 同じように悩んでいらっしゃる方をここのサイトで知ることが出来、私だけではないのだと感じることが出来たのですが、やはり心配性、恐怖は改善されませんでした。様々なQ&Aを見てきた中で、なぜ仏教を学ばないのかと不思議に思うことがあるという回答をしていらっしゃったお坊さんがいたのが印象的でしたので、初心者にもおすすめな本などがあれば教えて頂ければ幸いです。 避けられない運命を、せめて受け入れられる考え方、心得を教えてほしい、助けてほしい。 以上、長文にお付き合いいただきありがとうございます。

有り難し有り難し 9
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