hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

嫉妬する気持ちを消したい。軽くしたい。

回答数回答 4
有り難し有り難し 102

はじめて質問します。
仏法を何度も聞いていけば、自己を見つめていけば、嫉妬をする気持ちは小さくなるのでしょうか?

嫉妬をするのが人間だし、そんまんまでいいんじゃない?と言われてしまいそうな気もしますが、

私は普段、あまり嫉妬はしない方だと思っているのですが、

どうしても、自分と同じような土俵で活躍している人を見ると、
「私の方が力はあるのに!チャンスが巡ってこないだけだ。」
なんて、嫉妬心がムクムクと湧いてきてしまいます。

自分はそういう気持ちを持ちたくないと思っているので、そういう嫉妬心が湧いてくると、そのこと自体に苦しくなってしまいます。

気にしない気にしない。阿弥陀さまはいつでも私の見方。

と呟いてはみるものの、

あまり効果を感じられません。

徳を積まれたお坊さまは、嫉妬なんてほとんど感じないのですか?

どうすれば、感じないですみますか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

相手の現状を“わたくし視”しなければ良いのです

あなたにとっては他人の成功が煌びやかに映るかもしれませんが、相手もあなたと同じく、平等に与えられた24時間を使っているだけです。
ただし、その時間の使い方があなたより上手なのかもしれませんね。
ですが、いくら人の成功を羨んでもそれはあなたではありません。

嫉妬とは、無意識に相手を“わたくし化”することで起こるうらやみの感情です。
嫉妬で苦しんでおられた時の心境をよーく思い出してみてください。
相手はあなたとは独立した存在であるにも関わらず、あなたは相手を、
・我がことのようにしていた。
・わたくしごとにされておられた。
・マイルールに当てはめようとしていた。
・自分ワールドのものの見方でみていた。
・自分の期待、もくろみ設定に外れたことが許せない。

それは、現実のそのままの相手をみていない状態なのです。
あたかも元々まっさらなパンにジャムやバターを塗りたくって、そのもの自体を味わおうとしていない姿なのです。
相手はもともとまっさらな食パンのようなもの。そこには何の味もついていません。
あなたは自分の味に変えて、“まげて”ものを見てしまっている。
無意識で思いのフィルター越しに相手を脚色していることが冷静に理解されれば嫉妬は自ずと消えましょう。

相手はただ自分のペースで、自分を使って自分をやっているだけ。
あなたもあなたのペースで、自分を使って他人にヤキモチ焼いてるだけ。
それでは時間が勿体無いですね。σ(^_^;)
あなたは今立っている土俵が本当に現実の土俵であるかどうかを見極める時です。
嫉妬はどこまで行っても虚妄のイメージ上の相手を敵対視した独り相撲でしかありません。
独り相撲であることに気がつけた時こそ、はじめて仏法を“聴けた”事になるのです。
あなたが本当に対すべき相手が、今日の、ここ、目の前の現実の土俵で、さっきから「コッチ、コッチ」と手招いてますよ。σ(^_^;)インナー土俵から降りてきてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

いっそ自己研鑽の原動力に

ほとんどの人は自分の嫉妬を嫉妬とは認めたくないものでしょうから、それをしっかりと認めてらっしゃることは素晴らしいですね。気にしない気にしないと阿弥陀様に、、、とありましたが、敬服いたします。

私は大した徳を積んでませんので、あまり参考にならないかもしれませんが、本当に徳を積まれている方ほど「いやいや、自分はまだまだです」とお答えになります。ですから、とんとんさんも、きっと他の多くの方より嫉妬心が少ないのだろうと私は思いました。

しかし、実際にそのことで苦しんでおられるのですから、今の状況はお辛いですね。
いっそ嫉妬は嫉妬として受け入れて、嫉妬を競争心に、競争心を自己研鑽の原動力に変えていけたらいいのではないでしょうか。動機は不純でも、やがて周囲が賞賛するような、とんとんさんになっていることでしょう。その頃には苦しさも嫉妬心も今よりずっと少なくなっているはずです。

{{count}}
有り難し
おきもち

住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
このお坊さんを応援する

いい嫉妬 悪い嫉妬

とんとん様へ

私はまだまだで、正直嫉妬という感情を抱くことがあります。
しかしながら、ある考え方に気づきました。

いい嫉妬と悪い嫉妬があるということ。
いい嫉妬とは、その感情により自分のエネルギーに変えて
いい方向へ努力していく。
そうやって増田様の回答にもありますが
自分の原動力に変えていくことが大切ではないのでしょうか。

ぜひ次、嫉妬という感情を抱くことがありましたら
実践していただきたいと思います。

                    合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

鈴木光浄
「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を...
このお坊さんを応援する

智慧(空の理解)と方便(慈悲・利他)行の実践へ向けて

とんとん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

嫉妬は煩悩の一つであり、誠にやっかいなものでございます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/嫉

煩悩に関しましては、下記問いにても扱わせて頂いております。

問い「人の悩みって」
http://hasunoha.jp/questions/82

問い「世の中で一番醜い事は」
http://hasunoha.jp/questions/66

煩悩を出てこなくするためには、その根本的な原因としてある無明(根本的な無知)を何とかして、真理に明るい状態へと持っていくことが必要となります。

この無明を退治していくには、智慧(空の理解)と方便(慈悲・利他)行の実践が求められるものとなります。

もちろん、仏教の初学者において、いきなり智慧だ、方便だと言われてもなかなか理解が難しいかとも存じます。

そのため、まずは簡単にでも「無常」、あらゆるモノ・コトは移ろい変化していくものであるということの観察として、「嫉妬」している自分、またその対象の者についても、永久永遠に変わらない何かがあり得るのかどうか、寝ても覚めても永久永遠に「嫉妬」している自分の状態ということがあり得るのかどうか、永久永遠にその対象の者についても変わらずにそのままの者、状況としてあり得るのかどうか、例えば、100年後においても嫉妬する側と嫉妬される側として変わらずにその状態があり得るのかどうか・・など少しずつでも「無常」や「無我」と言った仏教の真理について考えて理解されていくことと併せて、善い行いとしてある「十善戒」(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見)を意識して守るように心掛けて日常を過ごしていくことから始められてはどうであろうかと存じております。

http://ja.wikipedia.org/wiki/十善戒

更にできれば、積極的な善徳行として、ボランティアや奉仕・慈善活動といったものに取り組むことも大切なことになってくるかと存じております。

やがて、他の様々な者たちの幸せを平等に思っていく心が滋養できていければ、きっと嫉妬は起こらなくなっていくのではないかと存じております。拙生もまだまだであります。共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

「嫉妬・人の幸せを喜べない・不幸に喜ぶ」問答一覧

彼氏がいる友達に嫉妬してしまう

初めて相談させていただきます。 現在、大学2年生ですが友人関係で悩みがあります。 その友人は精神的な疾患を持っており、最近は悲観的になりやすく、一緒にいて楽しさを感じられない状態にあります。 また、彼女は講義中に寝てしまいやすく、その度に私がレジュメを見せることにも疲れが生じてきています。 さらにサボり癖もあり、出席コードを送って欲しいという連絡も多々あります。 この面で既に違和感はあったのですが、数ヶ月前に彼氏が出来て以来Instagramのストーリーで匂わせをしたり、私と待ち合わせの約束をしていたのに彼氏も連れてきたりと息苦しさを感じる行動が増えてきました。 私は元々人と比べやすく、特に年齢的にも彼氏の有無を強く気にしてしまいます。 以前焦りからマッチングアプリを入れ、そこで出会った方とお付き合いをしましたが、数回会っただけでは好きになりきれず、数ヶ月でお別れをしてしまいました。 長くなってしまいましたが、疾患を持ちながらも学生生活を楽しんでいる彼女の余裕と、アルバイトに明け暮れ、毎日が過ぎていく自分との生活の差がとても苦しいです。 彼女の幸せを喜べない自分の余裕の無さにも嫌気が差します。 彼氏の有無で悩まない捉え方や、気持ちの整理の仕方を教えていただけますと幸いです。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

人の幸せを憎らしく感じてしまいます

人の幸せを祝えないどころか、憎らしく思ってしまうことが度々あって自分のことが嫌になります。 先日、高校時代の友人が結婚することになったと人伝てに聞きました(今は直接の関わりはありません)。 その子は高校時代から成績優秀で、一流大学卒業後2年ほど経ち、近々海外で働く見込みとなったとのこと。昔はよく自慢話をされていましたが、当時の私は「自慢話をされるのは少ししんどいけど、でもあれだけ勉強できたらそうなるか」くらいに思っていました。 今思えばあの頃の私の方が性格は良かったんだと思います。 加えて、当時の私は恋愛や結婚に憧れもなく、誰かがそれを叶えていても他人事だと思っていたので、人の恋愛自慢も特に苦ではなかったように思います。 一方、私は大学受験に全落ちし、一年浪人している上に在学期間も長いので、未だ学生をしています。中堅大学で、ここしばらく彼氏もおらず、勉強と就活に追われてばかり。 自分の生活に余裕がなくなったことや将来のこと(結婚や就職など)を意識し始めたことなどが原因なのか、気づいたときにはもう人の幸せを祝えなくなっていました。 街中のカップルを見ても、勉学で優秀な人を見ても、自分がないものを手にしている人全てが憎らしくてたまらないのです。 私には、中学時代からずっと仲良くしている友人がいます。その子には長年彼氏がおり、その彼の話を聞くたびに、上辺では楽しげに聞いているけれども本当は内心嫉妬に満ち満ちています。 そのうち、その子も結婚することになるかもしれません。 いつかそのときが来たら、そのときにはどうか、その子の結婚は心から祝福したいのです。 ですが、今の私にはきっとそれができそうにありません。 どうすれば人の幸せを心から祝福できるようになるのでしょうか。 ネットで調べても、「人と比べても無意味だ」とか「嫉妬している自分を受け入れましょう」とばかり出てきますが、実際、それができなくて余計に苦しんでいます。 こんな醜い感情を持った私に、なにかアドバイスをくださいませんか。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ