わが子への死の伝え方
こんばんは。お世話になります。
私には2人子どもがいます。今日は上の子(4歳)の子について、ちょっと助言を頂きたく…
一昨日の話なんですが、よく覚えて無いんですが上の子と寝る前に「死ぬこと」について話す流れになり…
私は「みんな最後はおじいちゃんやおばあちゃんになって、お空のお星様になるんだよ。」
「ママも◯◯くんが大人になって、おばあちゃんになったらいつかはお星様になるんだよ。でもママは◯◯くんが大きくなって、もう1人でも大丈夫って思えるまでは頑張って一緒にいるからね」みたいなことを話したような気がします。
すると昨日、寝る前になり急にワンワン泣き出し「ママがお月様になっちゃうの嫌だ~!みんなみんな居なくなるの嫌だ~(>_<)ぼく寂しい!!」と。
よくよく話を聞いたら一昨日の話を覚えていて、私や旦那、下の子や祖母と離れたくないと訴えてきました。
「大丈夫、ママはそんなに簡単にお星様にはならないから。それに今から◯◯くんがだんだん大きくなっていくとママ以外にももっとお友達やお嫁さん、大切な人がたくさん増えていくよ。だから寂しくなんかないよ。◯◯くんがもうママがいなくても平気だな、大丈夫だなって思えるまではずっとそばにいるからね」と話しました。
私的には何気なく話した話題だったのですが、涙をボロボロ流しながら長いこと泣いていたのでショックすぎたのかなと不安になり…
ちょうど私が喘息にかかり、ここ2~3日ずっと咳をしてキツそうにしていたのもあるのかな…初めて「大丈夫?」と心配そうに背中をさすってくれました。
結構繊細な性格なので、またこのことを思い出したりするかもしれません。
もう少し大きくなって「死ぬ」ことが理解出来るまで流しておいても大丈夫なものかどうなのか…
アドバイスをお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
親の死への正しい自覚こそが大事
人は絶対に死ぬまで死にません。
死という事を経験ができません。
あなたが昨日寝た時に、眠りに就いたという自覚は無かったでしょう。
だから、自分の死は自分では経験ができません。
ですが、人の死は私たちは見たり聞いたりすることが可能です。
死は誰も避けられることは出来ません。
そして、そこに様々な負の想念を添えたり、死に対する恐怖や不安を生ずるものです。
また反対に死は、偉大なるものであって死によって周りの人は大きな変化をもたらせます。
大きな影響を与えます。その人亡き後も力強く生きていかなければならないことだって沢山あります。
今はお星さまになる、あの世に行くという子供に分りやすい形でお伝えする事で良いでしょう。
生を明らめ死を明らめることが仏教徒の悟りへの一大事因縁です。
今もこうして生きている。呼吸をしている。
生よりほかにもの無く、生の内に死は起こりえない。
死なば死という事が確実にある。死と生とは決して同居しない。
人は死を恐れるのではなく、死に対する自分の負の想念を恐れるのです。
故に、親であるあなたが死の恐怖を克服することで子供が大人物になる。
死という誰もが恐れるものを坐禅精進して、己を明らかにし、その本質を見極められれば死は怖れるるに足りません。わが子への真実の教育、真実の遺産とは、あなたがまずそれを手に入れることからなのです。❝情報❞で死が怖くなくなるようであれば、修行も仏教も不要です。
ちゃんと悟りを得た指導者(曹洞宗では故井上義衍老師、井上貫道老師、井上哲玄老師など)の説かれる説法に耳を傾けられて、嘘偽りのない真実を持ってわが子を救ってあげてください。
本当にハッキリと明言できる宗師は少ないものです。
みな曖昧な言葉で煙に巻く。
それでは本当に救われたことにならんでしょう。
親が死を恐れず堂々と死んでいく。
それが子供にとっての一番の教育です。
あなた自身が、仏道を求めるべきであろうと思います。
私も当然、死への恐怖を克服するべく、道を求めました。求めればちゃんと確かなものが手に入ります。
明らかになることがちゃんと明らかになるのです。
真剣に自身にも他者にも問うてください。誰も避けられないし、いずれその時が来るのですから。
嘘も方便!
死ぬ事の意味を自覚する事は我々の最も重要な事で逃げられないものです。
私たちの宗派では第一義とされています。
ただこの事は分かる時でなく分かりたい時が必要ですがこれが難しいのです。
仏教を通し死を受け止める心構えを身に付けるのですが、まだ小さな子供さんには死を納得できる説明は難しい事です。昔、私も子供の頃、寝る前に死ぬ事を考えて怖く成り寝れなかった事を思い出します。これは私だけではないでしょう!
無理に死を説明する事はありません。死は教えて頂くより自分で感じる時がその時です。
決して誤魔化しは良くありませんがお釈迦様の教えに「噓も方便」正しい導きの為の嘘はあってもいいのです。
死を知ったからといって死ぬ人はいない
拝
死を認識する事は自我の発達を大きく促します。もしお母さんが死んだらどうしよう?と考える事は発達段階に必要な事です。
こういう時期には、神仏や先祖を、お参りする事をお勧めします。「みんなが幸せに長生きしてお月様に行ったたくさんのご先祖様も皆んな楽しく暮らせますように」って唱えさせてごらんなさいな。
言葉で伝えきれない事はこうやって行いで示すと良いのです。子供は母親の手を合わせる姿から即大きな安心を感じとる事でしょう。自然と手を合わせることは不安になった時の最高のおまじないで、一生の宝物です。
合掌
質問者からのお礼
貴重なご意見ありがとうございました。
我が子にも少しずつ色々な示し方で対応していこうと思います。
また、自分自身も「死」というものについて学び考えてみようと思います。